第36話 豚骨ラーメンとエルメスとアレクシス嬢
ぐううううううう。
深夜の腹の虫はどうしてこうも染みるのだろう。
「お腹空きましたわ……結局イケメンにも会えませんでしたわ……」
アレクシスは追手をまいて帰路に着いていた。
「これでは空腹で眠れませんわ……寝不足は美貌の敵……キュートとセクシーを兼ね揃える究極で完璧の淑女を自負する私に目のクマは許されませんわ……」
これはこれで大ピンチ。これからイケメンに会いに行くというのにだらしない姿は見せられない。
「どこかに……タダで御馳走してくれる飲食店はございませんでしょうか……」
その時、ふわりと漂う濃厚な香り。
「なんでしょう……懐かしいような……おいしそうな匂いがしますわ……」
匂いの元へ、花の香りに誘われる蜂のように素早くダッシュする。
レンガの街にそれはあった。荷車の上に違法建築の如くどんと乗せられたキッチン。わずかに突き出た横板が料理を置くテーブルにコショウなどの調味料が所狭しと置かれている。椅子は三つだけ。調整がずれてわずかに右に傾いた屋台と暖簾。提灯は赤く灯っている。
「こ、これは……屋台ラーメンですわああああああああ」
アレクシスは何の疑いもなく飛び込んだ。
「へい、大将! やってます!?」
「おやおや、こんなところで会うとは奇遇ですね」
暖簾の向こうでは見慣れた胡散臭い顔が額にタオルを巻いて調理していた。
「え、エルメス様!? どうしてあなたがここに!?」
「いらっしゃい、ラーメンエルメスへ。メニューは一つだけ。豚骨ラーメン一本で大勝負だよ」
「やっぱりこの獣臭さは豚骨ですのね! 豚骨ラーメン一丁! あっさり! バリカタでお願いしますわ!」
「あ、すみません、リクエストは御遠慮お願いします~」
「え~、仕方ありませんわね~」
不服ながらも承諾。
注文を貰ったエルメスは慣れた手つきで湯切る。スープが入った広く深いどんぶりに麺を注ぐ。トッピングは半熟卵とチャーシューのみ。
「はい、豚骨ラーメン一丁! あ、いま、フォークをお出ししますね」
西洋人には箸が難しいだろうと準備するも、
「結構ですわ! 私、子供の頃には習ってもいないのにいつのまにか箸の使い方を覚えてましたの!」
立てられていた竹筒の中から木材で切りそろえれた箸二本を取り出し、器用にラーメンを啜っていく。啜る行為にも不思議と躊躇いがなかった。
「不思議な人ですねー……」
西洋のテーブルマナーでは音を立てての食事は厳禁。しかし美味しそうに食べる彼女に何か言う気にはなれない。
「どうです? 美味しいですか?」
「チャーシューは微妙ですが、半熟卵はいい感じにとろっとしてて好みですわー!」
「あはは、貴重な意見ありがとうございます……」
今は淑女であることを忘れて、禁忌の夜食を嗜んだ。
アレクシスはレンゲを使わずにどんぶりに直に口を付けてスープを飲み干し、手を合わせる。
「ごちそうさま。チャーシュー以外は悪くない味でしたわ。あ、爪楊枝は結構ですわ。淑女たる者、歯と歯の隙間に食べ物が挟まったりしませんの」
どこからともなく取り出したハンカチで口を拭く。
「あはは、スープまで残さず食べてくださりありがとうございます」
「というかエルメス様、どうしてロデオでラーメン屋を? どんな多角経営ですの?」
「簡単ですよ。面白いと思ったからです」
「……何の勝算もなく思い付きで商売始めるとお金だけでなく信頼も失いますわよ?」
「辛辣な評価! ちょっとした市場調査ですよ! ロデオで東洋生まれのラーメンを受けるのかどうか試したかったのです!」
「なるほど、お試しですか。確かにこの屋台開業でしたら、お店を借りるよりは安く済みますものね」
「それと情報収集にもなるんですよ。お客様は食事をしながら、俺は料理をしながらお話できて大変有意義な社交の場になるんです。普段商人としては会えない方とも縁ができたりするんです」
「そうですわね、やはり接客業は顔と顔を合わせてなんぼですものね。案外よく考えられているのですね。それで商売のほうはうまくいってますの?」
エルメスはがっくしと肩を落とす。
「……だいたいお嬢様と同じ意見ですね。チャーシューが足を引っ張っていると」
「あらあらまあまあ、目も当てられませんわ~」
アレクシスは手を組んで顎を置き、テーブルの上に肘を着いた。
「……ところでお時間大丈夫かしら? ちょっと話し相手になってもらえます?」
「予約客が三十分後に。それまでしたら」
エルメスの笑顔が、人柄のいい職人から、腹黒い商人の笑顔に。
「充分ですわ。ココの正体を掴みましたわ」
「おや、お早い。一体どなたなんです?」
「カルメン・エチュバリア……でしたわ」
「なるほど。彼女でしたか」
エルメスは特段驚いた様子は見せなかった。
「あらあら、塩ラーメンみたいにあっさりとした反応ですわね」
「もしかしたらとは思っていたんです。あまりに長期間捕まりませんし、あまりにのんびりしすぎています。普通の領主だったら沽券に関わる事態です。早々に手を打つはずですが……こうもなると逆に真相が判明しないほうが領主にとっては好都合なんじゃないかと。だからひょっとしたら領主か、それに近い者の犯行なのではないかと」
「あのですね、エルメス様……ちょっと怪しいと思っていたのでしたら先に話してくださりません? こっちはいきなり
「おや、そこまで事態は進歩していましたか」
「幸先いいね、みたいなこと言わないでくださいまし」
「でも俺は悪くありませんよ? 俺の推理には確証がありません。予測の域にも達していません。むしろ曖昧な推理は先入観を生んでしまい捜査の邪魔になるでしょう? 俺なりの気遣いですよ」
「よく言いますわ。もう他に隠しごとはありませんでしょうね?」
「ありません。在庫切れです。あ、よろしければ豚骨ラーメンの秘伝を伝授しますが?」
「この味で暖簾分けは早計でしてよ」
「あはは、手厳しいな……」
アレクシスは自分の髪の毛を指に絡めていじる。
「……カルメン、どうして人攫いなんてしているのでしょう」
「案外そっち系の趣味だったり? 誰しも人には言えない趣味がありますからね」
「いいえ、あの様子ですと自分の欲望を満たすためではありませんでしたわ……あれは自分よりも……いや、まさか……そんな……バカなことを……」
アルフォンスの複雑な事情は知っている。まだまだ母親に甘えたい年頃であるのに幽閉され監視下の生活を送っている。
(だから……母親の代わりに若い娘を攫ってはあてがっている?)
ドン!
拳をゆっくり下したつもりが意外にも大きな音を出してしまう。
「……ったく、だとしたらなんて愚かなんでしょう……」
「何かわかったんですか?」
「……これは人の心の傷に関わる問題ですわ。申し訳ございませんがエルメス様とはいえ詳細はお話しできませんわ」
「いいんです、いいんです。ゴシップは金になる商品ですが火が着くと火薬よりも厄介ですからね」
エルメスは皿を洗い始める。キノコのスポンジで水滴をふき取る。
「……そろそろ帰りますわ。何も注文しないのに長居してはいけませんわね。回転率を重視するお店ではなおさらですわ」
「いえいえ、まだ予約客が来るまで時間がありますよ? ゆっくりされてもいいのに」
「お気遣いありがとうございます。ですがそろそろ帰らないとドーニャ・マリカに夜の街に出たことがバレそうで怖いですわ」
「そうですか。それなら急いで帰られたほうがいい」
「あ、お代がまだでしたわね。えっとちょっとお待ちください」
「いえいえ、お代は結構です。アレクシス様には恩がありますから」
「いいえ、そうはいきません。淑女は無銭飲食はいたしません……そうですわ……エルメス様、多角経営の中に質屋はあります?」
テーブルの上にゴンと音を立てながら魔封じの腕輪を置いた。
「これは忌まわしき曰くつきの品ですが……かのカルロス様より贈っていただいた貴重な記念品ですわ。壊すのも手放すのも私にはできません。だから全部片付いた後に同じ価格で買い取りに来ますわ」
「おや、これは魔封じの腕輪ですか?」
説明を待たずにエルメスはすぐに魔法道具の正体を言い当てた。
「え、ええ、そうですけど……知ってますの?」
「あ、ここの傷、間違いありません。これ、僕が王都で卸した商品ですね」
まさかの爆弾発言。
「……へえ、あなたがこれを卸しましたの……」
「いやー入手するのに結構苦労したんですよね~! その分儲けさせてもらいましたけど!」
「そうですの、ふーん……」
アレクシスはニコニコした表情で、エルメスの胸ぐらを掴んだ。
「正体を現しましたわね、この黒幕ううううう!!! あなたのせいで私がどれだけ苦労したか!!!!」
「うわあああ! よくわかりませんが濡れ衣ですよー!!!」
鍋を挟んでエルメスを揺らす。
ラーメンの屋台はさらに右に傾いた。
「……取り乱してもすみませんでしたわ。とにかく事情をお聞かせくださいませ」
屋台の傾きを直し再び席に着く。
「と言ってもあなたは商人。取引相手をペラペラ喋ったりはしませんわよね」
軽口を叩くよりも口の軽い商人は長く続かない。
「淑女としてあまりこういう強引な手は使いたくありませんが国の根本を揺るがす緊急事態、それにカルロス様の命、美貌にもかかわっています。お覚悟をよろしくお願いしますわ」
せっかく掴んだ黒幕につながる情報。淑女としては手荒な真似はしたくないが……、
「あ、あの、何を言ってるかわかりませんが、アレクシス様にだったらお話ししますよ? 取引相手のこと」
エルメスは簡単に承諾した。
「え、よろしいのですか? いえ、素直に話してくださるのであれば大変喜ばしいことなのですが……ですが……」
アレクシスは肩を落とす。
「……どうして私をそこまで信用してくださるのですか? 私は冤罪とはいえ指名手配されている身なんですよ?」
エルメスは事もなげに答える。
「ひとめ見ればわかりますよ。あなたはそういうことをする人じゃないって。俺、人を見る目だけには自信があるんで」
「……」
その言葉はずしりと乗っかかっていた肩の力を抜かせた。
「エルメス様……今のあなた、ちょっとかっこ──」
「それにそもそも国家っていうの信用してないんですよ! すーぐに自分勝手の事情で金を刷っては経済をガタガタにする! 商売あがったりなんですよ、もう! それに俺が自分の手で儲けたお金をどうして税として納めなくちゃいけないのか!? こんな不労所得認めてもいいものなのだろうか!?」
「──早く取引相手が誰だか教えてくださります?」
話が長くなる気配を感じたので早々に軌道修正。
本気のトーンで怒るエルメスの評価はプラスマイナスゼロ。
「これはちょうど一か月前に卸した商品です。間違いありません。さっきも言いましたが特徴的な傷に見覚えがあります」
「それで相手の名前は?」
「マリアンヌ・フォンテーヌです。初老の女性でした。あ、でもこれは偽名の可能性がありますので悪しからず」
「いいえ、間違いありませんわ。マリアンヌ・フォンテーヌ……彼女がやったに違いありませんわ」
「彼女をご存知なのですか?」
「王室に長く仕える
イバンに彼女の記憶がないのも仕方がない。貴族がいちいち給仕の名前を聞かないし覚える必要がない。
(それに年も離れていましたし、火遊びの対象にならなかったのですね……)
彼らしさを感じて少し笑いが出る。
「日常生活ではよくお世話になっていましたわ。とても温厚な女性でしたがでもまさか
「え、メディアってもしかしてこの魔封じの腕輪のことを言ってます?」
「……違いますの?」
「まっさかー! 確かに魔法を封じることをできますが至って普通の商品ですよ! それに俺は
「何やら信念じみたものを感じますわね……ですがどうしてあんな嘘を言う必要があったのかしら」
「王子が勝手に思い込んだとか? はは、なーんてね、これはいくらなんでも失礼でしたねってなんでアレクシス様頭をお抱えに?」
「……ありえますわ。何も説明していないのに雰囲気だけで勝手に考えてしまうところがありますのよ」
「ええ、大丈夫なんですか……この国の未来は」
「そ、そうならないためにも私がいるんですわ! みんなで力を合わせて、エイエイオーですわ!」
「……それにしても、どうして彼女はこんな大事件を引き起こしたのでしょう。他国のスパイとかでしょうか」
「それについては考えるまでもありませんわ」
「おや、聡明なアレクシス様はとっくにお気づきなのですか?」
アレクシスは冗談抜きではっきりと答えを言ってのける。
「横恋慕に決まってますわ!!!」
エルメスは一呼吸を置いてタオルで汗を拭き、
「……正気ですか? 横恋慕のためにたった一人のメイドが王子をたぶらかしたのですか」
「正気で本気ですわ! 顔を偽っても名前を偽らないのは本名のマリアと呼んでほしいからでしょう!」
「な、なんか筋が通っているように思えてきました……そうですよね、女性って、たまにとんでもないことをしでかしてくれますよね」
アレクシスの耳がぴくりと動く。
「たった今、
「コ、コイバ……なんです?」
「エルメス様、単刀直入にお尋ねしますわ。あなた、今、恋してますわね?」
「あの、今、国家存亡の危機の話をしてるんですよね? そんな暇あります?」
「まあ、まあ、まあ! 否定しないということは恋をなされているのですね? お相手はどんな方ですの!? お年は? 身分は? どこに住まわれてますのー!?」
エルメスは笑顔を崩さないまま、屋台の柱に吊った時計を見る。
「あの、盛り上がっているところ、そろそろお引き取りお願いできますか? 次のお客様が来る時間ですので」
「椅子なんていりません! 立ちながらでも聞きますわよ!? もしよろしければこの淑女の中の淑女である私がご相談に乗ってもよろしくてよ?」
「ちなみに来る予定のお客様は衛兵の方々です。深夜まで営業している飲食店ここぐらいなものでして」
「淑女の中の淑女が注文もせずに立ち話なんてはしたない真似しませんわー! 営業妨害になってしまいますもの!」
切り替えが早く、即座に暖簾をくぐって屋台を離れていった。
「やれやれ……」
と思ったら、すぐに戻ってきた。
「お代忘れてましたわ! その魔封じの腕輪でよろしくて!?」
「お代ですか? お代なら結構ですよ。魔封じの腕輪も持って行ってください」
「いけませんわ、無銭飲食になってしまいます!」
「いいんですよ、ぼちぼち畳もうと思っていた商売ですし」
「まあ、それはもっといけません! チャーシュー以外はそれなりにおいしいのですよ!」
「そのチャーシューが足を引っ張ってるんですよね。俺は所詮余所者なのでなかなか上質な肉が手に入らなくて……良い仕入れ先を見つけるか、もしくは肉の扱いに詳しい人に助言がほしいのですか」
「あ、それならちょうどいい人を知ってますわ。この街にベンって方がいますの。元お肉屋さんですわ。ドーニャ・マリカと知り合いですので紹介してもらえるはずですわ」
「なるほど。それならあたってみようと思います。情報ありがとうございます」
「ラーメンの代金ははしたないですがツケにしてくださいまし。それと恋が叶うことを応援しておりますわー!」
そして再び暖簾をくぐって退散する。
あっという間に場が静まり返った。
「ありがとうございます……それと余計なお世話です」
エルメスは予約客のために支度を始める。
繁盛はしないがせっかく来てくれた客をがっかりはさせられない。
それでも彼の作る豚骨ラーメンはチャーシューだけは微妙な出来になった。
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