【GL】彼女がそこに立つ理由
祐里
1.洗われた睦美
「……な、に……?」
つけっぱなしのエアコンの弱冷風が直に体に当たり一瞬ぶるりと身を震わせるが、その『誰か』の体温を感じ、もう少しこのままでいたいと思う。
「ねむ……」
薄青色のタオルケットを肩までずるずると引き、自身を包み込むように乗せられている腕までかけてやると、睦美はまた眠りに入った。
◇◇
『誰か』が動く足音や水音などが聞こえ、睦美はバッと起き上がった。一人暮らしにしては広めの知らない部屋を見渡していると、自分が服はおろか下着も身に着けていないことに気付く。驚いて「えっ!?」と声を上げると、細身の女性がベッド脇まで歯ブラシをくわえて歩いて来た。
「目ぇ覚めたろれ」
頼りないぺらぺらのキャミソールとショートパンツというあられもない格好で、彼女は歯ブラシのシャコシャコ音を再開させながら言う。
「わらひ、よあったれひょ」
何をしゃべっているかわからず、睦美が女性の顔を虚ろな目で眺めながら黙っていると、彼女はまた洗面所へと戻って行った。
洗面所の水音を聞きながら、睦美は昨晩の出来事を思い出そうとする。確か米軍基地のメインゲート前で派手な顔立ちの美人に声をかけられ、強引に誘われて一緒に居酒屋に行った。おごりだからと勧められてずいぶん飲んだ気がするが、そのあとのことは記憶にない。ただ、ノーメイクのこの女性があの美人だということはわかった。元が整った顔立ちなのだ。
「あの……、その、私、どうしてここに? あなたは……?」
頭痛や吐き気はないため、二日酔いにはなっていないようだ。歯磨きを終えた彼女が戻ってきたタイミングで頭がはっきりしてきて、睦美はタオルケットにくるまりながら恐る恐る尋ねてみる。
「覚えてないの? 昨日居酒屋で飲んで、あなたが酔い潰れたから連れて来たの。それからヤったのよ」
「やった、とは……?」
「最高だったのに、覚えてないなんて」
「え、さいこ……えっと……、すみません……」
「もう知ってるけど、一応、名前と年齢教えてくれる?」
「あ、
睦美が素直に名前と年齢を答えると、彼女は満足そうにうなずいてから「覚えてないみたいだから私も言うね。
「あ、はい。それで……やった、って、その、何を……?」
「セックス」
「え、えええええ!? 嘘っ!?」
「本当に覚えてないのね。昨夜はあんなに気持ちいいって求めてくれたのに。睦美、ひどい」
玲子がわざとらしく体をよじってしなを作る。自分が覚えていないとはいえ、名前を教えてすぐにファーストネームを呼ばれるのは不思議な感覚だなと頭の隅で考えるが、それより玲子から告げられた内容に驚きすぎてどうでもよくなってしまう。
「えええ、あっ、いや、その、そっ、そう、でしたかっ、す、すみませんっ……! でも女同士で……」
「女同士でも、何とかなるものよ。じゃ、一緒にシャワーしよう」
「一緒に!?」
「だって睦美、一人にしておいたら死んじゃいそうなんだもの。下着は新しいのがあるから安心して」
玲子が足元のビニール袋から何かを取り出そうとうつむいた。その拍子にキャミソール以外何も着けていない胸元が大きく見えてしまい、慌てて目をそらす。
「あ、新しいの、ですか?」
「きっと睦美が泊まるだろうと思って、帰る途中、コンビニで買ったのよ」
「うっ、すみません……ご迷惑を……」
「そんなに謝らなくていいよ。優しく洗ってあげるね」
『死んじゃいそう』の意味を聞く機会を失ったまま、睦美は手を引かれ、風呂場に連れて行かれた。玲子は着ていた服や下着を脱いでいたが、睦美はもともと一糸まとわぬ姿だったため、服を脱ぐという過程も不要でそのままシャワーの湯を浴びる。
「玲子、さん、ちょっと……」
「何? 髪も洗ってあげるけど?」
「あ、ありがと……じゃなくて、死んじゃいそうってどういう意味ですか?」
「……あとで話してあげる。今は黙って洗われていればいいの」
そう言うと玲子は本当に睦美を優しく洗ってくれた。まるで赤子に接するようだと思うと、何となく申し訳ない気持ちになる。
「あの……、何だか申し訳ないです……」
「そう? じゃあ睦美も私を洗ってくれる?」
「はい、そんなことでいいなら」
「いいのよ」
うれしそうな笑顔を見せて、玲子が言う。美人で笑うとかわいくなるなんてきっとモテるだろうにいつも女性を相手にしているのだろうか、そういう性向なのだろうかと睦美は疑問を持つが、さすがに直接尋ねるのは憚られる。
玲子は女性にしては身長が高く、細身だが出るところは出ているという体型で、少々洗うのに時間がかかってしまった。それでも彼女のうれしそうな顔は変わらない。
「ありがとう、睦美」
「え、いえ、私こそ……」
軽く笑いながらシャワーの栓を締めると、玲子は睦美に笑顔のまま尋ねる。
「今日何か用事ある? もう昼になるけど」
「今日は仕事休みだけど、本当は、早く帰らないと……」
「そうなんだ。家どこ? 何時頃?」
渡されたバスタオルで体を拭きながら、自宅の場所を大まかに説明して「できればすぐに」と睦美が言うと、玲子が「何で?」と問いを重ねた。そこまで突っ込んで聞かれるとは思っていなかったため、答えあぐねてしまう。
「帰りたくないんじゃないの?」
「……え?」
「気付いてないと思った? バレバレだよ」
体を拭き終えた睦美の腰を指差して玲子は低い声を出した。
「ここ、アザ」
「あ、こ、これは……」
「しかも、近いところに二箇所も。腰に手回すのためらわれて困ったわ。誰にやられたの?」
エアコンの冷風が脱衣所まで届き、睦美の体を徐々に冷やしていく。同時に心までどんどん冷えていくような気がして、睦美は口を引き結んだ。
「日常的に暴力振るわれてるんじゃないの?」
歯に衣着せぬ言い方で玲子は睦美を問い詰め、更に言い募った。
「わかるのよ。私も、同じだったから」
「同じ……」
「しかも睦美、昨夜すごく悲痛な顔してたんだよ」
悲痛な顔なんて、自分にはあまり縁のない表情なのでは、と疑問が湧く。昨夜も睦美は言われたことを言われた通りにしていただけなのだ。何も考えなくて済む、一番いい方法で。
「悲痛な?」
「悲痛な。悲しみで心を痛めているって意味。この世の終わりみたいな顔してた。ちょっとほっといたら死んじゃいそうなくらい」
「そんなつもりはなかったんですけど」
「……ゲート前で何するつもりだったの?」
「……ちょっと、その……」
睦美がうまく答えを返せないでいると、少しの沈黙が脱衣所を支配する。玲子は何も言わずに服を着て脱衣所を出ると、ベッドの端に腰を下ろした。睦美も慌ててそれに倣い、玲子の隣に座る。
「……あのね、私、新聞記者なの。あの時は、あそこでゲートキーパーに見つからないようにこそこそ取材しようとしてたのよ。売春したくてずっと立ってる女の子たちに。でもまさか睦美みたいな女の子がいるなんて思ってなかったから、びっくりしたわ」
玲子が睦美をしっかりと見つめ、静かに話し始めた。確かに、周りに立っているのは睦美とは違うタイプの女の子ばかりだった。髪を染め、濃い化粧を施し、肌の露出が多いカジュアルな服に身を包む、『
「そうかもしれないけど……」
「あんな上品そうに見えるワンピース着て、前髪アリの自然なストレートの黒髪で、化粧も控えめでケバくなくて。……体売ろうとしてたんだよね? 暴力振るわれてることと関係あるでしょ」
「……べ、別に、関係なんて……」
「言ったでしょ、わかるのよ。隠しても無駄だから」
「うっ……、か、彼氏、が、……その方が燃えるし、稼げるから、一石二鳥だって……」
玲子は自分を見てくれているのに、睦美は視線を返すことができない。どうしても下を向いたまま顔を上げられないでいると、玲子がため息とともに「そういうことだったのね」と言葉を発した。その意味に反して、まるで最初からわかっていたかのような言い方で。
「じゃあ取引しよ」
「取引?」
「睦美のこと取材させて。お金払うから。それなら、彼氏が言う通り稼いだように見せかけられるよ」
※玲子の歯磨き中のセリフは「目ぇ覚めたのね」「私、よかったでしょ」でした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます