Ⅹ.人間不信同士、信頼できるらしい。

 俺と若い男は、一人分の距離を取って公園のベンチに腰掛けていた。目には谷のようなクマが浮かび上がり、その上にある二つの目はそれぞれ別の方向を向いている。餌を求めて歩き回る鳩たちを眺めながら、ただただ沈黙が流れていた。


「さっきは助けてくれたのに、感じ悪くして悪かった。あんた、高校生?」


 男が俺の服装を見て、ボソッと呟いた。寒い風が、裸になった木を揺らす。


「ああ。こっちこそ、ちょっと感情的になって悪かった。俺は神川零。高1です。」


 俺は答える。敬語が微妙に入り混じった、変な文になったと後悔した。あの後、男の決意を中途半端に止めるだけ止めて申し訳ないような気がした俺は、話す内容も考えないまま、適当な理由を付けて男に話しかけてみた。自殺をする人の心情が少し気になったというのもある。もしくは、自殺をする程追い詰められている人に、一種の親近感を覚えていたのかもしれない。


 少し冷静になったのか、男は俺と会話をしてくれるようになった。男の名は二條貴之。高2だから、俺の一つ年上らしい。根は良い奴のようで、タメ口でいいと言ってくれた。どこか俺に似た、世界から孤立したような雰囲気を感じる。


「何で自殺なんてしようと思ったんだ?」


「…まあ色々あって、何と言うか、人を信じれなくてな。周り全員から嫌われてる気がして仕方ないんだ。」


 二條貴之は呑気に歩いている鳩を眺める。


「そうか、俺もだ。もう誰も信じられない。」


 似ている雰囲気、理由がなんとなく分かった気がした。さっきまでは子供たちが走り回っていた子供たちが、いつの間にかいなくなっている。


「俺さ、彼女がいるんだ。けど、そいつからも嫌われてるような気がして。怖いんだ。俺の事を好きって言ってくれるような人すら疑う自分は、生きている資格なんか無いのかもしれない。」


「好きって言って貰えるだけあんたは幸せだよ。俺なんて…。」


 俺は呟いた。俺のことを好きだと言ってくれる奴なんて ―例えそれが表面上うそだとしても― いない。


「不思議だな、あんたからは嫌われてる気がしないよ。初対面なのにこんなに気が合うなんて。」


 二條貴之は遠くのブランコを見つめながら言った。二つのブランコは動きを止め、互いに同じ高さに静止している。ブランコからは決して交わることの無い、同じ長さの影が長く長く平行に伸びていた。


「俺もそう思う。あんたになら、俺の過去を全て話してもいい気がするんだ。いや、聞いてほしい。俺の犯した過ちを…。」


 俺達はあのブランコと同じだ。どこまで行っても交わる程の深い仲になることは無いだろう。だが似た者同士、お互いがお互いの目線を知っているんだ。同じ目の高さから世界を見渡している。


 二條貴之が頷いたので、俺は話し始める。ずっと忘れ去ろうとしていた、かつて犯した罪の記憶を。そして、折角現れた、俺を認めてくれる幼馴染への、無駄な片思いの話を。いつの間にか日は傾き、西の空が赤く染まり始めていた。ブランコも朱色に染まる。


  ○ ○ ○


「そっか、あんたも色々大変だったんだな。俺があんたなら、絶対踏切に飛び込んでるよ。」


「そうじゃなくても飛び込んでただろ?」


 言ってから、しまったと思った。また人の傷を抉り返すようなことを言ってしまった。が、二條貴之は笑っている。


「俺さ、こんなに腹を割って話せる奴初めてだ。これがさ、俺達人間不信にとっての友達って奴なのかもしれないな。」


 二條貴之の言葉に、俺は大きく頷いた。さっき自殺しかけていたとは思えない程、二條の顔には笑顔が浮かんでいた。何となく、俺も嬉しかった。人助けは素晴らしいとか、そんな綺麗ごとなんかじゃない。本当の意味での友達が出来たのが、嬉しかった。


「もうこんな時間か。また会えたらいいな。」


 辺りはすっかり暗くなっている。鳩たちもどこかへ行ってしまった。いつの間にか、ベンチの上の俺と二條の間に開いていた距離は無くなっていた。


「それじゃ。折角彼女いるなら、大事にしてあげろよ。」


 俺は手を上げ、真っ暗になった空を切り裂くような凍てついた冷気の中、白い息を吐きだしながら帰路についた。少し振り返ると、公園には街灯に照らされた二つのブランコが、いつまでも動くことなく並んでいた。

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