第9話 役割を把握しました
騒がしさの去った部屋で、無言のまま差し出された食後の紅茶を手にとって、再びそっと視線をアリーシアへ上げると、優しげな微笑みがまだそのままマルガリータを見つめていた。
「我が儘を言って、ごめんなさい」
「謝罪すべきは我々です。お好みがわからなかったとはいえ、食べきれない量を用意してしまったのはこちらですから。マルガリータ様が、その事にお心を痛めて下さる優しい方だとまで考えが及ばず、申し訳ございませんでした」
「そんな……謝らないで下さい。皆さんが、素晴らしいおもてなしをして下さったのだと、わかっています」
そう。マルガリータを客人として扱っているのだとしたら、使用人達の行為はごく当然の事だ。
好みのわからない客人に対して、様々な角度から用意をしてくれ、更にマルガリータの体調に合わせた物を手元に揃えておいてくれるという気遣い付きだったのだから、もてなす方法としては最上級だった。
「マルガリータ様……!」
そんなマルガリータの言葉に、アリーシアの微笑みが、感極まった様な熱い視線に変わる。
マルガリータとしては、ごく当然な事しか言っていないつもりなのに、勝手にハードルが上がった予感がした。
あまり持ち上げられると、後でただの奴隷だと気付かれた時との落差が怖いので、女神でも崇め奉る様な視線は止めて欲しい。
バシバシと感じる視線を、出来るだけ受け流しながら手にある紅茶を一口含むと、ふわりと良い香りが鼻に抜けた。
(あれ? やっぱりこれって……)
昨夜感じたカモミールの香りとは違っていたが、今回の紅茶はローズヒップの香りがする。
色をじっくり確かめると、マルガリータのよく知る紅茶の色より赤い気がしたし、ローズヒップの香りと味は少し強めだから、気のせいではないと思う。
「アリーシア、この紅茶の茶葉って……」
「お口に合いませんでしたでしょうか?」
「いいえ、そうではなくて……珍しい味がしたものですから」
この世界では、ハーブは効果のあるものとは認識されていないはずだから、念の為知らない振りをしておく。
もしかしたらマルガリータが知らないだけで、誰かが効能に気付いて最近流行り出したのかもしれないけれど、伯爵家は流行がすぐに入ってくる立場にある。
特に、マルガリータの母親は新しい物が好きなタイプなので、情報は早い方だしすぐにマルガリータにも勧めて、共有してくれていた。
そのマルガリータが、ハーブの味に馴染みがない様なので、流通したりはしていないと考える方が自然なのだ。
「紅茶の茶葉は、マルガリータ様の為に、旦那様がブレンドされたものです」
「え?」
「研究の一環だなんておっしゃってましたけど、あれはただの照れ隠しですわ。種類も沢山あって、状況によってお出しする茶葉が違うんですよ」
「そうなのですか」
アリーシアは照れ隠しだと言っているが、研究の一環という方が、正しく本音だと思う。
黒仮面の男は、薬草関係の研究でもしているのだろうか。
魔力も高かったようだし、回復系の研究員か、身分によっては責任者の可能性もある。
ハーブを飲むという発想が正しい事を、真奈美の記憶があるマルガリータは知っている。
夜に安眠効果のあるカモミール、食後にすっきりした味のローズヒップを出してくれた事を思うと、効能等もかなり把握しているように思えた。
一般的に、この世界ではただの草とされている物に対して効果を見い出すのは、とても難しい事だと思うし、着眼点も悪くない。
物珍しさから奴隷を買ったはいいが、その扱いを知らない世間知らずのお坊ちゃまかと思っていたけれど、ただ道楽で贅を尽くすタイプとは違っているのかもしれなかった。
奴隷になら、効能のはっきりしないものを出しても誰も咎めないし、何かあっても罪には問われない。
つまり、実験台に出来る。
(なるほど。私の役目が、わかってきたかも!)
研究の実験台なら、被検体は出来るだけ健康でいる方が望ましい。
扱いが過剰だとは思うけれど、衣食住を充実させてくれているのはその為だろう。
逆に、怪我や病気に効くかどうかを確かめる為に、体調不良を強要される可能性がないわけではないけれど、今の所その気配はない。
暫く肉体的な危機については、安心できそうだ。
黒仮面の男の研究がハーブの効能やそれに関連するものだとすれば、過剰摂取しない限り危険なこともない。
真奈美はハーブティも料理香草としての利用もハーバルバスやポプリも、ハーブ全般が大好きだったので大歓迎だし、こちらから積極的に協力したい位だ。
性奴隷にされるかもしれないと、びくびくしながら日々を送るより、余程良い。
むしろご褒美。
「癖の強いものもございますので、お口に合わなければすぐにおっしゃって下さい。通常の茶葉を、ご用意させて頂きますので」
そう続けるアリーシアの表情が、少し困ったような物になったのは、アリーシアには合わない味があったからかもしれない。
普通の紅茶とハーブティでは、蒸らし時間等が違ってくる。
普通の茶葉でも種類によってそれは沢山あるというのに、主人から渡された未知の茶葉をマルガリータに最高の形で提供する為に、アリーシアは自ら試飲しながら試行錯誤してくれているのだろう。
真奈美が日本で飲んでいた様な、売り物としてしっかりブレンドされたハーブティとは違って、この国の貴族達に良く飲まれている高級な茶葉に、数割ハーブを混ぜた感じの飲み口だ。
美味しい入れ方が確立されているとも思えなかったし、黒仮面の男がマルガリータをその実験台にしようとしているのなら、そのブレンド割合は様々かもしれない。
アリーシアにとっては未知の紅茶という事になるだろうし、美味しく入れるのはかなり大変だろう。
癖の強いハーブは確かにあるけれど、黒仮面の男が余程偏った配合をしない限り、通常の紅茶をベースとしているのだったら飲めないほどの物にはならないはずだ。
例え余程の事態が起きたとして、それを報告するのが、実験台であるマルガリータの役目でもあるのだろうとも思う。
「大丈夫です。とっても美味しいですし、他の物も楽しみです」
「そうでございますか! 旦那様に、マルガリータ様がお喜びだったとご報告しておきますね」
「は、はい」
慣れないハーブティを、美味しく入れてくれたのはアリーシアなので、マルガリータとしては感謝は彼女へ伝えたつもりだったのだけれど、あまりにも前のめりで嬉しそうに言われてしまい、思わず頷いてしまった。
アリーシアを始め使用人達には、黒仮面の男とマルガリータの関係がどう見えているのか、よくわからない。
どうも、仲が良い様に思われている言動が、ちらほら見られるのは何故なのだろう。
実際の所は、ほとんど会話を交わす事もなかったし、ずっと仮面のままだったので素顔さえ知らない。
服装は全身真っ黒で、更に黒い仮面を付けていたから、本人の身体的特徴としてわかったのは黒髪だけだが、頭の中にある貴族名鑑にも当てはまらない。
知り合いかどうか以前に、その身分さえもわからないし、マルガリータからしてみれば怪しさの拭いきれない、未知の存在でしかないのだけれど。
「午後の予定でございますが、ダリスが屋敷をご案内したいと申しております。如何でしょうか?」
「それは、とても助かります!」
首を傾げて悩んでいるマルガリータに、アリーシアがこれからの予定を提示してくれた。
それは願ってもない提案だったので、気を取り直して快く頷く。
「ではすぐに、呼んで参りますね」
「あ、待ってだくさい! 昼食を取った後で、構いませんから」
「……では、少しお時間を戴きます」
「はい。お願いします」
ダリスにも、バルトが再度腕を振るって作ってくれているサンドウィッチを食べて欲しい、というマルガリータの気持ちが伝わったのだろう。
すぐにでも呼んで来ようとしていたアリーシアは少し考えた後、時間を空けることを約束して、部屋から退出して行った。
何もわからないのなら、まずはこの屋敷を知る事から始めよう。
そう思ってはいたけれど、一番忙しいはずのダリス自ら案内してくれるというのは予想外だった。
確かにいくら別宅だと言っていたとはいえ、造りはしっかりとした貴族屋敷そのものだ。
奴隷であるマルガリータが、容易に踏み入れては行けない部屋も多々あるだろうし、一人でウロつく訳にはいかない。
歳が近そうなアリーシアやアルフ辺りに、頭を下げて案内をお願いしようと思っていた。
(少しでも、何か手伝えるようになるといいんだけど)
この少数精鋭の屋敷の中において、取り仕切る執事であるダリスの仕事量が膨大であろう事は、使用人として働いたことがないマルガリータにも簡単に予想できる。
実験台兼、まだ回避は出来ていない黒仮面の男の夜の相手、という立場でここに居るとしたら、部屋にずっと引きこもっていても良いのかもしれない。
それは奴隷としては破格の好待遇だし、元伯爵令嬢のマルガリータに出来る事なんて少ないのは、自分でもわかっている。
本当は、じっとしているのが正しいのだろう。
でもマルガリータはもう伯爵令嬢ではないし、今後元に戻る事が出来るなんて可能性は、きっとない。
このままずっと閉じ籠もっていても仕方がないし、せっかく大好きなゲームの世界に転生したのだから、例えそれが厳しい奴隷生活だとしても、少しでも楽しめる努力はしたい。
幸いにも、この屋敷の皆はとても優しい。きっと、やっていけるはずだ。
(一応、社会人としてやって来た記憶もある事だし、何か出来る事はあるはず!)
屋敷を案内して貰いながら、ここで出来ることを見つけてみせると、マルガリータは強く決意した。
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