38 百年後の花

 時は流れて、〈月の城〉は100年後の春を迎えた。

 なだらかに水面をたゆたうようにして時代は進み、城をめぐる環境も新しくなっていった。

 城の全容はとてもきれいに整備されていた。

 城門はみがかれ、前庭は手入れされ、城壁や外塀も塗りなおされた。傷んだ箇所も修繕され、罠もすべてが除去され、内装の古びたところも修繕された。


 城はひろがる草原のなかで、銀色の満月のように印象的な光をたたえていた。

 そして、そこかしこに春の花が咲きみだれていた。

 人間たちが植樹したものもいくらかあったが、城の敷地にはいつからか風にのってたくさんの種が集まり、芽生え、それに惹きつけられるように多くの妖精や精霊たちが安住していると噂されていた。


 そんなおだやかな春の陽気のなか、三人の親子が街道をたどって城をおとずれていた。

 休日に、城へと散策にやってきた家族づれだった。かれらは早朝に街を出発し、昼過ぎになったいま、ようやく到着したところだった。


 満開の草花の可憐さに母親は手をふれて感嘆し、父親は日常の雑多な生活を忘れて澄んだ空気に深呼吸をしていた。


 周辺をただよっている、どこかなつかしく、それでいて神秘的な気配を敏感に察知していた幼い女の子は、きょろきょろとあたりをうかがいながら頚をかしげたり、近くの草むらをのぞきこんだりしていた。

 運がよければ、女の子は城の影にかくれた妖精たちをみつけることができるにちがいない。


 しかし、しばらくすると、女の子は母親のもとに駆けもどった。

 街から城にいたる長い道のりで、女の子は母親から〈月の城〉の巨人をめぐる話を聞いている最中だった。

 それは母親が、途上で娘が歩行に飽きないようにするための工夫のひとつだったのだが、女の子にはそんなことは知りようがなかった。


「――それで? 星はふってきたの?」


 走りよってきた女の子の唐突な問いに、母親は巨人の伝説が途中だったことを思いだして、頚を横にふった。


「ううん……残念だけど、ブルーベックのところに星はふらなかったわ」


 母親は憐憫の表情をうかべたが、女の子は目を点にしただけだった。話の理解に時間がかかっているのだと思ったが、母親はそのままつづけた。


「それでローチもね、王都のお医者さんが病状を診察してつくった丸薬をのんで、熱をさげることはできたんだけど、間に合わなかったの。体力がね、なくなってしまって。結局ブルーベックの帰りを待ちながら、眠るように息をひきとってしまったそう」


 母親が話し終えると、女の子は「ふーん……」と少し考えこんでから、じわっと淋しそうな瞳をした。


「かわいそう」


 母親は、ゆっくりうなずいた。


「そうね。だけど、ローチが亡くなったあとも、ブルーベックはずっとここで星を待ちつづけたの。もしかしたら亡くなったことを知らなかったのかもしれないけどね。城の門の近くだから、きっとこのあたりなのよ」


 母親がさし示すと、女の子はうながされたまま前庭をみた。


「……ずっと待っていたの?」


 しばらくすると女の子が訊ねた。


「そう、ずっと。だからね、いつしか街の人たちは、みんながブルーベックを信用するようになったの。あの子は決して、いじわるな子じゃなかったってね。とても遅かったけれど、それでも、それってわるいことじゃないでしょう?」


 母親の問いかけに、女の子はくちびるをつきだすように口をつぐんだ。

 言葉の意味をさぐっているのか、なにかべつのことを想っているのか、母親にもわからなかった。

 母親は、熱心な顔の娘をみて微笑した。


「それでね、街の人たちはここで亡くなってしまったブルーベックの名まえを、お城の歴史に残すことに決めたの。伯爵さまにも直談判して、お城の最後の当主をブルーベックにしてくださいってお願いしたのよ。ね、だからいま、私たちはブルーベックのおうちにお邪魔してるようなものかな、ふふ」


 母親はほほえんだが、女の子は返事をせず、前庭のほうを向いていた。

 父親が休憩を呼びかけて、母親が昼食の準備をはじめても、女の子はずっと前庭をみつめていた。

 そこには色彩ゆたかな明るい色の草花が咲きならんでいた。

 それでも女の子の瞳に映っているものがなんなのかは、女の子本人にしかわからなかった。


 やがて、「お昼の支度ができたから、坐ろうよ?」と、母親が近くに呆然とたたずんでいる女の子に声をかけた。


「……ねぇ」


 しかし、女の子は母親に問いかえす。


「ん?」


 ちいさな声だったので、母親が耳をかたむけると、女の子はふしぎそうな顔をした。


「人はしんだら、お花になるの?」


 母親は一瞬とまどいの表情をうかべたが、父親が目を細めてうなずく。


「そういうこともあるかもしれないね」


「ふーん」


 女の子はくちびるをとがらせて、前庭をふりかえる。それでも、すぐにきびすをかえして、敷物のうえにならべられたりんごをとりにきた。


 昼食後、女の子は両親とともにテントウムシをさがしたり、白や黒の蝶を追いかけたり、色とりどりの春の花をむしってみたりして、ときどき草陰にかくれた花の妖精をおどろかせたりしたが、ブルーベックの庭を満喫して過ごした。

 密やかな庭は、だれかのないしょ話のように女の子の心をおどらせたのだった。


 〈月の城〉に入るには伯爵都の許可が必要で、その申請はしていなかったが、「お城にお邪魔したい?」と父親が訊ねても、女の子は「おしゃれしてないから、またこんどでいい」と固辞して、母親を笑わせたりした。


 そして、日暮れまえには〈星のふる丘の街〉までもどらなければならないと、早々に帰途につくことになった。

 片づけをし、荷物をもち、城門までもどると、ひろがる前庭と城のほうをふりかえって、女の子は手をふった。


「ばいばい、また逢おうね!」

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