彼女じゃないキミと浮気をする話

鉄分

彼女じゃないキミと浮気をする話

初めての彼女だった。


「ほら早くして、遅れちゃう」


「ごめんって」


ちょっと厳しくて、笑ってくれることもあんまりなかったけどそれでも僕は君のことが大好きだった。


「ねぇ史郎」


「どしたの?」


ある日のデートの帰り道、突然彼女から質問をされた。


「……私と付き合ってて楽しい?」


「もちろん」


彼女の顔はとても悲しそうだった。


「ごめんね変なこと聞いて。でもね、思うのよ。もっと優しく出来たら、とか。もっと笑えるようになったら、とか」


「僕は厳しくて愛想笑いが下手くそな夏海が好きだよ」


「…………嘘つき」


「なんとでも」


少し気まずい空気のままその日は解散となってしまい、「もう遅いから」と家まで送ることを断られてしまった。


僕はあの時、怒られてでも一緒に行くことを選べば良かった。



そうすれば……


キミと会うこともなかっただろうに。





翌日、彼女の親御さんから連絡が届いた。

事故にあったそうだ。

僕は急いで病院に向かい、彼女に会った。


理由はいくらでもあった。

だけど、一番の理由は僕自身の想いではなかった。


彼女の病室に入り、親御さんに頭を下げる。

幸い大きな怪我などはなく、命に別状はないとのことだった。


僕は彼女の隣に座り、話しかけた。


「……元気そうだね」


僕に話しかけられた彼女はとても戸惑っていて、その様子を見たご両親も泣きそうになっていた。


「夏海、この人はね…」


「いいんですお母さん」


彼女に僕との関係性を説明しようとしてくれたお母さんの言葉を止め、病室から退室した。



その日のことはあまり覚えていない。

いつの間にか家に帰って、いつの間にか寝ていた。


日曜だってのにテレビも見ずゲームもせず、翌日からの彼女の居ない学校生活を憂鬱に感じながら寝ていたことだけは確かだ。




そこからの日々はとても退屈だった。

クラスの皆からの哀れみの視線。

友達からもどう接していいものかと伝わってくる話し方。


1年生の頃から彼女はクラスのマドンナ的存在だった。学年でも一二を争うほどの美人で、優等生。クラス…いや学年全体の憧れの対象。


そんな彼女と付き合っていた理由は本当にたまたまだった。運が良かっただけだ。


ある日、忘れ物を取りに教室に戻ると彼女が一人で泣いていた。

机の上にはボロボロの弁当箱があり、僕が入ってきたことにも気付かないくらいには悲しんでいた。


高嶺の花に対して声をかけようなんて思わなかった。それまで話したことは無かったし、話しかけようとも思わなかった。



でも



彼女の泣き顔を見ていると自分でも感じたことのない感情が溢れ、気付けば声をかけていた。



そこから僕達は話すようになり、いつの間にか二人で出掛けるようにもなっていった。



何回目かのお出掛けの後、僕は意を決して彼女に告白した。


すると彼女は溜め息をつきながら少し怒った様子で答えてくれた。


「遅すぎ」


その日から僕達は恋人同士になった。





彼女が事故にあってから数週間後。

夏休み直前の学校に1人の女子がやってきた。


長かった髪をバッサリと切り、コンタクトをやめて眼鏡をつけ、周りの目を気にしながら僕の方へと歩いてくる。


「……こんにちわ」


「……こんちわ」


女子の名前は東城夏海とうじょうなつみ

僕の彼女だった人だ。




東城さんが学校にやってきた理由は何か思い出すことはないかと病院の先生やご両親と話し合った結果らしい。

もちろん本人の意思によるところが大きいと親御さんは言っていた。東城さん自身が行きたいと望んだらしい。



その日から東城さんはすぐにクラスに馴染んでいった。彼女よりも明るく、朗らかで人当たりがいい。東城さん自身もとても楽しそうだった。



だけど僕はその輪に入ることはしなかった。



いや、入れなかっただけだ。




高嶺の花に声をかけようなんて、思わなかったんだ。




そんなある日、僕は忘れ物をして教室に戻った。


するとそこには一人で窓の外を眺めている東城さんがいた。


どこか哀愁を感じる横顔に僕は彼女を重ねた。


扉の前で棒立ちしている僕に気付いたのか東城さんは声をかけてくれた。


「どうしたんですか?」



病院で初めて会った日とは違い、自然と会話が出来た。


「お母さんから聞きました」


その後、一緒に帰ろうかという話になり、その帰り道で東城さんから切り出された。


「貴方は、私の彼氏……なんですよね」


そう告げる東城さんの顔は赤く、照れていながらも悩んでいるのが伝わってきた。


「違いますよ」


「え?」


その質問に僕はとっさにそう答えた。


「僕が付き合っていたのはあなたじゃないです。もっとこう……厳しくて愛想笑いが下手くそな…素敵な人です」


「そう……ですか」


「だから、あなたじゃないんです。あなたは夏海じゃない」


「…………嘘つきですね」


「なんとでも言ってください、東城さん」


「ずるいです、ずるいですよ……わたしは……わたしは………」


そのまま東城さんは泣き出してしまい、近くの公園のベンチで休憩することにした。


「すいません……突然あんな…」


「いいんですよ、いくらでも泣いてください」


その後、僕は東城さんから話を聞いた。

ご両親が病院の先生に対して「いつになったら治るのか」「もう夏海は戻ってこないのか」と尋ねている所を見てしまったらしい。


「まるでわたしが悪いみたい…わたしだって生きてるんですよ?」


「そうですね、酷い話です」


「お母さん達はわたしのことを見てくれません。見ているのは夏海さんです」

「もちろん仕方のないことだってのは分かってます……でも!わたしが否定されてるみたいで……悲しくて、辛くて……!」


「また泣きますか?」


「……意外とイジワルですね」


「さぁ?気のせいですよきっと」




その日から僕達は話すようになった。

そうしてみると彼女とは違うところが沢山あった。


寿司よりもハンバーグ。お茶よりもコーラ。

ホラーは苦手で、アクションが好き。

ほんわかしていて笑顔が眩しい。


テストの成績も落ち、

「これでは夏海さんに顔向け出来ない…」

ってとても凹んでいた。



そうしてテストも終わり、2人で出掛けることになった。

目的は彼女と巡ったデートを再現すること。

ご両親から頼まれたことだった。



「ほらほら早く!乗り遅れちゃいますよ!」


「ちょっと早いですって……」



再現したデートは事故があったあの日のものだった。



「凄いですね……綺麗です……」


「ですよね、分かります」


水族館に行き、ご飯を食べ、買い物をして帰る。何気ないデートだった。



「今日はとても楽しかったです!」


東城さんを家まで送ると、とびっきりの笑顔でそう言ってくれた。


「僕もです、本当に楽しかったです」


会釈をして、彼女のマンションから離れる。


離れようとした。


しかし…


「あ、あの!!」


東城さんから呼び止められてしまった。


「…どうしました?」


振り返って東城さんの顔をみると泣くのを我慢しながら何かに怯えて震えていた。


「この気持ちが、本当にわたしのものなのかどうかは分からないです…」

「でも……でも!!言わないと後悔するって想ったから…」


「わたしは!中原くんの事が大好きです!!」


「だから、わたしと……少しの間でいいんです…わたしと、浮気をしてください!!」


あまりに大胆で背徳的な告白。

唐突で、準備もしてないし、覚悟もなかった。


恐らくはこの時に断っておくべきだったのだ。

東城さんもそれを望んであんな言い方をしたのだろう。



だけど僕は……


「……分かりました」


彼女の想いを無下にすることは出来なかった。



僕達二人は付き合うこととなり、それはクラスの皆には内緒にしようということになった。


僕と夏海との関係は皆知っているがそういうことではない。


僕と東城さんの関係を誰にも知られたくなかったんだ。





夏休みに入ると僕達は色んな場所にデートをしに行った。


彼女とは行けなかった海やカラオケ。少し遠出もしたりして、充実した毎日だった。

彼女とは違って優しくて、よく笑ってくれて、本当に別人と接しているようだった。


僕はそんな東城さんに次第に心を惹かれていった。


そんなある日、デートも終わり、帰りの電車に乗ろうと駅に向かうと東城さんから一つの提案をされた。


「あの……中原くん」


「どうしました?」


「とても良くないことだってのは分かってるんです……でも……」


東城さんは恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、僕に微笑みかけてきた。


「わたしに、思い出をくれませんか?」


そう言いつつ指を差された方向を見て、僕はとても混乱してしまった。


「いいん…ですか?」


「わたしは…欲しいです、中原くんとの大切な思い出が、大切な痛みが」


僕達はそのまま二人で大人の階段を登ってしまった。彼女は「高校卒業するまでダメ」だとそんなことさせてくれなかったのもあって、理性を抑えることなんて出来なかった。




僕達の関係性が変わりつつも、二学期は当然のように始まり、当たり前かのように過ぎていった。


ご両親は最近東城さんを受け入れつつあるらしい。夏海ではなく、東城さんをだ。


その事を語る東城さんは嬉しそうで、それでもどこか不安そうだった。



流れるように二学期は過ぎ、ある日のデートでこんなことを聞かれた。


「クリスマスイブ、どうしましょうか」


「どうもこうも家族で過ごすんじゃないんですか?」


彼女に去年のクリスマスの時にそう断られたのを思い出してしまった。


「えっと……お母さん達から中原くんと一緒にいなさいって言われちゃって。去年のお詫びだって…だから!」


「まぁそういうことなら」


「ありがとうございます!!!」



あっという間にクリスマスイブになり、二人でイルミネーションを見に行こうという話になった。


「楽しみですね、すごくすごく楽しみです」


「そんなハシャいでたら夜まで持ちませんよ」


「……そうですね、夜もありますもんね」


目茶苦茶恥ずかしい会話を電車の中で繰り広げながらイルミネーションの場所へ着く。


「ねぇ中原くん」


イルミネーションを眺めながら東城さんが声をかけてきた。


「もしですよ、もしわたしが居なくなったら中原くんはどうするんですか?」


「どうもしませんよ。変わらず愛します」


「でも……それはわたしじゃないですよね」


「それは……その…」


病院の先生の見解では記憶が戻れば今の記憶はどうなるか分からないとの事だった。


「なんとなくなんですけど、分かるんです」


「……分かるって、何が?」


「わたしが私に戻ろうとしているって事です」


「それって……!!」


僕はおもわず勢いで東城さんの肩を掴んだ。


「大丈夫です、多分今日じゃありません。明日かもしれませんが」


そんな冗談を言いながら東城さんの体は震えており、今にも泣きそうになっていた。


「だからお願いがあるんです。その為にお母さん達にも無理を言いました」


「中原くん、今日は私に思い出を沢山下さい。忘れられないくらいに、覚えていられるように」

「このまま、明日を迎えましょう。今日は寝ずに、2人でずっと愛し合いましょう」


「大好きです、史郎くん」





「クリスマスですよクリスマス。意外と早かったですね」


「正直僕はそれどころじゃないですけどね…」


「下手くそ~体力つけないと夏海さんを満足させられないですよ~?」


「うるさいなぁ、余計なお世話ですよ」


ホテルで水を飲みながらスマホで時間を確かめていると、いつの間にか0時を回っており、クリスマス当日になっていた。


「そうだ史郎くん、はいコレ」


そうして東城さんから渡されたのは高そうな腕時計だった。


「コレ…絶対高いですよね?」


「やっぱり長く使ってほしかったので」


「すいません、僕のプレゼントあんなので…」


僕のプレゼントはイブのうちに渡しておいたのだがなんともいえないペンだった。


「いいえ、充分嬉しいです。普段使い出来ますし、夏海さんにも自慢できます」


そのままドヤ顔で僕をベッドに押し倒し、馬乗りになった。


「それに、今まさに沢山貰ってますからね」


「いやちょっと流石に厳しい…」


「ダメです、もっとわたしのことを覚えてもらわないと…」


馬乗りの体制から体を密着させ、耳元で囁いてくる。


「わたし、意外と重くて嫉妬深いんですよ?」


「そりゃ初耳です……」





「史郎くん、寝ましたか?」


「寝ましたね」


「そうですか、では独り言です」




「次は初詣に行きたいです」

「わたしにとっては本当の初詣です。人も多いらしいけどとても楽しみです」


「それは良かった」


「……初めての事ばかりでした」

「友達も、夏休みも、クリスマスも、わたしにとっても夏海さんにとってもです」


「……それって」


「わたし……まだ嫌です……」

「まだ……わたしでいたいんです……いやです…しろうくんともっと初めての事がしたいです……」


「東城さん…」


「しろうに、あんなに素直に話すことができたのに……私に戻りたくないの……」


「…………」


僕は東城さんの悩みに答えてあげることは出来なかった。僕が中途半端に関係を持ってしまったから東城さんを、彼女を悩ませる結果になってしまった。そんな僕にどっちかを選ぶなんて勇気はなかった。


「……ねぇ史郎くん」


「………どうしました」




「わたしと付き合ってて、幸せでしたか?」


「……もちろん」




「すいません変なこと聞いちゃって……」


「何度でも聞いてください」

「その度に何度でも答えます」



「……ありがとうございます。大好きです」



そのまま僕は意識を失うように眠りについた。目が覚める頃には東城さんは既におらず、置き手紙だけがあった。


『家に戻ろうと思います。目が覚めて中原くんと寝ていたら私がビックリするでしょうから』


スマホを確認してみると夏海のお母さんから連絡が来ていた。


『夏海が記憶を取り戻しました。貴方に会いたがっています』


僕はそれを確認するやいなやホテルを飛び出し病院へと向かった。


病室に入るとご両親が泣きながら彼女と話していた。そして僕を見て頭を下げ、病室から出ていった。



「……お元気そうでなにより」


「元気なもんですか、すっごい変な気分よ」

「いつの間にか髪切られてるし…伸ばすのどんだけ大変だと思ってるのよ全く」


「今の夏海もかわいいよ」


「……当たり前の事言わないで」



東城さんとは違い、自信満々で笑わない。僕の彼女だった夏海がそこにいた。



「…………で?」


「…………なんでしょう」


「浮気は楽しかったの?」


「なんのことだかさっぱり」


「とぼけないで。私からの置き手紙があったのよ、直筆のね」


「置き手紙?」


「そ、ほらこれ」


そういって彼女から渡された手紙を読む。


『この半年、とても楽しかったです。中原くんによろしく伝えておいてください』

『PS.ちなみにこのペンはクリスマスプレゼントです』


「やりやがったなあの人…」


「私がいない間に浮気なんて良い度胸してるじゃない。覚悟は出来てるんでしょうね?」


「初詣デートは回らない寿司で勘弁してください」


「………嫌」


「そんなぁ…」


彼女自身もそんなに怒っているわけではないのだろうが完全に拗ねている。


「流石にそれ以上は……」


「ハンバーグ」


「え?」


「美味しいハンバーグが食べたい」


「いいの?」


「なに、子供っぽいって笑うわけ?」


「………いや、笑わないよ」


彼女は少しムスッとしてそっぽを向いてしまった。


「初詣のあと、ハンバーグ食べたあと、どうしたい?」


「……帰るよそりゃ」


「……本当に?」


「………言わせるだけ言わせてバカにするつもりだろ絶対」


「………史郎がタイミングもわきまえずに誘うからでしょ変態」


病室に沈黙が流れ、気まずくなった僕はそのまま病室を出てその日は家に帰った。




そして時は流れて1月3日。彼女が退院してから初めて外で会った。


「遅い」


「これでも急いできたんですけどね…」


予想以上に神社の周りが混んでいて集合場所にたどり着くまでに時間がかかってしまった。


「ほらとっとと行くわよ……」


いつものように先を歩くのかと思い、ついていこうとするとなかなか彼女は歩き出さなかった。


「どしたの?もしかしてまだ体調が優れないとか…」


「そんなんじゃないわよこの鈍感男!」

「ほら……行くわよ、ほら!」


イライラしながらも何かを待っている。


「あー……そゆこと」


僕はさっきからソワソワしていた彼女の手を優しく握った。


「………遅い」


「ごめんなさいね、鈍感で」


そんな軽口を叩きつつも二人で初詣をして、ちょっとお高いハンバーグの店に行き、満足するまで食べ尽くした。ついでに僕の財布も力尽きた。


「さて、これからどうしましょうか」


「どうしよっかね」


二人して駅前で互いをチラチラ見ながら相手の返答を待つ。


「こういう時は男から来るもんでしょ」


「それで三回断られてるんだけど」


「だから…それは貴方が雰囲気も考えない猿だからだって……あーーもう分かったわよ!」


遂に我慢できなくなったのか彼女が僕の手を取り無理矢理引っ張って歩き出した。


「どこに行くつもりで?」


「うるさい!黙ってついてこい!」





「………どうせヤることはヤったんでしょ」


「雰囲気壊してるのどっちだよ…」


「うるさい…私だって恥ずかしいの……」


お互いに服を脱ぎながら話をする。


「流石に私の体だから多少の変化は分かるわよ……この最低変態浮気男」


「そんな浮気男と今まさにおっ始めようとしてるのは?」


「……うるさい」


怒った彼女に僕はベッドに投げつけられ押し倒されてしまう。


「ムードとか大事なんじゃなかったの?」


「うるさい知らない。とっとと忘れさせないといけないんだから黙ってなさい」


彼女は馬乗りになって体を密着させ、耳元で囁いた。


「史郎は知らないかもしれないけどね……」

「私って意外と重いし、めっちゃ嫉妬深いし、史郎の事が大好きなのよ?」


「……そりゃ初耳だ」

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