55 ベクトルの異なる魔力

「やはり危険だ――」とルイが消えた光のかたまりのそばで、ディレンツァがつぶやいた。

 浮き島に渡って、にぶい光を入念にみつめてからのことだった。

 いつもの無表情のままだったが、なにかしら醸しだす雰囲気が尋常ではなかった。


「危険って、ルイが!?」


 アルバートがその横顔に問いかけると、ディレンツァは一瞬だけふりむき、ふたたび光をみつめる。うなずいたようにみえた。


 アルバートは頚をかしげる。似たような状況だった〈月の城〉のときは、ルイの帰還を待っているだけでよかったからだ。


 レナードが「なんだかみているだけで、落ち着かない気持ちになる光だな」とつぶやき、ベリシアが「それはあなたの心境がそうだからじゃないの?」と指摘しながらも、やはり不安そうな顔をした。

 ウェルニックは祈りをくりかえし、モレロはつばを呑んでのどを鳴らした。

 やがて全員黙りこみ、視線は光のかたまりにそそがれる。


 すると、ディレンツァがアルバートをみて、「いうなれば魔力のベクトルが〈月の城〉のときとはちがう。このままだと、ルイはもどってこられないかもしれない」と早口で話し、左手を胸に当てた。

 そして、目を閉じて口をもごもご動かす。

 魔法をとなえはじめたようだったので、アルバートはさらに問いかけるのをやめた。


 魔力のベクトルがちがう?

 それに、もどってこられない?

 簡単な説明だったが、その意味は明白で、想像すると背筋が寒くなる。


 まるで、背後に黒い大きな闇がせまっているみたいな気持ちになった。

 両手が汗ばんでくる。

 そして、焦りを感じているのはジェラルドたちもおなじのようだった。


 ――魔法が完成すると、ディレンツァの右手がかがやきだした。

 バチバチと火花が散るような烈しさだった。

 それにより、洞内の光虫たちが驚いて、ぐるぐると不規則に動きまわる。


 やがて、右手に帯びた閃光が、にぶい光のかたまりとおなじ明度に変化した。

 ディレンツァが歯を喰いしばっていることから、苦心して創製したことがうかがえる。

 思わず身をのりだしたアルバートを「近寄るな」と牽制すると、ディレンツァは光る右手を、光のかたまりに躊躇なくつっこんだ。


 瞬間、光のかたまりは、はずむようにゆらぎ、その反動からか、ディレンツァの上半身がガクガクゆれだした。

 光に直面しているため、ディレンツァの顔はみえない。


 アルバートはディレンツァを支えたい衝動にかられたが、ジェラルドが「さわらないほうがいい」と制止してきた。


「巻きぞいを喰うだけだ」


 アルバートは眉をしかめたものの、みずからの介入は迷惑にしかならないし、ディレンツァにも意図があるだろうと納得する。


 すると、ルイと女性をつつんでいる光のかたまりが、不自然に明滅をくりかえしながら振動しはじめた。

 壁面にいる光虫たちはあばれだし、突然目前に飛来したコウモリにベリシアが悲鳴をあげる。

 羽をひろげた光虫とコウモリたちが飛び交い、レナードやウェルニックも顔をかばう。

 モレロは意味不明な単語を叫びながら手脚をばたつかせた。


 光は徐々にふくらみ、ディレンツァの全身が呑みこまれたが、直後に――まるで、ばねではじかれるようにして、ディレンツァとルイが順番でころがりでてきた。

 全員がそれぞれに驚嘆する。


 ちょうどルイが自分に向けて後転してきたので、アルバートはそのあたまと背中をうけとめた。

 ディレンツァは、ジェラルドとベリシアがすかさず支援する。


「けがはない!?」


 アルバートが半笑いでうえからのぞきこんできたので、ルイは驚きととまどいで若干顔を赤らめながらも、「ありがとう、私は平気だから」とそっけなく答えてたちあがる。


 しかし、すぐにディレンツァが気がかりになって、見やると――ジェラルドとベリシアに肩を貸してもらって起きあがるところだった。

 困憊しており、目がぎらぎらしていた。

 全身から殺気だっているが、それが死力を尽くした結果であることは明白だった。


「ごめんなさい、私のせいで――」


 ルイが声をかけると、ディレンツァは充血した瞳で、荒い息をととのえ、「いや、どんなかたちであれ、だれかが動かざるをえなかった。あれはあれでいい」とうなずいた。

 

 ルイは苦笑しながらも、たどたどしく「いろいろなものをみたわ。あの女性の――ニーナの思い出とか、その恋人の悲劇とか。〈月の城〉のときと、よく似ていた……」と説明した。


 どこからどこまでの情報が共有できているのかわからないが、ディレンツァは何度かうなずく。

 ルイとおなじぐらいの認識がすでにあるのかもしれない。


「でも、あのままだと、ルイはあぶなかったんでしょ?」


 うしろからアルバートが訊ねる。

 ルイがふりかえると、「魔力のベクトルがちがうんだって」とアルバートが神妙な顔をした。


「ニーナの魔法は、他者に自己の記憶をみせることが目的ではなく、亡き恋人を召喚するための歌声だ。だれも寄せつけたくない〈月の城〉の城主の魔法のベクトルが外向きなら、だれかを呼びつけるニーナのそれは内向きといえる」


 ディレンツァはそこまで話し、つばをいったん飲みこみ、ルイが理解を示すまえにつづけた。


「つまり、ニーナの魔法はルイに向けたものではなく、どこか遠くにいるかもしれないエドバルドを呼び寄せるためのものだ。だからニーナは目的を果たすまで、その魔法を解くことはしない」


 ルイはうなずきながらも、ニーナがあんなに自己を披瀝したのはなぜか疑問に思う。


「ルイが以前とおなじような光景をみたのであれば、それはルイの意思がニーナの意識に共感覚したからだ」


 表情で察したのか、ディレンツァが指摘してきた。

 ルイはあいまいにうなずく。わかったようなわからないような――。

 それでもディレンツァのおかげで、現実に二度ともどれないという状況は回避できたわけだ。

 それを実感すると、ルイは血の気がひく思いがした。


「でもそれだと……」


 ルイは口をゆがめる。


「根本的な解決にはなっていないのね?」


 ニーナが魔法を解いたわけでもなければ、ルイたちの影響でニーナの魔法が解けたわけでもないので、仲間のもとに回帰できたとしても、全員がそのまま「ニーナの世界」の囚人であることは変わらないのだ。

 ニーナを説得したつもりだったが、ニーナはまだ目前にいるし、洞穴は洞穴のままで、呪縛から脱出できたわけではない。

 ディレンツァは迫力ある目つきのままうなずいた。


「あるいは、戦わなければならないかもしれない。生き残るために……」

 

 その視線を追って、全員がニーナをみる。

 ニーナは、ルイが取りこまれたときとおなじように、どこをみるというふうでもなく放心しているみたいだった。


「この人と剣を交えるのか?」


 レナードが眉をひそめる。

 ニーナはたおやかで弱弱しくさえみえ、そこに剣を向けることなど非道にさえ思える。

 それしか選択肢がないならやむを得ないのか?

 だれかが息を呑む音が聞こえた。


 すると突然――地響きのような感覚が足もとからつたわってきて、ルイは跳びあがりそうになる。


「なに……地震!?」


 しかし、目視しても地面の振動はないし、地底湖もゆれていない。

 それでもとなりのジェラルドが、反射的に下半身にちからを入れたのがわかる。

 ルイだけではない。まるで原始の心を怯えさせるような恐怖心が、足さきから込みあげてきたのである。


 アルバートかベリシアかモレロが「ひっ」とかるい悲鳴をあげたり、レナードかウェルニックが、ごくりとのどを鳴らしたりした。

 小船でただよっているところに、鋭利な牙だらけの口をした巨大魚が、海底からとてつもない速度でせまりくるかのような殺気だった――。


 すると、それまで無機物のように静止していたニーナが、ふいに弓矢で射られたかのように身体をのけぞらせて、顔を起こした。

 それはまるで、つぼみが開花するような躍動感だった。

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