第118話 再び界渡りへ

 フラグを「立てない」って、どうやったらいいんだろう。


 ループの解消だけでも荷が重いのに。僕は途方に暮れていた。いや、たそがれていたって仕方ない。時間は刻々と過ぎて行く。とりあえず、何をするにしてもレベル上げと魔道具、魔石は必要だ。今度リュカ様に会った時にどう振る舞えばいいのか分からなければ、会うのを遅らせればいいだけ。かといって、今頃王都で辛い思いをしてるんじゃないかと思うと、胸が痛むんだけど。


 一人で抱え込んでしまうのは、悪い癖だ。しかしこんなこと、なかなか相談出来る人もいないしな。ウルリカは、僕の突拍子もない話を受け止めてくれる、数少ない理解者だ。だけど思考が腐っているのが最大の欠点。毎回、僕とリュカ様をどうにかしようとする。前ループは焦った。いくら弟同然の大事な存在だからって、貞操の危機は御免だ。しかも気になってる女の子が、僕らのことをくっつけようとしてくるなんて。地味にダメージがデカい。


 ウルリカの他には、おばば様くらいか。しかし面識のない僕がいきなり森人エルフの里に現れたら、捕らわれる未来しか見えない。過去に二度の界渡りをして僕の存在を忘れ去られた時、実際そうなったし。ああ、僕は一体どうしたら。




 煮詰まった僕は、彼らと出会う前に、早速界渡りをした。


 とにかく、あらゆることをゆっくり考える時間が欲しかった。アレクシの世界では、早くリュカ様を連れ出さないと、とか、三年経ったら巻き戻ってしまう、とか、何をしていても気がいてしまう。しかしふと思った。怜旺れおの世界では、三年ループもなければ、急いでこなさなければならないイベントもない。もちろん、現実世界を生き抜くためには、それなりに日々やることはたくさんある。だけどこうして学食のカフェテリアでコーヒーをすすりながらレポートを書き上げ、窓の外を行き交う学生をぼんやりと眺める、そんな余裕すらある。


 学生時代まで戻ったのは、何度目だったか。しかし、大抵はさっさと昂佑こうすけとコネを繋ぎ、ラブきゅん学園の制作に関わることで頭がいっぱいだった。振り返れば、最初にループに気付いてから、ずっと何かにき立てられる毎日だったな。今の僕は、無気力とまでは言わないけれど、なんだか憑き物が落ちたみたいだ。


 そう。あっちの世界のアレクシは、三年ごとにループしている。だけどこっちの怜旺ぼくは?


 このまま人生を続けて、天寿を全うしたら、どうなるんだろうか。




 僕は一旦、ラブきゅん学園の世界のことを忘れることにした。あっちの人はあっちの人で、自分の人生くらい何とかするだろう。どうしても気になるなら、一度帰ってちょっと手助けくらいしてもいい。二往復までならセーフだ。しかしよしんば手助けしたとしても、無数のピンク頭のうち一人のパラレルワールドに介入するだけ。リュカ様だって、もしかしたらピンク頭と結ばれた後は、幸せに暮らされるのかもしれない。


 そう自分に言い聞かせながら、僕は大学二年の生活を追体験する。レポートは、同じのを書いたことがある。授業も大体覚えてる。そもそも、あっちでレベルを上げてINTかしこさが高くなったから、大抵のことはスッと理解できる。もしかしたら、受験前の時点に巻き戻った方が良かったかもしれない。


 こっちに戻って実感するのは、ひたすら暇だってことだ。スマホはほとんど普及していない。動画もだ。僕の記憶では大御所と呼ばれたクリエイターが、まだ素人同然の動画をポツポツと上げているくらい。元々の僕はこの頃、何をして過ごしていたっけ。アレクシとして生きた時間が長くて、それ以前の記憶はぼんやりしている。


 そもそも、僕は一体何なんだろう。アレクシだという自己認識はあるけれど、彼はゲームの世界の住人で、こっちの僕から見れば単なるデータに過ぎない。そして、玲旺という存在もそうだ。アレクシという僕が、世界を渡って来た者。もちろん、アレクシとしても玲旺としても、幼少期からの記憶は存在する。だけど、その前はどうだ。僕は本当に、雨河怜旺という存在だったのだろうか。そもそも僕は、実在するのだろうか。なんだかパラレルワールドを往復し過ぎて、自分の存在がゲシュタルト崩壊を起こしている。確かにそこにあるのに、意味のない記号の羅列のように感じるっていうか。もしかしたら、これがおばば様の言う「存在が希薄になる」ってことなのかもしれない。


 ゆっくり考える時間が欲しいといいながら、うだうだ考えているとドツボにはまりそうだ。小人閑居して不善をなす。つまらない人間は、暇にしているとロクなことをしない。というわけで、僕はバイトでも始めることにした。




 一口にバイトといっても、都会にはいろんな働き口がある。特に僕は情報工学科、プログラミングが専攻だから、そっち系統の求人には事欠かない。だけど、僕は一旦プログラミングやゲームから離れたかった。というわけで、とあるカフェチェーンに応募した。


 ここは、社会人になった後もよくお世話になったところだ。仕事に行き詰まった時、よく長居をさせてもらった。やはり、客としてくつろぐのと店員として働くのとでは勝手が違うが、活気があるのに落ち着いた店内、コーヒーの香り。そして次々に出る期間限定商品。単純に、この店が好きなんだ。呪文のようなオーダーも覚え、ぎこちなかったサーブもこなれて来て、バイト仲間とも打ち解けて来たある日。


 くたびれたスーツ。冴えない顔色。細身の体が、猫背のせいで余計に小さく見える。どこかで見覚えのある姿。


 ———岡林くん?


「いらっしゃいませ、ご注文は」


 僕は出来るだけ動揺を顔に出さないよう、にこやかに声を掛けた。彼も一瞬僕を見てぎょっとしたが、「ラテ、ショートで」と消え入りそうな声で注文し、そそくさとバーカウンターへ去った。そして次の接客をして、気付いたらいなくなっていた。

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