四卦・徳妃・碧華妃はお散歩が好き

白梅が後宮に招かれた翌朝。

 洪氏は上級妃である三皇貴妃の元に木簡を届けさせると、彼女たちの出方を伺っている。

 この後宮に入ることが許されたもののうち、帝の寵愛を受けることが許されてあるものは四夫人、九嬪、二十七世婦の妃妾のみ。

 その他の女性は後宮にて執務を行う宮官または下女であり、主上からお声がけがあることはまずあり得ない。

 最も、偶然であるが帝に見そめられたものが下女から下級妃に昇格することもあり、浪漫を夢見る下女たちはそれを目指して頑張っているものも少なくはないという。


 だが、洪氏より届けられた木簡に記されていた白梅が所属するのは、三皇貴妃の元ではなく東廠本殿。

 立ち位置的には三皇貴妃よりも帝に近い東廠にて務めを果たすと聞き、寵愛を求める彼女らにとっては心穏やかではない。

 

 穏やかではないのだが。


──トントントントン

 後宮中庭、三皇貴妃の住まう屋敷全てが見晴らせるその場所の中央に建てられてあった倉庫。それを改装して、小さな建物が作られている。

 作りは簡素であり、寝所と執務室、応接間の三部屋のみ。

 ここが白梅の仕事場であり、この後宮に勤めれている人々のための相談室である。

 その建物の窓辺から外には、小さな柵によって作られた花壇がある。

 そこに白梅は種を植え、少しだけ仙気を与えて発芽させると、少し離れた場所に建つ小さな四阿頂あずまやに向かい、一人で茶会を始めた。

 昨夜は客間にて一夜を過ごした白梅だが、今日は洪氏に付き従い、挨拶も兼ねて三皇貴妃に御目通りをおこなう筈であったが。


「何故に、洪氏さまは私の目の前で茶を啜っているのですか?」

「何故と言われても、碧華妃とは、この四阿頂で待ち合わせをしているのでね」

「はぁ。どこに皇貴妃と茶室で待ち合わせをする宦官がいるのですか……しかも、人の目につきやすい四阿頂で」


 中級、下級妃とは異なり、三皇貴妃との御目通りは、大抵はそれぞれの住まいにて行われる。

 現在、もっとも正妃に近いといわれている紫瑞妃は『紫瑞宮』に、隣国から嫁ぐように後宮に来た翔賢妃は『紅鳳宮』に、そして地方豪族の娘である碧華妃は『碧麟宮』にて、自分達を慕う中級妃や下女と共に暮らしている。

 なお、四瑞宮という名の示す通り、今は使われていない『青鸞セイラン宮』という四箇所目の宮も存在する。


「それが……実は、この場所での御目通りを願ってきたのは、実は碧華妃の方でな。屋敷の中は息が詰まるとかで、こう、天気の良い日などは下女を伴って散策をしているので」

「いや、ちょっと待ってください。三皇貴妃は上級妃ですよね? 帝の寵愛を受けるべく、日々を自らを磨くために屋敷にて過ごすのが普通では? 昼日向に帝が訪れることもありますよね?」


 この国の女性たちの憧れであり、正妃に最も近い女性、それが三皇貴妃。

 その中でも序列があり、順に貴妃、淑妃、徳妃、賢妃と並ぶ。

 この四妃から正妃が選ばれるため、彼女たちは日々を研鑽に努めているのだが。


「まあ、私は序列三位ですし、ここ最近は帝の寵愛も減りましたから。初めまして、白梅さん」


 庭園からゆっくりと歩いてくる女性たち。

 先頭を歩く碧華妃と、彼女に付き従っている下女たちが、四阿頂までやって来る。

 仙女のような、ゆったりとした華服を身につけ、華美にならない程度の装飾を身につけた麗人。それが、白梅が初めて見た碧華妃の印象である。


「はい、初めまして、私は白梅と申します」


 立ち上がり服の袖に手を入れて揖礼する白梅。

 それに合わせるように洪氏も立ち上がると、同じように碧華妃にあいさつを返す。

 すると碧華妃の後ろの四人の下女も、洪氏と白梅に同じように頭を下げているが、彼女たちの目の前には洪氏と白梅、二人の麗人が笑顔で立っている。

 思わず頬を染めてしまうのも、無理はないだろう。


「今朝、洪氏から届いた木簡を見て、心臓が止まりそうになりましたよ。まさか、四番目の皇貴妃がやってきたのかと思ったじゃないですか」

「四番目……あ、賢妃のことですか。残念ですが、私は帝の寵愛を受けるためにここにきたのではありませんよ」

「でも、東廠に勤める方は普通、宦官が一般的なのよ。あとは六尚の下女ぐらいですけれど。いきなり後宮の相談役だなんて言われても、普通は信じないわよ? それに、その姿……本当に女性なの?」


 つまり、建前上は相談役として派遣されたものの、実際は賢妃候補としてやってきたのではないかと懸念していたという事。

 事実、彼女の目の前には背丈五尺の麗人である白梅が立っている。

 胸元こそ薄いものの、その程度は後宮にもごまんといる。

 つまり、彼女が四番目の皇貴妃であると考えるのも無理はない。

 でも、その碧華妃の懸念はあっさりと打ち砕かれる。


「あはは……まあ、この場には碧華妃と下女しかいないようですから申し上げますが、私は、帝の寵愛を受けられません。もしもそのようなことになりましたら、恐らくは故郷の祖父や師父たちが黙っていませんから。それこそ、この国が滅ぶくらいの怒りが、帝に向けられますので」


 ニィッと笑う白梅。

 すると洪氏が背筋を振るわせ、白梅に近寄り耳打ちをする。


「な。なぁ、白梅の師父と言うことはつまり」

「八仙ですね」

「はっ!! 八仙?」

「ちなみにじっちゃんの仙人名は呂洞賓りょどうひんです。まあ、ご存じないかもしれませんが」

「あるわよ!!」

「そ、そんな方に白梅は育てられたのか……」


 動揺する碧華妃と洪氏だが、白梅にとっては、暇だと昼寝に耽るか拳法の修行をし、夕餉には酒をのんで知人たちと共に語らい歌っていた老人にすぎず。

 そんなに人に尊敬されるような人物とは、到底思っていない。


「え~、あんなくそじじいが、そんなに有名なのですかぁ」

「くっ、くそじじいって……」


 碧華妃は思わず素っ頓狂な声をあげてしまい,慌てて口元を抑える。

 その仕草に、後ろに支えている下女たちもクスクスと笑みを浮かべる。

 他の皇貴妃とは異なり、碧華妃は下女に対しても寛容であり、友人のように付き合っているんだなぁと白梅も笑ってしまう。


「まあ、身内の事ゆえ、ご内密に。それと私の事ですけれど、昔、旅の僧侶にはあっさりと正体が見抜かれましたけれど、私は仙女です。という事で、ここでは相談役として仕えていますので、何かお困りのことがありましたら、いつでもいらしてください」

「はい、困ったことがあったら来るので、その時はお願いね」


 軽く会釈をして、碧華妃はその場から立ち去るのだが。


──ザワッ

 白梅は、碧華妃の足元に漂う黒い霧のようなものに気がつく。


「瘴気……ああ、負の気が纏わりついているだけか。まあ、あの程度なら、多少の不眠とか疲れが溜まる程度だから良し」

「ん? 今、何か言ったか?」


 ぼそっとつぶやいた程度だが、白梅の言葉に関心を示す洪氏。

 このまま誤魔化しても構わないと思ったけれど、後々で面倒になると厄介なので、洪氏にだけは簡単に説明することにする。


「人の世では、様々な感情が形となって現れることがあります。今、碧華妃の足元には負の気、つまり瘴気が纏わりついていました、それだけです」

「それだけって、危険はないのか?」


 慌てて問いかける洪氏だが、白梅に言わせると負の気が存在しない場所など仙界ぐらいであり、大抵の人は何かしらの負の気を纏わりつかせているものである。

 それが蓄積したり、凝縮すると体調に不備が生じ、病や怪我を引き起こすようになる。


「あの程度の瘴気では、何も起こりませんよ。恐らくですが、昨晩は帝が碧華妃の元にいらしたのでは?」

「あ、ああ、何故わかる?」

「簡単なことですよ。あの瘴気は、帝を横取りされた貴妃か貴人の嫉妬です。そんなもの、この後宮ではあちこちに漂っています。現に、洪氏の身体にも、べっとりと瘴気が張り付いていますよ?」

「それは本当か!!」


 立ち上がり、着用している華服をバタバタと払う洪氏。

 だが、白梅はニマニマと笑いながら一言。


「そんなところじゃありませんよ、寧ろ瘴気は洪氏さまの股間に集まっています……宦官である洪氏との逢瀬を求める女性の瘴気かもしれませんね。まったく、どれだけ手技に長けているのですか?」

「な、何を馬鹿な……いや、心当たりはあるか」

「あるんかい!! あ、失礼しました、あるのですね?」


 思わず素で突っ込んでしまう白梅だが、すぐに口調を戻す。


「はぁ。たまに地が出てしまうようだが、私に対しては気にする必要はない。白梅は宮中の礼節には疎いようだからな。それよりも、この後宮には一体、どれぐらいの瘴気が漂っている? それを払うことは可能なのか?」

「そうですね。ここにはどれぐらいの人が勤めていますか?」

「貴妃を始め、六尚、東廠の宦官も含めて、二千六百人というところか」

「では、その倍ぐらいの瘴気溜まりはあると思ってください。払うことは可能ですが、すぐにまた、どこからともなく集まって来て濃くなりますから。この手のものって、堂々巡りになりますよ? 瘴気は妬んだものも、妬まれたものにも現れますから……と、それよりも、残り二人の貴妃との御目通りは?」


 今は洪氏と二人、のんびりと四阿頂で茶を飲んでいるだけ。

 碧華妃のように自ら足を運んでくるとは思えないのだが、それにしてものんびりとし過ぎていると白梅は感じ始めた。

 それに、この場所は四方にある皇貴妃らの宮からも近く、多くの女官や下女が近道をするために往来している場所でもある。

 つまり、


「御二方とも、午後からの御目通りならと約束を取り付けてある。だから、それまでは白梅も後宮の敷地内を散策してみるといい。その姿だと下女とも貴妃とも間違えられることはないだろうからな」

「まあ、そうですよね……」


 普通ならば、後宮に仕える女性は華服という衣服を着用するのが習わしであるらしく。特に寵愛を受けられる貴妃たちは華美にして豪華な飾りをつけたものを用いる一方、六尚ら下女は胡服と呼ばれている、地味な色合いの作業衣を着用する。

 なお、宦官たちも皆、少し派手な胡服が制服として貸与されているのだが、洪氏のように金糸の刺繍が盛り込まれた、飾り付き長袍チャンパオを着こなすことが許されているのは、上級宦官などの役職持ちに限定されている。


「しかし……どうして私の制服が長袍チャンパオなのか、説明が欲しいところですが。まあ、この姿ならこの方が似合いかとは思いますが、何故、白地なのですか?」


 女性女官用の華服でもなければ、下女用の胡服でもない。

 男性用の長い裾を持つ長袍チャンパオ、それも白地のものが貸与されている。

 白地の衣服は庶民の色であると同時に、葬式などを表す忌色である。


「何故と言われても……白梅の所轄は東廠。それも貴妃たちの相談役なのに、色味の地味な胡服というのも問題があるだろう? そもそも官位はないのだからな」

「はぁ。まあ、それはそれで構いませんし。そもそも、長袍チャンパオは田舎でも着慣れていましたから。そもそもですね、師父たちは女の子の衣服に無頓着過ぎるのですよ……」


 ブツブツと師父たちへの不平不満を挙げ連ねていると、洪氏はそれを聞かなかったことにしてその場から立ち去っていく。

 残された白梅はというと、暫くはお茶を飲みつつ四阿頂から周囲の風景をのんびりと眺めていたものの、やがてそれにも飽きてしまい、後宮中央の庭園をのんびりと散策することにした。

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