第2話 帽子屋 2

「帽子屋(ハッター)……!」


小さく悲鳴のような声を上げてしまい、慌てて口をつぐむ。

非常灯とサイレンが鳴り響く部屋の中、ジャックがアリスの手を掴んで引いた。


「アリス、もっと奥に退避するんだ。万が一ということもある。長老様も、防護壁をおろして下さい」

「待って! 私、まだ聞きたいことが……」


慌てて口を開いたアリスだったが、長老の入っている柱を囲むように、円形の壁がせり上がってきた。

そして外界と柱の中を隔絶してしまう。


「アリス、早く!」


ジャックに手を引かれ、アリスは走り出した。

その脇を駆けながら、ラフィが言った。


「途中で外に出るよ」


驚愕の顔で自分を見下ろしたアリスを見て、黒猫は続けた。


「オリジナルが来てる。この感覚は、間違いなく帽子屋(ハッター)だ。このシェルターはもうだめだね」


ラフィはそう言って、アリスの背に駆け上がると、右肩にぬいぐるみのように張り付いた。

そして耳元で淡々と言う。


「ここの人間たちは皆殺しにされる。巻き込まれる前に、この領地から離れよう」

「でも、逃げるってどこに!」


アリスは走りながら悲鳴のような声を上げた。

そしてハッとして口をつぐむ。

ジャックは自分が言われたのかと勘違いしたらしく、通路を走りながら振り返って小さく笑った。


「大丈夫だ。地下に崩壊も耐えた防御室がある。そこならナイトメアも侵入できないはずだ」


少し先に、沢山の人が通路を走って退避していた。

そして階段を更に降りようとしたところで……。


「アリス、止まるんだ!」


耳元でラフィの大きな声が聞こえ、アリスは慌ててその場に足を止めた。

そしてジャックに手を引かれ、つんのめって前に倒れる。


「アリス!」


ジャックが叫んで身を屈めた瞬間だった。

真っ赤な炎が、階段の下から吹き上がった。

周囲の壁に一瞬で燃え移り、炎はそれぞれ意思を持っているかのように、蛇のごとき動きでのたうち回った。


「何だって……!」


ジャックが押し殺した声で言い、炎からアリスを守るようにその体を抱きしめる。

一拍置いて、二度目の爆発。

丁度二人がいる場所は爆風から死角になり、通路の角になってはいたが、ものすごい熱量の煙と風が体を凪いだ。


「くそ……内部に侵入されたのか……!」


ジャックの毒づいた小さな声を聞きながら、アリスは視界の向こうで、断末魔の絶叫を上げながらボロボロと崩れていく……人間のような黒い塊を見てしまった。

大小様々な黒い塊……焦げた肉の塊達が、炎の中でもがき、苦しみ、金切り声の悲鳴を上げながら崩壊していく。


崩れていく。

なくなっていく。


炎に飲み込まれ、階下に逃げ込もうとしていた人間達が生きたまま焼かれているのだ。


「嫌……嫌……」


アリスは目を閉じて頭を抱えて絶叫した。


「嫌あああああああ!」

「Oh,Happy....day....」


そこでアリスは、耳の奥にやけにはっきりと「歌」を聞いて硬直した。


「アリス、走るんだ!」


ラフィがまた大声を上げる。

反射的に床を蹴り、ジャックの手を引いて今来た道を戻るように駆け出す。


今までアリスの頭があった場所に、正確に湾曲した大鎌が振られ、壁に重低音と共に突き刺さった。

視線だけを後ろに向けると、天井の換気ダクトから、兎のぬいぐるみが上半身を覗かせて、こちらを見た目と目が合ってしまった。


「アリス! アリスだ!」


換気ダクトから頭を覗かせている兎が、けたたましい声で笑った。


「アリスだアリスだアリスだ」


ドチャリ、と肉感的な音を立てて兎が床に落ちる。

続いて、なめくじのように何匹もそこから通路に落ちてきた。


「アリス! また会ったね!」

「再会記念日だ! 嬉しいね!」

「Happy day! Happy day!」


数匹の兎達の数を数えることもできずに、アリスは恐怖で引きつった顔のまま、ジャックの手を死に物狂いで引いた。


「アリス、どこに行くんだ!」


狼狽したジャックが叫ぶ。


「兎が……!」


悲鳴のような声を上げながら、アリスは施設の中を走った。

背後から、短い足でピョンピョンと跳ねながら、兎の化け物たちが鎌を振りかざして追ってくる。


速い。

異様な速さだ。


ジャックは振り返り、炎がなめるように壁を伝って追ってくるのを見て、青くなった。


「あそこにナイトメアがいるのか? 君はナイトメアを、見ることができるのか!」

「ジャックさん走って! 殺されちゃう!」


アリスが絶叫する。

ジャックはそこでやっと状況を理解したのか、慌ててアリスを抱えるようにして、通路脇のエレベーターに駆け込んだ。

そしてボタンを押す。

いやに扉が閉まるのが遅い。


「早く! 早く!」


アリスが通路から兎達が顔を覗かせたのを見て悲鳴を上げる。

ジャックは歯を噛み締めて、エレベーターのドアを掴んで無理矢理に閉めた。

エレベーターがゆっくりと上昇を始めた。


「奴らが……奴らが来てるのか……!」


ジャックの歯から、ギリリと音がした。

見上げたアリスがビクッとして息を呑む。

それほど、彼の顔は憎悪に歪んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る