第5話 いつもの街⑤

「天野君が、ここに来たのは、なんのためなの?」

「なんだろうねえ、特に来ようと思って来たわけでもないんだけど、あえていうなら、探しているものがあるかもと思ったのかな」

「探してるものって、なに?」

「なんだろう、はっきりわかんないんだよね。見たらそれだってわかるんだろうけど」

「だったら、図書室で油売ってるよりも、それを探したほうがいいんじゃないの?」

「そうだねえ、でも、なにを探してるかもわかんないからな、やみくもに探してもどうかなとも思っちゃうんだ」

「いろいろ歩き回って、そうしたら犬も歩けば棒に当たるみたいにさ、『これだ』ってわかるかもよ」

「でも、ここはあんまりにもいろいろありすぎて、やみくもに歩き回ってもちょっと、って気もするな」

「じゃあ、ここにずっといればいいじゃない」

「そういうわけにはいかないんだ」

 急に、天野君の口調がきっぱりした気がして、え、と思う。

「僕がここにいられるのは次の新月までなんだ」

「次の新月?」

「あと二週間くらいだね」

「えっ」

 なんて急なんだ。それでは、今まで一緒に過ごしたのと同じ時間だけ一緒に過ごしたら、もう彼はいなくなってしまうということなのか。てきとうに言っているのかもしれないし、でも真面目にも見える。

 せっかく面白い人に会えたと思ったら、なんでこうなってしまうのか。うまくいかない状況にいら立つというより、悲しくなってしまう。

 今日も天野君は一人で公民館へと向かう。こんなに天気のいい日に室内でじっとしていられるだなんて、案外インドア派なのだろうか。暑いからこそ、薄暗くてひんやりしたところでじっとしていくのがいいのかもしれないけれど。

 いつもの道を歩きながら、最近の植物たちの成長は目覚ましいなと思う。毎日のように、姿を変えているように思える。

 私が一週間でどれだけ成長してるかなんて目には見えない。しかし植物の背丈は確実に伸びているし、ついこの間までは葉しかなかったものに、いつの間にか花がついていたりする。植物は、悩んだり、うまくいかないなあなんて思う必要はないのかもしれない。

 私は多分これからも何十年も生きるのだろうけど、植物は、特に草本は、冬になると枯れる。ついこの間まで種だったものが、こうして私の背丈を超えそうになっているのを見ると、変な気分になる。これは植物自身の力でこうなっているのか、それとも地面から湧いてくるなにかが乗り移って、植物を上えと押し上げているのだろうか。

 大地の持つエネルギー、農耕民族の人々が、大地に敬意を払って感謝していたって、そんなことを授業で習った気がする。私は農耕しているわけではないけど、地面から湧いてくる力ってすごいなと、こういうときには思う。アスファルトで埋められたところだって、たまに古くなった隙間を見つけて、草は生えてこようとしている。なんだか敵わないと思ってしまうけど、他の同級生は、そういうことはあまり思わないみたいだ。天野君だったら、そういう話もわかってくれそうだけど。


 今日は一緒に掃除ができる最後の日だ。

「今日こそは、最後までちゃんと話してもらわないと」と言いたいところだったけれど、こっちがまじめに構えすぎると、天野君は警戒して逃げてしまうので、興味津々な空気を出しすぎないように気をつける。

「私が掃いとくから、天野君は話だけしてくれればいいよ」

 そう言ってみたけど、それには応じてくれなくて、いつものように一緒に掃除をして、それが終わってから、話が始まった。


「この人の言うとおりよ。あなたは、ずっとここにいるべきではありません」

 樹が僕にそんなことを言ったのは初めてだっだ。

「どういうこと? だって君も、僕はずっとここにいないとって言っていたじゃないか」

「私は、あなたに嘘をついていたんです」

 僕は混乱してきた。

「あなたを守ると同時に、ここから出さないように見張っているのも、私の役目なので」

 僕がなにも言わないのを見てから、樹は淡々と続けた。

「ここはね、いわば、あなたはここで飼われて、愛玩されているようなものなのです。

 あなたが生まれた頃に、山は新たな赤子を欲しがっていました。そうしてあなたご両親は、生まれたばかりのあなたを、泣く泣く差し出したのです。しかし、山はあなたの命が欲しかったわけではなくて、人が、小鳥を籠に入れて飼っているように、ただ自分の手元に置いておきたかっただけだったのです。

 私は、あなたが生き続けるように面倒をみているけれども、あなたをここから出さないように、こうして監視もしている。あなたがここから出ようと思わないように、外には危険がいっぱいだと話して、出ていく気が起きないようにしてきたのです」

「じゃあ、本当は、外には危険はないの?」

「危険がたくさんあるのは事実ですけど、出れば必ず死ぬということはありません」

「なんで突然、そんな話を始めたの?」

「旅人さん、この子の代わりにここに留まる気はありませんか?」

 樹の言葉に、おじさんは笑い出した。

「見た目が違いすぎるじゃないか。いくらなんでも、山が怒るだろう」

「山にとっては、人がいれば、誰だっていいのです。あなただろうがこの子だろうが、見分けられはしません。さっきのお話では、あなたはもう十分旅をして、少し落ち着きたいという話だったのではありませんか? この子に、代わりに外の世界を見せてあげてもよいのではありませんか」

「おじさん、僕のせいで、おじさんは死ぬまでここに閉じ込められないといけないの? そんなの、僕困るよ。だって、僕のせいで、誰かが……」

 僕は、ここで過ごした日のことを思い出した。平和だし、落ち着いているけれども、つまらないといえばつまらない毎日だった。本を読んで外の世界に思いをはせても、決して外の世界に出ることはない。

 でも、こうして誰かと出会って、外のことを知ってしまった僕に、これからもまた、ここで元の暮らしを続けることはもうできないようにも思い始めていた。

「正直言って、私はもう、見るべきものはほぼ見てきた。もっともっと、と思えばまだ探せないことはないにせよ、きりがない。言われてみれば、どこかにゆっくりと腰を落ち着けて、今までの旅のことを本に書いて残したり、今はそういうことをしてみたい」

「でも、せっかく本を書いても、誰も読んでくれないよ」

「君がまたここに来てくれればいい。四年後でも、八年後でも」

「僕が旅の途中で死んでしまったらどうするの?」

「大丈夫、君はそう簡単には死なないよ」

「なんでそんなことがわかるの?」

 おじさんは、左手を差し出した。僕もつられて同じようにすると、おじさんは自分の腕にはめていた腕輪を、僕の腕に移した。腕輪にはおじさんの体温が感じられて、ちょっと驚いた。

「この腕輪を君に渡すよ。旅の途中で役立ってくれる」

 そうして僕は、旅に出かけざるを得ない状況に追い込まれていった。

「旅の道具は、私のものを使うといい。塀の向こうに私の馬が待っている。それに乗って行きなさい」

「僕、馬なんて乗ったことないよ」

「乗ればわかる。コンパスを持って、北へ行くんだ」

「北?」

「この矢印が示す方向だ。ずっと進んで行けばいい」

「おじさん、どうもありがとう」

「そうだ、君には名前があるのか?」

「名前?」

 僕は樹を見た。どうやら僕には名前というものはないようだった。

「外に行ったら、名前が必要になる。私の名前はサリリというんだ。これから、君がサリリと名乗りなさい」

「ありがとう。そうします」

 そうして僕は、外の世界へと出て行くことになった。

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