第4話:埋められない愛情

前回までのあらすじ:

 オーバードーズをしているという偽の記事が流されてしまった空。そんな空を心配して、桜良は家を訪れることに。しかし、ドアから顔を出したのは、考えられないほど真っ青な顔をした空であった。「Ifに会おう」と訴える桜良であったが、空は桜良を怒鳴りつけてしまう。放心状態であったが、一度帰宅する桜良。そして、空を救いたいと考えるようになるのであった。

 しかしその帰り道、桜良は母とその愛人、ケントと出会ってしまう。ケントに手を引かれ連れていかれそうになるが、偶然居合わせた遥輝が助けに来る。反抗する2人に対し遥輝はスマホに録音していた、桜良が2人にされた仕打ちを話す音声を流し、撤退させる。しかし同時に桜良は、いつも助けられてばかりの自分の不甲斐なさに気づいてしまうのであったーーー。


**********


「ごちそうさまでした」


「課題あるので、部屋戻ってます」


そう言って、私は部屋のドアを閉めた。本当は課題なんて今日出てないのに、嘘をついてしまった罪悪感が私を襲う。だけどそれよりも私の頭の中を埋め尽くすものがあった。


部屋に置いてあったままのスマホも見るけど、何も返事は来ていなかった。


『明日、夜9時に待ってるから』


 その連絡に対して、既読すらついていなかった。変えようのない事実に、小さくため息が出る。追加で何かメッセージを送っておこうかとも思ったけど、今日の彼の怒鳴り声がフラッシュバックする。


『桜良に俺の何がわかる!!』


「…全部、知ってたんじゃなかったの……?」


 ずっと、空と一緒だった。好きなものも嫌いなものも、なんでも知ってるかと思ってた。どんな時でも明るくて、笑ってて…。どれだけ私の気持ちが暗くても、空の笑顔を見れば、少しだけ晴れる気がした。少しだけだけど、心の中で笑えた。


 どうしてああなっちゃったんだろう。


 なんで?…なんで……なんで……?


 ひたすら同じ言葉しか出てこなくて、首をぶんぶん振る。言葉を頭からひたすら追い出して少しだけ深呼吸をして、頭の中を一つずつ整理する。


 あの新聞は、嘘なはず。理由があるわけではないけど、空はオーバードーズなんてしていない…と思う。もししていたなら、もう少し、私みたいに体に何か異変があるはず。あと、人混みが苦手、ということも聞いたことがない。


 なのに、あの時…人混みの方を見てた時の空は、顔を尋常じゃないくらいに真っ青にしていた。冷静なことが多いのに、あんなに取り乱した空は、見たことがなかった。


 あともう一つは…。


「優日くん、空と何かあったの……?」


 たしかにそう考えてみれば、最近空と優日くんが一緒に行動してるところは見ていなかった。けれど、何かあったなんて、全く聞いてもいないし気づきもしなかった。もしかして、私が自分のことで精いっぱいになってただけ……?


 もしそうだとしたら……。


「ほんと、不甲斐ないな、私……」


 もしそうなのだとしたら、なんで気づいてあげられなかったんだろう。


 気づいてあげられなかった自分自身に嫌気がさして、先輩に呼ばれるまで、ずっと暗闇の中うずくまっていた。


**********


 ふと目が覚めると、部屋の中が真っ暗になっていた。急いで電気をつけて、テレビをつける。特に自分に利益があるように思えない情報ばかり、テレビの中の人間は話している。


「くだらねぇ……」


「…そうだよね、お母さん」


 「優日へ」そう書きだされている切れ端をもって、破れまくっているソファに寝転がる。ふと目を閉じると、昔のことをなんだか思い出してしまう。この手紙を持っているといつも、夢の中で母に会える気がした。


―――、お母さんに。


**********


 お母さんは、家にいなかった。小学校から中学校の時なんかは、帰ってきたら置手紙が置いてあった。「ご飯冷蔵庫に入ってるよ」だとか、「学校で配られたプリントあったら持ってきてね」だとか。唯一顔を合わせるのは、休日のわずかな時間だった。


 そのわずかな時間は、俺のお願いを聞いてくれた。


「優日、今日の夜何食べたい?」


「うーん…ハンバーグ食べたい!」


「この前も食べなかったっけ?」


「お母さんのハンバーグおいしいんだもん!」


「ふふ、ありがとう。じゃあ、また作って冷蔵庫の中に入れておくから、チンして食べてね。お母さん今日もお仕事あるから」


「……うん、わかった」


 そしてこの時は、お母さんが何でそんなに働いているのか、よくわからなかった。本当はもっと甘えたかったし、もっと話したかった。だから、なんでこんなに働く必要があるのかすら、よくわからなかった。


―――あの時までは。


高校生になって、1年くらい過ぎたある日。家のインターホンが鳴った。モニター付きのインターホンなんか我が家にはないから、俺は安易な気持ちでドアを開けた。


そこには、漫画とかに出てきそうな真っ黒な服に、俺よりも10cmくらい背の高い男の人が何人も立っていた。


「あれ、お坊ちゃん、おひとり様?」


「そうですけど…何か、用ですか?」


「お母さんいないのかぁ……じゃ、話は早いかな」


「……?」


「お母さんがどこにいるのかわかる?」


「…知らないです」


 何が起きているのかわからなくて、おそらく人から見たらポカンとしている俺の様子を見て、男たちは顔を見合わせて笑った。目の前の大きい男たちの急な大きい笑い声を聞いて、自分の体がこわばるのが嫌ってほどわかった。


「あー…すまんね、お坊ちゃん。ほんとにあのババア言ってねぇんだな」


 男がそう言うと、周りの男たちもガハハと笑う。


「…何をですか」


「お前をお金の代わりにするって話だよ」


「……え」


 俺を……お金の、代わり……?


 何を言っているのかわからなくて、うつむく。


 男たちの言うがまま、家の中に男たちを通す。本当は通す気なんかなかったけど、勝手に靴を脱いで勝手に上がり込んできた。


 どうやら、生まれた頃にはいなかった父親が、莫大な借金を背負っていたらしい。それを頑張って返済しようと思ったものの、約束である中学3年生の春、お母さんは返済できなかった。


 代わりにお母さんは、もし返済できなかった場合の対応策として、俺を条件として出した。高校生の春に、自分の息子をお金の代わりに差し出す…と。


「そんな、人身売買とかいうとんでもねぇ手ではねえよ」


 そんな話を聞き、真っすぐに目を見れない俺を見て、1人のリーダー格っぽい男は口角を上げながらそう言った。


「俺たちの仕事のために、代わりに働いてもらうってやつさ。もちろん、学校は行けなくなるけどな」


「……」


 俺は何も言えないまま、ただ手を引かれた。


 もう、何もかもどうでもよくなった。


 お母さんは、俺を差し出すつもりだったんだ。美味しい料理も、楽しい話も、全て嘘だったんだ。そう、思うことにした。



「―――優日!!」


 ふと顔を上げると、目の前にはお母さんがいた。俺のことを固く抱きしめてくれた。走ってきたのか、体からは汗のにおいがした。けれど同時に、暖かかった。


 視界がお母さんでいっぱいになる中、男たちの怒声が頭に嫌ってほど響いた。ショックからなのか…安心からなのか、それとも別の何かなのか…、しばらく、俺は気を失っていた。



*****



「優日くん、西丘 優日くん」


 優し気な女性の声がして、俺はゆっくりと目が覚めた。視界には、警察の制服を着た優しげな女性が立っていた。我が家に似合わない警察の制服に驚いたあまり、急いで体を起こした。意識はなかったはずなのに、どこにも痛みはなかった。


 だけど俺は隣を見て、目を大きく見開いた。


「お、かあ、さん……?」


 それは、お母さんだった。だけど、その顔は腫れているところや血が出ているところがたくさんあって、体からも血が出ていた。ふと体に触れるけど、暖かさはほとんど失われていた。


 そして俺の手のひらには、紙切れが乗っていた。ノートの切れ端を破ったかのような、小さい紙きれ。


『優日へ 夕日みたいに、優しい子に育ってね。 お母さんより』


 お母さんの字だった。間違いなく。


 いつも見ていた、お母さんの文字。


 だけどそれが二度と見れなくなる。


 その瞬間だった。



 それから俺は、祖父母の家に住むことになった。大学生になったら知り合いの家に住まわせてもらえるようになった。だけど当然、祖父母の家にいても、知り合いの家に行っても、俺の心の中の穴が埋まることはなかった。


 最期に守ろうとしてくれていたとしても、所詮最初は俺を捨てようとしてた人。俺を心の底から愛していたわけではない。そりゃ、少しは愛してくれていたのかもしれない。だけど、周りの家族とか、楽しそうに笑う男女とかを見ても、俺の受けてきた「それ」とは違うように感じた。その気持ちは月日がたつごとに、だんだん濃くなっていった。


 高校3年生の頃には俺の心は、墨で塗りつぶされたかのように真っ黒だった。


 そんな真っ黒な気持ちはすぐに、「死にたい」という考えを作り出してくれた。だけど、刃物を手に持ったら急に怖くなって元に戻す。それが何回も繰り返された。


 偶然SNSを見ていた時に、俺は運命的な出会いをする。「自傷行為」その文字通りの意味に、とんでもなく感動した。調べてみると、死にたいけど死にきれない、そんな女子たちがたくさんいた。本当に体に傷をつける者、内側から体を傷つける者…いろいろいた。


 だけど俺が気になったのは、後者だった。


 外側につけるとどうしても人目につく。それで同じクラスのやつらがギャーギャー騒いでもクソうるさい。だったら、内側からの方が、何かといいだろう。自分の中でそう結論付けた。


 「オーバードーズ」


 その言葉を知ったのは、その頃だったと思う。愛に飢えて、死にたくなった俺は、それを中心に探すようになった。


―――そして出会ったのが、桜良ちゃんだった。


 たくさんの白い錠剤を手のひらにのっけている写真。手の構造的にすぐに右手だとわかった。その指の一部はケガをしているのか、絆創膏が貼られていた。


 そして、大学で出会った男子…空が紹介してくれた女子。最初は緊張したけど、右手を見た瞬間、俺の中の緊張はすぐに消え去った。


 オーバードーズしているとは思えないほどの明るい笑顔。


 この明るさの裏に暗い何かがあるのかと思うと、なんだかゾクゾクした。俺の中で、初めて何かが動いた。


 俺が、幸せにしたい。この子の笑顔をずっと見れるなら、俺の中の愛情の溝が、埋まるかもしれない。


 そのためには、この隣にいる雪中 空という男は、


 だけど、いつまでたっても空は桜良ちゃんから離れない。いつも一緒にいる。


 俺とは違って、普通の愛を受けているかのような笑顔。俺は、愛情をまともに受けてきていないのに。普通の家庭のような、男女のような愛を、俺は知らないのに。だけど桜良ちゃんなら、俺の溝を埋めてくれるはずなのに。


 ―――許さない。俺の桜良ちゃんを取りやがって。


 ―――許さない。絶対に。


 明日という日に向けて俺は、最後の準備に取りかかった。

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