第23話 ザンド組
ザンド組若頭、ジュグロは困惑していた。
昨日、組の戦闘部隊の筆頭であったアンジと数人の部下を殺し、それ以前にも隣国オースとの取り引きで組で雇っていた獣人の男、ハカシラの死にも関与したであろう素性のわからぬ少年、ゼロ。
そのゼロと同居しているという少女、スズカ。こちらも素性はわからない。それぞれが1週間程前にクワムラ組の情報網にて突如姿を現し、同時にウライシ組と龍津軍が一気に動き出した事から重要人物としての確保、もしくは人質として活用するという名目でジュグロは部下に確保するよう命じたのである。
で、実際に連れてこられた少女が今、事務所の1角の応接室で茶を啜っていた。線が細く、小柄。袖から見える四肢の細さは痩せぎすに近く服装である女子衆用の着物も嵩増しされて着膨れしているようにも見える。顔立ちは美人であるものの、その険のある目つきとやたらと落ち着きすぎているその佇まいは周囲に変な威厳を振りまいており、同室にいる他の部下達は萎縮して近付こうとしなかった。
(不気味だ....。なんでこいつはこの状況で落ち着き払ってやがるんだ....?)
ジュグロの初見は肝の据わっているお嬢さんという印象。というかそもそも不意に拘束され、薬で眠らされ、起きてみれば見知らぬ場所で男に囲まれていた状況でこの平然としている態度。余程の修羅場でも潜ってきたか、それとも単に状況への馴れが早いのか定かではないが彼女、スズカがこの場にいた男達全員にとって相対したことのない女性のタイプである事は間違いがなかった。
さて、その状況の一方でスズカがどう思っていたのか?
「....。」
基本無表情、しいて云えば少し睨み気味。
余計な会話はしない。
そして姿勢良く、なるべく動かない。
視線をなるべく動かさず周囲の状況、その場にいる者達の表情を考察、分析する。
(その一、絶対に自分から逃げようとしてはいけない。抵抗と見做された場合、痛い思いをする、もしくは死ぬ可能性が高い。)
自らの身体能力、及び健康状態を鑑みての判断。転べば受け身を取れずに大怪我、取り押さえられただけで骨折する自信があった。
(その二、察知されない程度に情報を集める。それとなぁーく会話して聞き出したり、周囲の状況に気付かれない程度に意識を走らせる。)
自分は腹芸は得意な方である、とスズカは思っている。まぁ敏感な人間には気付かれる程度には一般人と変わらないのだが、会話に関しては遊女時代でそこそこ鍛えられているはずなので何とかなるはず!....と考えていた。
(その三、とにかく表情や感情を読まれないようにする。理想としては西方貴族のような、見目麗しき&ミステリアスな窓際の令嬢風。)
....大凡彼女が昔読んだ本を参考にしている。実際にこのヒノエにおいても西の大陸の端から来た貴族が土地を買い上げ新たに自身の領地として、もしくは商売の地として簒奪していった歴史があるのだが、スズカの目指す窓際の令嬢とはまさしくそういった人達の事である。もっとも彼女自身は実際にそういった人物や家と関係を持ったことはなく、その貴族達も一部を除き十数年前に聖帝国主導でかなりの取り潰し、もしくは没落による蒸発等があったのだが。まぁ早い話スズカから見た相手にずっと何かしらの勘違いをしていてほしいといったことなのだろう。
ここまでの状況において、彼女の作戦にもならない作戦はなんとか形を保っていた。それも半分はこれまでの人生の諦めから、もう半分は取り敢えず周囲を自分のペースに何とか引き込むという理由から、まさに場当たりの思考で組み上げたものだった。そして彼女自身にとっては、この先自分がどうなろうと、誰かに助けてもらえれば万々歳だし、それ以外でも自分が苦しい思いをしなければ儲けもの程度のものであった。つまりは同居人であるゼロが救出しに来たり、或いは宿の皆が助けに来てくれるなど微塵も期待してはいないのである。寧ろミサオを筆頭にした宿の人達には危険な目に遭ってほしくないと思うほどに。しかし....
(あいつ、ゼロは来るんだろうなぁ。)
おそらくだが、ゼロにとってスズカが囚われているこの現状は正当な襲撃の、もしくは対象の殺害理由になる。それが現状の彼に与えられた仕事であり、理由がある&報酬が貰えるという2つの理由において、彼は躊躇する事なく任務に邁進する事だろう。
(きっと、私なんぞ理由付けの1つとしか見ないだろうな。)
スズカはそう考える。ゼロがスズカを守るのも偶然そういう形になっただけに過ぎない。守られる側のスズカも同じである。ならば損得勘定の部分でお互い利用し合う関係である方が得ではないか。
....そうスズカが考えていると奥にある部屋の方から建物が振動する程の足音が聞こえてきた。スズカは一瞬熊のような獣が入ってくるのを想像したが周りの男達が扉の方に向かって姿勢を正すのを見てすぐさま椅子に座り直す。
(この者達より上の立場の者か。)
扉は勢いよく開け放たれた。それと同時に異様な気の感覚が部屋中を満たす。
扉よりも上背が高い。さらには横の体躯も扉の幅ギリギリの大男。丸太のように太い手足でのそのそ歩く様はまるで怪獣のようである。
「ん?」
大男はスズカを見た。その目は魚のようにギョロっとしており瓢箪のような顔つきに鯰のように横に広い口。頬にも額にもいくつもの傷が走り開いた口から見える歯は薄汚れていて馬のように大きかった。
およそ人ではない。その体型も大きさも規格外の化け物。それがスズカの第一印象であった。
大男はずいっとスズカに顔を近付けると大きい口をくわっと開く。
「アンジを殺した奴の女か?」
立ち込める口臭。その感じられる体温すらもスズカには不快に感じた。
「アンジ....とは....?」
おそらくはゼロに殺されたのであろう。そしてスズカのその返しに大男は眼球を見開きスズカを再度見返す。
「惚けてんじゃねえ!!」
「....!!」
怒号とともに風が起こった....とスズカは思った。飛び散る唾を不快に感じる暇もないまま音の弾丸に気圧されスズカの身体から一気に力が抜ける。
「オジキ、待った。」
ジュグロが冷静に声をかける。
「アンジが殺されたのは一昨日だ。多分その子は知らねえ。」
大男はジュグロのその言葉にしばらくアンジを睨んでいたが、やがて落ち着きを取り戻したのかスズカから距離を離し、向かいの席にどかっと座った。
「....オレはガンユウ。お前は?」
「スズカ....。」
怒号の影響だろうか。スズカの心臓の脈が早い。何とか呼吸を落ち着けながらスズカは返す。そんな追い詰められた状況のスズカに対し大男、ガンユウはスズカをその視線と存在感で威圧する。
(野生の熊か、こやつは。)
まるで生き餌として大型動物の檻に入れられたようだ、とスズカは思った。ガンユウが部屋に入った事でそれ程狭くはないはずの部屋が窮屈な檻のようになった。それ程にガンユウの存在感、影響力は大きいのだろう。
「....ジュグロ、こいつがあのガキの女ってのは本当なんだろうな?」
気に食わん言い方だ、とスズカは思った。スズカにとってのゼロは同じ部屋で寝食を共にしても互いに恋人関係にあるような人間ではない。
「女....ではないが、家族みたいなものだな。あいつが普段何をしてるかは知らぬ。」
ジュグロに向けられていた質問にあえて答えてみた。当のジュグロの顔には一瞬マズいという表情が出たがスズカは無視する事にした。
「お前には聞いてねえ。」
「私に聞いたほうが早かろう。」
気圧されるな。スズカはそう心の中で呟く。
「そなたの聞きたい事、全部答えてやろう。私のわかる範囲、ではあるがな。別にそなた達の敵対している者共がどうなろうと私は知らぬ。もっとも、そなたらが一般人にも手を出すような下衆であるなら話は別だがな。」
予防線のひとつ。まず宿の人達やその縁者には迷惑はかけない事を確約させたい。ゼロと後ろにいる龍津軍、そしておそらくは敵対組織としての筆頭であろうウライシ組の人達に矛先は向かうだろうが、彼らは戦える人間達だと信じ庇うような真似はしない。
先に聞いたザンド組の話。その話の中で宿の従業員だった者を殺したハカシラという男がかつてこの組織にはいた。その過程でスズカのザンド組に対する目線は一般人にも容赦なく手を出す可能性のある者達という印象。ジュグロの周りにいた者達は違う雰囲気を纏っていたがこのガンユウという大男はおそらく違う。1つこの男の気が変われば自分は殺されてしまうだろう。
バキャア!!
「....つ!」
目の前に置かれた卓に丸太のように太い腕が振り下ろされた。同時にその破壊された卓の破片がスズカの右耳を僅かに掠める。
「....。」
スズカはとっさに右耳を抑えた。抉れるほど深い傷ではなかったがその痛み自体がスズカに状況の現実性を気付かせる。目の前にはゆっくりと巨体を起き上がらせるガンユウ。
「....くふふ....。」
そのままスズカの全身を舐めるように見る。まるでこれから捕食する獲物のように。スズカも、ジュグロや他の男も危険な空気を感じていた。
(それ以上何も言うな!嬢ちゃん!)
ジュグロはスズカに視線を送る。しかしスズカにはそれを見る余裕はない。まるで蛇に睨まれた蛙のように動けないでいる。
ガッ!!
ガンユウはスズカの着物の胸ぐらを掴んで勢いよく持ち上げる。そしてスズカの頭が天井に激突する直前で止めた。
「うぐ!」
内蔵が一気に持ち上げられたことによりスズカは胃の内容物が少しだけ上に上がった事を感じた。正直かなり気持ち悪い。この状況では先程の余裕も表情の演技ももう出来ない。
(口手八丁で通じる相手ではない....か。くそぅ。)
常識の通じない獣。いや、まだ威嚇で済ませてるだけ良心的かも知れない。このガンユウという男が本当に理性のない獣であればスズカは当に喰い殺されていることだろう。
「火ぃ。」
「へぇい。」
ガンユウは部下の一人に葉巻の煙草を咥えさせて貰い火をつけて貰っていた。一度だけ大きく煙を吸うとそれをスズカの顔面に向かって吐き出した。
「ゲホッ!ゲホゲホ!」
思わず咳き込むスズカ。
「思い出したぁ。お前、以前遊郭にいた女だろう?身持ちがやたら堅くて妙に口が上手い、誰にも抱かれたことのないクソガキだったっけなぁ?」
ガンユウは今度はスズカを壁に押し付ける。
「お前、あそこの女将さんのお気に入りだったらしいじゃねえか。いつだったかいなくなっちまったそうだが。そうか、外に奉公に出てたってぇ事かぁ。」
着物の裾を持ち上げられる形なので抑えつけられた布地がスズカの首を圧迫している。スズカ自身にもすでに抵抗出来る力が残っていない。
「着物の上からでもわかるぜ。鹿の脚みてぇに細っこい身体だ。売れないよなぁ。良いのは顔ぐらいかぁ?そりゃ抱いてもらえるような女じゃないだろうよ。がははははははははははは!!」
悔しいとは思わなかった。実際自分でもそう思っていたからである。しかしここまで言われて黙っているのも癪ではある。
「....下衆め。」
「あ?」
咄嗟に浮かんだ言葉だった。正直もう思考なんて働いてはいない。しかしそれでもスズカとしては未だにこの男の内面の器を試してみたいという気持ちがあったのだ。
「下衆だと、言った、のだ。....複数の、男どもを束ねる、組の頭が、たかだか、小娘1人を....はぁはぁ....こんな小娘、1人、吊し上げて、そんな、はぁはぁ....そんな言葉しか、吐けぬ....とは....ふふ....はは....。.....ゲホッ!ゲホッ!」
ガンユウは一瞬表情が変わったがニヤっと笑うとそのまま力を緩め、スズカを床に置く。
「はぁ、はぁ、はぁ....。」
スズカは何とか呼吸を整えようと胸を抑えながら何度も荒い呼吸を繰り返す。それを上から見下すようにガンユウが見る。
「....なんだぁ。そういうことかぁ。」
スズカの言葉にいにも介さないと云わんばかりにガンユウは言う。そしてジュグロに無言で指示を出す。おそらくは介抱してやれと言った所だろう。
「お前、もう売りモンになんねえよ。」
持ち上げられた着物の裾から見える肌。全身に切り傷の跡が残るその体。それを見たガンユウは勝ち誇った顔で踵を返した。
「人質には使えるかはわからんが奴らを向かい入れる口実にはなる。ジュグロ、そいつ好きにしていいぞ。オレは知らん。」
何だったら女に飢えてる奴の所でも贈ってやれ。部屋から出るか出ないかでさらに追い撃ちをスズカは受ける。
暴力の権化がその場から居なくなるとその場にいた全員の力が一気に抜けた。それだけの緊張感の中でいたのが不思議なくらいに空気は変わった。
その中で一人、スズカだけがその場から動けずにいた。力が抜けたのか座り込んだまま顔を下に擡げている。
「嬢ちゃん。」
ジュグロがスズカに声をかける。しかしスズカは顔を向けようともしない。ジュグロがそこから顔を覗き込んだ。
スズカは泣いていた。声も上げず、ただ俯いて、只管に涙を流していた。
恐怖ではない。
ただ悔しかった。
勿論あんなふうに扱われたのは一度や二度ではない。それでも面と向かってああ言われたのは本当に辛かったのだ。
(....忘れていたのか?)
自分にはもう商品としての、商売女としての価値はない。勿論そんなモノ欲しいと思った事などない。それでも一時期は、武器として、生きるための手段として持ってしまっていた以上は使わねばならない。....本当は心の何処かで捨てたいと思っていたとしても。
(なんで、いらないと思ったもので褒められたり、貶されねばならないのだろう....。この身体を傷付けられた事で、あの閉鎖された闇夜の中で身体を捧げた事で、ようやく捨てれたと思ったのに....。)
この気持ちはどうすればよいのか?
今になって捨てたモノをまた拾い直したいと思っても、それはもう叶わなかった。とにかく泣くことで諦めるしかない。諦めれば次の道はきっと見えてくる。
スズカはそう思った。
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