籠中の蝶

鬼郷椿

第1話 出会い

香蘭帝国、後宮。

四方を囲む朱塗りの壁に、混ざり合った香水の匂い、衣擦れの音。

五感の全てが、ここを後宮だと認識している。


「今日は、蓮の五のお妃様のお世話ね。」

後宮の誰もいない廊下を一人歩く。

妃にも階級があり、上から皇后、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃、あとはわからない。

わからなかった下の方の人たちは、それぞれ花と番号で識別される。


目的の部屋に着く。

扉を叩いてみるが、返事がない。

「失礼します。」

恐る恐る入ってみるが、誰もいない。

いきなり後ろから声をかけられる。

「何しているんだい?そこのお妃様は、昨日の夜に死んだよ。」

「え! 今日の仕事、ここのお妃様のお世話だったのですが。どうしましょう。」

お仕事なくなっちゃった。

「じゃあ、あたしの手伝いをしてくれないかい? 人手が足りていないんだ。」

「いいのですか?」

「あぁ。見た感じ、悪さはしなさそうだからね。」

「では、遠慮なく。お世話になります。」


彼女は、潘包寿と名乗った。

そして、着いたのは豪華な宮だった。

さっきの皇后から賢妃までの人や、皇帝、皇族はそれぞれ自分の宮を持っている。

その内の誰かの宮だろうか。

とんでもない人に着いてきてしまった。


「失礼します。お手伝いを一人、連れてきましたよ。」

「そうか。ご苦労、帰っていいぞ。」

「はい。 じゃ、頑張ってね。」

もしかして、包寿さんはここの人じゃないのかな。

「入っていいぞ。」

中から少し高い男性の声が聞こえる。

低くないから、少年か、青年くらいかな。

「失礼します。」


中に入ると、そこは緑の部屋だった。

だが、正面に座っていたのは、燃えるような赤い髪の青年。歳は十九くらいに見える。

「よく来たな。名前は?」

「お初にお目にかかります。中級女官、蓮珠華と申します。」

「そうか。歳は?」

「数えで十六になります。」

「そうか。何か質問はあるか?」

「えっと、失礼ながら、どなたでしょうか?」

気になっていた質問をぶつけると、紅の瞳がすっと見開かれる。


「自己紹介もなしで失礼したな。俺は、蘭紅月という。香蘭帝国皇太子だ。」

一気に頭が真っ白になる。

皇太子。

なんか、失礼をしていた気がする。

「お前を呼んだのは、というか別にお前を呼んだわけではないが、提案がある。お前、俺の侍女になれ。今よりもずっといい待遇を約束するぞ。」


え?

皇太子付きの侍女なら確かに待遇はいいだろう。

あったかい食事に、もしかしたらふかふかの寝所がもらえるかもしれない。


「どうする?」

「っ、やります! やらせてください!」

「ふっ、元気でよろしい。じゃあ、荷物まとめて。この宮に住むといい。部屋は空いているしな。後で宦官でも送るから、待っていなさい。」

「何から何までありがとうございます! これから、よろしくお願いします。」


そうして、私は出世した。

もらった部屋は皇太子様の私室の隣の部屋。とても広くて、綺麗。布団ではなく寝台で、ふかふか。しかも、まだ珍しい大きな玻璃製の鏡まである。

女官服も、以前は白だったのに、緑のものをもらった。袖には皇太子殿下の印である菊の花が刺繍されていて、しかも丈夫。意匠もとてもおしゃれで本当にすごい。

お風呂は宮にあるので、共用だそうだ。

支給された女官服に袖を通し、同じく支給された髪飾りに合う髪型にして殿下の私室へ向かう。


「失礼します、殿下。蓮珠華です。」

「あぁ、入れ。」

中に入ると、紅の瞳はふっと弧を描いた。

「似合っているな。そうだ、珠華。この宮に女官はお前だけだから、入る時に名乗らなくてもいいぞ。」

女官は私だけ?

皇太子殿下なのに?

顔に出ていたらしく、教えてくれる。

「俺は、邪魔な皇太子だからな。父帝陛下も、母后陛下も、みんな母后陛下の産んだ第二王子を皇太子にしたいんだ。でも、俺がいるとできないんだって。だから、早く死ぬように世話をしないと言っていた。」


ひどい。

自分の息子なのに、こんな扱い。

「ひどすぎます! 殿下だって、陛下の息子なのに。」

「珠華、お前は俺のために怒ってくれるのか? 優しいな。」

「いいえ、殿下の周りがひどいのです。私は、殿下を見捨てませんからね。」

皇太子殿下がふわんと笑みを浮かべた。

「ありがとう。」

「それで、用事というのは?」

そして私は、いくつかのお仕事を言い渡された。

それも簡単なものばかりで、廊下や部屋の掃除だった。


こうして、私は皇太子、蘭紅月殿下の専属の女官になった。

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