十一卦・仙人の仕事と、朽ちた侍女
その日は、いつもと様子が異なっていた。
いつものように白梅は導引術を行うために中庭へと出てきたのだが、いつもよりも参加者の数が圧倒的に少ない。
ここ最近は妃妾や侍女、宮官だけでなく、東廠に所属している官吏も参加するようになり、大体六十~八十人前後の人々が、毎朝、中庭で導引術を踊っていたのだが。
今日は参加者が明らかに少なく、両手で数えられる程度まで減っていた。
しかもほぼ毎日参加している皆勤賞の小公主と翔賢妃、碧華妃の姿も見当たらない。
「ふむふむ……これはなにかあったのか……と。なぁ、いつよりも人が少ないと思うんだけれど、何かあったのか? 侍女や宮官の姿も見えないし、それに……」
最前列で、白梅を見て頬を染めて心が小躍りしているような妃妾に話しかけつつ、あちこちの宮で慌てて出入りしている医者の姿を見て、瘴気の淀みがないか見渡してみる。
すると、あちこちでいつもよりも瘴気が増えていることに気が付いた。
「昨晩あたりから、具合を悪くなされた方が大勢いらっしゃいまして。それも、発熱や吐き気、下痢といった症状が多いらしく、昨夜あたりから尚食局の医者たちが寝る暇もなく治療に専念しております」
「そうか。まあ、私のところに声掛けがないところを見ると、
そう問い返す白梅。
そして問われた妃妾も少しだけ笑顔を見せて頷いているので、致命的な流行り病ではないと理解した。
白梅にとって導引術は、体内の仙気を保つために必要。
それゆえに、集まった人たちで導引術を始めると、そのあとは暇になりそうな相談室に戻り、誰かが飛び込んでくるのをのんびりと待つ。
病を癒すのは医者の領分であり、相談役の仕事ではない。それを理解しているからこそ、白梅も後宮内に蔓延っている流行り病のようなものには、あまり興味を抱いていない。
――パチッ、パチッ
そうは思っていても、やはり気になってしまうのは彼女の性分。
「まあ、大したことはないと思うしなぁ。瘴気が増えたのだって、病になった人から少しずつあふれてくるものが滞留している程度だと思うんだけれど」
そう呟きつつも、懐から木札を取り出して星読みを始める。
「どれどれ、どんな感じかなぁ……って、待て待て。微笑する行疫神、生まれたばかりの鬼、それと深い森の賢人、
行疫神は病を流行らせる神、鬼は疫鬼であり病の元凶。深森はその発生源であり、
そして最後の一枚を開いて、白梅はその場で硬直した。
描かれている絵は、鬼とまぐわう女性。
「ちっ……
五枚の木札を並べ、深呼吸をしてそれぞれに仙気を流し込む。
やがて木札の絵柄が全て『追儺の霊符』に姿を変えると、それを懐に納めて相談所の外に出る。
すると、ちょうど白梅の元を訪れようとしていたらしい侍女たちが、彼女に向かって歩みを早めてきた。
「は、白梅さま、碧華妃さまからのお呼び出しです」
「私は翔賢妃さまの使いで来ました。小公主さまの熱を冷まして欲しいと」
他にも仕えている妃妾からの伝言を言付かって来たらしい侍女はいたのだが、それを告げる前に皇貴妃二人の名前が出てしまい、皆、言葉を失ってしまった。
自分たちの仕えている妃妾よりも序列が上の存在、その方々を置いて先に治療して欲しいなど、口が裂けてもいえないのだろう。
「なるほどねぇ……他の侍女たちも、妃妾に言われてきたのか?」
「はい。導引で仙気を得たのに、全く効果がないってお怒りですが」
「その妃妾は阿呆か、一、二か月程度、導引術を行ったところで人間は道士になれない。まずはその素体を練り上げるための導引だっていうのに、何を勘違いしているんだ、その妃妾は……あとで向かうから、部屋番号の書かれた木札を、相談室の机の上に並べておけ、いいな!!」
そう狼狽している侍女たちに指示を行い、白梅はまず先に翔賢妃の住む紅鳳宮へと向かった。
………
……
…
「急務につき失礼します。翔賢妃さまと小公主さまはどちらでしょうか」
紅鳳宮に到着した白梅は、廊下を走り回る侍女を捕まえて問いかける。
すると、ちょうど小公主さまのところへ替えの御召し物を持っていく途中だという侍女がいたので、白梅も彼女に同行して寝所へと向かう。
そして室内に入った瞬間、白梅は懐から『追儺の霊符』を取り出し、それを小公主の二人へと投げ飛ばすと、すぐに印を組み韻を紡ぐ。
「は、白梅さん、うちの子たちが倒れてしまって」
「大丈夫です!! 哈っ!!」
人の目に見えない瘴気。
それが獣の形をとり、二人の小公主に覆いかぶさっていたのである。
それを払うために、白梅は紡いだ韻を開放し、右手人差し指と中指で刀のような形を作り上げると、それを小公主の二人めがけて振り下ろす。
――シュッ
すると、二人に纏わりついていた瘴気が具現化し真っ二つになり、白梅の持つ『追儺の霊符』に引き込まれていく。
その光景を見て、翔賢妃も抱きかかえていた三女を守るように背を背け、お召し物を持ってきた侍女もその場に昏倒してしまう。
「ちっ、ここがあたりでしたか。一発であたりを引けるとは、私ってやっぱり運がいいですねぇ……と、それそれそれっ」
もう一枚の霊符を取り出し、翔賢妃と侍女の体内からも瘴気を引き剥がすと、それらを左手に取り出した竹剣で真っ二つに切り捨てる。
すると分断された木札が床に落ち、一瞬で燃え落ちてしまう。
「翔賢妃さま、もう大丈夫です。小公主に纏わりついていた瘴気は浄化しました」
「ああ、あ……鈴華と陽華は無事なのでしょうか?」
「はい。もう大丈夫です。お二人を食い散らかそうとしていた疫鬼は調伏しましたから」
その白梅の言葉で、翔賢妃はホッとし、抱きかかえていた末の子の頬を撫でている。
「この子は、
「ちょっと失礼……と、はい、この子は大丈夫ですね。それと、こちらの宮に仕えている宮官もしくは侍女で、最近になって
一度後宮にはいると、年期が終えるまでは後宮外に出ることは叶わない。
それは、この後宮にいる妃妾や侍女、そして下女の中には、望まなく後宮にやって来て働いている者たちもいるから。
帝の寵愛を受けて皇后の座を狙う妃妾などには、自ら望んでここにやって来たものや親や親類にそそのかされてやってくるものも多い。
だが、侍女や下女の中には後を継ぐことが出来ない商家の末娘や、やむなく犯罪に手を覚め、その罪を償うためにここに送られてくるものもいる。
中には、
「ええ、侍女頭の
「その侍女はどちらに?」
「確か具合が悪いとかで、今日は自室にて休んでいるはずよ」
そう翔賢妃に教えられると、白梅は侍女を伴って宇春の部屋へと向かう。
だが、彼女の部屋へと足を進めているうちに、床や天井、はては廊下の柱に纏わりついている瘴気が濃くなっていくのを感じていた。
「……面倒なことになっているなぁ。おい、洪氏さまに伝言を頼む、白梅が疫鬼を調伏するって伝えてきて、大至急だ」
「はいっ!!」
急ぎ足で廊下を掛けていく侍女。
それを見届けてから、白梅は服の袖から竹剣と朱墨の霊符を取り出し、目に見える範囲の瘴気を切り捨てていく。
やがて侍女の部屋の前までたどり着いた時、むせかえるような腐臭と、閉め切ってある扉の隙間からあふれ出す瘴気に鼻の感覚が麻痺してしまった。
「この匂い……最悪だよ」
素早く扉に霊符を貼り付けると、白梅は韻を唱えて仙気を霊符に込める。
すると扉全体が赤く輝き結界のようなものを作り出したので、白梅は力いっぱい扉を蹴り破ると、室内に躍り込むように走り込み、寝台の上で腐れ果てている侍女頭の宇春めがけて霊符を投げ込んだ。
「九天応元雷声普化天尊よ、じっちゃんの隠していた秘蔵の甕を一つ捧げるので、我に雷を与えたまえ!」
雷神である九天応元雷声普化天尊に力を請い、素早く両手で印を組み上げる。
『一つでは足りぬ、二つじゃな』
「了解。それじゃあ一発、景気よく頼みますっ!!」
――バジバジバジッ
追加の甕を差し出す約束の直後、霊符から稲妻が発し、宇春の胎内に住み着いた瘴気を焼き始める。
そして苦悶に身を震わせた、狼のような姿の瘴気が胎から吹き上がる。
「案の定、
それが宇春の腹の中で育ち、さらに人の精を喰らい、化け物となった存在。
決して自然発生する瘴気ではなく、疫鬼の中でもかなり上位に位置する化け物である。
これに憑りつかれたものは命すら食いつくされ、やがて死体は動き出し、人を喰らう悪鬼となる。
道士が使役する
つまり、このままでは後宮が危険であると感じ、白梅は霊符に
「……んん、この部屋は今しばらくは使用禁止だな……」
懐から新たな霊符を取り出し、四方の壁と天井、床に飛ばし張り付ける。
そして最後に韻を唱えて浄化すると、意識無くぐったりと衰弱した宇春を肩に担ぎ、部屋から外にでていった。
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