0日目

「……あぁ、畜生っ」

 僕は久しぶりに口に出して悪態を吐いて舌打ちした。

「やっぱ行くべきじゃなかった!疲れた!」

 と、無駄に大声を出してみるが、ここはそもそも森の中だ。当然そんなものは空に吸い込まれるだけで、鳥を何羽か驚かす程度に過ぎなかった。

 後悔先に立たずとは先人もよく言ったものだ。


 しばらくすると、またお返しとばかりに空から鳥の羽音と、さえずり。おまけだ、持っていけと言うかのように、花の香りと共に春先の暖かな風まで連れて、僕の頬を優しく撫でてきた。


 もう、いっそ休憩しようかな……そうまで思えてしまう。

 そもそも僕は、この森の景色を堪能たんのうする為に来たわけではない。

 元々は旅の途中、この森の手前にある村で起きた、思考の引っ掛かりを治すため、個人的に調査しているだけだ。



 村に入ったのは三日前。


 周囲を小高い山の中に囲まれた小さな盆地に二、三十程の家が立ち並ぶ小さな村だ。

 その村は林業、特に製紙業が盛んで、どうやら本来は希少な木材がこの地域では大量に生えている為に、特産品として扱われているようだった。


 それ以外はいたって平和で、特に面白いものがあるというわけでもなく、僕は退屈な日々を過ごしていたわけだ。

 ただ……この村は、一つだけ不思議というか、つっかかるような部分があった。

 村というよりは、人の方か。人たちは僕と会話した後には必ずこのように言ってくる。


「旅人さん。村の東の森にだけはいかないようにしてね」


 これだけ。理由を聞いてはみたが、だれに聞いても「言えない」の一点張り。

 そもそも件の東の森に関しては全く封鎖どころか進入禁止の立て看板すらない、一見すればいたって普通の森だ。(もちろん野生動物除けの柵はあったが)

 こんなあからさまな情報を手に入れて誘われるようなやつはよっぽどのバカか命知らずの人間しかいない。ということだ。




 ……なるほど。つまり今の僕はバカで命知らずという訳だな。


 数時間前の僕は助走を付けて殴り倒すことは確定として……今日はあまりにも天気が良すぎる。こうも昼寝日和な天気だとどうしても集中力が続かない。


 なんでこういう時に限って更に気を散らせる要素になってしまうのだろうか。


 何というか、間が悪いというか……噛み合わないというか……


「くぅぁぁ……んぅ……」


 思わず欠伸あくびが出てしまった。


 うん。やっぱり休憩しよう。


 どうせ一人旅だ。誰の迷惑にもならないしマイペースにやっていけばいい。


 ささやかな幸運ではあるが地面はこの地域では晴天が続いていたのか程よく乾いて寝心地も良さそうだ。


 早速近くの木に腰掛け、そのまま地面へと接した左腰の鞄から水筒とカップを……


 違う。右腰だった。いつも左には剣を佩いているのに、気を抜いていると忘れてしまう。


 かぽっ。


 心地良い音の鳴る蓋を開け、そのままいつものように注ぐと……


「あ……」


 香りのすっかり抜けてしまった泥水のような色合いのお茶っぽい何かが注がれていた。 

 そういえば森に入る前に立ち寄った村に滞在して以来、鞄の整理をすることをすっかり忘れていた。

 さすがにこれを飲むわけにはいかないので、中身はさっさと捨てることにしよう。

 まぁ水筒にカビは生えていなかったから村に帰った後に洗えばいいのだが……せっかく腰かけたのだから飲み物くらいは飲んで休憩したいものだ。


「はぁ……」

 仕方ない、あまり気乗りしないが最後の手段を使うとしよう。

 右手に持ったカップの飲み口部分を包むように左手をかざした後、ゆっくりと目を瞑り、息を静かに吸って、その倍の時間を使って、身体の力と共に吹き込むように吐いた。


 肺の空気を少し、また少し、注ぎ込んでいくのと同時。

 右手の重みがゆっくりと増していく感覚が認識できた。

 よかった。年単位ぶりくらいに使ったが特に問題はなかったようだ。

 さっきの呼吸とは別の、安堵の息を軽く吐いた後に、目を開けてカップを再び覗いてみる。


 


 先程の泥水とは違う、底まではっきりと見ることができる正真正銘の水だ。

 うっすらと光を反射して翡翠色の眼も映っている。

 もう少し日が陰っていたなら鏡代わりにもなりそうだ。

 心地よい春風と共に軽く飲んでみる。


 なるほど。温いしまずい。おまけにさっき捨てた泥水の風味も残っている。

 まぁ、一旦捨てて、入れ直したとしても、所詮は『魔術』(魔力を消費して行う再現性を持った行為の総称)で生成した水だ。

 どうせ湧き水のような甘味や口溶けなんかはないことは知ってはいたし、元はと言えば自分がミスしなければいい話だったのだ。今の自分にはもってこいの飲み物だろう。


 もう一口味わってみる。二口目も当然まずかった。

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