業火

 その日、一つの戦争が終わりを迎えた。


「……ねえ、私たちの世界はどうして滅ぶの?」


 少女は目の前の死神の背中に問う。


 家屋が燃えている。

 兵士が燃えている。

 武器が燃えている。

 大地が、空が、海が、空気が燃えて、焦げている。


 世界の全てが炎に包まれ、等しく燃え尽きようとしていた。


 業火の名を冠する世界は、たった一人の死神の憤怒によって焼け落ちた。

 左半身を黒焦げにしたルーランシェは、瓦礫に寄りかかり、その身を灰に還しながらも答えを求めた。


「あなたはどうして、私たちを滅ぼすの?」


「——お前たちが、一線を超えたからだ」


 意外にも帰ってきた答えに、ルーランシェ・エッテ・ヴァリオンは何度か瞬きをした。涙が枯れた目が痛かった。


「そうなんだ」


 ルーランシェの返事はあまりにも淡白だった。

 その怒りも失意もない平坦な声に、世界を焼き尽くした死神は振り返る。


「ずいぶんと他人事だな」


「やることはやったから」


 嘘をついた。

 やり残したことはたくさんある。後悔ばかりだ。だが、


「それに、あなたの怒りは、きっと正しいものだから」


 死神の瞳が持つ“光”は、とても澄んでいた。だから、理解はできないけど、納得はできた。

 だから、これは仕方のない結末だった。


「……正しいものなんて、この星にはない。あるのは、醜いエゴだけだ」


 存外に死神はお喋りが好きなようだった。ただの気まぐれか、そういう性格なのか。

 もっと別の形で会って話してみたかった——ルーシェは死に際、そんな感想を抱いた。


「私は別に、醜いとは思わないけどなー」


 誰もが世界を歪めている。

 凡人も天才も。愚者も賢者も。

 世界は天秤の両端のように綺麗なわけではない。


 だが、そんな世界で。

 どんな感情であろうと、己を貫き通すというのは。


「私は、真っ直ぐで綺麗だと思うなー」

 


 その日、『業火世界』ヌンは滅びた。

 “救護の光”ルーランシェ・エッテ・ヴァリオンは、世界と共にその生涯に幕を下ろした。




◆◆◆




「概念保有体って言っても、生前の話だから今は“それっぽい”ことしかできないんだよねー」


 イノリたちの疑問を先取りするようにそう呟いたルーシェは、改めて等速直線運動を始めたいかだの上に尻餅をつく。


「今の私はただの残滓だから、光の概念とは縁がないんだー」


 生前、ルーランシェ・エッテ・ヴァリオンは光の概念保有体だった。

 同時に、《英雄叙事オラトリオ》の継承者でもあった。だがそれは、二つの概念を保有していた

 《英雄叙事オラトリオ》は、それそのものが概念保有体であり、ルーランシェを始めとした歴代継承者との関係は“間借り”という表現が適切だろう。


 光の概念はルーランシェに付随付随していたが、《英雄叙事オラトリオ》はそうではない。


 《英雄叙事オラトリオ》は記録者である。

 《英雄叙事オラトリオ》はただ、ルーランシェという一人の少女の人生を最期まで記録し、そして去った。

 数枚のページに焼きついた残滓には、光の概念は付帯していないのである。


「つまりルーシェさんは、生前ほどの力を出せない、と?」


「そうだよー。……まあ、それはみんなに当てはまることだけどねー」


「……ルーシェちゃん?」


 自分の力を扱い切れるのは自分だけだよ、そう言うルーシェの表情が、イノリにはなぜか少し悲しそうに映った。


「それはそうと! 第三回遊都市、だっけ? 見えてきたよ!」


「「「え? どこ?」」」


 しかし、そんな表情は一瞬。すぐに年相応の無邪気な笑顔に戻ったルーシェは、困惑する三人を導くようにいかだが進む先を指差した。


「ほら、あそこ」


 ルーシェの両目は確かに何かを捉えているようだったが、イノリたちの目には相変わらず大海原と青空、流れる雲と数を増やしてきた幻想生物セタスの幼体しか映らない。


「いや待って待って多いよ!? アレも群れ作ってたの!?」


 目視できる範囲だけでも20頭は余裕で確認できるセタスの群れに、イノリは思い切り頬を引き攣らせた。


「ううん。アレ、群れというよりだと思う」


「「「護衛……?」」」


「そう。第三回遊都市の……あっ、そっか」


 そこまで言いかけて、ルーシェは何かに思い至ったようにポンと手を打った。


「ごめんお兄ちゃんたち。こうすれば見えるかな?」


 ルーシェは先ほどセタスを退けた時と同じように一度右手を伸ばし、空間を……を掴む。

 そして、カーテンを開けるように思い切り引っ張った。


「よーいしょ!」


 ルーシェの動きに合わせて、前方のが剥がれる。

 壁に張り付いた古いシールを爪で剥がした時のように空と海が削り取られ、その奥に隠されていた巨大なの姿を露わにした。


「「「!!?!!!!????!?!?」」」


 三人の驚愕は当然のものだった。

 なにせ、回遊都市はのだから。


 また、唯一その事実を知っていたラルフは、あまりにも高度な隠蔽技術と、それをあったり看破してしまう幼女を前に言葉を失う。


「おっきー魚ー!」


 等速直線運動オートパイロットで進む無駄に精緻な術式を刻まれたいかだは、乗船者が呆然としていようがまっすぐに進み続ける。

 無邪気に笑うルーランシェを先頭に、いかだは第三回遊都市へと入場した。

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