〈星震わせ〉

 ——まずは立ち止まれ。奴らの目は動いているものを捉えることに秀でているが、反面、緩急には弱い。


 スイレンの助言に素直に従ったエトラヴァルトは、途切れぬ円環の斬撃を止め、剣の切先を地面に置いた。


 ——相手の攻撃を過度に恐れる必要はない。全てを受け止めるのではなく、見極め、躱わすように。……来るぞ。


 忠告の直後、エトラヴァルトの左手側で幼竜が大地を蹴割り突進を敢行した。これに対しエトは斬撃を描こうとする右手を抑制し、視界端に竜を捉える。


 強靭な顎がエトの首を噛みちぎろうと大きく引き絞られ、


 ——今だ。


 スイレンの導きと全く同じタイミングでエトが膝の力を抜き、一撃を躱わす。同時に全身が独楽のように旋回し、遠心力を伴ったエストックが幼竜の体を両断した。


「よし!」


 剣から伝わる確かな手応えにエトラヴァルトは無意識に左の拳を強く握った。


 ——飲み込みが早いな、流石は継承者だ。


「そりゃどうも!」


 が、他者にはスイレンの声が聞こえていないゆえに「戦場で独り言を話すやべえ奴」という認識が一部の鬼人族の戦士たちに植え付けられた。



 スイレンと接続し、エトラヴァルトの魂は再び混然とした。

 混ざり気のない、しかし混然とした純粋な力の放出。魄導を会得する上で自己とは別の魂の残滓を有する《英雄叙事オラトリオ》は大きな障害となるのは事実である。


 そも、エトが変身を行った際に用いるシャロンの白銀の闘気や、エルレンシアの虹の魔力。概念昇格などの力の源は全て《英雄叙事オラトリオ》である。


 《英雄叙事オラトリオ》は「記録の概念保有体」である。がしかし、エトラヴァルトは「記録の概念保有体」ではない。それゆえに、エトは意識的に力の行使を抑えてきた。


 これは致命的な齟齬である。だがそれは、今までの行為が無駄になること、ではない。



 振り出しに戻ったのは事実である。が、魂の知覚は確かにエトの中に根付いている。そして、他ならぬ繁殖の竜と戦い続けてきた〈鬼王〉スイレンの記録。それは、ことこの戦いにおいては、ともすれば魄導以上に頼もしい


 戦い続ける今この瞬間も、スイレンからのアプローチによってエトはスイレンの戦いの記録を閲覧し続けていく。


 竜の行動パターン、好む攻撃、嫌う攻撃……統率されているようでバラバラな群体。その、弱点。


 本人的には不本意極まりないきっかけではあったが、親和がより進んだ今、《英雄叙事オラトリオ》の記録から得られる学習速度は以前とは比較にならないものとなっていた。


  

「役立たずかと思ってたけど、いい動きするじゃん」


 蛹相手はまだ危険。が、少なくとも幼竜を任せても特に問題はないだろう。そうスミレに思わせる程度には、エトラヴァルトはこの戦線に適応していた。


 右翼に集中していた蛹はその殆どをスミレが単独で撃破した。左翼、中央はそれにより負担を大きく軽減され、結果右翼に援軍を派遣。数の暴力に対してある程度の個と数を用意し、結果右翼も早々に大勢が決する。



 油断だった。

 それは、ほんの僅かな気の緩み。


 繁殖の竜、その本質は異界の魔物。人類の敵対者に他ならないそれらが、その隙を逃すはずがなかった。



「……は?」


 右翼の群れの中から一体、を震わせ滑空した。


 スミレの知覚を一瞬振り切る超加速。狙いは、時間魔法の使い手。


「え——、」


 イノリがその右目に“竜”を捉えた時には既に遅く、振り抜かれた翼腕がイノリの体をくの字にへし曲げ吹き飛ばした。


「がっ……!?」


 凄絶な一撃に肋骨が砕け内臓がひしゃげる。幼竜とは比較にならない速度、威力の一撃に空を舞ったイノリは受け身もままならず、落下と共に頭部を地面に激突させ一撃で昏倒した。


『な————!?』


 その奇襲に誰もが寸刻、反応が遅れた。


 その身は、言うなれば羽化の途中。


 背中の殻を突き破り生えた翼腕は黒く濁った体液を纏い、鱗が露出する背中は奇妙に脈打っていた。

 尻から突き出た尻尾は未だ不完全で鱗を纏わず、蛹の肉体に引きずられるように大地を這う。


「コイツ何処から!?」


「スミレの索敵を振り切ったのか!?」


 “成竜”への羽化の途中という吐き気を催す見た目と悪臭を携えた一体の繁殖の尖兵が戦場に降臨した。


 竜の狙いは未だイノリ。

 意識を失った少女へ執拗に狙いを定め滑空する。


「やらせねえーー!」


 そこに劣化の如き怒りに歯を食いしばるエトラヴァルトが割り込み、竜の翼腕を受け止めた。


「づっ……!?」


『ギギギギギッ!!』


 疾走を含めた最大威力の斬撃を容易く受け止めた翼腕を震わせエストックを弾き飛ばし、眼前のエトを無視してイノリを狙った。


「コイツ!?」


 鉤爪、翼腕、顎、尻尾……あらゆる攻撃が執拗なまでにイノリを狙う。目の前のエトではなく、その後ろで意識を失った少女を。


「コイツ、まさか——」


 その攻撃のに、エトは一つの仮説に行き着く。


 ——繁殖の竜は、イノリの左眼の魔眼を……“無限の欠片”を狙っているのではないか?


「イノリを! 誰かイノリを連れて退いてくれ! 今すぐに!!」


 成竜もどきの攻撃を受け続け既に内臓に傷をつくり血反吐を吐くエトの必死の要求に、近くにいた鬼人族が「わかった!」とイノリの体を抱き抱えた。


『ギギギーーーー!!』


 刹那、離脱は認めないとばかりに成竜もどきが翼腕を振り回し暴風を生み出した。その埒外の風圧にエトと、イノリを抱えた鬼人族が地面に叩きつけられる。


「「がはっ……!」」


 援護の砲撃が殺到するも、成竜もどきの鱗と外殻を突破できない。


「全員でかかれ! スミレかスイレンが……或いはカルラが来るまで持ち堪えろ!!」


『おおおおーーー!』


 イノリを守るように鬼人族たちが武器を振るう。が、幼竜と比べ桁違いに跳ね上がった成竜もどきの外殻と鱗に悉く弾かれ、逆に鉤爪と翼腕によって吹き飛ばされる。


『がぁあああーー!!?』


 蛹を経て、羽化の途中。しかし、繁殖の過程における“羽化”とは一つの完成形であり、その途上であろうと竜の戦闘力は凡百の魔物や人類とは一線を画する。


 羽化の途中、中途半端な成竜ならば、鬼人族の戦士たちは十分に個々で対処可能な能力を有する。が、それはノウハウが培われていた場合の話である。


 ここ100年、鬼人族たちは意欲的に“蛹潰し”に精を出していた。

 結果、成竜と相対することは少なく、この十年に至っては二人の魄導使いが前線で成竜を相手取るのがセオリーだった。

 彼らには場数が不足していた。


 それでいて、中途半端な状態でも戦線に投入してくるなど前例になく。

 早い話、彼らは浮き足立っていた。


 歴戦の戦士たちを蜘蛛の子を散らすように一蹴する竜の眼に映るのは、エトラヴァルトが庇うたった一人の少女、その左眼。


「やらねえよ、お前には……!」


 絶望的な戦力差。それでもエトは関係ないと竜の前に立ち塞がる。


 脳裏に響く言葉がある。


『——お前が守れ、エトラヴァルト』


 誰に伝えられたのか、いつ言われたのか、どうやって託されたのかはわからない。だが、守らなければ。言われずとも、今、後ろで伏す少女は自分の手を引いてくれた相棒なのだから。


『ギギギッ!』


「オオ——ッ!」


 成竜もどきの苛烈な攻撃に対して、エトは真っ向から全てを迎撃する。

 躱わす選択など、はなから頭にはない。背後の守るべき仲間を守るために、退くことも、攻撃を通すことも許されないのだから。


 援護の砲撃が四方から飛来し、増援を堰き止めるように鬼人族たちが幼竜を押し留める。


 援護を含めた多対一。それでも、エトラヴァルトは竜に太刀打ちできなかった。


『ギギィッ!』


 打ち合えた数は僅か八度。

 奇怪な叫びと共に振るわれた翼腕が剣を跳ね上げ、直後振るわれた鉤爪がエトの右腕を根本から引きちぎった。


「づっ……!」


 その決定的な被弾に鬼人族たちの目が見開かれ、あと数歩、間に合わなかったスミレとカルラの表情が歪む。


 それでも、エトの瞳から戦意の火は消えず。


「《英雄叙事オラトリオ》——」


 《英雄叙事オラトリオ》の能力特性上、変身中は一時的に自己の肉体損耗をリセットできる。どんな怪我を負っていようと疑似的な回復が可能なのは、これまでの戦いで培ってきた経験が教えてくれる。

 継戦能力を上げるために温存しておいた切り札を、エトは躊躇いなく行使する。


 しかし、祝詞を紡ぐより、成竜もどきの追撃の方が速かった。

 そして、竜の狙いは最初からエトラヴァルトではなく、イノリの左目。


「この……っ!」


 必死に伸ばした左腕は鉤爪に三枚おろしにされ、エトの視界が鮮血に埋まる。


 脳裏に、失った過去の光景が蘇る。

 あらん限りに見開かれるエトの視界の中、竜の鉤爪がイノリの左眼へと伸ばされた。


「やめろぉおおおおおおおおおっ!!」


 渾身の叫びも虚しく、鉤爪が少女の頭を刈り取る——



「——俺の散歩道に、なんで蟲が囀ってんだ? ぁあ?」


 その、寸前。


 コマ送りのように、成竜もどきの眼前に巨躯が躍り出た。たった一歩、踏み込んだだけで大地が砕け、世界が揺れた。


 3Mはある背丈、隆起した筋肉を覆う赤茶けた肌は天然の鎧を想起させる。

 赫赫と染まる角、金色の瞳、金の鬣。


 鉤爪を肉体の薄皮一枚で軽々と巨人は、苛立ちを露わにした。


「せっかくいい気分だったのによお……」


 その声が放つ覇気に、その場にいたすべての生物が本能的恐怖から動きを止めた。


「散れ。テメェらじゃあ——」


 男は、苛立ちのまま成竜もどきへ裏拳を振り抜く。


「酒のつまみにもなんねえよ!!」


 一撃、爆砕。

 裏拳を受けた成竜もどきは僅か一撃で全身を粉微塵に叩き壊され、存在した形跡を残すことすら許されなかった。

 男の怒りは尚も収まらず、発散先として未だに群れを成す繁殖の軍勢が指名された。


「俺ぁよう、今日は酒飲みに来てんだよ。蟲が群れてちゃ雪見酒が出来ねえんだよ! ぁ゙あ゙!?」


 暴圧が吹き荒れる。

 男が睨みつけたただそれだけで空間が軋み、悲鳴を上げる。そのものが途方もない重力を帯びた覇気が戦場一帯をを押し潰し、繁殖の軍勢は一匹残らず地面の黒いに潰えた。


「はっ、張り合いがねえな」


 まるでつまらなさそうに鼻を鳴らす理不尽の権化。

 圧倒的な力。その正体を、エトラヴァルトは知っていた。否、たった一つしかないと突きつけられた。


「異界、侵蝕……」


「正解よ」


 覇気に当てられてなお動けるカルラがエトの側に寄り、千切り飛ばされてなお剣を離さなかった右手を接合させる。


「エト、自分の形を強くイメージして」


 言われた通り、自らの形をイメージしたエトの全身に治癒魔法の光が宿る。

 十数秒後、エトの両腕は元通りになっていた。


「師匠、イノリを……!」


「大丈夫よ。もう治療してるわ」


 カルラが親指で指し示した先で、二人の治癒魔法使いによってイノリの治療が行われていた。命に別状はなかったのだろう、カルラと目を合わせ力強く頷いていた。


「そう、か……良かった」


 そう言う割にはエトラヴァルトの表情は晴れない。むしろ悔やんでいるようにすら見える。が、その表情を一瞬で隠したエトは巨躯を誇る謎の鬼人へ目を向けた。


「師匠、あれは……」


「バイパー・ジズ・アンドレアス」


 コキコキと首を鳴らす赤肌の鬼人に、カルラは忌々しげに表情を歪める。


「この星で唯一、いずれの組織・世界にも所属しない〈異界侵蝕〉。異名は、〈星震ほしふるわせ〉」


「——オイ泣き虫、ジジイはどこだ?」


 赤肌の鬼人……バイパーはため息を一つ。発散は済んだのか、先ほどより幾分か和らいだ(それでも厳つい)トーンでカルラを呼んだ。


「私は泣き虫じゃないわよ」


「はン、四百年引きずってる馬鹿野郎が泣き虫じゃなくてなんだってんだ。ぇえ?」


「……チッ」


 せせら笑うバイパーに舌打ちしたカルラは、ぶっきらぼうに豊穣の地を指差す。


「今日は屋敷で留守番よ」


「この程度の小競り合いで留守番か。老いたな、ジジイ」


 バイパーはジジイ……カルラの父、リンドウの元へ悠々と歩き去る。


 その背中に、カルラが鋭く問いかける。


「今回はなんの用?」


「ぁあ? んなもんさっき言ったろ! 酒飲みに来たんだよ!」


 それ以外、こんな辺鄙な場所に来る理由なんざねえ——そう言ってバイパーは今度こそ豊穣の地へ足を踏み入れた。


「師匠……大丈夫なのか?」


「大丈夫って……今はあなたの方が心配されるべきじゃない?」


「いや、俺でも師匠でもなくて——」


 エトは、バイパーが「知っている」ことを危惧した。


「あんな化け物がこの地を……繁殖と豊穣を知ってて平気なのかって」


「ああ、そう言うことね」


 カルラは戦士たちに帰投の合図を送りながら、エトに肩を貸す形で立ち上がる。


「大丈夫よ、アイツは興味ないから」


「興味ないって……」


「そのままの意味よ。アイツにとってアレは蟲でしかない。名前をわざわざ知る意味がない。アイツが名前を覚えるのは、意識するのは全部、アイツが面白いと思うことだけなのよ」


 それが“世界の我儘”と言われる所以だと、カルラはもう一度、忌々しげに舌打ちした。

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