第6話 いつもの街⑥

 その時、ガラッとドアが開いた。

「まだ帰っていなかったの?」

 先生の声に、ムッとした。

「いつもきれいに掃除してくれてありがたいけど、そろそろ勉強も、ね」

 いいところだったのに、またもや中断されてしまった。

「全然終わんないじゃない……」

「すぐ終わると思ったんだけど、けっこう長いね」

「あのさ、夏休みに入ったら、隣町の喫茶店へ行かない?」

「なんで、隣町まで行くの?」

「ここだと、いろんな人に見つかってうるさいし、話を聞かれたら、私たちがおかしいってうわさされるでしょう」

「僕たち、おかしいの?」

「まあ、それはいいとして、なんか変わった話してるね、とか言われても面倒だから、みんなに見られないところに行って、思う存分話してもらいたいの」

 天野君は面倒そうだったけど、ドリンクバーというジュースが飲み放題のメニューがあることを話すと、途端にうれしそうになった。

「手芸屋さんでゴムも買えるから、そうしたらその場で腕輪も直せるよ」

「よかった、忘れられてるのかと思ったよ」

 夏休みに入った次の日に、隣町ツアーは決行された。手芸屋さんが入っているショッピングモールが開くのが十時からだったから、天野君とは十時半に待ち合わせていた。

 ゴムを買うなんてすぐだったから、二十分前には着いた。天野君は、十五分前に到着した。

 二人でファミリーレストランに入って、向かい合って座る。天野君は、制服とあまり変わらない、白いシャツと、紺のズボンを履いている。私は、水色のTシャツと着て、薄いベージュ色の、麻のハーフパンツを履いていた。

「なんだかこのクリームソーダっていうの、有泉さんの洋服と色が合っている気がする。これ、おいしいのかな?」

「どうだろう。それだと飲み放題ではないけど」

「別料金なの? うーん、悩むなあ……」

 天野君があまりに悩んでいるので、私が両方頼んであげた。私はチョコレートケーキとドリンクバーを頼んだ。

 腕輪を直しながら、天野君の話を聞く。でも、この間の話は実はきりのいいところだったらしく、「なんか、また長くなっちゃうし、どうしようかなあ」などと、しぶられてしまった。

「旅に出てから、どういう人に会ったの?」

 普通だったら「どこに行ったの?」と聞くべきなのかもしれないけれど、そもそも天野君のいたところは私にとっては知らないところなので、その中での「どこか」の話を聞いても、違いなんてわかりそうにない。

「うーん、モナムとか、レーアとか」

 当然ながら、名前だけ聞いても、どんな人たちなのかさっぱりわからない。

「いろんな人に会ったけど、今でも連絡取り合ってるのは、けっきょくモナムだけかな」

「そのモナムって人とは、なんで今でも仲良くしてるの?」

「モナムは、いろいろなところに興味があるんだ。好奇心が人より強いっていうのかな、だから、僕がどこへ行って、どういうことしているのかとか気になるみたいだし、あと僕、あんまり知り合いがいなくていろいろ相談できる人がいないからさ、そういう古くからの友達みたいな人も、少しは必要だし」

「ふうん」

 天野君はにこにこしながら、飲み放題のキャラメルマキアートを持ってきて、とてもうれしそうに飲んだ。

「これ、おいしい。モナムもこういうの好きだと思う」

「私も会ってみたいな、その、モナムっていう人に」

「会いに行こうか?」

「行けるの?」

「ううん、わかんない」

「なあんだ」

 なんとなく、どんな人か想像しかけたのを、途中でやめてしまった。まあ、知らない国の人は名前だけ聞いても、性別だってわからないけれど。

「その人も、天野君のことは、天野君って呼んでたの?」

「ううん、僕は向こうでは、サリリって呼ばれてるんだ」

「サリリ?」

「うん、僕の本名っていうのかな」

 そういえば、この間そんな名前を耳にしたことを思い出した。

「なんで今は天野君なの?」

「ここでサリリって言ったって、それ名前なの? って言われちゃうじゃん。だからここでは、天野で通してるんだ。僕は、サリリ。あの旅人のおじさんから、腕輪と一緒に名前ももらっちゃったんだよね」

「ここにいるのも、旅の一環なの?」

「そうだね」

 私は、仕上がった腕輪をぎゅっと握りしめた。

「これが直ったら、行っちゃうんだよね?」

「うん、僕はとどまることができないんだ」

「なんで?」

「旅人だから」

 天野君は突然、天野君というよりもサリリという名前が似合うような表情を浮かべた。

「僕のいたところでは、旅人っていうのは一つの役目だったんだ。学校に先生が必要なように、あの世界では旅人というものが必要だった。

 一つの街からもう一つの街へ、新たな情報を運んだり、異国の空気を運んだり、また場合によっては遠くへ行ってしまってもう二度と会えない恋人に、もし会ったら思いを伝えてほしいと伝言されることもあった。

 僕は、せっせと旅をし続けた。

 おじさんが言っていたように、食べる物に困ることはなかった。寝る場所に困ることもなかった。僕が若い旅人だからか行く先々で大事にされたし、おじさんからもらったこの腕輪に従って行動する限り、大きな危険に巻き込まれることはなかった。危険な人物や、近づいてはいけない場所には、すぐに反応するんだ」

「言葉は、どうやって覚えるの?」

「あの腕輪をしていたら、自然とわかるようになるんだ」

「今、腕輪はしていないけど?」

「パソコンのようなものだよ、一度ダウンロードすれば、インターネットにつないでいなくてもそのファイルが使えるだろう? そういう感じだよ」

「ふうん。でも今は、腕輪がないよね。来るときには腕輪があったから、なんとか住まわせてくれる人を見つけたり、言葉や習慣は身に着けられたけれども、今、危険を察知することはできないだよね?」

「そうだね」

 私は立ち上がると、天野くんの耳元で、そっとささやいた。

「危険がすぐそこまで迫ってるかも。どうしたらいいかな……」

「どんな危険?」

「なぜかわからないけど、この間のあの人たちが、今店に入ってきたの。たまたま来ただけだろうけど、なんだか様子が変な気がする……」

 なんとなく、私の中でよくない想像が膨らんでいく。

 彼らは、気の弱そうな人を人目につかないところに呼び出して、お金を取り上げようとしているのだった。天野君がいることに気がついて、この間の呼び出しが中断していたことを思い出して、ターゲットにしようかと考え始めているような、そんな予感がした。

 こんなお店の中でけんかを始めたりはしないだろうけど、外に呼び出して、なにかしようとするかもしれない。まあ、天野君はそんなことには従わないとは思うけど……、そのとき、リーダー格の男子が、私の手元にある腕輪に目をつけた気がした。もしかすると、これを取り上げたら、天野君が言うことを聞くのではないかと、彼はそう思っているのではないかと、そんなことを思ったら不安が大きくなってきた。

「ちょっと、あの人たち、怖い……」

 天野君の表情が変わった。私の考えていることと似たり寄ったりのことを、彼も感じたのかもしれなかった。

「とりあえず、出ようか」

 天野君は立ち上がって、さっと外に飛び出した。

 後ろから奴らが追ってくるのがわかる。何も考えずに、天野君の後を追って走る。

「有泉さんは、僕から離れて逃げて」

 なにを今さらかっこうつけているのか。私は返事をしなかった。

 見についた少し大きめの神社へ入っていく。無人ではないけれど、人はまばらだ。こういうところって、呼び出されたり、けんかしたりするのに、もしかしてもってこいの場所なんじゃないか。自ら袋に入っていくネズミみたいになっていないだろうか。

「よし、飛び込もう」

 すぐ近くに、池が見える。亀や鯉が泳いでいる、そんなに深くない池だった。

 飛び込むのはなんでもないけど、なぜんそんなことをする必要があるのだろう。天野君がおかしくなったのではないかと、不安になってくる。

「なんで?」

「いいから、有泉さんも一緒に来て」

 わけがわからないけれど、天野君はもう池のふちで、ジャンプするために膝を曲げている。

「せーの、でジャンプしよう」

 意思表示をする間もなく、天野君のせーの、という声が聞こえる。なにかを考えている暇はなく、天野君の体の動きに合わせて、思いっきり地面を蹴った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る