本戦開幕

 ムーラベイラが熱狂の渦に包まれる。

 剣闘大会開幕初日、中央闘技場のチケット倍率は脅威の30倍を記録し、立体映像による同時中継を行う四方の闘技場もチケット販売後即完売。

 街の各所に設置された公共モニターには人が押し寄せ、カフェや酒場はどこもかしこも早朝から満席だった。


「おいマスター! コーヒーまだか〜?」


「まだだ! セレモニーは観なきゃなねえ!」


「なんで今日店開いたんだよ!!」


 ムーラベイラの住民、エヴァーグリーン各所から遊びに来た観光客、剣闘大会に出場する仲間を応援する冒険者たち……種々様々な背景を持つ者たちは一様に開幕の時を待ち侘びる。


 ……時刻は8時。その時がやってきた。



「只今より、第……だい、いやこれ何回目? え? 最初の方記録ないから正確にはわからない? あ、そう……」


『…………』


 その開幕は、なんというか「ちゃんと打ち合わせしておけよ」と思わず呟きたくなるものだった。


 中央闘技場最前列。金二級である師匠の威光で獲得した席に座った俺は、舞台中央でインカムにキレ散らかす金髪の女司会者の姿を見て「大丈夫か?」と呟いた。


「大丈夫よ。あれ、お決まりみたいなやつだし」


「初手身内ネタは大丈夫とは言わんだろ」


「——コホン! 只今より、ムーラベイラ剣闘大会を開催いたします! 進行はワタシ、フィラレンテが努めさせていただきます!!」


 瞬間、歓声が爆発する。


『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!』


 地鳴りと錯覚するほどの大絶叫に俺たちの肩がビクッと震えた。隣、比喩なく飛び跳ねたイノリが慌てて周囲を見渡す。


「え、なに!? 今のそんなに盛り上がるところ!?」


「盛り上がるところなのよね、これが」


 師匠は舞台中央を少しつまらなさそうに眺めながら呟く。


「金一級冒険者フィラレンテ。『悠久世界』所属で、広報活動の主軸……いわゆるアイドルってやつよ」


 見た目は二十歳……いや、それより若く見える。体感、イノリと同年代に見えるフィラレンテは「よろしくね〜!」と可憐に笑い両手を振って会場を熱狂させる。


「エトくん、アレは敵だよ」

「もう何も言わんぞ俺は」

「警備員を呼ぶべきかもしれませんね」


 何がどうなのか、最早確認するまでもなく怨念を募らせるイノリは無視。というか、それ以上に洒落にならない情報があったというか——。


「…………」


 隣で冷めた目をする師匠がぼそっと「あれでも80歳超えてるのよねー」と呟いたのを、俺の耳は確かに捉えていた。


 見たところ、フィラレンテは人族のように見えるのだが?


「……聞かなかったことにしよ」


 俺は一連の記憶を抹消した。

 眼下、フィラレンテは天井知らずの盛り上がりを見せる中央闘技場全域によく通る声を張り上げる。


「開会の言葉とか堅苦しいものは抜き! ワタシらが観に来たのは闘争だ! そうだろお前ら〜〜!!」


『うお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!』


 鼓膜をつんざく歓声を受け、フィラレンテは思い切り拳を天に突き上げた。


「よし! だったらとっとと始めちゃおう! 記念すべき第一試合、開始だぁっ!!」


 鳴り止まぬ声の中、剣闘大会が幕を開けた。




◆◆◆




「ラルフは第二十一試合ですか……少し遠いですね」


 第二試合。銀一級冒険者同士が鎬を削る。

 互いの獲物は同じ槍。目線や足運び、重心、僅かな関節の脱力や穂先の角度……一瞬の中に無数の駆け引きが凝縮され、高速の戦闘を繰り広げる。


「だねー。暫くは退屈かも」


 普通であれば参考になる試合ではあるのだが、いかんせんストラとイノリの戦闘スタイルは尖りすぎている。

 空間魔力を資本にした半永久固定砲台のストラ。

 時間魔法と魔眼を用いた根本から戦いに対する思考が違うイノリ。


 俺個人としては駆け引きの参考になるため退屈しないが、確かに二人にとっては……特にストラには退屈な時間が続く。


「エトくんの空間把握ってさ、今戦ってる人たちのことも観測できるの?」


 イノリの質問に、俺は曖昧に首を横に振る。


「距離的にはできるけど、この“結界”に邪魔されて触れる感覚はないな」


 本戦仕様に構築された特殊な結界。触れると確かにそこに質量を感じるこの無色透明な壁には、様々な仕掛けが施されている。


 この結界は、風や熱、冷気、音など。戦闘で発生するそれらの中で、観客に被害が及ぶ可能性のある一定以上の規模のものだけを遮断するそうだ。


 臨場感を味わってほしい。共に熱狂してほしい。そんな意図を持って、こういった『見世物』のためだけに作り出された結界だそうだ。


 ストラにとっては試合よりもこっちの技術解明の方が最優先事項らしく、この最前列の席に座った時は、それはもううずうずと餌を前にした子犬のように身を震わせていた。


 今は空間魔力を通して構造に触れていることだろう。限りなく黒に近いグレーな行動である。……話を戻そう。


 基本、結界としての効力をもたないのだが接触には厳しい判定がなされている。


「俺の空間把握はさ、なんというか、五感を伸ばすって感覚なんだよな。だから、この結界があるとどうにも違和感があってうまくいかないんだよな」


 師匠に言わせればその辺の詰めが甘いということらしいが。


「見えない壁って認識してるからうまくいかないっていうのもありそうじゃない?」


「意識の問題か……確かに、それはあるかも」


 ちょっと試してみたい気持ちはあるが……数秒で意識改革は難しいし、仮に成功しても試合の邪魔をしかねない行為は御法度。ここは好奇心を抑えてぐっと我慢する。


「ラルフの出番まで暇だな〜」


「暇だね〜」




◆◆◆




 そうして約1時間半後。

 ついに第二十一試合——ラルフの出番がやってきた。

 やってきて……そして。


 ありえんほどあっさりと終わった。




◆◆◆




 試合後、選手控室に向かった俺は、部屋の端の方でなんとも消化不良な顔をしていたラルフに苦笑いせざるを得なかった。


「あーっと、ラルフ?」


「ん? おお……エトか」


「とりあえず、お疲れさん」


「おう」


「……」


「……」


「……」


「……とりあえず、一回戦突破おめでとう」


「んおー」


 ラルフは、形容し難い呻き声のような音を発した。



 ……ラルフの試合は、およそ10秒ほどであっさりと決着がついた。


 開幕速攻。宣言通りに『灼焔咆哮』で青炎を纏ったラルフは、そこに身体強化魔法と闘気を加えた最大出力で大戦斧を薙ぎ払った。

 結果、灼熱は相手選手の剣と盾を一撃で粉砕し、返す石突きが鎧ごと相手の胸部を粉砕——実況も兼任するフィラレンテと審判も唖然とするほどあっさりと、それはもう、秒殺だった。



 

◆◆◆




「いやさ? 勝ったのはいいんだぜ?」


「そうだな」


「でもさ、あまりにもあっけないというか……予選の方がヒリヒリしたというか」


「らしいな」


「なんつうか……出オチ感がすごい」


「あっけなかったもんなあ」


 帰り道、明日のコンディション調整に早めに帰ることにした俺は、2回戦の相手の研究をするために同じく帰宅を選んだラルフと並んで宿へ向かっていた。


 ラルフの横顔は、浮かない表情を貼り付けていた。原因ははっきりしている。あまりにもあっさりと終わってしまった一回戦だ。


「……エト。もっと戦いたかったって思うのは贅沢だと思うか?」


「全く思わん」


「うお即答」


 間髪入れずに答えられるとは思っていなかったのか、ラルフは意外そうに目を瞬かせた。

 俺は前を向きながらラルフの想いを肯定する。


「誰だって強くなった自分は見てほしいだろ。どこまで行ける、どこまで届く——いつまで経っても、そういう“ワクワク”はなくならないからさ」


 もう半年近く前になるのだろうか。

 『魔剣世界』レゾナで“対話”を経た俺は、いの一番にくーちゃんの元へ飛んでいき、その足で戦いを挑んだ。あの時の「繋がった」という高揚感は未だに忘れられないし、そういう感覚を、俺自身の魂でもう一度感じてみたいと思っている。



 ……これは悔しいから言わないが、今の俺はおそらく、《英雄叙事オラトリオ》を解放してもラルフには勝てないだろう。

 唯一勝ち筋があるとすれば、ラルフの燃料切れを待つことくらいだろうか。

 瞬間最高出力は、すでに置いて行かれていると考えている。


 ……だからこそ今、ラルフが「強敵との戦い」を求めていることはよくわかる。


「3回戦に行けばグルートがいる。金級冒険者と戦えるんだ。欲張って良いと思うぞ」


「……そうか。いや、そうだな。ありがとな、エト」


 心のしこりが取れたのか、ラルフの表情は幾分か晴れやかになっていた。

 その胸に、トン、と拳を押し付ける。


「気にすんな。すぐ間に追いつくから待ってろ」


「おう! エトは明日だからな。客席から応援してるぜ!」


 そこまで言って。

 俺とラルフは、同時に無言になる。


「……ま、相手がきたらの話だけどな」


「棄権は塩試合以前の話だもんなあ」


 師匠が「十中八九棄権させられるわよ」と言い切った相手の怪我が早めに癒えていることを祈った。




◆◆◆




 が、そんな俺の願いは届かず。


 二日目。

 選手控室に、対戦相手のクロイツと思わしき男の姿はどこにも見当たらなかった。

 半ばわかっていたことではあるが、『力を示す』ことを目的に参加した大会で不戦勝というのは、うん。とてつもない消化不良である。


 控室上部から吊るされるように設置された八面モニターのうち一つを眺める。

 現在行われているのは二日目の56試合目、一日目も加えると、144試合目。

 57試合目の俺の出番は、目前に迫っていた。


「……行くか」


 一応、未だに棄権の報せはない。

 相手がギリギリまで医務室で治療を行っている可能性は捨てきれないし、俺自身できればそうであってほしいと思っている。


 ——ここまで歓声が響く。


『続いて行くよ〜! 第57試合、選手入場〜〜!』


 担架で運ばれて行く、おそらく敗北したのであろう選手とすれ違いながら、地鳴りのような歓声轟く舞台に上がった。




◆◆◆




『それじゃあどんどんいきましょう! 東、銀三級冒険者、〈剣界ソードスフィア〉エトラヴァルト!』


 エトラヴァルトの入場に会場が湧き上がる。想定以上の熱量だったのか、本人は意外そうに視線を上辺に這わせて観客たちの熱狂を目の当たりにする。


「流石ムーラベイラ。竜の膝下に住む奴らは違うな」


 どいつもこいつも戦闘狂だ、と笑う。


 天井知らずの熱気に負けじとフィラレンテが声を張り上げる。


『続いて西! 銀二級冒険者クロイツ〜〜!』


 その声に導かれるように、エトの対面の通路から。本来であれば、クロイツが姿を見せる筈だった。


 だが、一向にクロイツは姿を見せない。


 異常を察知した観客たちは一人、また一人と西側通路を凝視し、いつまで経っても現れないクロイツを待ち侘びる。

 徐々に落ち着きを見せる観客席に向かって、たった今運営スタッフから事情を聞いたフィラレンテが非常に気まずそうにマイクを口元に当てた。


『えー、クロイツ選手ですが。数日前の予選会で負った怪我の完治が間に合わなかったとのことで。只今棄権が決まったようです』


 つまり、エトラヴァルトの不戦勝である。

 この報せに、一部の観客たちからブーイングが巻き起こる。

 闘争を待ち望んでいた者たちの不満の声を背中にするカルラは、「勝手な奴らね」とつまらなさそうに呟いた。


 ブーイングを受けながらも、フィラレンテは毅然とした態度で司会を遂行する。


『大会規定では本戦出場者が一回戦で棄権した場合、同じ予選会から一名、運営の推薦を経て出場するのですが……候補の三人とも、クロイツ選手以上に大怪我で、替えはいないそうです!』


 対戦相手の不在、不戦勝を受けたエトラヴァルトは残念そうに肩を落とした。

 その姿を見たカルラは少しだけ嬉しそうに笑い、直後。


「…………なんで」


 誰よりも早く、その覇気に気づいて表情を凍り付かせた。



 慌ただしく運営スタッフが動き、暴動が起きないように観客のケアに奔走する中、フィラレンテは自分の職務を全うする。


『えー、大変申し訳ございません! というわけで第57試合はエトラヴァルト選手の不戦勝ということで、次の試合に——』



「——ちょっとばかし待ってくれるか? フィー」



 西側通路の奥からの声に、フィラレンテは反射的に硬直した。


『……は?』


「せっかくの大会なんだ。試合の穴埋めは必要だろ?」


 通路の暗がりから、癖っ毛の黒髪を後方に流した男が現れた。



 瞬間、が、悲鳴のような大歓声に包まれた。




◆◆◆




 全身が、爪の先まで凍りついたように動かせない。

 目が離せない。

 声が出ない。

 息ができない。


 自分が今、生きている感覚が、しない。


 カンヘルと相対した時とは比較にならないほどの警鐘を伴って直感ががなりたてる。


 内と外、二つの轟音に頭蓋が砕けそうで——しかし、痛みに顔を顰めることすらできない。


 全身を縛る——舞台全体を満たす存在圧に喉が枯れた。


 俺を構成する全神経、全細胞が叫ぶ——逃げろと。

 アレは……あれは、到達点だ。


 人という存在の、一つの窮極。


 それが今、俺の目の前にいた。




◆◆◆




 異様な盛り上がりにイノリとストラが何事かと周囲を見回し、その男を知るラルフとカルラは、眼球が飛び出そうなほどに目を見開いて、食い入るように身を乗り出した。



『なっ……!? な、な、なんで! なんで貴方がここにいるんですか!!?』


 職務を完全に忘れたフィラレンテが素で、思い切り慌てて男に問いただす。


 澄んだ清流のような瞳の男の答えは、単純。


「なんでって、仕事だよ仕事。お前も聞いてるだろ?」


『聞いてるから驚いてるんですよ! なんでしれっと出てきてるんですか!! 貴方ここにいちゃいけないでしょ!!』


 衝撃と混乱で目を回したフィラレンテは、男のを叫んだ。


『だって、だって貴方は——〈勇者〉なんですから!!』



 男——〈勇者〉アハトは。

 なんでもないふうに、「だからだよ」と言った。


「こういう小さな場所からでも、楽しみは守っていかないとだろ?」

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