雲が流れる
「エトくんとラルフくん、予選突破おめでと〜!」
「おめでとうございます、お二人とも」
「おう! 二人も応援ありがとな!」
「ーーーーーーーーーーーー」
「お兄ちゃんは『ありがとう』って言ってる」
残念ながら言ってないです。
予選突破の夜、イノリが「こういうのはちゃんとお祝いしないと!」と提案し、俺とラルフの『予選突破おめでとう会』が開かれた。
曰く、「めでたい事はちゃんとめでたいうちに祝うべき」だというのが彼女の姉……リンネの持論らしく、イノリもそれに倣っているんだとか。
これまでも昇級の度にあった細やかな祝いの席。しかし、今回はなんというか……うん。俺が完全に死にかけていた。
「試合の日くらい休めば良いのに」
と苦笑いするイノリの瞳には、ベッドにうつ伏せで微動だにしない俺の姿が写っていることだろう。
案の定、試合後すぐに「試合勘残ってるうちに詰めるわよ」と屋内演習場に引きずられていった俺は、探しにきたストラによる待ったが入るまでひたすらに“崩し”をその身に叩き込まれ続けた。
俺の心が先に崩れるわこんなの、と弱音を吐いてみるも師匠は「あなたがこの程度で折れるわけないでしょ、寝てないで起きなさい」と容赦なく尻を叩かれる始末。
結果、合流した時点で俺の命は風前の灯である。
「体力馬鹿のエトがここまで消耗するとは……カルラさんどんだけスパルタなんだ?」
なお、師匠は「各会場の試合録画の消化」という彼女本来の職務である“スカウト”のために今回の宴席には不参加だ。
代わりに、ひたすらボコられ続けた俺の姿を見ていたシーナが回答する。
「鬼ーちゃん、分身してた。分身してお兄ちゃんをタコ殴りにしてた。
「「「……なんて???」」」
なんても何も、言葉通りの意味である。
師匠、速すぎる。マジで速すぎて残像が見えるどころか
タイマン勝負なのに、気分は完全に一対多。キツさで言えばぶっちゃけ予選の試合なんて比にならない。ハッキリ言ってヤバすぎる。
師匠はどうにも俺の頑丈さにかまけてかなり無茶な訓練を俺に課している節がある。
……嗚呼、嬉々としながら「はやく崩さないと死ぬわよ!」と小太刀で俺を切り刻む師匠の姿が網膜に焼きついて離れない。まさか目隠ししていた方が精神的に楽と思うようになる日が来るとは思わなかった。
「エト様、なんか震えてませんか?」
「ほんとだ。エトくん寒い?」
心が寒いです。
なんて思考する俺の考えていること、想起しているトラウマを読み取ったのか、シーナが俺の恐怖を代弁した。
「違う。多分、鬼ーちゃんの鬼畜修行思い出してる」
「鬼だけにってか? アッハッハ——」
『………………』
「ハハハ」
『…………』
「……」
『……』
「ねえ、俺も泣くんだよ?」
お前割とすぐ泣かない? 血の涙とか。
という発言は極限の疲労状態である俺の口から出ることはなく、極めてつまらないギャグを一人で笑ったラルフはさめざめと泣いた。
「ラルフのクソみたいなギャグは置いておくとして——どうしましょう。エト様、食欲はありますか?」
辛うじて。
本当にギリギリ身をよじることができた俺は、真横になって皆と顔を合わせた。
「……………………ない」
「お兄ちゃん、目が死んでる」
「浜辺に打ち上げられた魚みたいだね」
イノリの容赦ない喩えにストラとラルフが「ブフォッ!」と盛大に吹き出し腹を抱えて肩を震わせた。
言ったイノリ本人も二人につられて細かく肩を痙攣させる。
あとで覚えておけよ……と怒りに身を震わせた俺の姿は、後々聞いた話ではそれはそれは釣り上げられた魚そっくりだったらしく。
「「「あははははははははははははははは!!!」」」
ついに堪えきれなくなった三人は声をあげて笑い転げた。
覚えておけよ、お前たちが沈むのは血の海だ……。
その後、なんとか俺の胃にも食べ物飲み物を納められないか? と四人の試行錯誤が始まった。
結果、飲み物だけ辛うじて喉の僅かな動作で得られることが判明した。
ストローを通して少量ずつ麦茶を口に運んでもらう俺を見て「ゆ、輸血みてえww」と笑ったラルフの罪がまた一つ重くなった一幕だった。
◆◆◆
全三日に渡る予選会は全てつつがなく終結した。
参加者1436人は359人にまで厳選され、ここに本国からの推薦枠である最も新しい金五級冒険者、グルートを加えた360人がトーナメント形式で頂点を争うことが決まった。
そうして発表され、本戦参加者には個別に配布された馬鹿でかいトーナメント表と宿で睨めっこすること数分。
「エトくんあったよ!」
「マジか、どこだ?」
「あ、俺のもあったぞ!」
「とりあえずお二人とも、ブロック被りはないようですね」
全八ブロックある中で、ラルフは第一ブロック、俺は第七ブロックとなった。そして……
「ラルフくんのところのシード枠、グルートさんだね」
順調に勝ち進めば、ラルフは3回戦でグルートと対決する運びとなった。
横でトーナメント表を睨みつけるラルフが獰猛に笑う。
「良いじゃねえか。絶好の場だ」
もう既に2回勝つことを前提に話すラルフに俺も自然、戦意が高揚する。
「俺のところは……銀一級が何人かいるな」
幸運と言うべきか。俺のブロックには、優勝候補に挙げられるような猛者は殆ど居なかった。
「というより、全体的に金級の数が少なくないですか?」
「だね。思ったよりいない……やっぱり世界に所属してると動きにくいのかな?」
「——それもあるわね。でも一番の理由は、これが“御前試合”じゃないからよ」
背後からの補足に振り返ると、ひと仕事終えたらしい、珍しく疲れを滲ませる師匠がドアに寄りかかっていた。
「おかえり師匠。スカウトの目星はついたのか?」
「そうね。あとは本戦次第ってところよ」
スカウトの体をなしている以上、参加者全員には目を通さなくてはいけない——そんな縛りを己に課していた師匠ではあるが、彼女は元々予選で敗退する選手をスカウトする気はないと言っていた。
曰く、『こういう場で力を発揮できない、頭角を示せない人材に興味はない』と。
そう言う意味では俺とラルフは最初の関門を潜り抜けたことになる。そして本戦。あとはどれだけ力を示せるかだ。
「カルラさん、先ほど仰っていた御前試合とは?」
「そのままの意味よ」
ストラの問いに、師匠はざっくりとした説明をする。
「数年に一回、エヴァーグリーン本国で開催されるのよ。国王や〈勇者〉が直接顔を出す貴重な機会。
なお、直近の御前試合は去年あったらしく、暫くは開催の見込みはないとのこと。
「にしても参加者増えたわねー。私の時は1000人割ってたわよ?」
「それでも十分多いと思うけど……」
イノリの発言はごもっとも。
今回大会、本戦は二日で一回戦全176試合を消化するという狂気のスケジュールだ。つまり、初日と二日目はそれぞれ88試合。とち狂ったペースだと言うしかない。
「これ、全部終わるの?」
「平気よ。一試合あたり10分見積もりで15時間。朝から晩までやればギリギリ終わるわ」
「それは平気とは言わなくないか?」
長引く試合、早期決着の試合もあるだろうから以外と帳尻はあっているのだろうか。合ってるんだろうな……。
歴史を重ねてきた大会なのだ、その辺のノウハウはしっかりしていることだろう。そのノウハウ、もう少し参加者への優しさに向けてくれませんか?
「そういえばカルラさん。エトの直感の掌握ってどこまで進んだんですか?」
修羅のスケジュールに内心でキレ散らかしていると、ラルフが俺の稽古の進捗を師匠に尋ねた。
「ぶっちゃけ進捗ゼロよ」
師匠は残酷な数字をにべもなく叩きつける。
「前段階と言えなくもない空間把握能力の向上はできたけれど……そうね。エトの直感に関しては、あとはもう実戦での開花を待つしかない感じよ」
◆◆◆
昨日、俺は案の定師匠に首根っこ掴まれ稽古に駆り出され、予定調和のようにフルボッコにされた。
そんな中、師匠は一つの結論に至る。
「あなたの直感、多分修行じゃどうしようもないわね。死にかけないとダメだわ」
「嘘やん」
「残念ながら本当よ」
呆然とする俺に、師匠はその根拠を丁寧に説明する。
「その力、かなり魂の深くに根差してるものだと思うのよ。そういうのって、火事場の馬鹿力っていうの? ギリッギリの状況じゃないと触れなかったりするのよね」
小太刀を鞘に収めてため息を吐く。
「殺す気で、とは私も言ったわよ? でも、あなたの言う“くーちゃん”って人ほど私は冷徹にはなれないわ。だから、私との立会ではあなたの力をこれ以上は引き出せない」
自分にできるのはせいぜい技術の継承くらいだ、と師匠は言い切った。
その上で、師匠は、師匠であり続けてくれた。
「だからエト。師匠としてあなたに一つ課題を出すわ。トーナメントで勝ち進みなさい」
至極明快で、同時に過酷な課題を俺に提示した。
「血反吐を吐きながら強者と戦って、格上を倒して、そのさらに格上を倒しなさい。限界のそのまた限界まで自分を追い詰めて、追い詰められて——その魂を完全に掌握しなさい。いいわね?」
俺は師匠の目を見て、力強く頷いた。
◆◆◆
「ってなわけで、俺は本戦までの三日はひたすら崩しの特訓だ」
命の危険がないって良いね! と笑う俺に、ギギギ、とイノリが首を傾げた。
「それ、結局死にかけてない?」
俺は断固として首を横に振った。
「いや、『死にかける』だけで『死ぬ危険はない』から」
「とんでもない矛盾ですね」
「エトの思想がどんどん人間辞めてってんな……」
魂知覚のために魔力を無理やり流し込んだ奴に言われたくないが?
その後、俺たちは一回戦の対戦相手の録画を確認する。
“すべての録画”が頭に入っていると豪語し、その記憶に嘘偽りなかった師匠の恐るべき記憶力に感謝しながら分析する。
ラルフの相手は典型的な堅守反撃の型を重んじる銀二級冒険者。獲物は直剣と、側面に鋭利な刃を持つ盾。録画を見た感じ、ぶっちゃけラルフの敵ではないと思われる。
「慢心はしねえよ。開幕速攻、魔法でケリつけるぜ」
そう宣言するラルフ。実際、それが最善手だと師匠も太鼓判を押した。
……で、問題は俺の対戦相手。
録画を見たイノリとストラが険しい表情を見せる。
「え、この人……」
「はい。なんというか……」
二人に続き、俺も渋い顔をせざるを得なかった。
相性が悪いとか、超格上とかではなく。なんというか……
「この人、ボロボロじゃね?」
俺の対戦相手、銀二級冒険者クロイツの参加した予選会は、稀に見る大激戦だった。
全員の実力が伯仲し、全員が全力でぶつかり合った結果、試合終了時には全員が満身創痍。勝者として本戦出場が決定したクロイツも、到底勝者とは思えないほどの重傷を負っていた。
「師匠、この人の怪我治ってると思うか?」
「前提として、数箇所骨折は凡人よりも頑丈な冒険者でも1週間は休むわよ?」
暗に『全身シェイクになって一ヶ月未満で完治してるお前ヤバいからな』と釘を刺した師匠は少し、食い入るように画面を見つめた。
「内臓にも傷ついてそうだし……無理じゃないかしら? 普通なら出場辞退するわ」
「その場合どうなるんだ?」
「大会規約では予選から一人引っ張ってくるけど……全員同等かそれ以上の怪我なのよね。これ、観客も引いてたんじゃないかしら?」
流石にエンタメの限度を超えている、と苦い顔をする。
そんな師匠の話を聞いたイノリがどこかから取り出した大会概要のパンフレットと睨めっこをする。
「ってことは……エトくんは不戦勝になるかもしれないね」
「なら、2回戦の相手を先に確認しておくのはどうでしょう?」
せっかくの提案だったが、俺は首を横に振る。
「いや、来ると思って一回戦の用意しとくよ。一応第七ブロックで二日目だし、怪我引きずってくる可能性もあるからさ」
「あの怪我で出場強行するのはエトとイノリちゃんくらいじゃねえかなあ」
ラルフのぼやきにイノリがギョッと目を剥いた。
「なんで私まで巻き込まれてるの!? 私エトくんほど狂ってないからね!?」
「おい! しれっと俺を『めちゃくちゃ狂ってる』部類に置くなよ!?」
「失礼ながらエト様、毎日死にかけながら『今日も死んでくる』と出掛けられる時点でだいぶ狂っているかと」
私でも擁護しきれません、とストラに断言された俺は、シーナから慰めに芋をカリッと揚げた塩っ気の強いお菓子を貰った。
とても甘味が欲しくなるしょっぱさだった。
◆◆◆
——雲竜に復活の兆候あり。至急、応援を要請する。
エヴァーグリーン本国の異界管理局への入電。
それは、
——急ぎ討伐隊の編成を。
——しかし、ムーラベイラでは現在、剣闘大会が。
——脳筋共の負の遺産か……面倒な。
——しかし、立派な娯楽として成立しています。
——わかっている。だがどうする。雲竜の復活ともなれば相応の被害が出る。
——予測復活時刻は?
——凡そ3000分後……最短で2500分かと。
——たった二日しかないのか!? 観測班は何を!?
——計器の異常は確認されていません。恐らく、《
にわかに騒がしくなる異界管理局。
早急に、的確に対処すべく冷静かつ苛烈な議論が続く。
——これも
——剣闘大会の中断も視野に入れるべきだ。
——ただちに住民の避難を。
——生半可な応援では被害が拡大するばかりだ。
——ムーラベイラには今、〈紅花吹雪〉がいます。彼女に応援を要請するのはどうでしょう。
——ダメだ。彼女に危険度15の討伐経験はない。それに、
——雲竜封印は我々と四封の役目。鎖に触れされるわけにはいかん。
停滞する議論。
そこに、一石を投じる者が現れた。
——〈勇者〉を派遣しましょう。
ざわりと、騒々しさを増す。
——何を言っている!?
——本国守護の要を動かすだと!?
——護剣を抜かせるのか?
——だからこそです。我々の希望を、歴代最強の〈勇者〉の剣を今一度世界に示すのです。
——不変の悠久を示す、か。
——良いだろう。〈勇者〉に連絡を。住民の避難は
——
——……会議は以上だ。
◆◆◆
「……ああ。聞いた。雲竜の討伐だってな」
男が一人、剣を持った。
「任せろ。変わらぬ平穏を、悠久を護るのが俺の存在理由だ」
この日、エヴァーグリーン本国から一人の男がムーラベイラへと出立し、
「〈勇者〉の役目、きっちり果たすぜ」
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