まっ黒な犬

わかさひろみ

第1話

真っ暗なところに、その犬はいました。真っ暗なところに、ひとりぼっちでした。

 そして、その犬もまっ黒な毛をしていました。

 どこもかしこもまっ黒で、右手を見ても、左手を見ても、どこまでが自分なのか、よくわかりませんでした。

 犬は歩いてみることにしました。真っ暗闇のなかを歩くので、前に進んでいるのか、よくわかりません。犬は歩くことをやめてしまいました。

 自分はどこにいるんだろう。もしかしたら、いないのかもしれない。

 そう思い始めたときでした。頭の上から一筋の光がさしこみ、犬のからだがふわりと浮いたのです。そして、そのまま光のほうに吸いよせられ、犬はまぶしくて目をとじました。

 「なんてかわいいの。ふわふわで、あたたかい」

 「はやく名前をつけてあげよう。はな子がいいね」

 犬は「はな子」と名づけられました。

 そして、おねえさんと、お母さんといっしょに暮らすことになりました。



 それから、はな子の毎日は一変しました。色あざやかで、明るいものになりました。

 いつもおねえさんか、お母さんのどちらかのひざの上にのって、丸くなってすごしました。するとやさしい手が、背中をなでてくれます。

 なでてもらうたびに、くすぐったくて、こころがふわふわしました。胸のあたりがあたたかくなって、もも色の花がさきます。

 まっ黒でいやだった毛を、二人はほめてくれました。

 「黒は気高い色」

 「つやつやとした毛並みは、わたしたちの自慢」

 はな子はまっ黒なことが、いやなことではなくなりました。



 それから、はな子は世界にいろんな匂いがあることも知りました。

 ほかほかのごはんの匂い、太陽に干されたふかふか布団の匂い、パチパチはじけるシャンプーの匂い。

 なかでも一番のお気に入りは、おねえさんとお母さんに、だっこしてもらうときの匂いです。

 なんていい匂いなんだろう!

 鼻の先からしっぽの先まで、ぽかぽかした、あたたかい気持ちになります。

 ずっと、ずっと、つづいてほしい。もう、あの真っ暗なところにはもどりたくない。はな子は神様にお願いしました。

 けれども、この時間がずっと続くことはありませんでした。

 ある夜、はな子は息が苦しくなって、手足が冷たくなっていきました。



 おねえさんが、布団をかけてくれます。おかあさんが、はな子のからだをさすります。

 けれど、はな子のからだは、かたく、冷えていきました。



 おねえさんが泣きました。お母さんも泣きました。

 けれど、はな子はからだを動かせません。悲しませたくないのに。はな子のからだは、二度と動きませんでした。



 おねえさんとお母さんは、まっくらな闇のなかに落とされました。むかし、はな子がいた、あの真っ暗なところに。

 はな子は、力いっぱいにおねがいました。

 おねえさんと、お母さんに伝えたい。大切なことがあります。

 はな子は、力いっぱいにお願います。何度も、何度も、お願いします。

 すると二人に、光が差し込んだのです。はな子は両手をいっぱいのばして、ふたりの手をつかみました。


 “カナシマナイデ。イッパイ イッパイ アリガトウ。”

 “デアエテ ウレシカッタヨ。”


 おねえさんと、お母さんはまぶしい光のなかで、はな子をみつけました。

 はな子は、色とりどりの花のなかで、元気に走りまわっていました。まわりにはたくさんの動物たちもいます。

 「はな子!」

 はな子はうれしそうに、おねえさんとお母さんのところまでかけてきて、ふたりの周りを一周まわりました。そして一度だけふり向き、ふたたび花のなかへ元気に走っていきました。


 “オネエサン オカアサン ダイスキダヨ!”


 はな子が走っていく先には、たくさんの動物たちがはな子をまっています。

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まっ黒な犬 わかさひろみ @wakasahiro

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