男装執事は今日も行く

ぷろっ⑨

第1話 始まり

「楽」。人が求めるものの多くにそれは存在する。

快楽、音楽、生楽どんなものにも、必ず付随してくるものだ。

だが、私の場合はどうなのか。

「キルシア=ミネルグ。貴殿の此度の活躍の報酬として、

国家聖政省副将の座を与える!!」

なぜ私は楽ができないのだろうか。

眼の前に広がる期待と興味、そして妬みを持った視線の前で

そう思ったのだ。





剣と魔法。誰もが子供の頃は一度憧れ、一度は鼻で笑い、

再び夢を見るそんな存在。私だってそうだった。

小さい頃から友達を作るのが苦手だった私はひたすらファンタジーげんそう

入り込んでいた。きっと自分は世界を救う勇者のように強く、逞しく、

そして皆から讃えられる、そんな存在になれると信じていた。

だが、それも遠い昔の話。

中学生の頃に親が交通事故で亡くなった。

親戚は当時自分の事で精一杯。当然のように私は孤立し、

家族という唯一のコミュニティからも外されてしまった。

家を捨てることも出来ず、中学で卒業した後はそのまま高校に

行くこと無くただ稼げるようにひたすら仕事を探した。

引っかかった仕事には必ず食いつき、金が出るまで働き続けた。

集まった金を少しの食費と多くの生活費に回し、生計を立てた。

自分は結婚などする間も、遊びに使う金も無いまま、

このまま働き続ける。そんな感覚を当たり前だと思っていた。



「…そんな前世もあったんだなー。」

広がる青空の下で緑が大きく揺れ動く。少し大きめの屋敷の窓に

は小鳥がとまり、それを遠くのベッドからぼんやり見つめる者がいた。

着こなされた執事服と、シワ1つないズボン。黒い蝶ネクタイと黒く光る片眼鏡。

整った顔立ちと黄色の目。白髪のショートという正に美少年という言葉が

ピッタリだろう。

名前はキルシア=ミネルグ。訳あって男として、執事として

振る舞っている17歳である。

ここは昔から商業が栄えている大国、ブリューゼル中心部から外れた

田舎の街、ミクセル。国の有名品で使用される小麦畑と羊が育てられる

ことから商人が直接買い取りに来るのもよく見られる。

キルシアが仕えているのはそんなミクセルを治めている貴族の

ミネルグ家。この世界に蔓延はびこる魔族という種族の

発現により世界へ混乱が訪れたがその混乱の収束に貢献した四代貴族の

1つで有名なのだ。

キルシアはベッドから立ち上がり、窓を閉めて部屋を出る。

主のミガ=ミネルグには娘が三人おり、キルシアが仕えたころには

まだ5歳だった長女のリベ=ミネルグも今では自分よりも3歳下の15歳。

この国では貴族同士の交流を深めることや、婚儀によって権力の拡大などを

視野に入れる年にまで成長した。

キルシアは昔から仕えていたリベの成長を心から喜んでいた。

なんせ赤ん坊の頃から自分の妹のように愛情を掛けて身の回りを世話してきた身と

してはもう貴族社会の仲間入りを果たす年齢となるのはとても誇らしいことである。

しかし、問題が1つ合った。それは、リベが婚儀を結べるという事実に

ショックを受けている親バカな主の存在であった。

「チクショウ!リベのことを下賤なクソ貴族が何度も手紙寄越しやがって!

もう我慢できん…片っ端からなぶり殺してやる!」

そう、目の前で大剣をブンブン振り回す男を見て思った。

「ミガ様、落ち着いてください…ミミ様とテラ様が起きてしまいますよ。

それに、奥様が向こうの扉から聞いておられますよ。」

扉から覗く2つの目がこちらの様子を怪訝そうに伺っている。

ミガはピタッと動きを止め、大剣を掛けてあった壁に戻し、近くの椅子に

ゆっくりと座った。

「…ところで、だ。キルシア。私の最愛の娘、リベが知っているように

5日後に国家貴族学園のネルゼィ校に通うことになっている。ここまでは

良いな?」

「はい」

「キルシアに育て上げられたリベは努力家でとても優しい。それに

礼儀正しく上品な振る舞い、魔法も剣術も体術も国学も全てが

優秀。千年に1人の逸材と言われるまでに育った。だが…。」

「それ故に妬みを持つゴミ共に狙われる…ということですね。」

ミネルグは軽く揺らしていたゆりかごを止め、ミガと視線を合わせる。

(ミガ様の言いたいことはおそらく2つ。ネルゼィ校での護衛の件、そして…)

「ちょっといいかしら?」

扉がギィっと音を立てて開く。向こうから出てきたのはミガの妻である

ネリーフだった。普段は青のドレスを着ているのだが、今日は家でのんびり

過ごす休日のため、白色のワンピースと魔物の皮で作った革靴を履いている。

「どうされましたか?奥様。ミミ様とテラ様は安眠されて…」

「学園の1つの行事である従者共闘があるのを知っていますね?」

ネリーフは真剣な表情でキルシアを見つめており、これは尊厳に関わる

質問をされると悟り、ミガから視線を外し、ネリーフに口を開く。

「因縁の王族のミニダス家の出場する行事ですね。」

「そうです。学園ではよほど貴方の事を知らない低脳な王族で無いなら

直接的な嫌がらせは無いでしょうが…ここで一旦貴方の実力を世間に

知らしめてほしいのですが…お願いできますか?」

笑顔で頼み事をするネリーフにキルシアは真顔でいながらも内心かなり焦っていたのだ。横でミガがブフッと音を立てて笑っているのを見て、その焦りに拍車がかかる。

「いえ…あの私は…」

「キルシア。決して全力でなくても良いのです。これから大きく成長する二人の娘のためにもここで私達の…リベの事を守ってほしいのです。」

キルシアは悩む仕草をピタリと止め、ゆりかごの中で眠る二人を覗き込む。

リベと年がかなり離れた妹のミミとテラ。この二人が成長した時に、リベが

立派な姿をした姉でいなければ、きっと不安と緊張を持ったまま大人になる。

それは誰が悲しむのか、それは言わずともがな、家族を一番大事にしている

リベだろう。キルシアは訳あって確かに執事をしているが、それを咎めず

受け入れ、名を名乗れるという名誉を与えてくれたこのミネルグ家。

だからといって、自分がこの世界で掲げた目標を曲げたくはない。ならば、

「分かりました。ですが1つだけ力を貸して欲しい事があります。」

ミネルグ家への忠誠を守りながら、自身の目標を達成できる一つの方法。

それは。

「私が仕える主を、学園で過ごす6年間だけリベ様の専属執事として

再手続きしてもらいたいのです。」

あくまでリベに仕えながら、決してミネルグ家への敵対視をさせず、

専属となることでリベだけを守れる最大の手段。それだけである。

ネリーフとミガはキルシアをしばらく見つめた後、静かに頷き、

書類を部屋の棚から引っ張り出してきた。

「では、これを持って行ってもらわねばな!なぁネリーフ。」

「そうね!キルシアが専属執事として過ごすなら6年間の間に

これを埋めて帰ってきてもらわないとね!」

そういってニコニコしながらドンと厚さ約5センチほどの書類をキルシアに

渡した。そこには、「夫婦規定書」と書かれたいくつも白紙の欄が並ぶ紙があった。

「え…お、奥様?ミ…ミガ様?私は一応男として…」

『キルシア。婚約者を連れてこられなければあの王族との婚儀を検討している/います。どうするかはキルシア次第だ/です。』

それだけを告げられ、近くに居たメイド達に部屋から連れ出されてしまった。




そのまま他の提案を持ちかけては却下される間に5日間の時が過ぎ、

学園入学の朝が来てしまった。

小麦畑が広がる屋敷の前に赤色の馬車がとめられ、見送りのためか、

多くのメイド、そしてネリーフ、ミガ、ミミとテラが外で待っていた。

「リベ様、本日の体調に異常はございませんか?」

「えぇ。大丈夫よ。それよりもキルはお母様から婚約者を探す話は

下ろしてもらえたの?」

「…すいませんリベ様。その話は…少し。」

太陽の光がうっすらと流れ込む扉をゆっくり開け、二人の影が屋敷の中に

映り込む。1人は赤い長髪の女性、もう1人は白い短髪の執事。

外で待ち構えていた多くの人々の視線が二人に集まる。

「リベ。私達は離れていても家族だ。寂しいときや辛い時は手紙を

送りなさい。助けが必要ならキルシアを頼りなさい。」

「キルシア。リベの事をよろしくお願いします。もしリベが恋をしているなら

応援してあげてくださいね…自分の方も忘れずに。」

リベは父の言葉に安心して、はい!と元気よく答えた一方。

キルシアはネリーフからの目の圧力で多大なプレッシャーと期待を寄せられていた。

遠くで見ていたメイドたちも、頑張れとハンドサインや笑顔で返してくるのが

また怖い。

少しして馬車の運転手が出発時間を知らせ、馬車へと乗り込む。

馬車の手前にキルシア、奥の方にリベが座る。やがて馬車が動き始め、

どんどん屋敷から離れていく。窓から後ろを覗くと、ネリーフとミガが手を振っていた。キルシアとリベは手を少し振り、学園へと進む馬車の中で話し始めたのだった。


キルシアは2つの使命を持って学園の6年間を過ごす。

自分の主となるリベの護衛をする、そしてその傍ら女ということを隠しながら

婚約者を見つけるという最難関の使命を。





続く

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