2日目 一口分の幸せを

 この屋敷の調理室は、割と質素な作りだ。

 いや、一般的な家庭よりは広いし、器具も豊富だ。

 だが、一階にある大食堂の隣にある調理室を見た後だとより感じてしまう。

 まぁ一人分の料理を作るならこの広さの方が楽か。

 うーん、さっきまでお嬢様の部屋にいたせいもあって明るすぎるな。

 照明のねじを回して……よし、このくらいの明るさがちょうどいいな。

「さて、時間もないしすぐに作るかぁ」

 軽く伸びをして調理台に立って……はみたが、全く動けなかった。

 ……そういえば、一人で他人の料理を作るのは初めてだな。

 研修の時はセッカさんと共同で作ってたし。

 こういう時はまぁ、セッカさんのノートを開きつつ食材を確認しておけばなんとかなるか。

 冷蔵庫の中身は……うん、ある程度入っている。

 この地域の料理は立地的にも獣肉と山菜が中心か……

 それと、料理のページは……あった。

 ぱらぱらと読み通すと、フィリア様の好きな食べ物、料理の献立表、あと基本的な料理のコツまで書かれている。

 仕事の内容よりも料理の内容が多いあたり、食には特に気を遣えってことだろう。

 まぁ……料理のミスで首にされるなんて作品は世の中に腐るほどあるし、実際料理がまずいのは人間関係にも影響するものだ。

 時間が怖いが、今回はじっくりとノートを読み通しておこう。

 なるほど、「食べ物とか、ちょうみりょうが足りない時はとなりの倉庫からとれ」か。

「それと……私は魚が好き」。いや、どうでもいい。すっごく。

 とゆーか、よく見たら豆知識部分の結びのほとんどがセッカさんの情報じゃないか、蛇足極まってるな。

 とりあえず、作る料理は決まった。

 右袖を折り、もう片袖を捲り上げ、落ちないように左肩のあかいリボンを外して縛って準備完了。

 フライパンに敷いた油を紙で拭き、ツマミを回して……

「……?」

 付かないな……故障か、元栓が空いてないのかな?

 確かにこの部屋は掃除されてはいるが、使った形跡みたいなものはあんまりないし、不具合があってもおかしくは無いか。

 コンロの下の棚を開けてみる。

 よかった。よくある家庭用の魔術回路だ。

 とりあえず目視で解析しておこう。

 魔力マナをガスに変換する回路は……問題なし。

 元栓も……しっかり開いている。

 ということは……やっぱりここか。

 ツマミの安全装置がかかっていたのか。正常なら緑のマークが黄色になっている。

 古代からそうだが、事故において最も恐ろしい事故というものは火事だ。

 特にガスを使わない魔力式のガスコンロは、過剰な魔力を込めすぎると爆発事故を引き起こしてしまう。

 だから安全装置として、元栓と変換装置とこれの三重セキュリティで魔力の過剰流入を抑え込むようにしてはあるが……

 こっちが止まるのは初めて見たな……どんな魔力の込め方してツマミ回したんだよ。

「うお……やば」

 時計は既に時間がもう三十分しかないと急かしてくる。

 すぐに装置をリセットし、僕はフライパンを温め始めた。

「失礼します」

「いいよ」

 開けた先、フィリア様は既に席へと座っている。

「遅かったね」

「すみません。一人で料理を作るのは初めてで」

 とりあえず笑顔を付けて言い訳を一つまみしておく。

 実際は器具のトラブルとかもろもろ重なって遅れたが、間違ったことは言っていないし。

「……そっか。でも旅人だよ?」

「旅人だから、一人で作る料理は初めてなんですよ。旅で作るものなんて料理とは言えません。ただ焼いて適当に味付けるだけですし」

「そ。こだわってた人もいた気がするけど」

「それ……前の従者がってことですか?」

 ……

「さぁ?たぶん。どうでもいいよ、それは」

 溜息をひとつ。お嬢様は、僕の手にある料理を見て一言、

「はやく。だして」

 それだけ言って、またどこも見ず、前だけを向いていた。足をぷらぷらさせながら。

 あ、割と楽しみにしてはいるんですね。

 むふー。それなら頑張って作った甲斐があるものだ。

「それでは……お待たせいたしました、フィリア様」

 喉、手が少し引き締まるような感覚を覚えながら、トレイをテーブルの上にゆっくり乗せ、彼女に今日の料理を視覚に認識させた。

「……」

 目の前の少女の表情は変わらない。

 だが、しばらくの間、僕の考えた盛り付けを見定めているように見えた。

「……綺麗だね」

 僕の方を向き、一呼吸分のゆっくりとした瞬きの後に放った一言は、緊張をほぐすには十分すぎる言葉だった。


「いただきます」

 感謝の意を口にした後、フィリア様は慣れた動きで彼女の手と同じ大きさの肉を切り分け、小さな口で頬張っている。

 その姿、その動作に僕の幸福感はピークを更新し続けていた。

 彼女が今、口にするそれは山菜と鶏肉のソテーであり、一人の執事として初めて作ったメインディッシュだ。

 まぁ……作ったとは言い難いものではある。

 別に自分でレシピを考えた訳ではないし借り物の技術だから。

 セッカさんの作る姿、手さばき。

 一週間の観察と、彼女からの教授を学習し模倣したもの。

 だが、そのような継ぎはぎの努力の結晶を精神的興味を持つ人間に自分が手をかけたものを摂取してもらえる幸福に溺れる感覚は、僕の考える平穏な生活に与える刺激としては十分すぎるのだ。

「あんまり見ないで。気になるんだけど」

「あ……す、すみません」

 体温が上がっているのを感じ、照れ隠しに笑うが、一言の後は黙々とお嬢様は食事し続けた。

 普段は暗く、息苦しいようなこの部屋も、ほんのりと明るく感じる。

 残りはこのトレイを片付ければ、今日の業務は終了だ。

 初めてだらけの経験だったが……いや、ダメだダメだ。

 戦いにおいて一番大事なのは残心だ。

 最後の最後まで油断することなく仕事をするって教わったじゃないか。

 ほら、辺りを見渡せば仕事はいくらでも残っている。

 お嬢様が食事の間は、気配を殺して埃を立てないような仕事をしよう。

 床に散らされているぬいぐるみ、ブロックパズル、マナパネル(魔力を込めることで様々な紋様、色に光る遊具)を拾って宝箱風の玩具箱に片付けた後、金属同士が当たる音が聞こえた。

 ごちそうさま、だろうか。

「お下げしますか?」

「……」

 返答は無く、両手でゆっくりトレイを僕に押し出した。

「言わなくてもいい」

 なるほど、サインがあるのか。

 ……良かった。しっかり食べてくれているようだ。

「では、何か御用がありましたら、お呼び下さい」

「おやすみ」

「はい。おやすみなさいませ、フィリア様」

 柔らかい笑顔をした後、空のトレイに引っ張られるような軽い足取りで帰る少し前。

「待って」

 いきなり呼び止められた。

「はい。どうなさいましたか?」

「ツクヨム……」

「……!」

 今の、聞き間違いじゃないよね?

 初めて名前を呼んで……!

「……なまえ、合ってる?」

「……はい、合ってます」

「ご飯、普通だった」

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