第27話 氷の皇子は交渉する

 カーリンの自作自演について調査中、コルネリウスがヴィルフリートを訪ねてきた。


「……オリーヴィアの件だと言ったな。何の用だ」


 オリーヴィアを投獄されたヴィルフリートはただでさえ苛立っていたうえ、コルネリウスがオリーヴィアのラストネームを知っていることに余計に苛立った。オリーヴィアは「アーベライン侯爵に買われる前のことは忘れてしまいました」などと言って自分にさえラストネームを教えてくれたことがなかったのに、なぜコイツは知っているのだ。挙句、人払いのうえで話をさせろなど、何様のつもりだ。


 コルネリウスは「突然の訪問、失礼かとは存じます」と頭を下げる。ピンと後頭部で結んだ髪が揺れた。


「聞くところによりますと、オリーヴィア様はもともとフロレンツ第一皇子殿下の婚約者であったと。しかしオリーヴィア様が養父アーベライン侯爵と血がつながっていなかったことを理由にその婚約は破棄され、また同時にヴィルフリート殿下がその身を庇い、侍女になさったと伺っております」

「そのとおりだが、オリーヴィアをめとりたいとでも言いにきたのか? 言っておくが、俺はアインホルン王国の公爵デュークに恩を売らなければならんほど困ってはいない。オリーヴィアがやぶさかでないなら一考の余地もあるが、お前なんぞにやらんぞ」


 吝かでなくとも一考の余地しかない、その狭量っぷりにグスタフは呆れた目を向けるが、コルネリウスは「いえ、私ごときが娶ろうなど滅相もございません」と妙な言い回しをした。


 公爵でありながら、出自不明の咎の侍女を娶るのが“滅相もない”とはどういうことか?


「……お前、オリーヴィアが何者か知っているのか?」

「はい。私がオリーヴィア様にお会いした――いえ再会したのは数ヶ月前、イステル伯爵に招かれ参加した夜会でのことでございました」

「再会だと?」


 言われてみれば、オリーヴィアは「ゲヘンクテという家には聞き覚えがある」と答えていた。あれは、オリーヴィア自身はコルネリウスのことを覚えていなくとも、過去に出会ったことがあったはずだという意味だったのか?


 ということは、幼馴染とでも言うつもりか。とんだ強敵の出現にヴィルフリートは刮目かつもくし、グスタフが「殿下、抑えてください」と呆れ交じりにその肩を小突く。


 そんなヴィルフリートの気も知らず、コルネリウスは重々しく頷いた。


「ゲヘンクテ家は代々騎士の一族でして、アインホルン王国では“王のつるぎ”と呼ばれ、王族をお守りしております。私がオリーヴィア様に最後にお会いしたのは、オリーヴィア様がわずか5歳の頃でございました。ですからオリーヴィア様も私のことは覚えておられなかったようで」

「……どういう意味だ」

「そのままの意味でございます」


 がしかし、愛だの恋だの言っている場合ではないとんでもない出自を予感し、ヴィルフリートの背筋には妙な震えが走る。まさか、オリーヴィアは。


「オリーヴィア・モント様。十余年前の第一次帝国・王国間戦争による国内の混乱にて行方不明となってしまわれた、アインホルン王国の王女殿下です」


 ヴィルフリートもグスタフも、顎が外れそうなほど口を開けて愕然がくぜんとした。


「当時は私もまだ少年でございましたが、よく覚えております。混乱に乗じて王城に賊が侵入し、オリーヴィア様はその使用人らと共に外へ逃がされたのでございます。やがて賊は王女を人質にとりでに立て籠もり、我々がなんとか助け出しましたが、それはオリーヴィア様のお召し物を着た使用人の子でございました」


 もともと賊の目的は王女を人質に取ることであったため、使用人の子はいつ殺されてもおかしくなく、現に共に逃がされた使用人達は殺された。だからオリーヴィアは、自分と使用人の子の服を取り換えていた。戻ってきた使用人の子が、泣きながらそう話したという。


「以来、陛下も総力を挙げてオリーヴィア様をお探しになりましたが見つからず、特に戦後処理でオリーヴィア様にばかり人手を割くことも叶わず。また、オリーヴィア様が最後に目撃された廃村で子の焼死体も見つかり、亡くなられたものと思われていたのです」

「……しかし、実は国を越え、人買いに売られていたということか」

「はい。夜会でオリーヴィア様を見た際、我が目を疑いました。もちろん十年以上経ち、その姿は変わっておりましたが、雪のような白銀の髪も、夕陽色の目も当時のまま。何よりオリーヴィア様は、王妃殿下、オリーヴィア様の母君の若かりし頃に生き写しでございます」


 ヴィルフリートは思わず指で頬を挟み、口元をおおう。オリーヴィアが、アインホルン王国の王女だった……。


 言われてみれば違和感のないことではあった。誰もがオリーヴィアをまるで下賤の身のように話していたが、その所作には一分いちぶの隙もなく、生まれながらにしての気品のようなものがあった。しかも、いくら教育を受けたとはいえ、庶子があそこまで英明えいめいであろうか。


「……つまりロード・コルネリウス、貴様はオリーヴィアを……、連れ戻しに来たということか」

「平たく申し上げますとそのとおりです。しかし、私はまだオリーヴィア様にも、陛下にも何もお伝えしておりません。誰が聞いているとも分からぬ場所で軽率に口にできることではありませんし、何より、あのお方にこれ以上辛い思いをしていただきたくなかったのです」


 グスタフは何も言わなかったが、ヴィルフリートにはその考えていることが手に取るように分かった。ヴィルフリートがその命を救い、侍女として重用してきたオリーヴィアが、和平交渉中のアインホルン王国の王女であった。それはなんという僥倖ぎょうこうか。


「ヴィルフリート第二皇子殿下、我が国の王女殿下をお守りいただいたこと、誠に感謝申し上げます。この恩に報いるため、可能な限り最大限、和平条件に応じさせていただきましょう。ただし――」

「オリーヴィアをアインホルン王国に返せと、そういうことだな」


 コルネリウスは何も言わなかったが、それは肯定の意に他ならない。


 しかし、オリーヴィア自身もこれを予感していたのだろう。拉致されたのが5歳頃であったこととラストネームを明かさなかったことを考えれば、オリーヴィアは自身が王女であったことを覚えていたに違いない。それを口にせずにいたのは、フェーニクス帝国内にいる以上はていのいい人質となってしまい、祖国の不利益となってしまうと理解していたからだ。


 ただ、コルネリウスの素性を知り、オリーヴィアは決断したのだろう。アインホルン王国の公爵に居場所がバレた以上、帝国内でも王女と知られるのは必至ひっし。このまま誰かに利用されるくらいなら、自らアインホルン王国に戻り、交渉役を買って出ようと。


『アインホルン王国との和平締結、ひいては殿下が皇帝となるいしずえとなりましょう』


 投獄される前、オリーヴィアはそう言っていた――“コルネリウスと婚姻する”のではなく、ただ自ら和平交渉を行うかのように述べていたのだから。


 そしていま、敵国の公爵自らそう申し出ているうえに、王女もそれに賛同している。この状況で是と頷く以外に選択肢があるはずがない。


 そんなグスタフの圧力を感じながら、ヴィルフリートは偉そうに腕を組んでふんぞり返った。


「断る。オリーヴィアは俺の侍女、そして俺は第二皇子。敵国の公爵に命令されるいわれはない」

「殿下、今すぐ撤回なさってください」


 知らん顔を決め込むヴィルフリートに、グスタフは珍しく慌てて畳みかける。


「和平交渉が停滞してどれだけの月日が流れたか思い出してください。停滞するあまり今や頓挫とんざしたとまで言われるほどなのですよ?」

「それがどうした、オリーヴィアを抜きにしてもそのうちまとまる話だ。権益をうるさく主張する老人どもを何人か黙らせれば済む」

「ですからそれでは交渉をまとめる意味がありません。殿下の即位を支持する貴族がいなくなります」

「そんな連中はどうでもいい。どうにもならければ最後は兄上に適当な罪でもくっつけて首を刎ねれば済む話だ、俺以外に皇位を継承する者はいなくなるからな」

「殿下!」

「次にオリーヴィアを外交の道具にすると言ったときには二度と王城に出入りできぬようにする、そう言ったが?」


 それどころか本気で首を刎ねそうな目に睨まれ、グスタフもぐっと口を噤む。グスタフが黙った後、ヴィルフリートはコルネリウスに向き直った。


「和平協議締結を条件にオリーヴィアを返せというのであれば、貴様が帰れ。もっとも、オリーヴィア自身が王国に戻るというのであれば俺が止めるつもりはないがな」


 コルネリウスはしばらく黙っていた。ヴィルフリートは腕を組んだまま、その目をじとりと睨み返していた。


 ややあって、コルネリウスの唇が笑みを作る。


「そう言っていただけて安心いたしました、ヴィルフリート殿下」


 フン、とヴィルフリートは鼻を鳴らして返事をする。


「この俺を騙そうなど百年早い。もちろん、オリーヴィアを渡すつもりがないのは本気だがな」


 グスタフは一瞬呆気にとられたが、そこは本来ヴィルフリートをもしのぐ才人、瞬時に話を理解した。次いで、思わぬ事実のせいで自分も気が動転していたことに気が付く。


「……そういうことでしたか。取り乱してしまい失礼いたしました」

「ああ、お前のことだから演技かなにかと思ったが、そうではなかったか」

「なぜお分かりになりました、ヴィルフリート殿下。オリーヴィア様を返していただいたところで私が和平交渉を進めるつもりがないと」

「好奇心に駆られて自白するな、ここまで含めて俺のはったりの可能性はあるだろう」


 偉そうに説教までしながら、ヴィルフリートは頬杖をつく。年はコルネリウスのほうが少し上だろうが、皇子と騎士では立場が違い過ぎ、踏んできた場数が違う。


「アインホルンの国王にすら何も言っていないのに、オリーヴィアを返せば和平に応じるなど、お前にそんな権限があるわけないだろう。イステル伯爵の客人として招かれているとはいえ、“王の剣”であれば身一つで動き回っても危険がないからに過ぎないのではないか」

「そのとおりでございます。しかし殿下、オリーヴィア様を返していただけるのであれば、陛下が最大限の譲歩をするのは間違いございませんし――」


 それこそ、そこは“王の剣”と呼ばれるほど王族に信頼されている公爵家の人間だということだ。トン、とコルネリウスは胸を拳で叩いてみせる。


「ヴィルフリート殿下がオリーヴィア王女殿下を大事にしていただいていることはよく分かりました。オリーヴィア様を長くお守りいただいた恩義に代えて、私が陛下に譲歩を進言いたしましょう。もちろん、殿下に即位していただきたくのが条件ですが」

「侍女にしていただけで何をそうありがたがる。私欲にまみれていたとはいえ、人買いから買って衣食住を与えたのはアーベライン侯爵だぞ。まあ、既に死んでいるが」

「婚約破棄され命を失うところを救ったのはヴィルフリート殿下でしょう。こう言っては失礼と存じますが、私は幼い頃よりオリーヴィア様を見守っており、妹のように可愛がっていたつもりでした。その妹をお守りいただいた恩義でございます」


 幼い頃から見守って――のところでヴィルフリートは一瞬ヒヤリとしたが、続く内容に安堵した。そうか、恋敵が増えるわけではなかったのか。


「しかし、オリーヴィア様の存在を明かせば、オリーヴィア様ご自身が交渉材料となることは免れないでしょう。そのため、いましばらく殿下にはオリーヴィア様をかくまっていただきたく……」

「その必要はない。オリーヴィアを国に返すにあたって何の対価も求めないことについては、ここで俺が一筆したためる」


 コルネリウスは驚いた顔をしたが、グスタフはもう何も言わなかった。オリーヴィアへの愛を前に、この皇子には何を言っても無駄だと分かった。


「オリーヴィアにこれ以上辛い思いをさせたくないと言っただろう、俺も同意見だ。オリーヴィアがアインホルン王国に戻るのは、帰るべき場所に帰ることでしかない。貴様の滞在場所はこちらで用意するし、オリーヴィアには休みを与える。その間にどうするか、オリーヴィアに決めさせろ」


 早速羊皮紙を引っ張り出しながらグスタフに命じて通行証も用意させ、オリーヴィアが国に帰れるように書簡を準備し、ヴィルフリートはそれをコルネリウスに突き出した。


「ただし、条件がある。次の会議で、俺の婚約破棄を手伝え」

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