第32話 ロマンチックでしょ?

 店を飛び出した俺は、駅に向かって走り出した。

 仕事終わりのサラリーマンたちの流れに乗り、周囲を見回しながら走り続ける。

 

 最後の撮影がどこで行われていたのか、それはすでにしずくから聞いている。ここからではとても歩いていける距離ではなく、間違いなく電車かタクシーが必要だ。

 タクシーでこちらに向かっていたなら、もう喫茶店にはついているだろうし、電車しかありえない。

 電車の中でぶっ倒れでもしない限り、しずくは喫茶店までの道のどこかにいるはず。

 

「しずく……!」


 思わず彼女の名前が口から飛び出す。


 そろそろ駅が見えてくるところまで来た俺は、ふと足を止めた。

 そこにあったのは、小さな公園。

 ぽつんと置かれたベンチに、少女が俯きがちに座っていた。帽子とサングラスで顔は見えないが、全体的なシルエットにはとても見覚えがあった。


「……しずく」


「……純太郎」


 顔を上げたしずくは、ひどい顔色をしていた。

 しかし、それと同じくらい、どこか晴れやかな印象も受けた。


「まさか、こんなにすぐ見つけてくれるなんて思わなかったよ」


「やっぱり、稲盛さんに何か吹き込まれたんだな」


 俺がそういうと、しずくは申し訳なさそうに頬を掻いた。


 途中でおかしいと思ったのだ。疲れ切ってフラフラしているしずくを、誰も止めないなんてことがあるはずがない。

 稲盛さんの謝罪も意味が分からなかった。彼女が謝る理由なんて、本来ひとつもないんだから。


「『神保町駅についたら、近くの公園で休んでなさい。迎えを出すから』って言われて、それがすぐ純太郎のことだって分かった」


 ――――のちに、稲盛さんは俺たちに向けてこう語った。


『あのほうが、ドラマっぽくてロマンチックだったでしょ?』


 いたずらっ子のあの人が考えそうなことだ。彼女の謝罪は、自分の考えた脚本に巻き込んでしまったことに対して向けられたものだったのだ。


「してやられたにしては、ずいぶん優しいいたずらだったな」


「あはは……喫茶店から駅までは、ほぼ一本道だもんね」


 しずくを見つけるのは、ひどく容易だった。

 さすがに節度を守ってくれたのだろう。「くれた」というのもおかしな話だが、稲盛さんなりの。大事にならないための配慮というわけだ。

 

「でも、ごめんね? 仕事中だったでしょ」


「歌原さんが気を使ってくれたから大丈夫だ」


「そっか……それなら――――」


 立ち上がろうとしたしずくは、目の前で大きくフラついた。

 とっさにすくい上げるようにして支えると、彼女はたははと苦笑いを浮かべた。


「大丈夫か?」


「大丈夫……ちょっと体から力が抜けちゃっただけだから」


 触れ合っている部分から、しずくの熱を感じる。

 彼女の体は、やけに熱い気がした。高熱というほど具合が悪そうには見えないが、疲労で微熱くらいは出ていてもおかしくない。


「コーヒーを飲みにくるのは、また後日だな」


「えー……」


「えーじゃない。今は体を休めてくれ。この状態のしずくを連れてったら、歌原さんだって怒るぞ」


「そっか……じゃあ、仕方ないね」


 さて、とはいえどうするべきか。しずくを寝かせたいが、そのためにも彼女の家まで連れていく方法を考えなければ。

 この状態のしずくを再び電車に乗せるのは、かなり抵抗がある。となると、やはりタクシーしかないか。手持ちが少ないため、料金を払えるか不安だが、それ以外の選択肢はなさそうだ。

 情けないことこの上ないが、あとで払うと言って、最悪しずくの家族に相談させてもらおう。


 ちょうど公園の外にタクシーが止まっている。

 しずくを連れて向かおうとした矢先、運転手が車を降りたと思えば、何故か俺たちのほうへと歩み寄ってきた。

 

「あの、神坂さんというのは……」


「私ですけど……」


「ああ、そうでしたか。ご予約いただきありがとうございます。どうぞお乗りください」


「え?」


 しずくと顔を見合わせる。すると、彼女は何かに気づいた様子で、ハッとした表情を見せた。


「玲子さんかも……私がここにいることを知ってるのは、あの人だけだし」


「なるほどな」


 電話にも出ないなんて言っておいて、ちゃっかり連絡取ってるじゃないか。迫真の演技に騙されたな。

 何はともあれ、タクシーを手配してくれたのは助かった。

 俺はしずくをタクシーまで連れていき、そのまま乗せた。


「家に帰って、ゆっくり休め。話はまたあとで――――」


「……どっか行っちゃうの?」


「っ!」


 しずくは、幼い子供のような顔で、俺の手を引っ張った。

 切なげな瞳が、俺を捉えて放さない。

 しずくについていってやりたい気持ちは山々だ。少しでも彼女の側にいたい。しかし、このままではバイトを途中で抜けなければならなくなる。どちらにせよ、歌原さんに許可を取らねば始まらない。


「ん?」


 そのとき、スマホが震えた。

 歌原さんから、メッセージが届いている。


『しずくちゃんとは会えた? もし会えたなら、家まで送ってあげてね。今日のバイトはもう上がりでいいよぉ〜』


 本当に、あの人には敵わないな。

 

「分かった、行くよ」


 そう告げて、俺はしずくと共にタクシーへ乗り込んだ。

 

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