Ⅸ.苦悩の別れは感情論。
「神川君、半田さんが呼んでるよ。」
本を読んでいると、軽く肩を叩かれた。廊下の方を向くと、よくよく見知ったあの顔があった。
「何の用だ?」
座ったまま声を上げた。何だよ、今更。
「はい、貸してくれてありがと!」
立椛は俺に数学の教科書を手渡した。そう言えば貸していたんだった。
「なんでわざわざ俺に借りるんだよ。他に友達いないのか?」
「授業も無いのに数学の教科書持ってきてる変人なんて零ぐらいでしょ?」
それもそうか。
「忘れ物すんなよ。」
「零だって忘れ物したことあるくせに。」
反論にならないような反論をして、立椛は俺の読んでいる本を取り上げた。
「今日は何?うわ、数式ばっかり。絶対読みたくない。」
「じゃあ読まなきゃいい。とっとと帰れ、俺に関わって来るな。」
本を奪い返すと、立椛を追い返す仕草をした。これ以上こいつと関わりたくない。この前までと真逆の感情が湧いて来る。
「なんか今日、いつにも増してキツくない?そんなことばっかり言ってたら友達無くすよ。あ、元からほぼいないのか。」
立椛が唐突に煽って来る。いつもの俺なら何か一言言っていただろう。だが、今の俺にはそんな気力は無い。友達無くす、か。俺はそれを望んでいるのかもしれないな。
「あれ、何も言い返して来ない。どうしたの?」
本当は立椛もとっくに気づいているに違いない。俺が昨日、LINEで妙なことを聞いた理由ぐらい勘づいているだろう。今朝未読にしたままの、立椛からの返信文を思い出した。こっちの興味は無い、どうでもいい質問に律儀に答えてくれていた。
「いいから帰れ。もう時間だろ。」
丁度その時、授業のチャイムが鳴った。バイバイ、と手を振って走り去っていく立椛の背中を見て、また溜息をついた。もう、どうでもいいや。立椛が幸せなら俺はそれでいい、そう思っておこう。そして、俺はもう二度と恋愛なんてしないでおこう。
その日から俺は、立椛と会話することは無くなった。元から毎日話すような関係ではない。五十嵐優花などと話している所はたまに見たが、席替えで俺が真反対の窓際に移ったこともあり、わざわざ立椛の方から本を読んでいる俺に話しかけることは無かった。
他人と距離を取り続けた俺の人生に、長い長い冬が来た。たった一人の心を開ける関係を見失い、必要最低限の会話だけで済ます。そんな日々が続いた。時折見かける楽しそうな立椛や、潔く失恋から立ち直った四宮悟が数人の男子に囲まれて騒いでいる姿を見る度に、悔しさが俺を襲う。こう見ている間にも、立椛はきっと、週末に彼氏とデートにでも行っているのだろう。四宮悟も、俺よりすぐに立ち直り、今を生きている。取り残されたままなのは、俺だけだ。
○ ○ ○
学校からの帰り道、凍えるような冷気の中をフラフラと無気力に歩いていると、カンカンカンと規則的な踏切の音が聞こえて来た。遮断機が下りようとしているその時に、踏切の中へゆっくり、しかし一歩一歩確実に歩んで行く若い男が見える。自殺か。
ヤバいな、と焦りながらも、同時に羨ましいとも思った。終着点も見えずにずっと彷徨っていることしか出来ない俺よりも、いっそのこと決着をつけて吹っ切れた方が楽になれる。そう決断できたことに、ささやかな憧れを感じてしまった。
駄目だ駄目だ、そんなこと言っちゃ。電車に無残に引かれ、肉塊となった男の姿を想像して突然良心が湧き戻って来た。俺は慌てて黄と黒の遮断機を潜り抜け、その場で立ち止まっている男の傍に駆け寄った。轟音がレールを伝って全身に響き、巨大で無機質な鉄の塊が猛スピードで迫って来る。
「避けろ!」
俺は全身の力を絞って男の身体を突き飛ばした。俺も男も転がるようにして遮断機の下に滑り込んだ。いつもよりも大きな音で、電車が走り去っていく。間一髪だった。安堵の溜息はまだ震えていた。そんな俺に、男は涙目で怒鳴りつけた。
「何で助けたんだ!折角決意できたのに…。どうせ正義のヒーローぶった自己満足だろ!俺がどれだけ苦しんでるかも知らずに、俺に関わってくんな!」
「関わってくんな、か…。」
この前、俺が立椛に吐いた言葉と全く同じ言葉。急に原因不明の寂しさが襲ってきた。どうしようもない虚しさが、俺にも重なった。俺の中で、何かのスイッチが入った。
「人の命助けて何が悪い?そっちこそ俺のこと何も知らないくせに、偉そうな文句言いやがって。」
騒ぎを見て集まって来た野次馬の中で、俺とそいつは睨み合っていた。
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