誰の理想

 「取扱説明書」

 そう書かれた紙を見つけたのは入学手続きの書類を整理している時だった。

 こんな書類あったっけ、そう思いつつ目を通す。

 要約するとの未来を見ることができるらしい。

 実際にそんなことはあり得ないと思いつつ、ほんの少しだけ期待している自分がいる。第一志望に受かっていたらどうなっていただろうかと。


 「捨てるつもりだったし、破ってみるか」

 

 そう言って「取扱説明書」を破いた。



 気がつくと私は第一志望のA大学のキャンパスにいた。

 オープンキャンパスで説明会が行われたホールの入り口には、『入学式』と書かれた看板が立っている。

 桜は満開で、私も紺色のスーツに身を包んでいる。

 あの説明書通りならばこれはIFの未来だ。頭では理解している。しかし実際にキャンパス内に立っている事実には込み上げてくるものがある。

 高校の3年間を勉強に費やしても、届くことの無かった未来だ。自然と涙がこぼれる。

 ホールからは同じくスーツに身を包んだ男女がぞろぞろ出てくる。

 どうやら入学式は終わっているらしい。私も彼らに倣って帰路についた。



 家に着くと母が出迎えてくれた。


「おかえり、入学式どうだった?」


「どうだったって特に何も無かったよ」


 母の質問に笑いながら答える。

 そう、と言いうと母はリビングに戻って行った。

 その後ろ姿はどこか誇らしげだった。


 その後ろ姿を見た私は、はぁ、とため息をつき、肩を落とした。



 足元には先ほど破った紙が落ちていた。

 現実に戻ってきたらしい。落ちていた紙を拾い、もう一度目を通す。

 やはりそう書かれているl。

 どこまでが起こり得ない未来なのかは定かではない。A大学に受からなかったことは事実だ。

 その事実に1番ショックを受けていたのは母だった。

 両親は私が乳児の時に父親の不倫がきっかけで離婚した。そこから女手1つで私を育ててくれた。

 育ててくれたことにもちろん感謝している。

 しかし夫という精神的な柱を、裏切りという形で失った彼女はボロボロだった。

 

 私が小学校のころ市の絵画コンテストで金賞を取ったことがある。それがきっかけだった。

 彼女は心にぽっかり空いた穴を私で埋めようとしたのだ。

 コンテストやコンクールで賞を取らせたいがために、母親は習い事をこれでもかと言わんばかりに始めさせた。


 私もはじめは賞を取ると母が喜んでくれたため嬉しかった。習い事自体も友達も増え楽しかった。

 しかし、次第に母は私が賞を逃すと私を責め立てるようになった。

 逆に賞を取った時は気持ち悪いくらい褒めてくるし、外食に連れていってくれた。

 私の功績は母の功績とでも言わんばかりに母の態度は大きくなっていった。

 いつしか私の存在は母のステータスでしかなくなっていた。


 仮に、もし仮に。母親の誇らしげな背中を見ることがなくなるのであれば、今回の未来を見た意味があったかもしれない。

 そう思いつつ整理していた第二志望の大学の入学書類にペンを走らせた。

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