2つの経歴に分岐した患者

『件名:【緊急】白石君主体による修理依頼 明日までに連絡求』


 先生から送られたメッセージへ最初に抱いた印象は疑惑だった。一か月前にアルバイトを初めて先輩に頼りっきりだった少年。それが研修一つで主体にまで昇格させるのか。

 改めて本文を読み直すともっと深刻な問題が隠れていた。送信日が昨日の日付になっている。現在時刻は17時過ぎ、空の一部が赤くなり始めていた。停まってしばらく経ったのだろう、いたのは爆睡していた僕たちだけ。運転席の方を見ると、運転手さんは手持無沙汰にタブレットを弄っていた。


 不安定な姿勢は足腰への負担を増す。質の悪いことに睡眠による回復を超えているらしい。筋肉痛の足腰は痛みで起き上がることを拒絶していた。もっと寝ていたい、できれば月が地平線へ帰っていくくらいまで。そんな悪魔のささやきを跳ね除けるかのように、ひじ掛けを思い切り後ろへ押し込む。反動の勢いのままに駆け出す。感謝の意を伝えると運転手さんは上ずった声だけで応答し、すぐさま画面の方に視線を戻す。


 いつも以上に無人の校庭の、大きな木の下に例の犬がいた。たいていが昼食時に来て、小一時間グラウンド近辺で遊んで帰っていく。陽が傾いている頃まで犬がいるだけでも珍しい。それ以上にくるくると目まぐるしく身体を回転させている様子が可笑しかった。痛んだ足が立ち止まることを誘惑する。折れかかってベンチを見ると、人影が1つ。人気が多い日中時でも安定の空席なのに、どんな人が残っているのか。


 もう少し近づくと少女はタブレットを器用に複数台操作していた。タップ音が聞こえるくらい素早い動作で、犬の動きと連動していた。まさかと目を凝らすと、花壇の隙間や大木の枝と枝の合間、はたまた空にまで自律型機械がカメラを構えている。カメラを避けようとした結果だったのか、犬の奇行に納得がいってしまった。


「研修お疲れ様って労いたいところだし、急いで話さなくちゃならないこともあるんだけど……丁度良いところだからちょっと待ってて」


 犬の奇行の犯人は先生だった。スーツ姿の少女が、巧みに装置を駆使して、そんじょそこらの犬を追い掛け回す。先に連絡を入れておくべきだったかもしれない。


「連絡もなく遅くなって申し訳ありません。どれくらい待っていてくださったんですか?」

「たぶん30分くらい。最初は蓮君を待っていたついでにさっさと済ませる用事のはずが、こうして対抗してくると最後までやり遂げたくなってきちゃって」


 僕の方へ向いていない。ベストショットを求めてカメラを飛ばす。


「申し訳ございません。お忙しい先生に暇を作ってしまった挙句、常識の外へかっ飛ばしてしまいました」


 どれくらいここにいるか聞くと、犬へ憤りが湧いてきた。犬も即座に被写体になってくれ。手間暇をかけさせて、更によく分からない挙動に走らせるとは。


「私はコメをこの学校のアイドルに仕立て上げようと思ってる」


 花壇の隙間の機体が草の道を駆ける。犬の視線が動くと前足に力を込めた。機体はフェイントをかけてタイミングを伺う。後ろを飛ぶ機体を避けるついでに、バックステップでテンポを外す攻防一体の構え。隣の先生の息が詰まる。

 果たして何の勝負なのか。展開に付いていけない僕は平和的な解決を求めた。


「犬は校内で尾行した限り住所不定です。貴重な甘味を上げようとすれば微妙な表情を浮かべて、人の初任給で得た肉を堂々とかっさらうような犬です。身だしなみは水浴びでもしているのか一般野良犬よりか綺麗ですが、とてもご当地アイドルが務まるスペックをしていません」


 犬の価値を正当に見積もることで先生の意欲を落とす。そうすれば犬はきっとどこかへ帰ってくれる。僕の期待は早々に打ち砕かれた。

「21世紀における編集技術の進展は凄まじいの。元データを取っておけば、コンピュータ上で内蔵の動きまで凄まじい画素で再現できて、期待通りにダンスさせるくらいお茶の子さいさいなの! たとえ性格がわるわるだとしても見た目だけで花丸です」


 昨日先生は寝ていないのではないかと邪推する。疲れを化粧で隠しても、興奮具合が空元気な気がしてならない。花丸を描き、暗く笑みをこぼしている先生へどう返せばいいのか。

 6月初旬にしては珍しい涼しく乾いた風が、僕たちを貫いた。先生の勢いがみるみる下がり、犬も横を過ぎるカメラを無表情で受け入れた。ボタン一つでカメラの同期を止めると校舎へ帰っていく。それらを見届けてようやく犬はうつ伏せで倒れ込んだ。30分余りの無意味な勝負は、救いによってあっさりと決着した。


「メールの詳細について聞いてもよろしいでしょうか。特にどうして僕が主体で行動することになったのかについて教えてください」


 先生が顔を伏せると、比較的薄れていない地毛の頭頂部がよく見える。混ざった白髪が今の苦難を物語っていた。大きく息を吐くと、ベンチから飛び上がるように立ちあがる。


「誰に聞かれているかも分からないし、職員準備室で話しましょうか」


 傍目から逃げるように職員室へ向かっていく。何を避けようとしたのか、正体は分からなかった。


 いつも通りに自由席な靴箱で靴を変えて、時折のように職員室の扉を叩く。入り口の用務員へ用件を告げて、ようやく慣れた職員準備室へノックをする。背筋を伸ばした所作と、入って早々向けられた深いお辞儀。どういうことかと考える前に、用件を聞くことに集中した。


「修理部門の職員である白石蓮に依頼があります。依頼主は探査AI、患者は十代女性。緊急かつ放置した際の損失の大きさから、余程の事情がない限り拒否権は認められません」


 柔らかい口調が皮で覆われ、典型的な上司のように冷徹に用件を告げる。でも一方的に断定できるのであれば、どうして謝ったのか。


「……実は個人的な都合が7、8割なんだけどお願い」


 耳元で真相を告げても、用件の重さは変わらない。先生はそのまま後ろに回って、扉の取っ手をがっしりと押さえた。絶対に逃がしてなるものかというニュアンスが心の声として聞こえる。利き手を精一杯伸ばして、少しでも背中を押し出そうと頑張っていた。


 重大な案件と聞いて逃げ出せるほど、貰った恩は小さくない。促されるままに応接用の机に向かった。

 数束のプリントが縦に積まれて構えていた。文字一色で、直感で理解できそうにない報告書だと予想される。席に着いたことへか、先生は大きく胸をなでおろす。奥の席に先生も座って本題に入っていく。


 最初に渡されたプリントは少し厚めのものだった。患者の犯罪歴や共用空間の使用権限の抹消、仮想空間の異常確率などが上の表にまとめられ、下部は詳細な用件が語られている。○年×月△日~◇年△月×日において不鮮明なゲートウェイの利用履歴が37件観測。患者の共用空間-仮想世界間のパスを悪用して機密情報を搾取した疑惑。経歴不明、目的不明。共用空間に悪影響を及ぼす因子の可能性あり、修理部門の観測求。推定によってまとめられた報告書は、素人に見る気を失せさせるには十分な代物だった。


「探査AIの報告書って箇条書きで人っぽさに欠けている。だから過去の経歴と現状だけから結論を導き出す。患者の心身の問題とか管理部門の手間暇とかを無視して、統計の外れ値全てに対して報告書を送ってくるの。建前として見せたんだけど、蓮君にはこっちの方が大切だと思う」


 先生の口調は日常会話のものに戻っていたけれど、表情は晴れていない。

 次に渡されたプリントの束は、左上に大きく「機密情報 転載禁止」と赤の電子ハンコが押されていた。かつての面接の際、タブレット越しに見せてもらった通知簿。公的な書類のはずなのに、映っている顔写真は友達とはしゃいでいる低課程の姿。決して十代の少女ではない。写真を一先ずスルーして、経歴の方へ通す。


 17年前に産まれた彼女は、一月も経たずに共用空間に接続された。唐草地区で共働きの両親のもとで育てられる。毎週のように旅行へ足を運び、近隣住民にとっても有名な家族だった。6歳のとき唐草地区最大の公立学校へ入る。学力および成績は上位2割ほどで、担任からのコメントには『友達付き合いとしては、先輩後輩を巻き込んで輪の中心となって導いていく子です。授業態度は良く悪戯はしないけれど、時折想定外の行動をしでかすところに注意が必要です』と書かれている。潰れかけた部活動を復興させて、全国大会に3度出場を果たしたという驚くべき業績も、想定外の1つとして載せられるほど情報過多であった。

 彼女の偉業の数々は4年前に突如止まった。病気にかかった、使用権限が失われたという一文さえないぶつ切り。一段落上に残された情報は、数か月前の転校と全国大会の出場。その年の評価が空白なところに闇を感じた。


「それでこっちが共用空間のデータベースに登録されていた患者の履歴。照らし合わせれば、どういう末路を辿ったのか分かるかも」


 プリントの束は2つに区切ってくっつけてあった。指示に従うと、百何十年前の教科書を思わせるものが出てきた。単体では辛うじて意味が伝わるような不自由な代物で、所々に妙な空白が見られる。さっきの通知簿と比較してみると、個人を特定できそうな情報全てが白に書き換わっていた。住んでいた地域名、学校名、担任、趣味や特技といった隅々まで徹底的に消されている。顔写真も1枚目と全然違う。死んだ瞳の少女が制服を身にまとって、淡々と撮られている。こちらの少女には人生の続きがあった。学校に通わず只々課程の条件を満たして、年齢相応に過程をあげていく。担任も語るエピソードがなく、コメントも『黙々と基準を満たしていく生徒です。今後の発展を祈願しています』といった抽象的なメッセージとなっていた。


 きっとこれだけを見させられれば、達観した没個性な一人の少女として受け入れられたはずだ。しかし、重ね合わせると違和感が膨らんでくる。数週間前に聞いたような経歴と、ありふれた少女の記録。初心者が見ても同一人物なのか疑わしく思えてしまうほど、雑な加工が為された代物である。

 先生の顔を覗くと、反応の全てを覚悟して待っているようだった。どうして僕に任せようと思ったのか、今だったら一つの推測が経つ。


『自分で言うのもあれだって思うけど、一般的な生徒の経歴だったよ』


 教室での思い出は今でも明確であった。お調子者のように見えても本心を曝け出さず謙遜しているような人。あの人であればたとえ全国優勝していたとしても、適当にはぐらかしてくるのではないか。もし思い描いている人が患者当人なのであれば、正しいのはあっちだと信じられた。


「どちらが本当の経歴なのでしょうか?」


 確信めいた答えを期待して先生へ問う。質問に対して真剣な表情が一瞬ほほ笑んだ。過去で一番患者に対する想いが強そうだと伝わってくる。見た目が十年ほど前でも、名前が隠されていても。稀なことに推測は真であった。


「蓮君の思った方で合ってる。名前を告げなくても、答えに辿り着いてくれて私は嬉しいよ……空白部分を追記すると、半年近く仮想空間に引き籠った後に情報系の学科に転入。そのあたりから修理部門で活躍してくれていて、今ではここのエースとなってる」


「是非先輩の修理依頼を担当させてください」


 時間が惜しい。会話を幾つかすっぽかして決意を告げる。やることは決まっているのだ。




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