第13話 アイスコーヒー

「最近さ……やたら暑くない?」


 また別の日の話。

 喫茶メロウに来たしずくは、胸元をパタパタと扇ぎながら、気だるげな表情を浮かべていた。


「もう六月も中旬だしな。夏っぽくなってきたってことじゃないか?」


「夏……夏かぁ。あんまり好きじゃないんだよね」


「暑いからか?」


「それもあるけど……日焼けとか、あと化粧崩れとか? 蒸れるのも好きじゃないし……」


「嫌なことだらけだな……」


「みんながパーっと明るくなる感じは好きなんだけどね。開放的な気分になるし」


 俺も夏自体はあまり好きではない。

 暑いのは苦手だし、食事も億劫になる。

 しかし、まったく楽しみがないってわけではない。


「夏はアイスコーヒーが美味くなるから、それだけで許せるな」


「アイスコーヒー……そっか、アイスコーヒーか」


 ハッとしたしずくは、もうほとんど残っていなかったコーヒーを飲み干した。


「早速なんだけど、アイスコーヒーも頼んでいい?」


「もちろん」


 歌原さんに注文を伝えると、彼女は指で丸を作って了承の意を示した。

 

「素朴な疑問なんだけど、アイスコーヒーって、ホットコーヒーを冷やした物じゃないの?」


「間違ってないぞ。ただ、気をつけないといけないことがあって……」


「?」


「アイスコーヒーを淹れる時は、冷たくするのを考慮して、苦みの強い深煎りの豆を使うんだ」


 人は冷たい物を口に含んだ時、苦味を弱く感じ、酸味を強く感じるらしい。

 浅煎りの豆は、苦味がまろやかで、酸味があるのが特徴。

 つまりアイスで飲んだ時に、もともと弱い苦みはさらに弱く感じ、もともと強い酸味はさらに強く感じてしまう。

 それを苦手とする人は多いため、アイスコーヒーには苦味が強く、酸味が控えめな深煎り豆を使うのが一般的だった。


「へぇ……じゃあ浅煎りはホットのほうが向いてるってこと?」


「それは好みとしか言いようがないな。飲みやすくはあると思うけど、苦味が好きな人はホットでも深煎りを飲むだろうし……アイスコーヒーには深煎りが使われがちってだけで、浅煎りでも好きな人はいると思うぞ」


「なるほどね。難しいね……コーヒーって。体調とかでも好みが変わりそうだし」


「そうなんだよ……」


 人の好みというのは、千差万別。

 だからこそ、全員の好みを把握し、それに合わせて淹れることができる歌原さんは、本物の超人なのだ。


「お待たせしましたぁ~、アイスコーヒーです」


「ありがとうございます」


 テーブルに置かれたコーヒーの氷が、カランと音を立てた。

 冬でも飲む時は飲むのだが、やはりこうしてまじまじと見ると、気分が夏に引き寄せられる感じがする。


「ん~~! 美味しい! めちゃくちゃ飲みやすいです!」


「喜んでもらえてよかったぁ~。おかわり欲しかったらいつでも言ってね?」


「はい!」


 しずくのグラスから、どんどんコーヒーがなくなっていく。

 これはおかわりの要求も早そうだ。

 ちなみに喫茶メロウのおかわりシステムは、一回百円である。


「冷たいし、飲みやすいし……ごくごく飲んじゃうね、これ」


「分かるよ。ホットに比べると減りが速いんだよな」


 水分補給に適していないことは分かっているのだが、特に暑い日はどうしてもたくさん飲んでしまう。

 実はそれによる弊害も会ったりするのだが――――。


「……話変わっちゃうんだけどさ」


「ん?」


「もうすぐ放送されるんだよね……私の出るドラマ」


「あ……もうそんな時期か」


 しずくが主演を張るドラマの放送は、七月からと聞いている。

 話を聞いた時はかなり遠いように感じたが、気づけばすぐそこまで迫っていた。


「一話は取り終えてるんだよな?」


「うん。今は二話の収録がメインで、こっから一週間ずつ撮影してくって感じ」


「イメージと違ったな。撮り溜めして放送してるもんだと思ってた」


「私も最初そう思ってたよ。でも、撮りながら放送するのがドラマの基本らしいよ?」


「へぇ……」


「はぁ……まあ、やりがいはあるんだけどさ、やっぱりスケジュール的には辛いよね。学校に行ける日も減っちゃうし――――って、別に学校に行かなくていいのはありがたいか」


 しずくは、そう冗談めかす。

 しかし、その直前に見せた疲れた表情は、しずくが本音を漏らしている証拠だと思った。

 

「純太郎は、私のドラマ見てくれる?」


「ああ、見るつもりだよ」

 

 友達が出演している――――しかも主役だなんて、そんなドラマを見る機会は、一生に一度あるかないか。

 ドラマにそこまで強い関心はないが、彼女を応援する者として見逃せない。


「じゃあ、感想も聞かせてね。……ついでに、慰めてくれると嬉しいかも」


「……?」


 この日しずくは、これ以上ドラマについて語ることはなかった。

 その言葉の真意を理解したのは、ドラマが放送された、次の日のことだった。



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