3日目昼 過ちのように、壊れる。それは

 この地域にはどうやら、ティータイムと言う文化がある。端的に言うなら、お昼と夕食の間の時間に行われる、紅茶と軽い菓子を食べる時間のことを指すが、随分と洒落た言い回しだ。

 僕の感覚からすると「お菓子を食べる時間」程度のものに過ぎない。

 ただ、フィリア様のティータイムを見ていると、この時間が彼女たちにとって大事な時間であることが理解できた気がする。

 業務に忙しいものも、そうでないものであろうと、決められた時間に、決められた軽食を食べて、後味の余韻に浸る。この食事の最中の心理的空白が、生活に余裕を持たせるために重要な要素なのだろう。

 一人の少女が、テーブルに置かれた紅茶やクラッカーを淡々と食べる最中に吐き出される「ほぅ」と言った吐息とその後に残る静寂。

 その瞬間は、重苦しい雰囲気に飲まれる彼女の部屋が、透き通る紅茶の香りによって広がっていることがはっきりと肌で──

「何でいるの?」

「……お邪魔ですか?」

「……べつに」

 今日初めての会話は、なかなかに乾いていた。

 ただ、彼女の疑問は理解できる。

 昨日まで、ティータイム中は紅茶とお菓子を机に置いた後、すぐに自室に戻っていたからだ。

「でしたら、ここにいます」

 すみません、と軽く頭を下げた後、キレイに立つふりをして壁に寄りかかった。

 ちらりと、フィリア様が僕の方を見た。慌てて壁から背を離したが、別にそちらを注意する目的では無いようだ。

 向けたものは明らかに邪魔に感じている視線だ。だが、気にしない。

 僕はただ、淡々とフィリア様の所作を見続ける。

 これが、僕の考え抜いて出した結論だ。

 正確に言うなら、氷雨さんと居た時間にひらめいたものだが。

 また、ちらりと、フィリア様が見た。心底邪魔そうだ。

 視界に映る蠅ほど、精神を苛々させるものはないから当然か。

 だが、『僕』を『邪魔な存在』として見てくれているとも考えられる。

 そうか、それなら今の状況は大きな進歩だ。

 昨日の彼女は、僕のことを、ただ日常を補助する道具のようにしか見ていなかったのだから。

 

「なんでずっといるの?」

 さすがに面と向かってフィリア様に言われてしまった。

 ティータイムが終わって、食器を片付けた後も、ここにいたのなら、そう言われるのも仕方ない。

 しかも、何か話しかけるわけでもなく、ただ、部屋の壁で模型のように立っているだけ。客観的に考えるなら、常軌を逸した行動に違いない。

「別に気にしなくても、問題ありません」

「……そう。なら気にしない」

 お嬢様は割と寛容だ。と、捉えるものじゃ無いな。

 どちらかと言うと、「出ていけ」と言いたいけど、強く出られないという感じに近い。

 ……なんだか、すごく申し訳なくなってきた。

 いや、これは自分がこうするべきだと決めたことだ。自分のもつ意識から変えないと、おそらくどうしようもない。

 ただ、彼女を見よう。フィリア様という人を知るために。

 そして、『自分が何をするべきなのか』を考えるために。

 ……これ、悠々自適にやりたい事してる氷雨さんを見て思い付いたけど……本当に大丈夫なのか?


 ──パキ。

 五分も経つと、お嬢様はこちらに気を向けることもなくなり、一人で遊び始めた。これで、フィリア様の『日常』を知ることができる。

 ……無視が早すぎると、それはそれで悲しいな。

 まぁ、僕は空気な位が丁度いい。目立ちたいわけじゃないし。

 フィリア様を見ながらセッカさんのノートを取り出して、書き足していった。

 なんとこのノート、改めて読み込んだ時に気が付いたが、後半部分どころか三分の二くらいのページ真っ白で、日々の業務と献立以外実質何も書かれていなかった。

 しかも、最初のページは物凄く丁寧な字で書かれているのに、少しづつ書き方が粗くなり読みにくいというおまけつき。セッカさん。典型的な飽き性じゃないか。まさに猫人。

 役立つノートという一昨日の評価は撤回しておこう。

 ──パキ

 で、肝心のフィリア様だが……彼女も上司程ではないが、割と飽きっぽい。

 ルッカ様も言っていたが、実質的な監禁状態にあるため、基本的には屋敷どころか、部屋の外すらも出ることは無い。昨日、一昨日も例にもれず外に出ることはなかった気がする。

 だから彼女はぬいぐるみと遊んだり、パズルを楽しんだり、といった一人遊びを中心に行っているわけなのだ……ただ……

 ──パキ。

 彼女は、物をよく壊す。

 いや、特定のおもちゃだけを壊しまくると言った方が正しいか。

 これ、三回目だな……

 魔力を感知して様々な色や模様へと変化する玩具のマナパネル。

 これは、土壌のPH(酸性度)で色が変化するアジサイと同じ原理で、魔力に反応する植物の……えっと……まぁそういう植物を加工して作ったもので、これを使って絵を描く芸術家もいるほど、人気の玩具だ。

 ……ちなみに開発者は、転移魔法陣の開発者と同じ氷雨空。

 あの人世界的に影響を与えすぎじゃない?

 まぁ、魔力の込め方によって、色や模様を自由自在に変えられるマナパネルは、子供に魔力を教える知育玩具としての要素、ある程度の想像力と魔力のコントロール(プラス一つまみの芸術センス)さえあれば、誰でも絵を描ける便利な代物なのだが……

 ──パキ。

 過剰な魔力を込めすぎると、こうやって全体が虹色に発光した後、光が消え、壊れる。

 お嬢様は表情を変えることなく、また、新しいマナパネルを箱から取り出した。というか、箱の中身全部マナパネルだ。絵本敷き詰めたみたいになってる。

 ……諦めが悪い性格とも、メモするか。

 ばちっ。

 遂に叩きつけたよ、この人。

 ……こっちを見てきた。

「……新しいの、持ってきて」

 あの、すぐ行くので怖い顔しないでください。


「お待たせしました」

 フィリア様の部屋の反対側の廊下にある、倉庫の中から件のおもちゃを取り出した時には、

「……遅い。もういい」

 既にその道具で遊ぶことを諦め、布団にうつ伏せになっていた。

 本当に彼女は飽きっぽい……いや、拗ねているだけか。

「遅れたことは謝りますので、布団から出てください。スカートに皺(しわ)が入ります」

「私の服、洗濯しないよね」

 確かに洗濯はしませんが、皺が入るとメイド長にものすごい顔されるんですよ。流石に裏事情すぎるので堪えたが、察しろと言わんばかりにニコニコしておいた。

「はぁ……分かった」

 よかった。これで物言わぬ圧に押される心ぱ……い。

「あの……ちょっと……」

 彼女の行動は、僕の思考を停止させるには十分だった。

 なるほど、確かにスカートに皺が入らないようにしてほしいという、僕の要望をある意味叶えている。ただ、フィリア様は要望を全く違う方法で、全く違う発想で解決してきたのだ。

 至極面倒くさそうに、おもむろに腰の辺りに両手を付け、何故か慣れた手つきで……いや、何回も注意されているからこそ、その行動に躊躇がないのだ。

「はい。これでいいでしょ」

 僕に、おろした『それ』を手渡し、近くに置いてある熊のぬいぐるみを抱えながら、ベッドに端に座ったのだ。

「……どうしたの?」

「……いえ、直ぐに洗濯籠に入れさせてもらいます」

「そ」

 ……

 何か余計な事を考える前に、僕はドレススカートを抱えて、部屋から全力で出ることにした。


 

 

「戻りました」

「ん」

 部屋に戻った後も、フィリア様はぬいぐるみを抱えたまま足をふらふらとさせている。

 この少女には羞恥や、躊躇いと言うものがないのか?

 確かにペチコートは、ドレスの下に着る『見えてもいい』下着だ。

 だからといって『見せてもいい』ものではないでもないのだが……彼女にとっては、ただ単に煩わしさを解消する方が優先的なのだろう。

 ……やっぱり、細いな。

 不健康、栄養失調とまではいかない。足の爪は正常に伸びているし、筋張ったり白い線が出ているわけでもない。整った美しい脚だ。

 僕は、どちらかと言うと髪と腕に言い難い劣情を抱くタイプの人間ではあるが、その界隈の人が見るのならば美しいと感じる芸術的造形なのだろう。(お嬢様の腕と髪は、言うまでもないものであり、それを表わそうとするには本の余白が足りない)

 ちらりと顔をあげてみる。

 どうやら同じ所を見ていたようだ。少し嬉しいな。

 お嬢様は、ブランコを漕ぐように規則的に動く自身の足を、何も考えず、ただ見ている。

 その横顔は、蠟燭の火によって薄く陰り、儚げな彼女の紅い双眸をより美しく照らしていた。

 一瞬、こちらを見た。

「……」

 ──パキ

 だが、深奥に潜む、絵具をぬりたくったように淀む瞳は変わらない。

 お嬢様……貴女は、まだ僕を視ないのですね。まだ、僕を避け、逸らすのですね。

 僕は、貴女をこんなにも視ようとしているのに。

 ……僕は駄目な奴だ。

 彼女は、ただ僕に興味が無いだけなのに、悲観的な僕は、まだ、希望的観測を抱かせてくる。

 何も言わない彼女が悪いのだ。避けるように、見せるその顔が悪いのだ。

 ──彼女は、僕をあえて視ていないだけ。だ。

 胸の奥の言葉は、感情を爆発させ、身体動かし……

 目の前の少女へ、初めて触れる燃料へと変わった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る