第86話 アーカート王国へ

「…さっきのブリュノの話のこと?」


「ええ、そうです。どうしても行かなきゃならなくて、アーカートに」


 せっかく仲良くなって、夏休みも始まったばかりなのに。マロールに着いた途端、こんなことになって申し訳ない。だけど僕は、アーカートに行くしかないんだ。しかし、


「じゃあ僕も行く」


 リュカ様は、考える間もなく即決で言い放った。


「ですがリュカ様」


「僕も行くったら行く。だって僕は、アレクシの主人だよ?」


 普通逆なんじゃないのか。だけど、リュカ様の気持ちも分かる。良くも悪くも注目を集め、あちこちからひっきりなしに押し寄せる縁談やオファー。さげすみの視線が一転、いやらしい愛想笑いに。肝心の盾になるべき実家はあんなだし、かといって庇護を申し出るリシャール殿下も、腹に一物ありそうだ。そんな中に、リュカ様を一人残して行くのが、唯一心残りでもある。しかしもう、十分な実力を示して周囲の評価も覆し、この国での将来は約束されたようなもの。なのに、アーカートに一緒に行くなんて。


 だけどリュカ様の決意は固かった。


「中退じゃなくて、卒業すればいいんだよね?じゃあ僕、次の考査で高等部課程まで、全部飛び級するから」


「いや、ですがご学友が」


「あんなの友達でもなんでもないし」


「ですがほら、あのっ」


 言いかけて、先の言葉が続かない。彼の学力なら飛び級は可能だろう。しかも、彼をこの国に引き止めるものが何も思い浮かばない。うーん、困った。




「というわけで、僕たちはアーカートに留学します」


 僕らは帰省を切り上げ、早速王都に戻ってリシャール殿下と面会した。


「…また急な話だね。しかし、アーカートに留学とは、そう簡単には」


「年齢制限と一定の学力、そして相応の入学金を納めれば、誰でも入学可能です。姉が留学したので知っています。なんなら聴講生という形でも構いません」


 リュカ様が立板に水だ。思い込んだら一直線な所はあると思っていたが、何だろう、この火の玉ド直球。


「生徒会のお手伝いなら、土属性の皆さんが引き続きフォローされています。皆さん実務に秀でた優秀な方ばかり。そして各自冒険者としての腕も着々と上げていらっしゃる。私共わたしどもが在籍する必要はありません」


 リシャール殿下は、「そういうことじゃないんだけどな」って顔をしている。分かるよ。だけどまあ、殿下を含めてみんなどんどんレベルを上げているし、これ以上僕らが付きっきりでインストラクターをやるのも違うと思う。


「しかし君はまだ未成年で、飛び級と卒業には伯爵の許可が要るよ。どうだい。僕の養子にならないか?」


 殿下がリュカ様に畳みかける。どんだけ養子が好きなんだ。いやまあ、彼は王子の中では一番地盤が弱い。どうしても味方を増やしたいのは分かるけど。


「お気遣いありがとうございます。どうしようもなくなったら伯爵家から出奔しますので、謹んで辞退いたします」


「連れないなぁ」


 リュカ様の頑なな決心に、殿下も折れた。


「まあ、無事の帰国を待ってるよ。ポストは用意しておくからね」


 リシャール殿下、ぬかりない。でもこれで、学園と殿下の問題はひとまずオッケー。




 しかし殿下のお気遣い通り、ラクール伯爵家は難儀した。まず伯爵邸を門前払いだ。交渉の余地もない。だけど、何事にも抜け穴はある。


「リュカに平民。何用だ」


 まるで蛇蝎の如く、嫌悪感を隠さないルイゾン氏。仕方ないよね。君が僕に喧嘩売ったんだもの。けちょんけちょんに返り討ちにしちゃって、許してちょんまげ。


「兄上。折り入ってお話があります。人払いを」


 ルイゾン氏は、腹心の従者だけを残し、寮室にたむろしていた取り巻きを帰した。


「兄上。私は期末をもって卒業の上、アーカートへ留学します。しかし未成年のため、伯爵の許可が必要です。お力添えを」


「何を言い出すかと思えば。お前が学園に残ろうと去ろうと、私には関係ない」


「目障りな私が去れば、お心も晴れましょう」


「私も期末をもって学園を卒業するのだ。全くもって、私に利のある話ではない」


「利ならございます、閣下」


 はい、その一言を待ってました。僕は懐から小箱を取り出す。婚約指輪のようにパカリと開けば、そこには大粒のルビーが鎮座している。


「閣下。最近、首元が涼しいと思われませんか」


「!」


 今は夏だ。首元どころか、どこもかしこも暑い。しかし、彼は僕が何を言いたいのか理解したようだ。


「こちらのお品は、閣下の胸元を飾るに相応しい逸品となっております。使い切りの粗悪品とは違い、魔力を込めれば何度でも繰り返し使用可能。御身の魔力を喰い切って、昏倒に至らしめるようなことは決してございません」


「お前…」


 ルイゾン氏は、ルビーに目が釘付けだ。震える手がおずおずと小箱に伸びる。しかし。


 パタン。


「おっと。こちらはお願いを聞き入れて頂いた場合の、対価にございます。どうかよくよく、ご検討を」


「話は以上です。それでは兄上、また」


 手を伸ばしたままの姿勢で呆然とするルイゾン氏に優雅に一礼して、僕らは寮室を去った。




 数日後、黄金の饅頭作戦ならぬ爆炎のルビー作戦は功を奏した。執事長レオナールを連れ、ルイゾン氏自らがリュカ様の寮室を訪れ、書状を押し付けて来る。そこには、リュカ様をラクール先生の養子にする旨が記されていた。後で聞くと、ラクール先生は随分前からリュカ様をマロールへ引き取るよう、打診していたみたいだ。


「これでいいだろう」


 ラクール家の皆様は、どうしてこう偉そうなのだろう。しかし、ブレイズドラゴンルビーで作った爆炎のブローチは、素直に引き渡した。レオナールが、ルーペで覗き込んでぎょっとしている。彼は鑑定眼を持っているらしい。


「入手経路についてはご内密に。良いお取引が出来て光栄です」


「ふん」


 レオナールから受け取った小箱を懐に仕舞い、彼はそそくさときびすを返す。ドアを潜ろうとしたその時、リュカ様が淡々と告げた。


「それではルイゾン様、ごきげんよう。さようなら」


 ルイゾン氏は一瞬ぴくりと足を止めたが、彼らはそのまま出て行った。




 僕らは書状を持って、早速マロールへ飛んだ。ラクール先生は破顔して、リュカ様の背中をバンバン叩いていた。背中を叩く人って一定数いるけど、やめてくれないかな。レベルが上がってもなお小柄なリュカ様が、ヨロヨロしている。


 リュカ様は、貴族学園を飛び級卒業して、アーカートに留学する旨を告げた。先生は驚いていたが、「リュカは勉強が好きだからな。広い世界を見て回るといい」と背中を押してくれた。入試なんかに必要な書類は、貴族学園を通して入手してある。新しい保護者の先生にサインをもらったら、後は手続きするだけだ。


 なお、この間レポートを提出しろと言われたので、「土属性スキルを利用した国防と対策」という題で、簡単な資料をまとめておいた。資料って言ったって、ラノベでこんなん読んだなーっていうストーリーの寄せ集めだけど。すると、パラパラとめくっていた先生の表情がみるみる変わり、僕らは危うく会議室に捕まりそうになった。危ない危ない。ラクール先生は、興味のある研究になるとしつっこいのだ。僕らは「また来ます」と適当にかわして、さっさと帰った。


 ちなみにこのレポートは、後にリシャール殿下まで渡り、改めて「君たち留学は考え直したまえ」と引き留められた。アーカートに願書を提出した後で良かった。僕らはドタバタの末、あらゆる引き留め工作や縁談などを掻い潜り、無事に飛び級卒業を果たした。僕は二度目だけど、リュカ様なんか中一終了時点で高三の課程までぶち抜いた。平民になったとはいえ、僕のあるじは凄いのだ。


 卒業のタイミングも、ちょうど良かった。後期の期末は、高等部三年の卒業とも重なる。みんながお祝いムードで忙しくしている中、僕らはひっそりと寮室を片付けて荷物をまとめ、アーカートに向けて旅立った。

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