元侯爵令嬢の侍女は氷の皇子の溺愛に気付かない

神楽圭

第1話 侍女オリーヴィアは殺されない



 オリーヴィアは、フロレンツ第一皇子の婚約者であった。




 ある日、オリーヴィアはアーベライン侯爵と共に王の間へと招かれた。貴族という貴族が集められたその場の中心に立ち、アーベライン侯爵は「遂にフロレンツ殿下が即位なさるのではないか」「そうしてオリーヴィアは皇妃に、そして自分は公爵プリンツに」と鼻を膨らませていた。


「オリーヴィアは人買いから買った子であったというのは事実か、アーベライン侯爵」


 しかし、エーリク皇帝は、獣のような唸り声でその事実を指摘した。


 さすがのアーベライン侯爵も、そのときには笑みを凍りつかせた。次いで生来強欲そうなその顔に慌てて笑みを貼りつけ「何のことでしょう、皇帝陛下」とへつらった。


「オリーヴィアは正真正銘我が娘でございます。フロレンツ殿下の婚約者の座を羨んだ者が、根も葉もない噂を流したのでしょう」


(ああ……)


 他にもアーベライン侯爵は言い訳を連ねていたが、それは隣で聞いていたオリーヴィアも呆れてしまうほどの往生際の悪さだった。


(遂にバレてしまったのね……)


 王の間には、エーリク皇帝、フロレンツ第一皇子、そしてヴィルフリート第二皇子、さらに名だたる貴族や官僚達が列席していた。その場に呼び出してそんなことを尋ねるということは、確かな情報源があったということだ。


(アーベライン侯爵ったら、年貢の納め時というものよ)


 そして自分も――。オリーヴィアは、髪と同じ銀色の睫毛をそっと下ろす。


 アーベライン侯爵が、公爵プリンツになることを切望し、人買いから女児じぶんを買い、皇子の婚約者にさせようと画策したことは事実であった。


「言い訳は終わったか、アーベライン侯爵」


 ナイフのように冷たい声に、アーベライン侯爵は背筋を震わせる。


「お待ちください陛下、本当なのです、本当にオリーヴィアは我が娘……!」

「素直に吐けば首までは取るまいと考えていたが、もうよい。アーベライン侯爵――いや、アーベラインの首を刎ねよ。無論、アーベラインの一族の者すべてもだ」

「お待ちください!」


 爵位剥奪・一族郎党処刑を同時に宣言され、アーベライン侯爵は悲鳴のような叫び声をあげ――苦し紛れにオリーヴィアの肩を乱暴に掴んだ。


「えっ……」


 まるで盾のように、オリーヴィアはアーベライン元侯爵の前に引きずり出され、そのまま額を絨毯に叩きつけられた。ガンッと額をぶつけたオリーヴィアは、反射的に開いていた目をもう一度閉じる羽目になった。痛みと衝撃で、頭がぐらぐらと揺れている。


「これは……これは、オリーヴィアの策なのです! 我が娘が――いえこんな卑しい者を娘と呼ぶのも汚らわしいですが、人買いに連れてこられた際、自分を皇子の婚約者にしてくれと言ったのです! 自分を買ってくれれば、ゆくゆくは皇妃となりアーベライン家に繁栄をもたらそうと! それはまるで悪魔の囁きのようで――」


 なんて馬鹿馬鹿しい。オリーヴィアは反論する気も起きなかった。人買いに連れられアーベライン侯爵の前に出されたときのことを、オリーヴィアは今でも覚えている。


『珍しい、銀色の髪か。それにその瞳はオレンジ色。一見不気味ではあるが、見ようによっては美しい。上手く育てれば皇妃にできるかもしれん。引き取って我が娘としよう』


 隠しても隠しきれぬ野望に目を輝かせ、アーベライン侯爵は高値でオリーヴィアを買った。その強欲さも卑劣さも、どうやら今と変わらないらしい。


「それは誠か、オリーヴィア!」


 そしてどうやら、フロレンツ第一皇子も相当馬鹿らしい。オリーヴィアの頭の先で、フロレンツ第一皇子が苛立たし気にその足を踏み鳴らす。


「貴様、卑賤ひせんの身でありながら皇妃になろうと企み、当時のアーベライン侯爵を誑かし、あまつさえ私をも誑かそうとしたのか!」


 フロレンツ第一皇子の頭の出来には薄々気付いていた。しかし、こんな状況で突拍子のない嘘を信じるほど婚約者じぶんへの信頼がなかったのかと思うと、悲しいというより惨めになった。


「答えぬということは事実なのだな、オリーヴィア!」

「そのとおりでございます、フロレンツ皇子殿下。フロレンツ皇子殿下、エーリク皇帝陛下、この度はオリーヴィアが誠に申し訳ございません。私どもは騙されていたのでございます。オリーヴィアの首は差し上げますので、どうか我がアーベライン家は――いえ私だけはお許しを……!」


 軽薄浅慮としか言いようのないフロレンツの認識、そしてここにきて全ての罪をオリーヴィアになすりつけようというアーベライン侯爵の厚顔無恥っぷり。オリーヴィアは絶望するより呆れてしまった。


 しかし、オリーヴィア自身、自分がアーベライン侯爵の血を引いていないことは知っていた。その意味で自分はアーベライン侯爵と同罪だ。


 そしてアーベライン侯爵家は、オリーヴィアに一応の衣食住を与えてくれた。皇妃にふさわしいようひたすら厳しく教養を叩きこもうとしたし、言うことを聞かなければ散々に罰を与えてきたが、それでも自分を生かしてくれた。あのまま人買いに連れられていては、幼女趣味の貴族に買われ、まるで畜生のように扱われていたかもしれない。


 それならば、この自分の首でアーベライン侯爵の命を助けてもよかろう。オリーヴィアは、アーベライン侯爵に頭を押さえつけられたまま、じりじりと姿勢を正し、絨毯に手と額をつく。


「……エーリク皇帝陛下、フロレンツ皇子殿下。この度は我が身のためにお騒がせしてしまい申し訳ございません。私の首は差し上げますので、どうぞ養父をお助けください」

「陛下、このとおりでございます」


 オリーヴィアが頭を上げないと分かったからか、アーベライン侯爵も隣で額を絨毯に擦りつけるのが見えた。


 悔いはない。オリーヴィアはもう一度目を閉じた。ここで私の人生は終わるが、私の首が養父を助けるかもしれない。それならば、私の人生にも幾分かの意味はあったというものだ。


「陛下、アーベラインを含むすべての者の首を刎ねましょう。そして首謀者たるオリーヴィアにつきましてはそれだけでは足りません。その身を吊るし、焼き、城門に晒すべきです」

「陛下、どうかお許しを!」


 フロレンツ第一皇子が苦々し気に最悪の決定を下すのに対し、アーベライン侯爵がもう一度顔を上げながら嘆願する。


「……そうだな――」


 それに対し、エーリク皇帝が頷く。


「お待ちください」


 そこに、四人目の声が割り込んだ。


 オリーヴィアは顔を上げなかったが、その声の主はよくよく知っていた。ヴィルフリート第二皇子だ。


「アーベライン家すべての者の首を刎ねる、それはよいでしょう。しかしオリーヴィアに関してはそのせめを負わせるべきでないと考えます」

「貴様は黙っていろ、ヴィルフリート!」

「いえ黙りません、兄上」


 ヴィルフリートは、まるで鷲のように鋭い黒々とした目でフロレンツ第一皇子を睨み付けた。


「兄上はオリーヴィアが首謀者であったと述べましたが、それは明確に誤りです」

「オリーヴィア自身がそう頷いたというのにか」

「オリーヴィアは肯定も否定もしておりません。彼女はただ、自身が“人買いに売られた身であったため騒がせた”と申しただけです。第一、彼女が養父――アーベラインを庇っていることは明白ではありませんか。」


 コツ、とヴィルフリートは一歩前に出る。オリーヴィアの額はその振動を受け取った。


「オリーヴィアが首謀者であったというのなら、アーベラインは当初からそう述べればよかった。しかし散々に言い訳を連ね、そのどれも通らぬと分かって初めてオリーヴィアが首謀者であったなどと喚いたのです。オリーヴィアは話を合わせて黙っているのでしょう」

「アーベライン自身がオリーヴィアを庇っているとはなぜ考えない」

「今ここではオリーヴィアの首と引き換えに自分を助けよと懇願しているのにですか? 矛盾しているのでなければ二重人格でしょうな。そもそも、この場においてアーベラインの話を聞こうというのが間違いです」


 そもそも、オリーヴィアの出自が判明した原因は、当時オリーヴィアを売った人買いがアーベラインを強請ゆすり始めたことにあった。そのネタはもちろん「フロレンツ第一皇子の婚約者が実の娘でないとばらされたらお前は終わりだぞ」というもの。そうしてアーベライン侯爵は口止め料を払い続けていた。


 しかし徐々にその要求がエスカレートし、アーベライン侯爵がそれを突っぱねた結果、人買いは「十年近く前、銀髪にオレンジの目の少女をアーベライン侯爵に売った」と暴露した。


 もともとアーベライン侯爵には不埒ふらちな噂が多かったうえ、ここ数年その人買いは妙に羽振りがよかったこと(アーベライン侯爵から巻き上げた金だろう)、オリーヴィアの容姿がアーベライン家の誰とも似ても似つかぬものであったこと、その他諸々の事情が勘案され、その疑惑は決定的なものとなった。


「ゆえに、最早質疑の余地はありません」


 事の顛末を説明し、ヴィルフリートはそう締めくくった。


「アーベラインが首謀者であることは間違いないうえ、アーベライン家は皆共犯者であったのでしょう。しかし、オリーヴィアはどうか。アーベラインに逆らっても皇家に告発してもその命を失うこととなる。そのようなオリーヴィアに、告白など期待できたでしょうか」


 クッ、とオリーヴィアは目を開ける。あふれた涙が、ほんの数ミリ先の絨毯にパタパタッと零れ落ちた。


「したがって、オリーヴィアの首を刎ねるべきではありません」


 その結論に対し、フロレンツ第一皇子は、オリーヴィアがアーベライン侯爵とグルであったという噛みあわない反論を繰り返した。エーリク皇帝は、皇族に対する罪に例外はないと暴論を述べた。


「皇族をたばかったというのであれば、首などという役に立たないものではなくその能力で責任を取り罪をあがなうべきです!」


 その二つを、ヴィルフリート第二皇子はその一言で完封した。


 そうして、アーベライン元侯爵およびその一家は皆首を刎ねられた。


 オリーヴィアは、フロレンツ第一皇子との婚約を破棄されたうえで、ヴィルフリート第二皇子の侍女となった。

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