第16話 人体実験とは

 次の日の朝。

 アリーシアが、いつものように部屋を訪れる。

 ディアンにドレスはいらないと話した次の日から、アリーシアが毎朝持ってくるのは、ハーブ園で咲いた小さな花に変わっていた。


 今日はカモミールの白い花、香りも良い。

 今日のハーブティーは、カモミールブレンドなのかもしれない。


 きっとディアンが、黒仮面の男にマルガリータがドレスを貰い過ぎて困っている事を、伝えてくれたのだろう。

 有り難く思うのと同時に、やはり黒仮面の男は使用人達とは、何らかの方法で毎日連絡を取っているのだという確信も持ててしまって、ますますマルガリータだけが避けられている事を、つきつけられる。


 黒仮面の男とは、これと言った会話さえもしていないはずだった。

 けれどここまでくると、何か避けられるような事をしでかしてしまったのだろうかと、本気で悩む程の徹底ぶりである。


 やっと袖を通すのが二度目になったドレスへと着替えると、アリーシアは念入りに髪型を整えてくれた。

 こんなに綺麗にしてくれなくてもいいと毎朝訴えるのだが、当然のように却下され続けている。


 そして、これももう「毎朝の恒例行事なのかな?」と思ってくしまう位に見慣れてしまった、「おはようございます」の挨拶と同時に、ダリスの困り顔兼、謝罪の言葉を頂戴する。

 今日も今日とて、黒仮面の男は大変お忙しいらしい。


 ドレスの贈り物攻撃は止まったし、ディアンとの外出について、誰からも何も咎められたりはしなかった。

 つまりは、黒仮面の男に話が通った上で、好きにして良いという事だと判断しておく。


 使用人達の誤解は一向に解けないけれど、奴隷としての底辺生活を自ら望んでいるわけでもない。

 考え様によっては今のこの状況は、かなり自由度も高く恵まれていると言わざるを得なかった。

 もういっそ、黒仮面の男とは一生会わずに、この屋敷にこのまま置いて貰えないものか。


(まぁ、何の仕事もしていない人間を、ずっと好待遇で置いておくなんて、あり得ないけど)


 恐らく黒仮面の男は、人体実験という名の下で、マルガリータで試した結果を受け、ハーブの様々な効能が証明できるまでは、このまま何も言わず置いてくれるつもりなのではないだろうか。


 その割に、最初に身体全体を採寸されてからは、一度も医者が体調を確認しに来る事もなく、血圧や心拍数の数値を測ったり等、身体の変化を見る様子もないのが解せないけれど。

 むしろ最初の採寸さえ、ドレスのオーダーメイド用だったのではないかという疑惑さえ、最近は感じ始めている。


 ハーブティーは、毎日朝昼夜の食後とティータイム時、いわゆる今まで伯爵令嬢のマルガリータが紅茶を飲んでいたのとほぼ同じタイミングで出されている。

 種類や味は毎日違うけれど、実験だと言われているのに、何も成果に繋がるような確認を口頭でさえされないのは不自然だった。


 唯一それらしい事と言えば、給仕してくれるアリーシアに「美味しいですか?」「苦くはありませんか?」と、味についての感想を聞かれる位だろうか。

 だがそれは、効果を確認しているのではなく、ハーブティーの入れ方に慣れていないアリーシアが、マルガリータの好みを探るために聞いてくれているだけの様な気が、しないでもない。


 せめてこれだけは、何が何でも協力しなくてはと思っているから、自発的に「このハーブティーのおかげで良く眠れた」とか、「疲れが取れやすくなりました」とか、「リラックス出来ていいですね」とか、何かにつけて効能について明言してみてはいる。

 だがその点について、アリーシアはにこにこと嬉しそうに聞いているだけで、具体的に普段とどこが違うのか等を、突っ込んで確認して来たりはしない。これではただの、感想止まりだ。


 正直こんな感じで、ハーブティーの効能人体実験になっているとは、到底思えなかった。

 毎日マルガリータの好みに近付いていく新しいブレンドが届くから、何か知らないところで成果を確認しているのかもしれないけれど、それはそれでちょっと怖い。

 今日の朝食のお供は、予想通りカモミールティー。


(ちょっとだけ、前回とは紅茶の茶葉とのブレンド率が変わったかしら?)


 段々と細かい味の差までわかるようになって来て、ちょっとしたハーブティーソムリエの気分である。

 ちなみに、この世界にそんな職業はない。気持ち的な問題だ。


 元々、紅茶の茶葉の違いを利き分けるのは、貴族の子女の嗜みでもある。

 特に、自領地で取れる茶葉の味を知っておく事は必要不可欠とも言え、貴族の子女の間で頻繁に開かれるお茶会では、出される茶葉を褒めるところから会話が始まると言っても過言ではない。


 お茶会という名前に反して、優雅にお茶とお菓子を食べるだけの会では、決してないのだ。

 茶葉の味の違いがわかるかわからないかで、自分のひいては家名の格が見定められる。

 表向きは、遊びの一環の中にある噂話と見せかけて、政治的な色合いがとても強い会でもあった。


 また貴族社会では、噂話が広まるのが異常に早い。

 少しでも気を抜いて失敗すれば、一気に蹴落とされる。

 だからこそ、マルガリータの利き紅茶は完璧だった。


 そこに、真奈美が好きだったハーブが加わったブレンドを毎日口にしていれば、ソムリエと言えるレベルになるのは、当然の流れとも言える。

 ハーブが雑草扱いで、流通もしていないこの世界の今の状況では、そんな資格があったとしても、何の役にも立たないけれど。


 とはいえ、いずれは黒仮面の男の実験が上手くいって、効能が広がれば良いなとは思う。

 薬のように、一度飲めばすぐに効くというものではないけれど、じわじわと身体に染み込んで不調の改善を助けてくれる存在は、きっとこの世界でも役に立つものばかりなはずだから。


 何よりも、雑草だと思われている位には沢山存在して放置されているものであるのなら、市井にも安く供給出来るだろう。

 高級な薬等を買えない平民層には、特に広まって欲しい。


 結局、今日も今日とて黒仮面の男とは会えそうもなく、アリーシアもハーブティーの効果実感について何も尋ねて来ない。

 ただただ美味しいカモミールティーに舌鼓を打つだけで、何の協力にもなっていなさそうな食後の人体実験を優雅に終える。


「この後、厨房にお邪魔しても良いですか?」


 そしてマルガリータは、食器を片付け始めたバルトにそっと耳打ちした。

 ダリスやアリーシアに聞かれると、もれなく反対されそうな予感がしたから、あくまでこっそりと今日の計画は進めたい。


「俺は別に構わねぇが、嬢ちゃんが楽しめそうなもんは特にねぇぞ」

「明日の昼食の件で、ご相談したい事があって……」

「明日? あぁ、そういや出掛けるから、持ち運べるもん用意しろって言われてたっけな」

「そうなのですか?」


 どうやら既に、ディアンからバルトへ昼食の依頼が入っているらしい。

 と言う事は、やはり多少の遠出になるのだろうか。


(昼食は、バルトさんお手製の昼食が用意されるなら、私が作るのはやっぱり甘い物の方がいいかもしれない。メニューによっては、昼食も手伝いたい所だけれど……)


「この後は使用人達で朝メシ食うから、それが終わった後なら大丈夫だ。でもわざわざ厨房でなくても……俺が出向こうか?」

「いえ、ぜひ厨房でお願いしたいのです。お仕事の邪魔はしませんから」

「そうか? じゃあまぁ、待ってるわ」

「はい。では、後ほど伺いますね」

「了解」


 こっそり相談したい事を察してくれたのか、いつもはびっくりするくらい大きな声で豪快に話すバルトが、近くに居たダリスやアリーシアに気付かれないようにするマルガリータのひそひそ話に、上手く合わせてくれた。

 皿を下げながら軽く手を振る事で、この後の訪問許可を示してくれる。


 大ざっぱなようでいて、やはり繊細な料理を作るシェフと言ったところか。

 こういった小さなサインに気付いてくれるのは、流石だと思う。


 ということで、今日は既に日課になりつつあるハーブ園への来訪は止めにしておく。

 ディアンも明日の仕入れの支度があるかもしれないし、邪魔はしたくない。


 食堂から部屋に戻ると同時に、恒例の仕事どころか何もする事を与えられない、自由すぎる自由時間に突入したマルガリータは、昨日見つけて図書室から借りてきた料理本を開く。

 真奈美の頃の記憶と共に確認するのは、作ろうと思っている物に必要な材料について。主に、この世界と日本との違いだ。


 ちらりと窓の外に目をやると、ディアンがハーブの世話をしている後ろ姿が目に入り、自然と表情が緩む。


(喜んでくれるといいな)


 最後にもう一度だけ、おさらいとばかりに本に目を通してから、折を見てマルガリータはそっと部屋を出た。

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