Episode08

(22.)

 ーーチッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ。

 チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ。


 秒針の音が室内に通って聴こえる。

 自室のベッドで仰向けになりながら、僕は痛みに耐えて天井を見つめていた。

 あれから保健室で鎮痛剤ーー先生は『一般的なのよりやさしめの鎮痛剤』とか言っていたけど、調べてみたら普通に鎮痛剤と言えば伝わる物だったーーを貰って飲むと、帰りまでベッドで休ませてもらった。

 その後、ふらふらになりながらも自宅まで帰ってきて死ぬようにベッドに倒れ付したのだ。

 そのまま3時間経つが、一時痛みは軽減していたのに、今になってから再び痛みが再燃してきたようだ。 


 痛みから逃げるためにひたすら寝ようとしたが、普段なら気にならない秒針の音が気になってしまいイライラするうえ、そもそも痛みもあるから眠れないままだ。

 どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。

 別に悪いことなんてしていないでしょ、ねぇ、聞いてくださいよ神様?

 おーい、生理の神様ー、それか神通力のひとつと言えばそれっぽい生理通の持ち主さーん、聞いてくださーい。


「……」


 もはや思考までおかしくなっているようだ。


 ……いま、僕はなにを考えていた?

 神通力とかほざいてなかったか?

 生理の神様てなんや?

 トイレにならいるかもしれないけど、生理に神っているのだろうか。


 ーーコン、コン、コココン、コンコン。


「……母さん、なに?」


 ドアがノックされ、母さんかと思い声をかけた。

 でも、なんだかノックにしてはリズミカルな気が……。


 ーーコンココンコンコンコンココンコンコンコンココンコンコンコンココンコンコンコンココンコンコンコンココンコンコン、ガチャ「いぇい!」


 裕希姉かい!

 ポルターガイストかと思ったわ!

 びっくりして失った疲労感をちょっとは返してほしい。


「ゆたー、たっだいまー。ママに聞いたけど調子悪いって?」

「裕希姉さぁ、びっくりするからそういうのやめようよ……ちょっと今はヤバいんだ。冗談通じそうにない」


 キリキリと真下からスローに、だけど粘り強いボディーを入れられているような、そんな痛みがやまない。

 止まない雨はない。死なない人はいない。されどこの痛みは、酷くなっていくだけな気がする。

 ダメだ、マイナス思考になるな僕。


「心配してたよママ? まっ、だいたいなにかわかった。私も昔はママに言いたくなかったし。ゆったマジかー、生理もあるんだすっごいね。ほんと異能力って不思議ちゃんだわ。つまり初潮ってことじゃん? もし14歳なら遅いからやっぱソレって12歳なんじゃね」

「あ、あの、喋る気力もあんまないんすけど」

「『生理生理言って俺に会うのが面倒になっただけだろどうせ』とかなんとか言ってくれちゃって、ちょっとは女の苦しみ味わえやっ」

「……誰、その俺さん」


 一言足りとも僕じゃなかった。

 俺って誰だ。僕は『僕』じゃん。


「裕希姉の彼氏かなんかでしょ……彼氏が言ってきたからって僕に当たらないでよ。あっ、鎮痛剤ない? あと、ナプキンの替えがないんだよね……」

「なんで買ってこないのかなーこのバカちん。ゆったってさ、パンツ変えなかったりしてたし、ひとりでパンツ買えないし、だらしないぞ」

「……ない? 痛み止め」


 突っ込む気力さえ湧かない。


「ま、かわいい妹を助けてやるかな。んじゃ、ちょっち待ってて」


 裕希姉は部屋から出ていくと、鎮痛剤らしき薬の箱とナプキンを複数持ちながら戻ってきた。


「とりま鎮痛剤あるけど、これ15歳以上対象って問題があったの忘れてたわ」

「学校では普通に渡されたけど?」

「それはアセトアミノフェンっしょ」

「あ、アセト?」

「アセトアミノフェン。鎮痛成分のひとつで15歳未満でも使える優れもの」


 薬によってなにやらルールがあるようだ。

 だがしかし、この痛みを真っ正面から耐えるなんてもってのほかだ。


「あの、有名なの無かったっけ? ほら、半分がーー」

「半分がぼったくりで出来ていますって薬のこと?」

「やさしさだからっ」


 酷い言い草するなぁこのひと。

 半分がぼったくりならもう半分はなんなんだ。やさしさなら中和して無になりそうじゃん、やったね。


「まあ元が16歳だしいいってことにしちゃう? 私愛用、生理痛対策、イブプロフェンとブチルスコポラミンが奏でる音楽聞いちゃう?」

「いぶ、ぶちるす?」


 そもそも聞くものではなく飲むものだ。それか効くもの。

 パッケージには別の名前がひとつ書いてあったから一瞬ぽかんとしちゃったけど、入っている成分の名前のこと言ったのか。


「特効薬があるなら早くくれない? なんだか段々痛みが酷くなってきてさ、吐きそうなレベル」

「そんな重たいならあれっしょ、変なもんや腐ったもん食べ過ぎて健康害したんでしょ」


 きょうはなんだか変な物食べなかった? ってやたらと言われるなぁちくしょう!

 そんなに飢えているように見えるのだろうか、この身体。


 あー、イライラしてしょうがない。

 なんだか正常な思考が痛みやらなにやらによって蝕まれていく気分だ。


「というか、これまるまる一日耐えなきゃいけないの?」


「いや一日じゃないっつーの」


 なんだ、明日の昼まで止まらないのかと思ったじゃないか。


「そうなの? 月一の痛みとかって聞いたことあるから勘違いしーー」

「4日以上続くから」


 ……は?


「普通は5日は止まらないよー? どんなに早く終わるひとでも三日は終わらないんじゃない?」

「う……そ……だろ?」


 背中に嫌な汗がだらだらと流れていく。

 頭のなかで何かががらがらと崩れているのに、下腹部はぐりぐりと叫声を上げて鳴り止まないのに、5日……だと……?


「とりま飲むなら飲むで自己責任で飲んでねー。まあ一番苦しいのは二日目だし。それが過ぎればあとは少しずつ楽になると思う。個人差あるけど。あとは、はいナプキン」


 ナプキンをいくつか渡してくる。

 一枚持ってみると、瑠璃を経由してもらった瑠衣のナプキンよりも少し軽い気がした。


「今はそれに変えて」もう一種類ナプキンを渡してきた。「寝るまえにこっちに変えたほうがいいと思われ」

「なにか違うの?」

「最初のは昼用、こっちのは夜用。寝てるとすぐ変えられないっしょ? だから容量が多くて長くつくられてるの着けなきゃ漏れるかもしんないだろー」

「漏れーーあっ」


 なんだかいきなり直感する。

 今まさに漏れていると。

 制服のまま寝転がっていた為、恐る恐るスカートをつまみ上げ当たっていそうな箇所を確認する。


 あれ? 大丈夫じゃん。

 自分の勘は当たらないものらしい、役に立たない機能が追加されたのかもしれない。

 女の勘は芽生えないのだろうか?


「ところで、寝るときスカート捲れあがった?」

「え、なんで?」

「ほれ、そこ」


 裕希姉はベッドに人差し指を向けていた。

 そこを見たら、直前の思考を訂正することになった。


「……そっちだったかぁ」


 勘は当たっていた。女の勘は僕にもあったのだ! やったねちくしょう。

 ベッドにしっかりと血が付着しているのを見て、僕はもうどうしたらいいのかわからなくなった。

 

「あっ、そうそう。なんかお隣さんが亡くなったって聞いた?」

「え?」

「あ、聞いてない? もしかしたら殺人事件かもしんないから気をつけろよー。じゃあね」 


 裕希姉はそれだけ言い残すと部屋から出ていった。


 殺人……え?

 もしかして、あの音は聞き間違いじゃなかった?

 夏なのに身体に悪寒を感じ、あまり考えないようにした。

 殺人だと確定したわけでもあるまいし、たまたまお隣さんが老死とかしただけさ。

 きっと……。





 

(23.)

 ーーチッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ

 チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッーー。


 秒針が気になってしょうがねぇべらんぼうっ!

 ーーなどと口に出したくなるほど眠れない。

 時計が紡ぐリズミカルな演奏がこんなに耳障りに感じるのは、生まれてこの方はじめてだ。

 寝るのにまったく集中できない。

 誰か睡眠薬でもくれないかな?


 その日の夜、僕は未だに生理に苦しめられて奮闘していた。

 少しはマシになったものの、薬を飲んだとしても痛みが完全に消えることはないし出血だってするのだ。この場合径血が正しいかもしれないがどうだっていい。ナプキンの付け方、明らかにおかしいし……でも恥ずかしくて人には訊けない。

 額も冷や汗で湿っている。


 瑠璃や瑠衣に言われたとおり、腰にブランケットを巻いて暖め、夜用ナプキンに変え布団に入ってすぐさま寝る体勢になったというのに……なかなか寝ることができず時間は過ぎゆく。

 股が湿って気持ち悪いと感じる。

 これは血だ、そう思ってしまうのは自然の摂理だろう。

 どうにか無視してストレスが溜まらないように心がけなければいけない。


 額から冷や汗がだらだらと流れ落ちていく。

 自室の中、僕はベッドに寝ころがりながら耐える。

 湿っていて気持ちの悪い股間の水気をなるべく無視して、ストレスが溜まらないように我慢する。


 お、お腹が痛い……。

 誰かが下腹部を鷲掴みにして捻り取ろうとしているかのような、体験したことのない痛みが、波のように襲いかかってくる。


「ーーっ! もう無理! 自分から頼んでおいてなんだけど! もう無理! ギブアップするから許してください! こんなことになるなんて予想できていなかったし、そもそも想定外の事がここまで発生するなんて思わなかったんだ! こんなに痛かったり辛かったりするだなんて、思いもしなかったんだ! だから、だから僕を元に戻してくれ! お願いします!」


 誰もいない虚空めがけて、僕は必死に祈りを捧げる。

 しかし、一回目のときは安易に叶えてくれたというのに、二回目となる今回の祈りについては、どうやら叶えてはくれないようだ。


ーーもしも辛いなら、その身体を放棄すればいい。ーー


「え?」

 

 脳に誰かが直接語りかけてきた。


「ほ、放棄?」


ーー幽体・霊体、それに肉体を私に譲ってほしい。そうすれば、君という存在は世界から消える。もう苦しまずに済むだろう? なに、単に君という意識が私に成り代わる……いや融解するだけで、外見に変化はないさ。私が君になるだけだ。だから安心して、意志を無くし意識を譲ってほしい。ーー

ーーさあ、苦しみたくないなら、さあ、早くしたまえ。ーー


「……意識を……譲る……え? 意志を無に? 全ての体を譲れ身体を放棄しろって……」


 それってつまり……。


「ふ、ふざけるな! それって死ねってことだろ!? だいたいおまえはなんなんだっ!」


 不安と怒りが溜まっているからか、自分とはおもえない荒い口調で言い返した。


ーー私? 私は君の心の隙間を満たした存在(もの)、それすなわち君たちが言うところの異能力霊体だ。ーー


 異能力霊体だと?

 え、こんなふうに会話ができる存在とか聞いていないんですけど。

 でも、侵食率が云々とか瑠璃が言っていたのを踏まえると、こいつが僕を蝕もうとしているヤツに違いない。 

 なんにせよ、僕はまだ死にたくない。


「死ぬくらいなら生きるに決まっているだろ! おまえに譲り渡すものなんて、ひとつもない!」


ーー私たちは本来、君たちに寄生して、ただ時を待つだけの存在。私も対話が成立したことに少々驚いているのだよ。まあ、だから気長に待つなんてことは当たり前だ。待っているよ、杉井豊花。いずれひとつの存在(もの)となるときが来たら、そのときは仲良くしようじゃないか。ーー


 そこまで言うと、異能力霊体の声は聞こえなくなった。

 何度か呼び掛けてみたが、答える声はもうそこにはない。

 仲良くしようって、なんの話だかさっぱりだ。

 ……こんなこと初めてだからか、怖くなってくるじゃないか。


 異能力について、もっとちゃんと調べよう。

 いくら絶対数が少ないといっても、僕自身は異能力者なんだから。

 そして……男女どちらでも好きな時に好きな場所で変われるようにしてやる。

 それが無理なら男に戻るだけでもいい。


 ……せ、せめて絶頂とやらを味わってみなければ報われない。

 ギブアップしてもいいですか、だなんて心が嘆きはじめているんだ。

 それをどうにかするためなら、なんだって考えなければいけない。

 オナニーも含めっ!


 とりあえず来週月曜、すぐに瑠璃や瑠衣にこの現象を訊かなければいけない。

 ほかにも、なんでもいいから手がかりを掴めないだろうか。

 僕はいろいろと頭のなかで予定を組み立てているうちに、ようやく眠りに着けた。 


 ーー土日もひたすら不快な気持ちに耐えつづけた。



 そして、少しだけ痛みが収まってきた月曜日を迎えた。

 






(24.)

「え、異能力霊体、会話? 豊花、頭のネジ、どっか吹き飛んでる、早く探したほうがいい」


 物凄いアホを見るような瞳を、まさか瑠衣に向けられるだなんて思わなかった。


 月曜日の昼休み。

 瑠璃が教室に来なかったため気になった僕は、瑠衣の教室へとひとりで足を運んだのだ。

 そして瑠衣の周りにも居らず、瑠衣に訊いてみたら、瑠璃は仕事で今日はいないことがわかった。

 そういえば一週間に一日は休むとか言っていたっけ……マジかぁ。と思いながらも、せっかくだから瑠衣と二人でお昼にすることになったという流れだ。

 そこで瑠衣に金曜日の出来事を伝えた。


 伝えた結果がコレ。

 瑠衣は地球外生命体かなにかを見てしまったかのような表情を浮かべやがる。

 なんだか瑠璃に言われるならまだしも、瑠衣に言われるのは納得できない。


「本当だって、知らない? 異能力霊体と対話が出来るのがいまの常識さ」


 いや、知らないから訊いたんだけどね。

 なんだか強がってしまった。


「足りてないっぽい。オイルかな? それともグリス? シリコンスプレー? ミストオイル? 電気? レギュラー入れてからの、ハイオク入れ? それとも軽油? えっ、灯油? それはダメだよ。壊れるのが自然」

「僕はなにかのマシンなの? 真面目な話だっていうのに」


 そこまでおかしな事を言っていないと思うし、実際にあったんだから頭は正常なはず。


「豊花、聞いて。異能力霊体と、会話できるひと、ひとりもいない。異能力者、なった瞬間なら、ともかく、なったあと、聞いたことも、見たことも、ない。多分、お月様が、酷かったんだね、壊れてる。統合失調症とか、疑う。病院行く?」

「え、本当なのそれ……?」


 そうは思えないけど、幻聴ではないと証拠がないから絶対とはいえない。


「瑠衣ちゃんは本当にそういうのなかったの?」

「豊花、“ちゃん”外さなきゃ、豊花“ちゃん”って呼ぶから」


 一瞬このクラスにまで“豊花ちゃん”呼びが感染してしまったのかとビクッとした。

 でもまあ、自分はちゃん付けを嫌がっているのに、ひとに対してはちゃん付けするのはよくないか。

 どうもリアルで歳下とは会話したことがないから慣れない。どうしても子ども扱いをしようとしてしまう。 


「じゃ、じゃあ、瑠衣はそういうことなかったの、本当に?」

「無」


 バッサリ。

 会話ですらなかった。

 非常にあっさりとしていらっしゃる娘だこと。


「わたし、ステージ3だよ? 豊花は1。でも会話できない。なのに、豊花はできる? それ変だよ。多分、電波を受信しただけ」


 なんだよ電波。

 ん、そういえば……。


「まえに瑠璃が瑠衣がなんかやったから侵食がーとか言ってたけど、なにかやらかしたの?」

「……聞く?」

 

 ちょっとだけ眉を潜めたが、話すのも満更ではなさそうにもみえる。

 なにかヒントがあるかもしれないし、とにかく今は異能力について知れることはなんでも知りたい。

 だからーー。


「訊いてもいい?」

「いいよ、豊花、姉さんいないのに、来てくれた。お友達」


 瑠衣は照れた笑顔を見せた。

 こんな顔もするのか……正直、真顔より全然かわいい。


「少し長い。これが、私の真実。……姉さんも、知らない。姉さんじゃないから、嘘は混ぜない。だから、内緒。約束だよ?」


 僕はそれに対して頷いた。

 姉さんも知らないというのが少し、いやかなり気になるが、まあ、僕が喋らなきゃいいだけだ。




 そして、瑠衣は自分が起こした過去の負債を語ってくれた。

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