かつて世界を救った『拳聖』は、今生で『剣聖』を目指します

プロローグ

第1話 魔王

 彼の旅は平坦へいたんな道では無かった。しかし、そのことごとくを切りひらいてきた。その手に持つ、白銀の剣でもって。


 それは星の降る山で手に入れた神鉄を、何度も何度もたたいて磨き上げた聖剣である。鉄だけではない。込めた思いも、培ってきた経験も、幾重にも重なっている。

 彼が手にしているのは、そんな剣だ。そして、それを扱う彼自身も強く鍛え上げられていた。旅を始めた当初とは雲泥の差である。

 

 だからこそ、そこにいる誰もがその剣で全てを打破できると信じ切っていた。それはまさに、今振り下ろそうとしている持ち主自身も。


「なんだ、と」

 しかし、その太刀は彼が思ってもいないところで止まってしまった。


  そう、止まったのだ。受け止められた、のであれば彼にだって二の太刀を振るう用意がある。その程度ならば、今までだって乗り越えてきた。その度に、少しずつ着実に成長してきた。

 だが、それとは一線を画す衝撃に彼の思考は止まってしまったのだ。まさに、眼前の剣のごとく。


 その隙を見逃さない相手ではない。黒い輪郭の見えない腕が彼に向けて無造作(むぞうさ)に振るわれる。圧倒的な暴力は、彼の体を飲み込もうと襲いかかる。

「くっ」

 間一髪。その腕をかいくぐって、剣を横に振るう。人と同じ形だとはいえ、弱点が同じとは限らない。首がだめなら、と腹を狙った。


 今度こそとらえた。彼はそう思った。しかし。

(まただ)

 切っ先は、敵に届くことなく宙に止まる。反発も無く、はじかえされることも無い。まるで柔らかい綿に包まれたかのように、そこで動きを止めていた。

 反射的に剣をひく。敵は咆吼ほうこうとともに、地面を踏みつけた。


 地は割れ、破片は弾丸となって彼を襲う。弱い目をかばいながら、後ろへと退いた。

「アイヴァン」

 少女の声。おそらくつえを握りしめて、こちらに駆け寄ろうとしている。

「ラーナ、俺は大丈夫だ」

 声と手で制して、アイヴァンは立ち上がった。顔に傷がついたが、問題は無い。体はまだ全力を出せる用意がある。


 しかし、その全力が届かないとしたら……。自分に何ができるのだろう。

 アイヴァンの瞳は揺らぎ無く、だが心に多少のよどみを感じつつ眼前の敵と対峙たいじした。


(これが、魔王)


 アイヴァンの故郷であるクレーゼル地域、いや、サラランヌ大陸全土を恐怖に染めた邪悪の王。人の天敵である魔物たちの長であり、この大陸から人間の国を滅ぼそうと各地で戦争を繰り広げた。

 一時はそのあまりの勢いに、人の歴史も潰(つい)えるかと思われた。


(やっと、ここまで来たんだ)


 しかし、希望が押し返した。今、ここにいるアイヴァン達の尽力により、ここ魔王の本拠地まで追い詰めることができたのだ。

 あと少し、あと少しで彼が待ち望んだ平和が訪れる。それなのに。


「くそっ」

 そのあと一歩が、とてつもなく遠かった。


 悠々と立ちはだかる魔王相手に、アイヴァンは次の一手を打てずにいた。


 そんな彼の背後に、すっと近づく白い影。

「あれが、魔王の持つ闇の衣か」

 しわを深く刻んだ顔に似つかわしくない輝きを放つ眼光。白髪の老人は、音も無くアイヴァンの真横まで歩みを進める。

「ロラン」

 アイヴァンの声に、老人はうなずいて応える。

「聞いてはいたが。目にしてみると驚きしか無いな。なかなか厄介なものを身につけている」


 闇の衣。先に魔王と戦い勇敢にも散っていった者が残した言葉。

 魔王はその体を暗い霧のようなもので包んでいて、それがこちらの武器を一切受け付けなかったのだと。

 ある程度、予想はしていた。魔王に攻撃を届かせるのには苦戦するだろう、と。

 しかし、これほどのものだった。まさか、これほど絶望を感じさせるものだったとは。彼らの予想の範疇はんちゅうを超えている。

 その話を聞いた時、アイヴァンの持つ星を鍛えた剣であればあるいは、と思った。だが、そんな希望すら打ち砕くほどに厚い壁である。


「アイヴァン、一つ聞こう」


 最終決戦の場に合って、まったく乱れていない静かな心でロランはアイヴァンに尋ねる。

「魔王に剣さえ届けば、おまえならやつほふれるんだな」

 腕組みをするロラン。その目は挑むように、アイヴァンに突き刺さる。


「ああ」


 アイヴァンは即答した。今の魔王と自分との距離。それはそのまま闇の衣の厚さであり、それ以外であれば自分が上回っている。

 熱い心はあっても、思考はあくまでも冷静に。アイヴァンは正しく魔王と自分の差を理解している。だからこそ、あの闇の衣の存在がもどかしかった。


「それならば、よい」

 ロランは安堵あんどの息を吐く。


「はい?」

 さすがに予想をしていなかった答えだった。アイヴァンは虚を突かれて、年齢相応の反応を返してしまう。

「よい、と言ったんだ。私では、魔王を倒すことはできないからな」

 ロランは袖をめくり上げた。そこからは、老体のそれとは思えぬ細くとも隆々とした筋肉のよろいをまとった腕が顔を出す。


 そう、ロランは魔王を葬って平和をもたらすことはできない。しかし、後を託すことができる者がいる。


「倒すことはできないが」

 小指から一本ずつ折り曲げて右の拳をつくるロラン。その拳が、かすかに輝いたのは見間違いでは無い。

「あの衣をぐことはできよう」

「待て、ロラン。それは」

 アイヴァンの手は空を切った。すでにロランは動き出している。


「あとは、頼んだ」


 言うが早く。

 ロランは地を蹴った。一気に距離を詰め、上へとぜた。その体躯たいくは宙に、そして、一直線に魔王に向かって落ちていく。

「……」

 魔王はゆったりとした動作で迎撃の姿勢をとる。そんな魔王に対し、ロランは何の芸も無く愚直にぐに魔王を狙っていた。


 そう、いつも冷静に勝ちをつかむロランの、仲間が一度も見たことのない愚直な拳。

 まさに捨て身の一撃である。

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