第2話 薬が切れた男(2/3)

頭痛は、時を追うごとに激しくなる。


想像してみてほしい。頭の中でゴーゴーと掃除機が常に稼働し、記憶の入った箱をあちらこちらに配置しなおす。そんな事を二十四時間続けられては、とてもじゃないが耐えられるものではないだろう。


「やめて……!やめてくれぇ!!」


一人きりの洞くつに、獣のような男の咆哮が轟いた。


だが、それから暫くして、とても不可思議な事が起り始める。痛みが徐々に回復していったのだ。男は死に瀕して神経が麻痺して来たのだろうとも考えたが、むしろ頭は実に爽やかにはっきりとし始めた。


そこで、男はふと考える。これは国家規模の陰謀ではないのか。十年前のウイルスは、一時的に健康を害する効果しかなく、黙っていればみな健康体に戻る。だが薬を服用し続ける事により、それが滞った時にはある程度の時間、激しい苦痛が伴うような効果をもたらすのでは……。


普通は痛みが続き死に至ると言われれば、嫌がおうにも薬を飲み続けるだろう。そんな中、もし「薬がこれ以上欲しければ、政府に逆らうな」というような恫喝が行われるとしたら……。


だが男はすぐに、この考えを否定した。


薬が配給されてからもうかなりの年月が経っているし、世界に名だたる独裁国家でさえ、無料で薬を配り続けている。国民を縛り付ける用途としては、不自然すぎるだろう。では、たまたま自分にだけ奇跡が起きたのか?いや、いくらなんでも、そこまで都合よく事は運ぶまい。


頭の痛みが完全に抜け、男は残りわずかになった食料で朝食をとる。不思議と心穏やかだ。吹雪が収まった後の雪景色を眺めていると、まだ若いころ、妻と一緒にスキー場へ行った事を思い出した。


あれほど憎いと思った妻に対する想いが、いまは心の片隅にすら存在しない。


男は確かに家族の為に稼いだし、家事や育児にも十分精を出した。しかしそれは、単に夫という役職を務めていただけではないのか。そう考えると、妻の言動に幾つも思い当たる節があった。


男と女として結ばれたはずである。だがいつしかそれを忘れ、家庭という同じ舞台に立つ、単なる相手役としてしか妻を見ていなかった事に、男は初めて気がついたのだった。


妻に謝らなければ……。許してもらえないかも知れないが、誠心誠意話し合おう。


そう思い立った男はすぐさま荷物をまとめ、下山する準備を始めた。


その時である。洞窟の入り口に人の気配がした。救助隊か? 男はそう思ったが、何か様子がおかしい。


「隊長、発見しました。男性一名、手配写真とも一致します」


違和感のある喋り方に不審を抱きつつも、男はその場に立ち上がる。特殊部隊のような格好の数人の男たちの中から、隊長らしき中年男性が歩み出た。


「あ、あ、確認をするが、君の名前を教えてくれないか」


隊長の問いに、男は自分の名前を伝える、


「突然の事で驚くかも知れない。しかし故あって、君を国家反逆罪で逮捕する。大人しく我らに同道してほしい」


隊長が、澄ました声で語り掛けてきた。


「反逆罪? 何の事ですか。人違いをしているのでは? あなたがたは、救助隊ではないのですか? 私は一週間前に、ここで遭難をして……」


「いや、人違いではない。我々は特務警察であり、君を探し出して拘束するのが任務である。何故なら君は”正常薬”を長らく飲んでいないだろう?」


隊長の言葉に、男はハッと思い出す。


薬の服用は厳格に義務付けられているし、罰則も厳しい。その根拠が国家反逆罪に由来するという話を、男は聞いた覚えがあった。もっとも服用しなければ自分が苦しむわけであるから、飲まない者などいはしない。故に、実感に乏しかったのだと男は気が付いた。


「で、でもこれは不可抗力です。自らの意志で、服用しなかったのではありません。飲みたくても、飲めなかったんです」


男は、必死に抗弁する。


「いや、それは全く関係ない。”飲まなかった”という事実のみが重要なのだ」


隊長が、冷酷な口調で突き放した。


「そんな、無茶な!」


「では聞くが、君はこの一週間、どういう体験をしたのか思い出してほしい。――当ててみようか。政府広報通りの痛みが脳内をかけ巡り、死を覚悟したものの、やがて痛みは消え心身共に爽快になった――」


図星をつかれて男は当惑する。やはり、自分だけが特別ではなかったのだと、男は理解した。


「つまり、苦しみの果てに死ぬっていうのは、偽りだったって事でしょう? なぜ、そんなウソをつくんです!」


身に迫る危険をヒシヒシと感じた男は抵抗を試みる。


「まぁ、話はあとだ。それっ!」


隊長が命じると、部下二名が男の方へとにじり寄る。


「やめろ!」


男は隊員たちの腕を振り払おうとしたが、武道家でもない男がプロの力にかなうはずもなかった。


「いや、君には大変気の毒な事だとは思うよ。調べたところ、君は大変まじめな社会人であり、国家の言う事にも実に忠実だ。それに免じて、今君の心の中に渦巻いている疑問にお答えしよう」


「隊長、いいのですか? 下級国民に事実を教えるのは、機密漏洩に当たるのでは」


「いいんだよ。それくらいの裁量は与えられている。何より私は、慈悲深いんだ。それは彼のような、下賤な者に対しても変わらない」


隊長は、意見する部下をピシャリと制した。そして両側からしっかりと拘束された男に向かって、隊長は恐ろしい事実を暴露し始める。

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