泥濘の子ども達

平峰カンナ

プロローグ

・少年の場合


少年がこのナザムの町に来たのは数ヶ月前だった。

長いこと山で仕事をしていた彼は独り立ちのために知り合いを訪ねて町に降りてきたのである。


幸いすぐに仕事は見つかった。

少年の知り合いは街でも名の知れた実業家であり少年自身も社会的な常識や振る舞いを学ばなければならなかったからである。


少年は多くの事を学んだ。

人との接し方からお金の勘定、仕事としては宿の厨房の下働きから食材の仕入れ担当の見習い、掃除洗濯、出来ることは何でも教わり、こなしてきた。

そうした日々が一ヶ月、二ヶ月、半年を過ぎた頃事件は起こった。


それは少年がそこで働き始めた頃、仕事のイロハを教えてくれた先輩の女性だった。彼女は宿の女子衆と個人経営の遊女、二足の草鞋を履いていた。


その女性が殺されたのだ。


少年は当然嘆き、憤慨した。

この理不尽を許してはならないと。


この国、ヒノエにおいて、人殺しは当然犯罪である。しかしそれを犯罪として立証し、犯罪を冒した当人を処罰するのにはそれ相応の金がいる。

そのため多くは野放しにされ、余程その当人が罪を重ねない限りは警兵達が動く事はない。

それが分かっていた少年はすぐに犯人の捜索に乗り出した。


それは証拠として残っていたモノだった。

彼女は生まれこそ奴隷階級で獣人と呼ばれる外つ国出身の種族ではあったが、勤勉で奴隷を抜け出した際に受けた教育で文字を書くのを苦にはしなかった。


客のリスト、毎日つけていた台帳。


遺留品のそれを少年は確認する。


犯人はすぐに分かった。

ザンド組と呼ばれる貧民街を根城にする極道組織の1人だった。


名前はハカシラ。オースという隣国から渡って来た山のような体躯を持つ獣人だという。


獣人?なぜ?同じ獣人を獣人が殺すのか?

確かめねばなるまい。


少年は武器を取った。

山にいた頃から手に馴染み、使い込まれた自分の得物だ。それ以外にも使えそうなモノは片っ端から集めていった。


殺す事はすでに折り込み済みである。

何ならもっと残酷な方法で苦しませながら殺したっていい。少年は残酷な行為に心を痛めるような性格ではなかった。彼は生まれながらの兵士として山岳地帯を舞台に多くの敵国の兵士を葬って来たのだ。


今までだって大勢殺してきた。

きっとこれからも何処かで誰かを殺すだろう。

そして最後はロクな死に方もしないだろう。

覚悟は物心ついた遥か昔に出来ている。


少年は今日も町の盛り場を練り歩く。

ただ仇を打ちたいがために。

その手で仇を殺すために。

たとえ自身が死ぬことになろうとも。




・少女の場合


ここに入れられてから何日が経つのだろう。少女はボロボロの毛布に包まりながら冷たい石の床の上で思案する。


数日前まではこの上の、上等な部屋で暮らしていた自分。温かい布団もそこらの一市民から比べたら上等な食事も、全て失った。


これまで言い寄って来た男を袖にし続けた。


身体を使わず、知恵と才覚だけで何とか金を貢がせてきた。


しかしそれももう限界だった。最初からそれだけで登るにはこの場所は無理なように出来ていたのだ。


事の起こりは2週間前。2人の男が客として現れた。それは少女が知っている人物だった。長年に恨みのある、敵となる者達だった。


少女は短刀を寝所に持ち込んだ。法外な金銭が貢がれ、店側が断ることが出来なかったからだ。


少女はどちらか一人を殺すつもりだった。

強いて云うなら若い方が良い。その2人は親子だった。寝所に入ってきたのは息子の方だった。


少女は自らの色香を餌に彼を誘う。バカ面を下げて少女に覆いかぶさったその青年はすぐに後悔することになった。


全身複数箇所に刺傷、真っ先に潰したのは陰囊だった。幸い命は取り留めたものの重症を負った彼は数日死線を彷徨う羽目になった。


そして少女は投獄された。しかし警兵に差し出されたわけではなく建物の地下、店の経営者が管理する独房に入れられた。そこから少女にとっての地獄が始まる。


数日置きに見知らぬ男が入ってきた。少女はとうとうその身を開かざるを得なくなったのだ。

最初の夜で我慢することを覚えた。痛みで顔を歪ませ涙を流したのを見るなり興奮したのかその男は加減をしながら殴ったり小刀で浅く少女の身体を傷つけたりした。


それが少女にとっての最後の一線だった。そこからはもう数日ごとに次々に別の男が現れ、少女の身体を弄ぶようになる。少女も最初の状況から生き残る道を模索するためにどんな行為も受け入れ、また相手が喜ぶような仕草を演技をするようになった。正確にはそれをやらざるを得なかった。


ボロボロになっていく身体。疲弊していく心。

自身がゆっくりと壊れていくのを感じていた。

いや、もうとっくに壊れているのかもしれない。


次第に何も感じなくなった。何もかもがどうでも良くなった....はずだった。



それは夢。幼い日の、存在し得ない記憶。

燃える城の一室、薙刀一本、血まみれで多勢相手に孤軍奮闘する父親がいた。その父が守る襖の奥、そこに自身と姉と母が身を寄せ合って震えていた。


やがて父親が追手を蹴散らすと幼かった少女を抱きかかえ、燃え盛る回廊から城の外へと走る。途中で2頭の騎獣を確保し走り抜けた先にはただ闇が広がるばかりだった。


こっちではない。そう誰かが囁いた。


その通りだ。少女が心の中で呟いた。


あの夜、少女は父親と会うことは叶わなかった。

母も姉も別々に逃げ、最後に自身と一緒にいたのは父の側近の男だった。その後、父親が刺客によって殺され、母と姉も無念の内に亡くなったことも知った。

それは少女が今のこの場所、遊郭に売られてから知った事だった。


最後、父の側近の男は少女を藪の中に隠し、追跡者の一団に刀1本で向かっていった。少女はその背中を見ることしか出来なかった。


惨たらしかった。


幾重にも槍で刺され、腕を落とされ、脚を落とされ、それでも男は諦めずに立ち向かった。

最後、立てなくなった男を追手の兵士達は滅多刺しにした。そしてその亡骸は無惨にも崖から谷底に落とされた。


少女は逃げられなかった。

すぐに縄を打たれ追手達が持ってきていた荷車の箱に詰められた。その時の絶望感を少女は今も覚えている。


「良い月だな。」


不意に少女はそう呟いた。


その小窓は少女の手が届かない場所にあった。

夜の僅かな時間だけは月明かりがこの冷たい部屋を照らしてくれる。その時間が少女はとても気に入っていた。


今日は誰も来なくて良かった。

今日はこの時間を独り占め出来る。


「....。」


少女は月明かりと向き合いながらまたボロボロの毛布に包まった。


今はまだいい。

しかしこのまま冬になればきっと私は死ぬだろう。

私の身体ではきっと耐えられない。


少女は数回咳をする。不意に身体の怠さを覚え、そのまま石の床に身を横たえた。


もう自分の感情が分からない。

泣くのもだいぶ前に辞めた。

怒りは覚えても怒り方がわからない。


もう考えるのも面倒だ。


今はこの月明かりさえ見えていればいい。


それ以外は何もいらない。


明日誰かまたこの部屋に入ればそれっぽく演じて我慢するだけだ。そうすれば身体を洗うお湯と僅かな食事は貰える。


もう、私にはこの世界だけでいいのだ。

ここ以外の何処かへ行くこと等、もう自分には金輪際ないのだから。

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