第30話 妄想、荒ぶる

 しずくが寝入ってから、しばらく経った。

 もうすぐ昼休みが終わる。そろそろ起こさねばならないことは、重々承知しているのだが……。


 ――――起こしにくいな。


 しずくは、まるで赤子のように眠っている。

 その寝顔には、神聖さすら感じた。透き通った肌に、長い睫毛。唇には潤いがあり、髪はよく手入れされているのか、彼女がわずかに身じろぎするたびにサラサラと流れた。

 まるで、精巧な人形のようだった。どんな宝石よりも、しずくのこの寝顔のほうが美しく見えるのは、きっと俺だけじゃないはず。

 この眠りを妨げるというのは、罰当たりな行為ではないかと思った。

 しかし、授業に出ないというのは、俺たちの行いを許してくれている真宮先生に顔向けできなくなる。

 俺は罪悪感に苛まれながらも、優しくしずくの体を揺り動かした。


「しずく、もう起きろ。授業始まるぞ」


「ん……」


 起きることを嫌がったしずくは、もぞもぞと体を動かす。

 それが、やけにこそばゆく感じた。


「ほ、ほら、起きないと」


「う……ん……? あれ、純太郎……?」


 しずくは周囲を見回したあと、俺と目を合わせた。

 そして徐々に状況を理解して、目を見開く。


「私、寝ちゃってた?」


「ああ、スヤスヤだったぞ」


「ご、ごめん。足痺れてない?」


「大丈夫だ。それよりも、そろそろ時間がやばいぞ」


 時間を確認したしずくは、「あちゃー」という顔をした。


「せっかく二人きりの時間が……」


「ん?」


「な、なんでもないよ」


 慌てて取り繕った彼女は、半分ほど残っていたアイスコーヒーを飲み干した。


「待たせてごめん。行こうか」


「ああ」


 そうして俺としずくは、宿直室をあとにした。


◇◆◇


 ――――不覚だ。


 教室に戻ってきた私は、次の授業の準備をしながら反省していた。

 まさか寝てしまうなんて。いや、寝てしまったことに関してはまだいい。むしろ少しでも寝れたのだから、喜ぶべきだ。

 問題なのは、純太郎との時間を覚えていないこと。

 忙しい中にある、貴重な二人きりの時間。私はそれを一秒たりとも無駄にしたくない。そんな貴重な時間を睡眠に当ててしまったことを、私は後悔しているのだ。


 しかし、あの膝枕は本当に素晴らしかった。

 

 ちょうどいい高さと硬さ。そして何より、純太郎の匂いが濃く感じられた。耐え難い眠気に襲われていたとはいえ、あそこまで快眠できたのは、間違いなく純太郎がいてくれたからだ。


 もしかして、毎日一緒に寝てくれたら、毎日快眠が続くのでは?


 これは名案だ。あとで純太郎に提案……できるはずもないか。

 毎日一緒に寝てほしいだなんて、それはもうプロポーズでしかない。さすがにそれは飛びすぎだ。まずはゆっくり付き合っていって――――そうだ、三年くらいは恋人の時間を楽しみたい。

 それから結婚して、二年は夫婦の時間を楽しむ。その先は、子供のことを考えよう。


 ――――いや、待て。


 今から三年付き合ったとして、二十歳で結婚?

 それから二年後に子供のことを考えたら、私は二十二歳で母になる。


 待て待て待て。純太郎との家庭には憧れるけど、いくらなんでも早い気がする。早く子供を生むことを否定するわけじゃない。あくまで私にとって、二十二歳は早すぎると感じるだけだ。理想は……二十七歳といったところだろう。

 というか、そもそも純太郎は子供を欲しがるタイプなのだろうか。

 

 ああ、もう、純太郎との生活について考えていると、無限に妄想が広がっていく。まだ付き合っているわけでもないのに、私は何を浮かれているんだ。

 まずはどうすれば付き合えるのか考えるべきだ。今のところ、勝負どころはドラマ撮影後のご褒美デート。告白するタイミングとしてはもってこいだ。

 ここまで強い想いを抱えてしまったら、告白を待つなんてまどろっこしい真似はできない。待っているうちに誰かに奪われる可能性だってあるんだし、うかうかしていられない。


 どこで告白しよう。

 遊園地の観覧車……いや、水族館も捨てがたい。薄暗くて神秘的な空間は、私たちを“いい雰囲気”にしてくれるに違いない。

 水族館、いいな。大きな水槽の前に二人で並んで、様々な海の生物たちに祝福されながら、結ばれる――――素晴らしいプランじゃないか。

 よし、水族館だ。水族館にしよう。


 仮眠を取ったおかげで眠気は消えていたが、妄想に浸りすぎて、結局午後の授業は何一つ頭に入ってこなかった。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る