十二卦・予測不可能だった暗殺未遂

 朝一番で行った、瘴気獣の調伏。

 

 実は、あの騒動は紅鳳宮の、それも翔賢妃とその周りで起こった事件であったため、その場に居合わせていなかった侍女たちはもちろんのこと、他の宮に仕えている侍女や宮官の耳にも届くことはなかった。

 あの事件の直後、警備兵と共に駆けつけた洪氏に簡単に事情を説明すると、尚食局の医者の元に宇春を預け、あとの始末は洪氏に投げっぱなしにして白梅は相談所へと戻っていく。

 そののち、洪氏が相談所を訪れると、白梅にのちほど詳しい報告を上げるようにと伝え、そのついでに紅鳳宮の内部を仙術にて浄化するようにと命じられたのだが。


「なんで報告書のついでに浄化作業なんだろう。まったく、これっぽっちの金子を渡されても解せないわ」


 左袖を軽く振り、じゃらっと金子の音をならして不平を口に零す白梅。

 その様子を見つつ、新たに侍女頭に命じられた花琳ファリンは、あははと苦笑いしつつ室内の清拭作業を続ける。

 ここ数日は、紅鳳宮に勤めているすべての侍女が数日かけて宮全体を清拭している最中である。

 そして白梅は作業が終わった部屋に赴くと、簡単な儀式を行って室内を浄化する。

 一つ一つ丁寧に作業し、そしてまた次の部屋へと赴く。

 そして夕方、相談所に戻っていくと、今度は机の上に溜まっている『室内浄化の依頼札』を手にいくつもの宮を訪れ、簡略化された儀式で部屋を浄化する。


 ちなみに東廠の仕事として請け負っているのは『紅鳳宮』の清拭と浄化のみであり、他の宮については依頼した妃妾の懐から金子を頂くことになっている。


「……はぁ、はやく終わらせたい」

「そうね。白梅さまとしても、早く日常に戻りたいでしょうね。私たちも、次の仕事が待っていますので、早めに終わらせて準備を行いたいのですよ」

「へ? 準備ってなに? まだ何かあるのですか?」


 儀式道具を片付けつつ、白梅が花琳に問いかけると。

 彼女は驚いた顔で白梅を見る。


「あ、あの、来月おこなわれる園遊会につきましては、ご連絡は届いていますよね?」

「園遊会って、なんじゃらほい?」

「え……」


 儀礼道具全てを袖の中に納めて、白梅は椅子に座って花琳に問い返す。

 東廠に勤めている白梅が、まさか園遊会の件を聞いていなかったとあって花琳も頭を抱えそうになるものの、どう説明していいか返答に困ってしまう。


「園遊会は、まあ、協定のお祭りのようなものよ。私たちが普段はお目に係れないような外廷の高官とか、あとはまあ、主上さまと四夫人もご参加されるのよ……ええっと、あとは」

「つまり、花琳さまはあまりお詳しくないと?」

「そ、そ、そうよ、だって、私は先日から侍女頭を命じられただけで、去年は裏方で走り回っていた普通の侍女ですからね。詳しく知りたければ、洪氏様にお尋ねしてみたらいいんじゃない?」


 堂々と開き直った花琳に、苦笑いを返す白梅。


「それもそうか。では、次の部屋にいきますので、案内をお願いします」

「はいはい。あと数部屋で終わりそうだから、今日の夕方で正式作業はおしまい。明日からはまた、いつも通りの毎日がくると思うわよ。それよりも早く終わらせないと、主上さまもそうだけど、なにより翔賢妃さまのご機嫌が戻らなくなりそうだからね」


 主上に万が一のことがあってはならないと、ここしばらくの間は、劉皇帝は紅鳳宮を訪れていない。

 結果として町営を受けられなかった翔賢妃さまも、愛しの小公主に会えない劉皇帝もイライラを募らせている。

 やむなく他の宮を訪れて、妃妾に寵愛を授けてるものの、いつもよりも荒々しいとか雄々しいとか、様々な噂が流れているらしく。まあ、その方が好みだとかほざく妃妾もいるものの、侍女たちはただの惚気かと敢えて放置しているらしく。


「まあ、明日の早朝、紅鳳宮の全てを回って最後の確認を行いますので。それで問題が無ければ、明日にでも主上が訪れるかと思いますので」

「そうね。これでようやく、以前のようなおだやかな日々が戻ってくるのね……」


 遠くを眺めるかのように呟く花琳ではあるが、白梅にとっては、ここからが始まるのようなものだと、頭が痛くなる思いであった。


………

……


 翌日、早朝。

 日課のように導引術に参加する者たちも徐々に戻りつつある。

 それを終えてから、白梅は紅鳳宮に赴きすべての部屋や回廊、倉庫をくまなく確認。

 それで問題がないことを確認し終えるとね同行している洪氏に報告する。


「これですべて完了です。では、私はこれで失礼します」

「ありがとう。では、いつもの執務に戻ってください。あとは私の方で手続きを行っておきますので」

「はい、それでは失礼します」


 丁寧に挨拶を返し、軽い足取りで相談所へと戻る。

 

「ああ、これでようやく日常が戻ってきたよ」


 途中、侍女たちの熱い視線を受けて笑顔を返すと、白梅はようやく相談所に戻り。


「遅かったな。先に来て、待っていたぞ」

「はっ、はいっ」


 相談所に入ると、部屋の左右には管理が立ち並び、そして部屋の中央、卓についてのんびりと茶を嗜んでいる劉皇帝の姿があった。

 これには白梅も驚き、すぐに揖礼で深々と頭を下げる。


「これは主上さま。本日は、どのような御用で参りれれれしか」

「口が回っておらんな、ちょっと落ち着け」

「はいっ……本日は、どのような御用でしょうか」

「いや、紅鳳宮の清拭は終わったのか知りたくてな。もう問題がないのなら、このまま翔賢妃の元へ向かおうとしていたのだが、一旦、白梅の元で状況を確認した方がよいと告げられてな」


 夜まで待てない劉皇帝が、勇み足で後宮にやって来ただけ。

 かといって、東廠の応接間で白梅を呼びつけるのは事務的過ぎて味気なく感じるので、ここは敢えて、劉皇帝が直接、白梅の元を訪れたのだと笑いながら説明してくれるのたが。

 白梅もその話を聞いて、そんな心臓に悪いことは勘弁してくれと心の中で哀願しつつ、笑顔―は欠かせないように努める。


「はい、後ほど洪氏さまのご報告があるかと思いますが。全ての作業は完了しましたので、ご安心ください」

「そうか、大儀であったな」


 白梅の報告を聞き、こころなしか頬を緩める劉皇帝。

 だが、その直後、すぐに真顔に変わる。


「こたびの件は、流行り病の発生源は紅鳳宮の侍女頭が原因であったとして処分した。それでだ、単刀直入に問うが、狙われたのは朕でまちがいはないか?」


 普通に考えても、これだけ大規模の瘴気が発生するなど、自然界では考えにくい。

 それに白梅の目から見ても、狼瘡獸ランチャンツを持ち込んだのは侍女頭であった宇春だが、それを持ちこませたものが確実に存在する。

 以前の紫瑞妃に纏わりついていた瘴気瘤、それを生み出すために行われたのも、道士による呪詛術式。

 つまり、この後宮を狙って何かを行っている存在がいることは確かである。

 そして、その最終的な目標は、恐らく劉皇帝の暗殺。

 そう考えて、白梅は無言のまま頷く。


「やはりか。まあ、今までも毒殺を目論むものや、深夜、寝静まったころに後宮に侵入した刺客がいたのも事実。東廠にはそれらを排除する腕を持つものが常に目を光らせているものの、今回のように道士が絡んでるとなると、こちらとしても相応の準備を行う必要があるが」


 つまりは、白梅にその任務を任せたいということ。

 それが、ここに来た本当の理由であるが、白梅は静かに頭を左右に振る。


「それは、私が干渉しすぎることになります。以前もご説明しましたが」

「わかったわかった。お前になら、東廠にて道士を育成する機関を任せてもよいと思ったのだが」

「それは余計不可能ですよ。私は尸解仙、導師にとっての到達点の一つでありますけれど、それを私が導くことは行ってはならぬこと。せいぜいが助言を与える程度ですし、なによりも私の性格上、恨まれることしかありえませんので」


 誰しもが、修行を行似って仙人になれるわけではない。

 長く厳しい修行の末にたどり着く境地であり、そこへ至ることが出来るのは道士の中でもほんの一握り。仙人になるということは、いわば市井の民草が大陸の皇帝となるのと同じか、それ以上の難易度であろう。

 ゆえに、白梅は師父譲りの性格で、才覚亡き者には容赦なく『仙人になるの、やめたら?』とあっさりと一言で終わらせてしまうのは容易に見て取れる。

 それは本人も自覚しているし、そもそも助言といっても、なにをどうしたらいいのかは白梅も理解していない。


「そうか、残念だ」

「つかぬ事をお尋ねしますが。この東廠にも、道士は存在しているのでしょうか?」

「ああ、普段は外延にて占いを行っているが」

「そいつ、無能ですね」


 白梅は、あっさりと一言つぶやく。

 本当に易経を納めているのなら、今回のこの事件も未然に防げる。

 白梅は出来る限り、頼まれたことや相談事以外は、自分のためにしか占いは行わない。


「はっはっはっ。外延で50年も占いを修めてきた高沖ガオジュを無能とはな」


 高笑いする劉皇帝であるが、目はいたって真面目である。

 

「恐れながら。その高沖ガオジュさまとは、どのような方で?」

「先帝の代には、中書令を務めていた男だな。朕の代になってから、後進のために職を辞したのち、投資用にて道士育成の補佐と並行して、外延にて易局に勤めている。一言で申せば豪快な男、二言で表すならは、野心家な一面も持つ策士家というところだろう」


 外延の易局、つまりは占いの専門家の集まる局。

 そのような場所がありながら、今回のような失態。本来ならば責任者の首が飛び、関係者は鞭打ちにあってもおかしくはないのだが。

 今回の件にいては後宮内部の事ゆえ、国家の問題ではないと判断されたらしく不問。


「先帝の時代に、東夷侵攻を策略により失敗に導いた男だ」

「なるほどなるほど。では、今回の件は致し方ないというところですか」

「そういうことだ。後宮についての易など、普段から行ってはいないはずだからな」


 それならまあ、仕方のないことと白梅も納得する。

 

「主上さま。このような状況でも、園遊会はお開きになるのでしょうか?」

「それは当然だな。園遊会は、都護府長官たちも集まるからな。すでに移動を開始しているはずだから、今更後宮のもめ事程度では中止になどできぬな。もっとも、白梅の懸念していることも理解している……だから、おぬしは当日、女官に扮して朕の近くに居て参れ」

「……御意」


 園遊会で、劉皇帝の世話係を命じられる白梅。

 もっとも、正式な官吏や宮官ではない白梅は、当日は正式な官吏の補佐として付き従うことしか出来ないのだが。それでも構わないというのが、劉皇帝の意向ならば、それに従うしかなかった。

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