第55話 残されたドーニャ・マリカと謝るアルフォンスとカルメン

 箒に乗ったアレクシスの後ろ姿は流れ星のようにあっという間に見えなくなった。


「さて公演会も中止になったことだ、とっとと帰って酒でも飲んで寝ようかね」


 用事が済んだと帰ろうとするも、


「待ってください、ドーニャ・マリカ」


 アルフォンスが呼び止めた。


「この名前も考えもんだね。育ちのいい坊っちゃんに汚い言葉を吐かせることになるんだからね」

「安心してください、僕は聖者ではありませんので。それよりも僕はあなたに謝らなくてはいけ──」

「アルフォンス様。ご無礼をお許しください」


 カルメンはアルフォンスの背後に回り言葉の途中で口を閉じさせる。


「すべて悪いのは拙であります。ロデオのバイラオーラを攫っていたココは拙です。全部拙がやったことであります」


 カルメンはすべての罪を被ろうとした。主が罪を被らないように口封じした。

 アルフォンスは言葉を発しようとするが鼻から息が漏れるだけ。


「……そうかい、お前さんかい。ずいぶんと世話になったよ。弟子の殆どが金貨もらって『これで遊んで暮らせる!』つって抜け出しちまったからね。それはまだいいさ。ココが怖くて真面目に取り組んでた子まで練習来なくなったり、練習に出たとしても怖くて身に入らなくなっちまったからね」

「……申し訳ございません。なんとお詫びしたら良いか……」

「そうだね、それなら約束してもらおうじゃねえか」

「約束ですか」

「おお、破ったら即死刑だ。まずはきちんと被害者に詫びを入れること、次に金輪際こんな過ちは起こさないこと、そして最後にフラメンコとそれを愛する連中を守ること、かね」

「……それだけ、ですか」

、だぁ? 謝罪を甘く見てるのかい!?」

「い、いえ! 甘く見てるつもりはありません! 一生をかけても償うつもりです! ただ……もっと厳しい罰を想像していました」

「ふん、罰程度で反省し心変わって善人になるならこの世に説教はいらないんだよ。まあでも罰が欲しいならフラメンコを踊ってもらおうかね? 見た感じ体力がありそうだ、いいバイラオーラになるかもね」

「せせせつが!? いいえ、拙にあんな華麗な踊りはできません!」


 思わず手を振って拒否するカルメン。

 アルフォンスは解放されてすぐさま頭を下げる。


「ぜんぶ僕の責任です! ウーゴが暴走したのも僕がしっかりしていれば、彼は過ちを犯さずに済んだんだ!」


 するとドーニャ・マリカは目をかっと開く。


「ませガキが! わかったような口を聞いてるんじゃねえ! あいつはお前が来る前からとっくに悪人だよ!」


 あまりの剣幕にアルフォンスは顔がひきつってしまう。


「……悪いね、怖がらせちまって。あーあ、こんなガキにまで謝らせるなんてあのバカはほんとにろくでもないね……まあ、あのバカをそうさせちまったのもあたしの責任か。あいつの悪の一歩を踏ませちまったのはあたしが原因だからね。そして今の今まで止められずにいた……本当はあたしがお前らに頭を下げなくちゃなんだよね……」


 気まずさで会話が止まる。

 何を言い出せばいいか悩んでいると、


「アルフォンス様! カルメン様!」


 党の見張りが慌てて駆け寄る。


「どうした、何があった」

「たった今、王都へ続く街道に異状を見つけました」

「街道に? まさか王都から兵隊が送られてきたのではあるまいな」


 王都の異常は察知している。何が起こっても不思議ではない。


「いいえ、それが……むしろ逆と言いますか……」

「逆だと?」

「百人規模の騎兵隊が王都に向かっています。掲げた旗は南部を統治中のイバン様の物と思われます」

「イバンだと!? 女にだらしないとは思っていたがついに貴族としての矜持まで放棄したか!? こうなったら拙が直々引導をくれてやろうか」


 イバンの名前を聞いた途端、瞬時に銃を取り出すカルメン。


「ちょっとちょっと! カルメン、落ち着いて! いつも冷静沈着な君らしくないよ!」


 普段見ない豹変ぶりに慌てながらも宥めるアルフォンス。


「すみません、取り乱しました……やつとは学生時代に因縁があるものですから……とにかく、やつがこのタイミングで出兵するとは一体何を考えているのでしょう。まさか親友に刃を向けるわけではあるまいに」

「……いや案外そうかも。今のカルロスお兄様は正気とは思えない。アレクシス姉様と婚約破棄をし指名手配なんて絶対にするはずがないもの。だからこそリスクを承知で立ち向かってるのかも」


 アルフォンスの予想にカルメンも同調する。


「それは十分にありえますね。やつは女にはだらしないですが友情は何よりも大事にする男でした。まったくそれなら拙にも話を通せば良いものを」

「そうか……イバン兄ちゃん、王都に行くのか……」


 アルフォンスはうずうずとじれったそうに身体を揺らす。

 ドーニャ・マリカはそれを見逃さなかった。


「お前さんも助けに行ったら良い」


 そして真意まで見通していた。


「……あはは、お姉さまの言うとおりだ。あなたには隠しごとはできないようですね」

「いけません、アルフォンス様。あまりにも危険です。それにあなたは幽閉の身。出ていけば国中に混乱が広がります。そして何より民への謝罪も終わっていません」


 行く理由よりも行くべきではない理由が圧倒的に数多く上回っている。


「そう……だよね……僕なんかが行っても……どうにもならないよね」


 肩を落とす彼の身体は高い城壁に囲まれるとますます小さく見えた。


「……」


 ドーニャ・マリカは空を見上げる。するとちょうど青い鳥が円を書いて飛んでいた。


「……行きゃあいいじゃないか」


 そして後押しした。


「え、でも、僕は……招待状も、もらっていないのに」

「行きたいなら行くべきさ。あたしも似たような過去があるのさ。あたしにも兄貴がいてね、父親と違って、あたしをバイラオーラになることを応援しててくれてね。衣装を売ってまで食いつないでったときにね、兄貴は魔女便で金と衣装一式を贈ってくれたときがあったんだ。そんな兄貴が結婚式を開くと友人伝いで聞いてね、そりゃ参加したいと思ったさ。だけどよ、行けなかったんだ。名前の通り、あたしはオカママリカだからね。異性装をする人間は転生者と同じように聖典の教えを背くとして教会から嫌われている。参加はふさわしくないと思ったんだ。でもそれは当時の話だ。今は、そんなの決まり事知らねえ、血の繋がった家族が祝福しねえで誰がするんだって思ってるよ」


 強がってはいるがひどく後悔してると誰もがわかった。


「ドーニャ……いいえ、マム」

「ははは、マムか。いいねぇ。こんなあたしで良ければハグしてやろうか、なんてね」


 冗談のつもりだった。

 しかしアルフォンスは同じ傷を持つ者に抱きついた。


「お、おおう……」


 どうすればわからなくなる。背中に手を回していいかさえもわからなかった。


「マム……あなたは厳しくもあり優しくもある……本当に母親のような人です。僕は母親といた時間は人よりも短いですが本当にそう思います」

「あんたは本当にいい子だね……行かせるのが怖くなっちまった。このまま衣装ケースに入れちまおうかな」


 アルフォンスは慌てて離れる。


「衣装ケースに入れるのは冗談だよ。気をつけて行ってきな、坊主!」

「は、はい!」


 カルメンが前に出る。


「アルフォンス様の命は拙がきっちりと守ります。この命に代え──」

「小娘! 覚悟足りてねえな!? 二人揃ってきちんと帰って頭に下げに来いよ!! じゃないと背中の上でフラメンコ踊るぞ!?」

「アルフォンス様との扱いの差がすごくありませんか!?」

「返事はどうした!?」

「い、イエッサー!」

「バカタレ! そこはイエスマムだろうがよ! 空気読めねえのか!?」

「イエスマム!!!」


 カルメンの背筋は杉の木よりもまっすぐに伸びた。


「それじゃあ早速だけどイバン兄ちゃんと合流しようか。そのためにも手紙を書かないと。カルメン、ペンと手紙セットはある」

「はい、ここに」


 手からすぐにご希望の品々が現れる。


「相変わらず便利な魔法だね」


 アルフォンスは手紙を空中に投げる。すると壁に貼り付いたようにぴたりと止まる。


「さあてどんな文面にしようかな。ありきたりでかしこまった文章だと怪しまれるからね。ちょっとした暗号文にしよう。えっとそうだな……『イバン兄ちゃんへ王都へお急ぎならご一緒にいかがですか。箒でお送りします。一緒に水抜きサルスエラを食べましょう。』……こんな感じかな」

「サルスエラはアレクシスのことですね。良いアイデアですが愚鈍な奴に伝わりますでしょうか」

「大丈夫、大丈夫。イバン兄ちゃんはアレクシスお姉さまのこと大好きだもん」


 封を閉じて魔法を唱える。


「風よ。コウモリに海を渡る力を。トッパーハロー」


 手紙は羽が生えたかのように飛び、高い城壁を軽々と越えていった。


「返事は来るでしょうか」

「それもたぶん大丈夫。いつも彼の側にはペペっていう優秀な魔法使いがいるからね」

「ペペ……そうか、彼がいましたね。なるほど、では問題ありませんね」

「じゃあ僕たちも準備しようか。カルメンは弾丸と箒の準備を。僕は魔法の単眼鏡を取りに行く。塔の上で待ち合わせだ」

「了解であります」


 アルフォンスは的確かつ迅速に指示を出す。


「若いってのは良いね、年寄りは隅っこで邪魔しないようにしないとね」


 ドーニャ・マリカは手持ち無沙汰になり煙草に火を点けた。

 壁際で花を眺めていると、


「マム!」


 アルフォンスが手を振る。


「公演会は中止になったけどまた必ず開きますので! ご自愛くださいね! 煙草も酒もほどほどに!」

「やれやれ、口うるさい息子ができちまったね……」


 ドーニャ・マリカはしっしっと追い払うように手を振った。しかし口元は咥えた煙草を落とすほどにニヤけていた。

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