デート?

 世界は少しだけ光を取り戻す。ささやかな風が吹いて、一色の雲に濃い淡い色が浮き上がる。


「おはよう。準備はできた?」


 昨日の夜と同じ場所に先輩は立っていた。大きなハンマーを片手で回して、綺麗な制服が揺れ動く。あった筈のがれきが粉々に砕けて辺りに散らばって、埋まっていた筈の台は消え去っていた。いない合間に手間良く済ませてしまったのだろう、準備運動は十分とばかりに活気がついていた。


「よろしくお願いします。というか、あれからちゃんと寝たんですか」

「これは隠ぺいなの。気にしない、気にしない」


 得物を掴んで大きくお辞儀をする。僕の周りは休まない人が多すぎる。心配になって聞くと、清々しい笑みを浮かべて答えてくれた。


「たぶん私の嫌な記憶が少ない方から直していくべきなんだと思うんだけど、蓮君もそれでいい?」


 大丈夫ですと伝えると、後ろに回った先輩が僕の背中を叩く。道を示してみせろと声が聞こえた気がした。

 重原君からの贈り物が画面に映される。遊園地の事故と対策事例について。難しそうなフォルダの中に暗号めいたファイルが並んでいた。よく分からないけど大丈夫。エントランスからでしょうか、と前に歩みを進めた。


 二、三度叩いただけでたいていの問題は解決してしまった。いつでも人が来られるように改札の錆は剥がれて、受付に備えられた装置も人が近づけば反応する。ぼろぼろだった壁も周辺だけリフォームされていた。石と違う人工的な白さに変わっていた。

 穴だらけの地図もまた色彩を取り戻していた。子供向けらしいファンシーなものからSF染みた外国語の名前まで選り取り見取り。かつての先輩の頑張りが伺えた。


「違うから蓮君。辞書とにらめっこしてこれだって選んでたわけじゃないの。記憶に残っている名前を引用しただけだからね」


 軽く紅色にほおが染まっていた。色彩を取り戻した新品さながらの地図が、これからの行き先を教えてくれる。唯一ピラミッドを作っていたジェットコースターは文字がぼやけていた。

 昨日と同じ反時計周りに体を向けると、先輩に右手を掴まれる。少し汗ばんだ手は暖かくて震えを抑えるように力がこもっていた。


「あっちのエリアは大変そうだから、こっちからにしよっか!」


 先輩は答えを求めていない。間違いなくあそこが本丸だ。原因は何だったのか、対面する前に術を考える時間が欲しい。引っ張られるより早く僕は指し示した方へ向かった。


 タコ型の足がぐるぐると回転する遊具があった。全ての足が落ちそうなくらい不安定だったから叩いてつなげる。ついでに白茶だったところが赤く染まった。

 映像によって高いところから落ちる体験をする施設があった。シートベルトが機能してなくて、マネキンで試すと地に殴られ潰される。先輩が止まっているタイミングを見計らって突撃した。再会よりも早く一打を叩きこむと、千切れかけた安全装置もきれいになっている。次のマネキンは無事に生き延びて役目を果たしてくれた。


 公道を走行しないからと速度を追求した乗り物があった。コース袖の芝生を踏んで端々を確認する。建築基準法は守られていた。


「私が乗るからいざという時の対処は任せるね」


 別の仮想世界で車両の運転をしたことのある先輩に任せる。一式を付けた先輩の手によって軽快な音で乗り物は走り出す。一つ目のカーブを越えたあたりで僕たちは問題に気づく。こいつ、ブレーキもアクセルになっている。曲がる度に加速して、公道を走る自動車に相当していた。辛うじて三つ目のカーブを曲がっても限界が近い。今までを考えるとハンマーで車を叩けばブレーキは直る。けれど息を合わせなければ速度差で先輩まで殴りかねない。

 かつての自分が聞いたら馬鹿にされる。バッターボックスに構えるように得物を構える。


「OK。合図をしたら思いっきり後ろに流して、手を離す!」


 危険な状況なのに先輩の理解は早かった。明るく弾んだ声で応えてくれる。軌道を調整してタイミングを計る。距離が近づいて体が危険を伝える。僕は轢かれないと信じていた。

 三カウントを数えて、後ろに動かす。ガコンと左前面がぶつかって先輩の足元に光が灯る。それでも車は慣性で止まらない。暴走車が僕ごと後ろに引っ張ろうとする。受け流す術を知らない。踏み潰されないことを願って得物から手を離す。

 コースを傷つけないように三周ほど余計に周って車は止まった。反動で付いてしまった尻を上げて取りに向かう。幸い傷になっていなかった。


「二人とも傷つけないための場所の選び方、壊れないようにちゃんと斜め後ろに投げたこと、そして暴走車の前ですくまなかった度胸。ナイス判断だったよ」


 ヘルメットを外した先輩が得物を構え直す。

 東エリアで苦労したことはこれくらいだった。一通り確認が終わったころ、太陽が南中にあることに気付く。大部分が雲に隠れていても、わずかな日差しが世界を照らしていた。

 ほいっという声に合わせてペットボトルが投げられて、僕の腹に当たって落ちる。不満げな先輩に慌てて拾う。ラベルにはシンプルなフォントのミックスジュースと遊園地のマスコットが書かれている。泡立っていないところから炭酸は入っていないらしい。

 どれだけ味が混ざっているのか心配して飲むと、フルーツの味が一様にまとまっていた。


「昔行った遊園地で買ったものがモデルでね。自販機で大量に売っているのに外と比べて倍近くの価格がして、買えないって凹んでいたところ知らないお兄さんにおごってもらった一本なの」


 遊園地の通路の真ん中を二人で歩きながら、先輩が思い出話を語ってくれる。さっき直したアトラクション一つ一つの記憶、優しく接してくれた人、迷子になって巡り合ったこと。楽しかった過去を聞いて、遠慮なく質問して、つながりを思い出して。後半戦、一番の難敵と対面する時は近い。


 ◇◇◇◇◇


 乗物が大地に帰ってこない塔があった。原因を直接叩くこともできず、高い所に上る手段もない。途方に暮れて制御器にハンマーを置いてみると、あっさりと戻ってくる。

 時折逆走する白馬と馬車がいた。動きが緩やかなおかげで簡単に乗り込める。慣性で止まって見えるから当てるのに苦労しない。

 枯れた蔦に絡まったレールがあった。途中までなんなく乗れるからオールをこぐように少しずつ進んでいく。車輪をゆっくり回せば前に押し出されることもない。ガタガタと揺れて身体がずれていく。それでも下に先輩がいたから安心して回せた。


 病院をモチーフにした施設はぼろぼろに朽ち果てている。外側だけ叩いても違いが分からない。


「中がどうなってるか気にならない? 案内してあげるから行ってみようよ」


 直ってるか確かめるより早く、先輩は腕を思い切り掴む。前に進むときに少し見えた横顔はにやけてみえた。

 床と壁の境目を失うほど薄暗い。僕は木製の床をおそるおそる、あるかも分からない穴を避けて歩く。


「第一フロアまでの入口は明かりを遮る部分。来るかな、来るかな、って怯えて欲しいから何にも置いてないんだけど……天然のトラップが残ってるっぽい」


 先輩は石橋のごとく得物で叩いて進む。時々修理されたことを伝える光が灯った。面白がっているのか僕を蛇行して追い抜いていく。


「電源装置はどこですか? アトラクションどころじゃありません」

「第一フロアの舞台裏。そこまで後数十メートル、あとちょっとだよ」


 穴に落ちて被害を広げたくないし、一歩ごとに得物を振るのは体力が持ちそうにない。仕方がないと自分に言い聞かせて、端末のライトを起こす。直進するだけでも二か所のひびが見つかって、自分の判断に安心した。後ろの傷も全て叩く。


「落ちるのも経験かなって放置してたけど、悪い手段を思いついちゃったかー」


 明かりを付けて戻ってきた先輩は、僕の成果を見て少し不満げだった。

 荒れた受付と破れた椅子はアトラクションとのこと。先に進んでから尋ねると、ブービークッションも仕掛けてあったらしい。廃墟の椅子に座る度胸はなかった。

 第二フロアは医者が患者と対面する部屋を、第三フロアは病室をモチーフにしていた。書類の束や検査道具の数々が並ぶ。人工光に照らされていて、怯える要素が減っていた。


「そこを叩くと面白かったはず。蓮君よろしく」


 先輩は空白のベッドの内の一つ、ぼろぼろに破けたシーツを指す。叩くとシーツの隙間が縫われて少し膨らむ。さて、と一歩踏み出したとき、驚声とともに人間らしいマネキンが叩き起きる。躍動感はあっても触らないようになっているのか、ゆっくりとシーツの中に帰っていった。僕がのけぞる様を見て、先輩は笑みを噴き出していた。

 装置を直してはレーダーに当てて罠にかける。ドッキリは何度か続いて、見事に全て引っかかってしまった。結局、施設を通り抜けるまで先輩の楽しそうな笑い声は続いた。


 晴れたといえるくらい雲は減って風が遊園地を流れる。どこかから飛んできた虫が雑草から飛び立って、構えていた鳥に食われていた。けれど肝心の太陽はほとんど陰っている。


「ようやく後一つになったけど……どこから直せばいいんだろ、これ」


 先輩の声は震えて冷たい。残った施設は今までのどれよりも明らかに惨事だった。穴の開いた待合室の屋根、崩れた仮設階段、開けられないロッカー。小さい課題だけでもたくさん。最大の問題は車両の墓場だった。時々落ちてきては潰れて。繰り返してサイズが大きくなる。他の施設を調整している合間にも振って来たらしい、一回り成長していた。


「小さなところから解決していきましょう」


 階段をスロープ付きで直して、ロッカーの鍵を復活させる。入口に残っていた車両内に異常が無いことを確かめて、念のためにとレールへ得物を振っておく。反対側のレールが灯った。先輩に肩車してもらって、屋根に昇って修理する。落ちてこなさそうことを確かめると先輩は下に戻っていった。


「後はここだけでオッケーかな。蓮君、私の周りに危険物はなさそう?」

「こちらから見る限り大丈夫です」

「了解。それじゃ私の無念の思い出を晴らしていこっか」


 先輩が懐古するように一つ一つ車両を叩いていく。壊れた車両は淡く消えていって、光が天に昇っていく。蛍を思い出すような神秘的な光景だった。

 見とれていたからだろう、僕は初動を取り逃した。電動式特有の静かな音で車両は発進する。

 山は随分と小さくなって、残った数個へ礼をしつつ減らしていく。震える手を無理矢理抑えて高鳴る鼓動を無心で遮って。声を掛けられる状況じゃなかった。車両が平地を通り抜けて小さい山を通過する。せめて写真を撮って先輩に見せてあげよう。光を拡大してどんな形か映してみて……ようやく原因にたどり着いてしまった。


 一際大きな頂点の下り始めにできたコースの膨らみ。緩んだねじがレールとレールのつながりを断っていた。

 空間が離れていたから直ってくれなかったのか。どうして下から気付かなかったのか。理由を考えている余裕はない。

 先輩に逃げるように伝えるか。瞳を閉じて瞑想しているせいで見えていない。大声で叫ぶか。トラウマを再現して怯えてしまうかもしれない。知られるだけでも失敗は明らかだった。

 何も知らない車両はぬくぬくと大きな坂を昇り始める。風が僕の背中を叩いてせかす。今から屋根を飛び降りて間に合うか。人が歩くスペースが足りない。装置を止める管理室は死角。ここから解決するしか筋はない。

 手に持ってなくてもパッチを当てれば直る。であれば投げればいいのではと思い当たる。けれど障害まで見積もると直線距離で約七十メートル。一般人にはとうてい届かない。

 寿命の終わりを感じることなく車両はのうのうと坂道の半分を通り過ぎた。残された時間は十秒少々。失敗覚悟で叫ぼうとする直前、義姉を失った少年たちを思い出す。

 

 子供たちは天高く飛ばされたボールの軌道を読んで構えた。

 梓澤君は百メートル近く離れた目標地点へパスを通し切った。

 棗は分厚い素材でできた的へ風穴を開けるくらいの力を込めた。

 理想の動作は知っている。

 

 虫さんは新しい世界を伝えて、行くべき道を教えてくれた。

 先生は後ろから僕たちを支えて、少数派の弊害から守ってくれた。

 重原君は僕の無茶を受け入れて、貸し借りじゃない関係を築いてくれた。

 先輩は誰よりも僕の手を引っ張って、限りなく広い世界の数々へ導いてくれた。

 思い描きたい未来は定まっている。

 そのためであれば世界の一部を変えられると心の底から信じていた。


 力強く息を吐いて吸う。得物を掴んで身体を揺らす。回転の勢いを活かすような術を僕は見様見真似にしか使えない。けれど目標に当ててやるという意識は人一倍強かった。

 坂道を八割、九割と乗物が進んでゆく。あれに当たっても根本的に解決しない。力を貯め続ける。狙うは落ちる直前の一瞬。

 不思議と到達地点が周り行く視界に映る。一瞬でも世界が欲しい、わがままなエゴを力の限り得物に込めた。直感がここだとタイミングを告げる。今度こそ逃さずに全てを放つ。

 弧を描いて想定通りの軌跡を通ってゆく。屋根に立つ分の力を持っていってしまって、見届けることはできなかった。強く金属が叩かれた音と、勢いよく坂を下って回転する車両が全ての無事を物語っていた。


「脚立を持ってくるからそこで待ってて。お疲れさまって言いたいんだけど、あと一つ残ってるんだよね」


 いつからか見届けていた先輩が大きく透き通った声をかける。墓場の車両は全員成仏して、光の飛沫となっていた。空に浮かぶ太陽は満面の笑みを浮かべて、彼らを包んで消していった。


 アトラクションとアトラクションの間に植物で作られた柵があったらしい。灰色の土と石ころしかなかった土地に草木が生い茂っていた。抉れて、千切れて、倒れて。できたばかりの環境を壊した先に得物はあった。傷一つみられない。安心してリュックにしまって背負う。そういえば何かを忘れていないか、待っていた先輩の元へ急ぐ。


「もう忘れ物はないかな? 玉手箱を開いてみるとしよっか!」


 中央エリア、元いたステージの周り。人知れずトラウマの元が駆除された先輩はわくわくしていた。地図にあった建物はほとんど無くなって、少し寂しい印象を覚える。

 思い当たるものを浮かべて、忘れ物を見つけ出した。


「観覧車は修理しなくていいんですか?」


 中央エリアのシンボルともいえる観覧車はゴンドラが足りていない。外側のアトラクションが新品さながらになった今、独りだけ不安定な動きを続けていた。色鮮やかに見えるようになった分、無機質な色彩も孤独感を増やしている。

 リュックから得物を取り出そうとして、先輩の手に止められた。


「だって生まれ変わらせるんだもの。茜ちゃんから貰ったフォルダをみせて」


 何でせかしているのか。分からないけどきっと良いものに違いない。端末を操って目的のフォルダを開いて渡す。先輩は文字列のファイルから目的のものを探していた。これじゃない、いらない、なにそれ。ぶつぶつと所々に反応する。一際長い文字数で書かれたファイルを指して止まる。先輩の口角が自然と上がっていた。


『仮想世界に大きな変更を加えます。空き容量および空間が取られているか確認してから実行してください』


 警告メッセージが表示されたとたん、前に直方体の枠が現れる。透明な青色に観覧車も囲われていた。シンボルが飲み込まれる。おつかれさまと心の中で黙とうを捧げた。

 先輩は一目見て実行ボタンを押す。効果音はなかった。所詮データだというようにだるま落としで消えてゆく。ゴンドラのてっぺんが消えたとき、下側から別のゴンドラが姿を出した。今度はゴンドラを振り回さず、ゆっくりと同じ速度で回っている。何回か繰り返して、同じくらいの大きさの観覧車に変わっていった。


「A-D15A42-F42IE3314。直接言ってくれれば喜んでみせるのに。折角だから一緒に乗ろうよ!」


 先輩の手を握る。今度は引っ張られないように。隣に立って乗り込んだ。

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