第70話 "最速の淑女"アレクシス嬢

 全員の姿を見失い焦るのは魔法を放ったマリアだった。


「どこへ隠れた!? カルメンの幻影魔法か!? それともまた幻炎か!?」


 逃げ場のない範囲攻撃を放ったのに当たった感触がなかった。


「もしかして私たちをお探しですの?」


 アレクシスを入れた四人はいつの間にかマリアの背後に回っていた。


「そこにいたか! ならもう一度、オーシャンビューを食らえ!」


 足元から再び溢れ出る高波。逃げ場のない攻撃に逃げる素振りを見せる前に飲み込む。


「今度こそ、やったか!?」

「何度やっても当たらないですわよ」

「また後ろに移っただと!? ならば、ならば、全方位に高波を放てば良いこと!!」


 マリアは高波を全方位に放った。


「今度は趣向を変えましょう」


 アレクシスの声と共に高波は一瞬にして干上がった。


「これでどうだ……じゃない、干上がっているだと!?」

「おーっほっほっほ! 魔法派淑女ならこれくらいちょちょいのちょいですわ!」

「お、おのれ、アレクシス、またしても!」


 マリアは真正面に立っていたアレクシスを睨む。

 ほんの一瞬、ほんの一度だけ瞬きをした瞬間にはアレクシスが目の前にいた。


「淑女ォパァンチ!」


 鳥を象った炎と共にアレクシスは拳をお見舞いする。


「ぐあああああ!!」


 見た目以上の高威力な攻撃にマリアの身体は吹き飛ぶ。


「なぜだ……なぜ私様の攻撃が食らわない……幻影ではない……なぜなんだ……そして今の攻撃は」

「そんなの決まってますわよ。目に止まらぬ速さで超早く動いているからですわ」


 アレクシスは漠然とした答え合わせをする。


「いいや、目で追えずとも私様の皮膚がお前の動きを感知する。あれは……まるで一瞬だった……一瞬のうちに点と点を移っているようだった……まさか……お前……」

「ようやくお気づきになりましたか?」

!?」

「ご明察ですわ」


 アレクシスは静かにほほ笑んだ。


「ありえない、時止めは最高位の魔法……限られた魔術師が何十年、あるいは何百年も研鑽を重ね、ようやくコンマ一秒を止められるようになる魔法を……顔が良いというだけで尻尾を振る犬のような小娘ごときが……習得できるはずがない」

「まあ? 自慢ではありませんが? 淑女の中の淑女であり、魔法派の私がいくら努力しても習得はできませんでしたしょうね。これは偶然の産物であり、そして愛の力でもありますのよ?」


 頬を抑えながらカルロスをちらりと見る。


「え、僕が関係してるの?」

「関係大ありですわ! あれは忘れもしません、初めてのデートの時ですわ。カルロス様が木の上に引っかかった袋を降りれなくなった猫と勘違いして助けようとしたの覚えてますよね?」

「覚えてる! 忘れたいけどしっかり覚えてるよ! そのあとうっかり木から滑り落ちてしまうんだ! レディである君に受け止めてもらって怪我なく済んだけどね! いやちょっと心に怪我したけども!」


 恥ずかしい過去を掘り返され半泣きのイケメンに、


「わかる……わかるぜ……」


 イバンがぽんと優しく肩に手を置いて同情する。


「あの時ですわ。時止めの能力に目覚めましたの。あの時、心の中で強く思いましたの」


 アルフォンスが手を叩いて感動する。


「お兄様を助けたい一心で力が覚醒したんだね!」

「ふん、お前にしてはちょっとロマンティックじゃないか」


 カルメンも少し乙女心がくすぐられる。

 アレクシスは続ける。


「ああ、落下するカルロス様もなんて稀少で素敵なこと、一生眺めていたい、時間が止まればいいのに、と思いましたの」


 全員が「は?」と言葉にして出した。

 アレクシスはいついかなる時も面食いである。イケメンが絡めば最高位魔法も習得してしまうのだった。


「そう、これは私とカルロス様、愛し合う二人から生まれた奇跡の力ですわ!」


「いや、面食いの貴様が勝手に覚えただけだろう」

「カルメン。空気読んで大人しくして。正論だけど」


「というわけで私はこの魔法に"最速の淑女レディファースト"と名付けましたわ。どうです? あまりのネームセンスに嫉妬で心が焦げてしまうでしょう?」


「全然だな」

「しっ! カルメン!」


 幸い二人の声は聞こえていない。アレクシスは自分の世界に浸っている。


「ふざけるなよ、小娘! 時止めのような最高位魔法を繰り返し発動して魔力切れが起こるはずだ! なのにどうしてお前はピンピンしているのだ!」


 マリアは尾ひれを何度も叩きつけ、怒りをあらわにする。


「まあ確かにレディファーストは使うとすんごく疲れますわ。でもカルロス様のお顔を見ればすぐに元気百倍ですわ!」

「はあ? つまり貴様はイケメンを見るだけで魔力が回復するとでも言うつもりか?」

「ええ、そうですが? 普通イケメンを見たら魔力が回復しますし喉の渇きや空腹もまぎれません?」

「私様の問いにふざけて答えるな!」

「ふざけていませんわよ! あなたの答えなくてもいい問いにわざわざ正直に答えているのになんですか、その態度!」


 そう、アレクシスの面食いは度を越している。イケメンを見ただけで魔力が回復するし喉の渇きも空腹も克服する。日光浴でエネルギー補給するプランクトンのような能力を持っていた。


「どうやら反省する気はさらさらないようですし、とっとと大人しくなってもらいますわよ!」

「殺す! お前はここで死ね!」


 マリアは魔法ではなく直に殴りかかってきた。


「死にませんわよ! カルロス様との結婚もまだですもの!」


 アレクシスも真正面から拳を突き出してこれに対応する。


 ぶつかり合う拳と拳。

 衝撃波で前髪がふわりと浮く。


「……んんぐぐぐ」


 アレクシスは踏ん張るが後ろに後退する。純粋な力勝負で彼女は押されていた。


「はっはー! 魔法を使うまでもなかった! 最初から殴っていれば良かったのだな!」


 拳を打ち込んでいる間もマリアの身体は進化を続けていた。


「どうやらリヴァイアサンの力を取り込むには血を飲むだけではダメなようだった……もっと必要なものがあったのだ、怒りだ。この世の全てを飲み込み無にせんとする怒りがなければ本来の力は発揮できないようだった。しかしアレクシス、お前のおかげでそれもクリアした。ようやくウォーミングアップが済んだということだ」

「……それではひとまずシャワーを浴びてくれませんこと? 魚臭くて仕方ありませんの」

「それがお前の遺言だ、アレクシス!!」


 潰そうと力を込めた瞬間、


「お熱くなってるところ申し訳ないんだけど」

「誰かを忘れているであります」


 マリアの首元に突き刺さる矢に、突き抜ける銃弾。


「雑魚どもがー!! 邪魔をするなー!!」


 イバンとカルメンの攻撃だった。


「怒りが必要なんだろ?」

「いくらでもくれてやる」


 巨大化した身体が足止めを食らっているならそれは大きな的でしかない。

 二人は鱗がはがれた箇所を的確に狙って攻撃を続けた。

 大したダメージにはならないが妨害としては効果が大きく出た。


「ありがとうございますわ、二人とも。あなた方がいなければ勝てませんでしたわ」


 アレクシスは力押しで負けた分を取り戻すほどの大きな一歩を踏み出した。


「なんのこれしき、塔部隊の皆様と比べれば水飛沫みたいなものですわ!」


 全身に力を込め、一気に噴出する。


「はあああああああああ!」


 拳を押し込み突き上げ、マリアの巨体を空中に飛ばす。


「なあああにいいいいい」

「決めますわよ! 窈窕たる淑女は勝利を掴むグレースフルレディフィンガー略してGFでジ・エンドですわよ!!」


 アレクシスの手が真っ赤に燃える。

 窈窕たる淑女は勝利を掴むグレースフルレディフィンガー略してGFは高出力高熱量の魔力を身体に直に叩き込み流し込むことで生物になら誰しも存在する魔法腺を灼き切る必殺技。威力が高い分魔力消費量も大きい。また他の魔法と併用できない、灼き切るには三秒が必要といった弱点なもあるため、ここぞと決める時にしか使えない必殺技であり諸刃の剣でもある。


 アレクシスは完全にマリアを捉えていた。

 あと一秒。それだけあれば必勝の拳を叩き込むのには十分だった。

 ほんの一瞬、彼女の視界に映り込んでしまう。

 空中に舞う白いハンカチ。手に巻いていたお守り。


「いけないっ」


 それは絶対に勝たなくてはいけない戦いの真っ最中でも彼女が気を逸らしてしまうほどの宝物だった。

 それはカルロスと初めて会った時に貰った生涯忘れがたき思い出の品。

 転んだだけの通行人に過ぎない自分に、馬車を降りてまで心配してくれた彼の優しさと笑顔を忘れることはできない。


「こんのっ」


 手を伸ばし無事にキャッチし安堵する。


「……よかっ──」

「隙を見せたな、アレクシス!!!!」


 エイのように棘を帯びた尾ひれがアレクシスを襲う。

 もろに受けた彼女は空中で何回転もする。


「アレクシスーーーーーー!!!!」


 カルロスは飛び出さずにはいられなかった。なんとしてでも彼女を受け止めなければと駆け出す。

 それを見てマリアはほくそ笑む。


「アレクシス。お前のことはちっとも理解できないが一つだけ読める行動がある」


 マリアは左右の人差し指と親指で三角の枠を、照準を作った。


「さて、お前の愛とやらを証明する時間だ。下らぬ愛のために命を落とせ」


 三角の枠の中にシャボン玉のような水の膜ができた。


「深海魔法”凝縮された海ブロックシー”」


 ふっと息を吹くと膜は膨らむ。指を離れると丸いシャボン玉のような泡の形を成し、ゆっくりと進み始める。シャボン玉と書くがサイズは人を丸飲みできる驚異的なサイズ。そして見た目とは裏腹に凄まじい魔力量を放っていた。

 ゆっくりとゆっくりとカルロスに向かって進み始める。


「アレクシスー!!!」


 当のカルロスは気づいていない。


「なんだかやべーぞ!」

「撃ち落とす!」


 イバンとカルメンがシャボン玉に攻撃するも、


「割れねえだと!?」

「それよりも吸い込んだだと!?」


 矢も銃弾すらも吸い込み行方知らずになる。


「お兄様、待って! お姉さまならきっと無事だ!!」


 兄弟の制止も聞こえない。

 そしてカルロスをシャボン玉が飲み込みそうになった時、


「もうほんと、思い込みが激しい方なのですから」


 笑顔を浮かべたアレクシス。また時を止めて彼女は地上に降り立っていた。腹部には大きな切り傷を負っていた。


「アレクシス、その傷は──」


 心配するカルロスを手で押し飛ばす。


「……でもそんな方だからこそ愛おしいのですわ、カルロス様」


 身を挺し庇ったアレクシスはシャボン玉に飲み込まれた。

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