過労死待ったな死

「嫌な予感して駅で待機しといて良かった」


 背中で爆睡するストラの寝息を聞きながら、俺はリニア内部の“目視”を手伝ってくれたカルラに礼を言った。


 エヴァーグリーン本国北西、港直上のリニア乗り場にてストラを回収したおれとカルラは、先に港で待つイノリたちと、そこに合流しているであろうラルフのもとへ向かう。


「ありがとう師匠。俺だけじゃ見落としてた」


「気にしないでいいわ。弟子の頼みだもの!」


 ふふん、と自慢げに胸を張るカルラ。呼び方一つで……チョロい。


 ここ二日で、俺は彼女を師匠と呼ぶようになった。

 最初はなんとなく呼んでみただけだったのだが、カルラは“師匠”という響きをいたく気に入ったらしく、俺の彼女に対する呼称は半ば強引にこれで固定化された。


「でもまあ、流石に驚いたわ。突然『寝てるから迎えに行こう』って断言したんだもの」


 確かに、彼女からすればだいぶ急だったかもしれない。フェリー乗り場に向かう最中、「あ、寝てるな」となんの脈絡もなく悟ったのだから。


「移動中に言ってたわよね、“直感”って。それも《英雄叙事オラトリオ》の能力なの?」


「《英雄叙事オラトリオ》のって言うより、そこに記録されたシャロンってやつの能力だな」


 直感は俺が一番お世話になっている力と言っても過言ではない。これがなければ命が軽く10回は無くなっていたこと請け合いである。


「ふうん……どんな感覚なのか教えてもらえる?」


「感覚……そうだな。頭の中に警報器がある感覚って言えばいいか? モノによって直感の『響き方』が違うかはなんとも言えないけど」


「違うっていうのは?」


「迫ってる危険の多寡とか、直感が伝える内容によって結構まちまちなんだよ。『やばい攻撃が来る』って時はうるさく鳴るし、さっきみたいな時は虫の報せ……羽音くらい? なイメージ」


 俺の直感に対する所感を、師匠はかなり深掘りして聞いてくる。


「一番酷かった時はいつ?」


「ぶっちぎりで竜だな。頭割れるくらいガンガンに鳴り響いた」


「へえ。結構便利そうね」


 首肯する。


「実際すげえ助かってるよ」


「…………」


「師匠?」


 突然、師匠はその場で立ち止まって口元に手を当て、熟考の構えを見せる。飴色の瞳が思索に耽るように焦点を失い細かく揺れた。


「……エトラヴァルト。あなた今、《英雄叙事オラトリオ》は使っているの?」


「いや……今は閉じてるけど」


「そう」


 それだけそっけなく呟いて、師匠は再び思考の世界に埋没する。

 ややあって、重々しく口を開いた。


「少し——話があるわ」


「……うす」


「長くなるから、船に乗ったあと時間作りなさい」


 真剣な瞳の輝きに、俺は思わず喉を鳴らして頷いた。




◆◆◆




 金二級冒険者の威光というのは凄まじいもので、俺たちの船内での待遇は師匠の連れというだけでランクアップしていた。


 案内された一等船室は、リステルの亡き第二王子ガルシアの私室よりも豪華だった。……いや、アイツは『煌びやかすぎるのは好かねえ』とか言ってたけど、一応王族だったしね?


 誰に対する言い訳なんだ。俺の故郷限界すぎだろと脳内で一人ツッコミをかましつつ、ストラを柔らかなベッドに寝かせた俺はハイテンションで船内探検に出かけたイノリ、シーナ、ラルフの3人の背中を恨めしげに見送り、船室に師匠と二人取り残された。


「……で、師匠。話ってなんだ?」


「あなたの“直感”に関してよ。座りなさい」


 普段のポンコツ要素はなりを潜め、師匠は“金二級冒険者”としての、“師匠”としての顔を覗かせる。そして、


「あなたのその“直感”、あなた自身のものだと思うのよ」


 突然、そんなことを言い出した。


「……どういうことだ?」


「順を追って整理しましょう。まず、あなたの《英雄叙事オラトリオ》の性質から」


 師匠はペンを手に取り、達筆を紙の上に走らせる。



・直感はシャロンの能力である。

・《英雄叙事オラトリオ》に記録された人物の能力を使うには、本を開く必要がある。

・直感自体は普段使いできるほど馴染んでいる。


「私、これめちゃくちゃ矛盾してると思うのよ」


「……確かに。いやでも、俺固有の力って決めつけるのは早計じゃないか?」


「エトラヴァルト。あなた、すっかり自分への自信を失ってるわね」


「……そうかもな」


「重症ね。自分を信じられないやつが強くなれるわけないでしょ」


 沈黙が訪れる。

 互いに瞳を覗き合ったあと、師匠はため息を一つ。


「まあ、あなたの意識改革は後回しにするとして——言ってたわね、直感が使えるようになったのは二年前、《英雄叙事オラトリオ》の存在を自覚してからだって」


 間違いない、と頷く。

 俺が“直感”に目覚めたのは2年前。《英雄叙事オラトリオ》の存在を自覚し、シャロンに変身することができるようになったタイミングだ。


「多分それ、錯覚よ」


「錯覚?」


「ええ。《英雄叙事オラトリオ》の自覚と“直感”の発露が被ったことで、あなたはその直感をシャロンのものだと思い込んだ——私はそう考えているわ」


 師匠は畳み掛けるように続ける。


「物事には一定の規則性があるわ。どうしようもない理不尽や不測の事態っていうのはあるけどね、力には基本、法則性があるのよ。あなたの能力の全ては《英雄叙事オラトリオ》由来——こう考えるのは自然かもしれないわ。曰く、それまでのあなたは何一つ持っていなかったみたいだしね」


 そう。《英雄叙事オラトリオ》の存在を自覚するまでの俺は、少し体の頑丈なだけの無才だった。今俺がここにいるのは、《英雄叙事オラトリオ》のおかげと言って相違ない。


 ——だが、師匠はそれを否定する。


「《英雄叙事オラトリオ》を使う度、“直感”だけがあなたの魂に染みついた——そう考えるには、その転写はあまりにも局所的すぎるわ」


「師匠の言うことには一理あるけど……他にも理由があるのか?」


 なんとなく。

 師匠の言葉尻の強さから、師匠はこの仮定をかなり確信しているのでは——そう思えた。


「ええ。むしろこっちが本命よ」


 それは果たして、正解だったようだ。


「あなたは《英雄叙事オラトリオ》と自分の魂が混ざり合っている——そう言ったわね。つまりあなたは、ってことになるのよ」


「それが、どうかしたのか?」


「どうかしたのか、じゃないわよ。輪郭の定義なんてそこらの銀級にできるような芸当じゃないのよ」


 呆れたように師匠はため息を吐く。


「力の特異性かしらね。に関してだけは、あなたの技量は一流の一歩手前ってところよ。そうね……?」


「…………」


 ある。

 というか、めちゃくちゃ心当たりがある。


 グレーターデーモンとの戦い、カンヘルとの戦い。

 俺はいずれも、「なんで動けんだ?」と自分で疑問視するほどの重傷を負った。


 特にカンヘルとの戦いは酷いモノで、全身シェイクになっていた気がする。それでも生きていて、尚且つ動けた俺を見た銀二級冒険者のピルリルが「なんで動けるの」とドン引きするほどの耐久力。

 師匠の言うとおり、俺は人より頑丈で——ふと、金五級冒険者のヴァジラの言葉を思い出す。



 ——『生き物ってのは自分の“魂”をきっちり認識できてりゃそう簡単には死なねえ』



「あ〜〜」


 めちゃくちゃに心当たりのある俺の様子を見て、師匠は少し口角を上げた。


「話を進めるわ。自分の魂の輪郭を自覚するって言うのは、要するに自分の力を知るってことなのよ。《英雄叙事オラトリオ》の存在を自覚したあなたは、同時に自分の魂の輪郭をある程度無意識に把握した。その結果、ほんの僅か——深いところにあった“直感”というあなた固有の才能が開花した——私はこう考えるわ」


「直感が、俺自身の……?」


「ええ。無自覚なのは力の線引きがまだ甘いからでしょうね。《英雄叙事オラトリオ》と直感。二つの力の境界があなたの自認の中で曖昧なままなのよ」


 ……今まで、考えたことがなかった。

 直感が俺自身の力……いや確かに、生身でも使えてたし、シャロンじゃなくてエルレンシアに変身していてた時や、果ては無銘の再現のために概念昇格をした時にも直感は働いていた。

 疑問に思うタイミングはいくらでもあったのだ。


 にも関わらず気づけなかったのは、師匠の言うとおり、俺が俺を信じていなかったからなのだろう。


 自分の胸を見下ろす俺に、師匠は追加で指摘する。


「そもそも、闘気も魔力もなしに数十キロする魔剣を片手で振り回せるその身体能力が才能じゃないならなんだって言うのよ」


「それを言われるとなにも言い返せないんだが」


「ま、結局逆転されるって虚しさは理解できるわよ? でも、あなたはもう少し自分自身の力に自信を持っていいのよ」


「……そうか」


 励ましてくれたのだろうか。

 視線を上げると、師匠は柔らかく微笑んでいた。見た目年齢は二十歳ほどの彼女だが、こういうところはなんというか——凄まじく歳上なんだよな、と思わせる。


「——そこで! 師匠である私が特訓の方向性を提案します! 師匠なので!」


 その響き、気に入ったんだな。

 一転、ウキウキでテンションを上げた師匠。推定400歳以上の鬼人族は何処からか取り出したホワイトボードにでかでかと黒ペンで『直感を極めよう!!』と書いた。


「あなたのその特異な才能一本、可能な限り極めるわよ!」


「どうやって?」


「それは今から考えるわ!」


 無策かい。

 顔に出ていたのか、師匠がムスッと頬を膨らませた。


「仕方ないでしょ! 初めての事例なんだもの! とりあえず、今日のところは船を楽しんできなさい。色々考えておくから」


「わかった。ありがとう師匠」


 礼を言うと、師匠は満面の笑みを浮かべた。


「当然よ! 私は師匠だからね!」


 ……探検のついでに、労いのために何か甘味でも買ってこようか。


「いや、この度師匠持ちだから労いにならねえじゃねえか」


 とりあえずイノリたちに合流すべく、俺は船室を出て赤カーペットの廊下を進んだ。




◆◆◆





 ——その夜。

 ここは雲の上か? と錯覚するような極上の布団の中で一瞬で眠りについた俺は、《英雄叙事オラトリオ》からの呼び声に応じてページの上に立っていた。


 目の前には、苦笑するエルレンシアと何故かめちゃくちゃ不機嫌そうにそっぽを向くシャロン。


「……どう言う状況? というか一緒の場所に出現できたんだ?」


 困惑する俺に、エルレンシアが肩をすくめた。


「アタイたちを頼ってくれなかったってんで、シャロンが不貞腐れたのさ」


「頼るって……師匠の件か?」


「それ以外にないだろう?」


 シャロンと視線を合わせようと動くと、俺の動きに合わせてシャロンが捻じ切れんばかりに首を回して頑なに目を合わせることを避ける。


「……シャロン?」


 名前を呼ぶと、ジトっとした視線が絡まった。


「エトはさ、本当に人たらしだよね。師匠だなんて、あの鬼人族すっかり絆しちゃってさ」


 露骨に不機嫌なシャロン。後ろのエルレンシアに視線を向けると、『お前がどうにかしろ』とでもいいたげに首を横に振った。


「私やエルレンシアっていう立派な先達がいるのに、一人で勝手に悩んじゃってさー?」


「自分で立派っていうのか……いや、なんというか、うん。すまん」


 俺は素直に頭を下げた。


「二人に頼るって発想がなかった」


「私前に言ったよね? 私たちは君を通して世界を見てるって。だから、君が直面した問題については全部知ってるんだよ」


 シャロンは遠回しに、何故|終末挽歌《ラメント》について聞いて来なかった——と言っていた。


「もっと頼ってよ、エト。私たちは君を認めた。君に力を貸すことを、私たちは一切躊躇わないんだから」


「……ああ」


 顔を上げると、そこにはいつものように無邪気な笑顔を見せるシャロンがいた。


「それじゃ、《終末挽歌ラメント》について二人が知ってることを教えて欲しい」


「「何も知らない。何あれ?」」


「ええ?」


 露骨に困惑する俺に、シャロンは「仕方ないでしょー!」と逆ギレする。


「そもそも私たちが《英雄叙事オラトリオ》を知ったのは死後だよ? 同族——似たような力なんて知ってるわけないよ」


「さっきまでの『頼れ』発言から無知が飛んでくるとは思わないだろ……」


 呆れる俺に、エルレンシアが「そっちじゃないのさ」と付け加える。


「アタイたちが言ったのは“修行”の方さ。ここでなら、アタイたちはアンタと戦えるからね」


「……マジ?」


 驚く俺に、エルレンシアは一本の直剣を虚空から取り出して見せる。


「ここは記録の世界だからね。記録を再現することくらいはできるのさ——ま、アンタはびっくりするほど疲れるだろうけどね」


「…………なるほど」


 俺はエルレンシアに倣って、エストックを生成——失敗する。


「……あれ?」


 首を傾げる俺にシャロンが補足を入れる。


「イメージだけじゃどうしようもないよ。ここに記録されているモノじゃないと再現はできないの」


「つまり、俺に関わるものはまだ記録されてないってことか」


 《英雄叙事オラトリオ》の端っこにアルスの魂の残痕が引っかかっていたからいけるか? と思ったが、そううまくはいかないらしい。


「……シャロン。体術を中心に鍛えたい。俺に、教えて欲しい」


「もちろん! そのために、今日はわざわざごねたんだからね!」


「……次からはもう少し優しい呼び方をしてくれ」


 夜中に目覚まし全開で叩き起こされた気分だったのだ。

 明日の寝覚めは悪そうだな——なんて考えながら俺はシャロンと拳を合わせた。


 ——なお、一本も取れずにひたすら投げ飛ばされた。



 こうして、日中は師匠との鍛錬。睡眠中はシャロン、エルレンシア両名による体術指導という過労死道を爆進する日々が幕を開けた。

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