見える景色

 穿孔度スケール6での敗走。

 それは記憶に焼きついた、最も新しい敗北。


 魄導の会得。

 繁殖の概念保有体の討伐。

 リステルの全面庇護の確約。


 いずれも歓喜、勝利と栄光の記憶。


 ——だが、“負け”が消えたわけではない。

 断じて、あり得ない。


 あの日の惨敗は、何もできずに潰えた屈辱は、今日も胸に燻り続けている。


 超えろと、魂が叫ぶ。

 敗北の記録をもって、今日を超えろと。



 穿孔度スケール6、『死套纏いし地底湖』。


 空間歪曲型の異界であり、異界主の座す中央の湖が歪みにより沈んでいるのがまず第一の特徴。

 第二の特徴は、そこまでのの鍾乳洞が、空間の歪みによって巨大な地下空間へと拡張されているという点。


 高危険度の水棲系及び死霊系に属する魔物が群体で出現し、なおかつ空間が地続きであるゆえに接敵が途切れない。

 そのため、一度の会敵から最悪の場合30分連続で戦闘——なんてこともザラにあるのがこの異界の恐ろしいところだ。



 銀の斬撃がスケルトン・ソルジャーを真縦に両断する。

 返す一刀で頭上に飛来した骨の毒矢の雨を吹き散らし、離脱。

 あっという間に全周を包囲した骨の軍勢に思わず舌打ちが漏れた。


「揃いも揃って防具着込みやがって……!」


 こちとら後方で俺の戦いぶりを眺めているリントルーデが持ってきた胸当て一枚だけなんだぞ加減しろ畜生——なんてぼやきを髑髏しゃれこうべが聞き入れるはずもなく。

 頑強な防具を着込んだ近接兵、弓兵、(毒付き)、魔法使いの三段構成で油断のない陣形を敷くスケルトンの軍勢を前に、俺は完全に攻めあぐねていた。


「スケルトンだけならまだいけるんだが……っ!?」


 カラカラと嗤うように全身から音を立てる骨の軍勢を取り巻くように亡霊レイスが空を舞い、呪禁によって俺の平衡感覚を狂わせる。

 魄導を全身に、三半規管や脳血管にまで浸透させ対処する——こんなところで激辛料理への対策に編み出した臓器への浸潤が役立つとは思わなかった。


 が、それでも完全な防御には届かず。全身が脱力に見舞われる。

 ふらつく俺の足下を見て好奇と捉えたか、数体のスケルトン・ソルジャーが骨槍を携えて突貫する。


『カカカカカカカカカッ!!』


「甘いっ!」


 前後不覚程度で倒せると思うな——威圧するように睨みつけ、銀の魄導を纏った剣を一閃、槍諸共にスケルトンたちを粉砕した。


「こっちの攻撃は通るけど……また来やがったな!?」


 目の前のソルジャーに気を取られた一瞬、側面から泥を泳ぐ亜竜りゅうもどきの蛇が圧縮された熱湯を喉奥から撃ち出す。


 俺の胴体を薙ぎ払う一撃。


「づぅっ……!?」


 身を退け反らせ紙一重で躱した視線の先、糸のように細く限界まで圧縮された水圧砲が地面から生える鍾乳石を軽々と断ち切った。


 さらに、水圧砲が


 スケルトンを囮に俺の知覚から逃れていた亜竜たちが周囲に展開——全方位から複雑怪奇な紋様を描くように世界を水糸で薙ぎ払う。


「——っ、ルーランシェ!」


 魄導が霧散し、代わりに纏うは舞い散る黄ばんだページ

 体の芯から暖かな光が漏れ出し、俺の十指の先端に収束した。


概念再現リページ、『ディスペルライト』!」


 両腕を薙ぎ払った直後、水糸と光糸が交錯する。


 全方位を駆け巡る光の道筋。

 外的要因による屈折を拒絶する光が俺の指に従って繭を描く。

 それにより、光の通り道には遮る万物が存在しないことを逆説的に世界へ捩じ込み、全ての攻撃を遮断。


 光の概念保有体、ルーランシェ・エッテ・ヴァリオンの生前の記録から模写した擬似概念が戦場へ強制的に空白を生み出した。


「——一旦退け、エトラヴァルト!」


 そこに、リントルーデの声が響く。

 俺は頷く暇も惜しんでその場から離脱——光学迷彩を纏い、魔物の追撃を振り切った。




「どうだ? 穿孔度スケール6の異界は」


「思ったよりも戦える。油断さえしなければ、異界主ともりあえる」


 リントルーデの問いに、俺は自分の嘘偽りない感覚を伝えた。


 俺の所感を受けた〈異界侵蝕〉はニヤリと笑う。


「貴殿はいい戦士だ。地に足ついた良い戦い方をする。貴殿であれば、穿孔度スケール6を超えることはできよう。だが——」


「足りない……か」


「わかっているのならば良い」


 リントルーデは懐中時計を手元に、険しい表情を浮かべた。


「突入から6時間。第一層突破の目処が立っていないのが現状だ。全16階層と異界主——これらをあと42時間以内に倒すには、絶対的な突破力が足りない」


「……ああ、わかってる」


 俺は、突入直後のリントルーデの“見本”を思い出す。


 僅か一振り。

 魄導が鱗のような紋様を描く巨大な腕を象り、一撃で先ほどの軍勢に匹敵するだけの魔物たちを粉砕した。


 〈異界侵蝕〉という存在の理不尽を、改めて思い知らされた。


「今すぐに俺に届けとは言わん。が、貴殿は少しばかり


「お利口? どういうことだ?」


 俺はリントルーデの評価に疑問を呈す。

 俺の剣技は完全な我流。世に溢れる体系化した剣術たちとは似ても似つかないものだと認識しているし、実際に“異端”だと知識人のラルフからもお墨付きを貰っている。


「むしろ、雑とか言われる側じゃないか?」


「貴殿の考えはわかる。確かに、技能的な側面で言えば貴殿の剣技は我流と呼ばれる分類だろう。が、技術……理論的観点から話すなら、貴殿のそれは


 ——正拳突き。


 突如として拳を振りかぶったリントルーデに、俺はどう目しながらも剣で受け流した。


「何を——」


「そう。今のように、貴殿は相手の動きや思考に合わせて剣を振るう。剣術的模範解答とは違う、言わば実践的模範解答。防御に傾倒していると言えば聞こえは良いが、その実、貴殿は自分から仕掛けることを知らないのだ」


「……!」


 その言葉にハッとする。

 リントルーデの言うとおり、俺の攻撃手段は初撃を叩き込むか、相手の動きに合わせたカウンターの二択。

 ことは、ほとんどなかった。


 押し切れるならそのまま押し切ってきた。が、一度受けに回ってしまえば、そこから戦い方は一つしかなかった。


「エトラヴァルトよ、貴殿はもっと暴虐になれ」


 リントルーデは、敢えて強い言葉を選んで使う。


「ねじ伏せ、叩き潰し、制圧するのだ。相手の思考など考える必要もないほどに、真正面から圧倒するのだ。魄導とは——」


 リントルーデは、右手に魂の輝きを集約させる。


「魄導とは、即ち想像力だ」


 鎧が顕現する。

 物質化した魂の奔流が鱗のような模様を描く鎧となり、リントルーデの右腕を覆った。


「イメージするのだ。貴殿にとっての最強を。真正面から全てを粉砕するだけの圧倒的な暴力を。守りたいものを守るために、壊す力を手にするのだ」


「守るために、壊す……」


 リントルーデは自身の言葉を反芻する俺の肩に手を置く。


「安心するがいい、エトラヴァルト。俺は〈守護者〉だ。弟の友を守るのは俺の勤めだ」


 〈異界侵蝕〉は、逞しい左手で俺の背中を思い切り叩いた。


「いいっ〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」


「存分に暴れてこい! ダメだった時は、俺が全力で守ってやる!」


「〜〜〜〜っ、すでにダメそう!」


 痛みに悶える俺の姿に、リントルーデは『油断したな!』と大声で笑った。




◆◆◆




 そして、再び対峙する。

 エトラヴァルトとスケルトンの軍勢、亜竜の群れ、亡霊レイスの呪詛。


 先ほどと全く同じ布陣。


 しかし異なるのは、真正面から対峙してなお、エトの歩みが止まらないこと。

 既に全身には魄導が漲り、灰の瞳が蒼銀の輝きを帯びている。


「俺の理想……絶対的な力」


 思考する。

 目指した憧れを。


「俺の求める、壊す力」


 理不尽、不条理を。

 悲劇を真正面から砕くだけの力。

 守るための力——守るための剣。


「……やっぱり、お前しかいないよな」


『カカカカカカカカカカカカカカカカカカッッ!!!』


 痺れを切らしたスケルトン・アーチャーが骨毒矢を一斉に天へと放つ。

 前方の空間をまとめて刺し穿つ矢の豪雨を前に、エトは剣の柄を握りしめた。


 須臾の間、粉砕する。

 吹き荒れた魄導が斬性を帯び、上空の毒矢を粉微塵に切り裂いた。


 後方、見守っていたリントルーデの瞳が興奮から子供のように輝きを帯びる。


「アレは、まるで〈勇者〉の……!」


 〈勇者〉の剣気に酷似した魄導の運用。

 当たり前のように本家本元には大きく劣る、比べることすら烏滸がましい精度。


 しかし、それは紛れもないエトラヴァルトの思考の結果。


 そも、リントルーデは預かり知らぬ話ではあるが。

 エトラヴァルトは既に、繁殖の概念保有体との戦いの中で〈勇者〉の劣化模倣には一定程度成功している。

 無意識の技能を意識的に引き出せるようになっただけであり、その意識改革常識を捨てることこそがエトには必要だった。


 憎むほどに憧れた最強の象徴の模倣が、スケルトンの攻撃を悉く封殺する。


 更に、エトラヴァルトの攻撃は止まらない。


 ゆるりと歩むエトが、魄導を纏った剣がおもむろに振り下ろす。

 瞬間、銀の斬撃が伸長し一頭の亜竜を魔石ごと真っ二つに両断した。


『————』


 亜竜は断末魔を許されず、自慢の再生力を活かす間も無く消滅する。

 更に、斬撃が幾重にも空間を疾走し、瞬く間にスケルトンを骨粉に変えた。


 圧倒的な蹂躙劇。

 穿孔度スケール6の物量をものともしない銀の斬撃圏が、5分と経たず軍勢を制圧した。


「見事だ、エトラヴァルト」


 リントルーデは目論見通り、意識を一つ変えるだけで飛躍を果たしたエトの奮戦ぶりに惜しみない賛辞を送った。



 その時、異界が哭いた。



「む——!?」


 拡張された鍾乳洞全体を震わせる慟哭にあちこちの鍾乳石が砕け散る。

 の叫びに凡百の魔物は蜘蛛の子を散らすように方々は逃げ出した。


 異界中央の湖面が泥に濁り大爆発を引き起こす。

 溢れ出した汚泥は津波のように異界を疾走——あっという間にエトラヴァルトを飲み込んだ。


 直後、銀の斬撃が泥の内側から爆ぜ、津波を退ける。

 明瞭になったエトの視界の奥で、泥に乗って接近する超抜級の個体……泥の竜を冠する変異個体イレギュラーが雄叫びを上げた。



 猛スピードでエトラヴァルトへと突っ込む変異個体イレギュラーの姿を認めたリントルーデの口角が上がる。


「徘徊型の変異個体イレギュラー……!」


 異界掃討作戦の本来の目的を果たすと同時に、エトラヴァルトの実力を遺憾なく発揮させる最高の場。


 その認識は、対峙するエトも同じ。


「リベンジマッチだ、穿孔度スケール6!」


 漲る魄導をそのままに、真正面から突貫、泥の竜の頭部へ渾身の突きを見舞う。


『ガアアアッ!』


 竜はこれを泥に乗って華麗に回避、エトの側面に躍り出て獰猛な顎を広げた。


「フッ——!」


 一瞥。

 蒼銀纏うエトの瞳が睨んだ龍の口腔に無数の斬撃が迸り、顎が内側から爆ぜるように四散した。


『〜〜〜〜ッ!?』


 予想を上回るエトの攻撃力に泥の竜は正面戦闘の選択肢を破棄。

 自在に操る泥の中で顎を再生し、眷属たる亜竜を召喚した。


『ガギャギャギャギャ——!!』


 十を超える眷属がエトを取り囲み、超高水圧砲を放つ。

 戦士は引かず、銀光靡く長剣で円環を描き全ての水圧砲を叩き切った。


 さらに、エトの攻撃は終わらない。

 円環を突き破るように大地を蹴り砕き眷属の亜竜に肉薄。


「——らアッ!」


 握りしめたで亜竜の土手っ腹を殴り飛ばした。


 ——凛と、鳴り止まぬ。

 鋼を鍛える音が響く。


 『湖畔世界』フォーラルで名付けられた〈剣界ソードスフィア〉の異名に違わぬ超級の攻勢防御。

 亜竜の攻撃の悉くを防ぎ、見敵必殺。

 一頭ずつ、確実に。

 全ての亜竜を一撃で屠っていく。


 度々呼び出され集結するも、現れた側から銀の拳と剣が粉砕する。


 何度も、何度も。

 鋼鉄を鍛える音色が響く。


 ——埒が開かない。

 このままではいずれ手駒が尽きる。泥の竜は消耗線の果てに訪れる自らの敗北を自覚した。


『ガアアアアアアアアッ!!』


 ゆえに、今、潰す。

 一帯の泥を全てかき集め、泥の竜は自らを核に巨竜ゴーレムを創造した。

 全長20Mを超える泥の巨体。

 異界から供給される無限の魔力によって押し固められた巨体は、一挙一動が並みの生物を粉砕する致命打になる。


 だが、泥の竜は知っている。

 目の前の人類は、並みの存在ではないと。全力で潰さねば敗北すると知っている。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオ——!!』


 空間を震わせる大咆哮と共に突進する。

 小細工はいらない。圧倒的な質量と加速、単純な重さで轢き殺す。



 剣を鍛える音は、もう、聞こえない。



 単純明快にして最適解を選び取った泥の竜を前に、エトラヴァルトは不動。

 それどころか、口元には穏やかな笑みすら浮かんでいた。


「ああ、ようやくだ」


 その声には、万感の想いが込められていた。


「ようやく、お前の見ていた景色を」


 エトラヴァルトが放出する銀の魄導が萎縮するように縮む——泥の竜はそう捉えた。


 しかし、それは致命的な間違いだった。


 それは、萎縮ではなく“収束”。

 エトラヴァルトの魄導は収束し、鉄撃ちを響かせ、形を成す。


「見られる場所に、手が届くぞ——アルス」



 収束顕現、“剣”。



 エトの周囲に、魄導を極限まで圧縮した六本の銀の剣が生成された。


 エトが目指した憧れ、強さの形。

 それは紛れもなく、唯一無二の親友の姿。


『オ——』


 その正しい脅威を認識する暇すら、泥の竜には与えられなかった。


「——切り裂け!」


 エトの鋭い号令と共に六本の剣が射出される。

 音を軽々と引きちぎる超速突貫。

 六本の剣はそれぞれの泥の両翼、両腕、両足を一撃で消し飛ばし、無防備な胴体と頭をエトラヴァルトの前に晒す。


『〜〜〜〜〜ッ!!?!?』


 何が起きたのか、泥の竜は理解が追いつかなかった。

 瞬きの間に巨竜ゴーレムが砕かれた。

 圧倒的な力の奔流、視認すら叶わない連撃。


 そして眼下、針のように細く頼りない長剣の無慈悲な一撃が振り下ろされた。


「オオッ——!」


 気迫一閃、エトラヴァルトの斬撃が巨竜ゴーレムの首を切り落とし、制御を失った泥が霧散——泥の竜は無防備にその全身をエトの目の前で晒してしまった。


「——来い!」


『ガアアアッ!?』


 左手を握り込むような仕草と共に飛来した六本の剣が泥の竜を鍾乳石の大地に縫い付けた。

 噴き出した青紫の鮮血がエトの頬を僅かに汚す——それだけが、泥の竜が唯一エトに与えることのできた汚れだった。


「ハァアアアアアアア——!!」


 裂帛の気合いで振り下ろされる剣が誤ることはなく。

 喉奥に輝く魔石を頭部丸ごと断ち切られた異界主・泥の竜はか細い断末魔をあげて塵に還る。


 後には、竜を拘束していた六本の魄導の剣。そして、泥の中でなお輝きを失わない強靭な鱗を纏った竜の皮ドロップアイテムが落ちていた。

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