第4話 くせ者あらわる

 確かにぶつかると思った。そして、反射的に制圧しようと体が動いた。それはアルフレッドが長年積み上げてきた反撃の姿勢。ほとんど反射的なものだ。


 止めようと思っても止まらなかった。それなのに、何も触れずに通り過ぎた手が戻ってくれば戸惑うしかない。

「あ、あれ?」


 周囲をきょろきょろと見渡すも、跳び込んできた少女の姿は見えない。


 これは白昼夢か、とアルフレッドがいぶかしんでいると、そこに一人の男性が駆け込んできた。


「き、きみ」


 男の息は上がっている。ずっと走っていたのだろう。呼吸が落ち着くのを待って、彼はアルフレッドに話しかける。


「こんな感じで、髪を結わえた女生徒を見なかったか!」


 成人男性が頭の上で二個丸を作っている姿は滑稽だった。しかし、その視線は真剣そのもの。だから、笑うことなく真剣な面持ちでアルフレッドは記憶を辿る。

(結わえた髪?)

 一瞬だったが見た少女の姿。それは確かに男性が表現しているものと酷似している。


「あー」

 知っている事実を口に出そうとして、アルフレッドは躊躇ちゅうしょする。


 ここで何を言えば良いのか。素直に見失ったと言って良いのか。しかし、それは少し恥ずかしい。それに、そんな情報を欲しがっている相手ではない。

 おそらく彼が欲しているのは捕まえるための有益な情報だ。幻のように消えました、などと言っても意味が無いだろう。


「そうか、また逃げられたか」

 アルフレッドのそんな反応は男性にとって予想通りではあったらしい。口ぶりから何度か、同じ目にあっているようだ。


「君も、また見かけたら伝えておいてくれないか。課題を出せないんだったら素直に言いなさいと。他の先生は知らないが、僕はちゃんと中身見てるからね、と」


 そして、先生らしき男性はがっくりと肩を落とし、その場を立ち去っていった。


「リリアンさん、授業も休みがちだし、どうしたらいいんだろう……これ以上、かばいきれないしなぁ」


 彼のつぶやきが耳に入ったアルフレッドは、なんて真面目な人なんだろうと感心した。そんな不良生徒はほっとけばいいのに、と同情すら覚える。


 主に金銭面の苦労をして、何とか学院に滑り込んだアルフレッド。今だって、学院の全てを吸収してやろうという意気込みで苦手な座学にも取り組んでいる。

 だから、正直逃げ回るのが信じられなかった。


「おい、くせ者」

 アルフレッドの口調に多少の怒りが混じっていたのは、きっとそのせいだ。

「そろそろ降りてきたらどうだ」

 彼は振り返り、顔を上げてにらみ付ける。


「あははは……はぁ。先生には見つからなくて良かったぁ」


 そこにいたのは、まさしく『くせ者』。

 アルフレッドが幼い頃に読んだ本に出てくる、異国の密偵を思わせる姿勢で壁にくっつく少女だった。その二つに結わえた髪が、ぶらりとぶら下がっている。


 アルフレッドが見失ったのも、最初だけは事実であった。彼は常に周囲の様子を確認する癖がある。その時、背後からの異様な気配に気づいていた。


 彼女は、おそらく衝突しそうだったアルフレッドを上に避け、そのまま壁の手がかりをつかんで天井近くに張り付いたのだ。靴を履いている足も器用に壁の出っ張りには引っかかっている。まるで、手が四つでもあるかのようだ。

 あの先生も息が上がっていなければ上を見上げる余裕があったろう。しかし、膝に手をついた姿勢では彼女は見つけられなかった。こんなに目立つのに、と思うのだが人間の視界は意外と狭い。


「おまえも芸術科だろ。専門は何なんだ。曲芸師でもやってんのか」


 リリアンと呼ばれていた少女への個人的な苛立いらだちは置いておいて、その身体能力の高さは気になった。鍛えるのが日常である戦士科でも、あまり見ない身のこなしだ。

 外で見た女性も体幹がしっかりしていたが、そういった訓練もするのだろうか。それだったら、少しは自分の鍛錬にも取り入れてみたいと彼は思った。


「え、やだなぁ、リリィの専門は声楽だよ」


 まだ天井付近にいる彼女は顔だけアルフレッドに向けてにっこりと笑った。声に震えもなく、その表情にも余裕がある。

 その様は非常に滑稽であった。吹き出しそうになるのをこらえて、アルフレッドは言葉を返す。


「声楽って、歌か」

「そうそう……、あ、ちょっと待って。そろそろ辛い」


 どうやら、笑顔だけはやせ我慢だったようだ。リリアンはもう一度、周囲を確認して、壁をつかむ手を離して、地面に降り立った。

 その時、音も無く着地した彼女を見て、アルフレッドはやはり『くせ者』ではないのか、と思ったのだった。



「それで、ちょっと聞きたいんだけどな」


 その後、リリアンを置いて立ち去っても良かったのだが、妙に彼女の存在が気になったアルフレッドはまだ周囲を気にしているリリアンに話しかけた。

 内容はもちろん、例の闘技祭『最強』の存在についてである。


 しかし、その単語を聞いた瞬間、リリアンはほおを膨らませる。

「『最強』って響き、かわいくなーい」

 どうも、その話題は彼女のお気に召さなかったようだ。


「かわいい、かわいくないって言ったら、それは可愛かわいくないんだろうけどさ」

 アルフレッドだって、さすがに彼女の言う可愛かわいいものが何なのかは想像できる。そして、『最強』という言葉が、おそらく可愛かわいさとは対極にあるものだということも。


「そうそう、リリィとお話ししたかったらね。そんな話題をもって来ちゃダメだよ。えぬじーなんだから。もっと、もーっと、盛り上がる話じゃないとね」


 リリアンはにっこりと笑って、右手を差し出してアルフレッドにアピールをする。自分を大きく見せる、妙に芝居がかった仕草だ。

 芸術科の女性は皆、こんな感じなのだろうかとアルフレッドに新たな偏見が根付こうとしている。


「別に、おまえと話がしたいわけじゃない。知らないってなら、ここで打ち切ってもいいが」


 アルフレッドはあくまでも聞き込みのつもりだった。彼女との会話の応酬に興味は無い。自分の欲求が満たされないなら、即刻この場を立ち去るつもりだ。

「えっ」

 そんなアルフレッドの反応が心底意外だったのか、リリアンは絶句した。


「ナンパのおにぃさんじゃないの?」


 何という認識だ。心底心外なアルフレッドは眉を中央に寄せて首を横に振る。

「そんな趣味は無い」

「でもでも、呼び止めてきたのはおにいさんの方だし。リリィに興味があったんじゃないのかな?」

 リリアンはちょっとだけ首を傾げた。身長が低いから、上目遣いで何かを訴えてくる。

 その視線を受け、アルフレッドは大きく生きを吐いた。

「あのな。興味の種類が違うんだ」


 女性が苦手なアルフレッドではあるが、リリアンとは子どもを相手にするようにすらすらと会話ができる。

 初対面の衝撃が、アルフレッドからリリアンと女性を結びつける感覚を吹き飛ばしたのだ。リリアンが期待しているような展開には絶対にならないだろう。


 その反応はあまりリリアンのお気に召すものでは無かったようで、「なーんだ」とつまらなさそうに口を尖らせていた。

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