停滞の焦燥

 エヴァーグリーン本国に入国してから三日。

 俺、イノリ、シーナの三人は明確な目的を持っているらしいストラとラルフの二人とは違い、ゆっくりと北西を目指しながら緩く観光をするという選択肢を取った。


 食べ歩きメインの観光。俺とイノリは他人の財布に遠慮はしないため、気になったものはとりあえず買って食べた。

 というかする意味がないほどカルラが稼いでいると思われる。


「ねえエトくん。風の噂で聞いたんだけど金級って一年で億は稼げるらしいよ」


「リステルの騎士が二十数年かけてやっと届く金額なんだが?」


「公務員って世知辛いんだね……」


 現実は辛いが味覚は甘い。

 三人揃ってクレープを頬張りながら緑の歩道をゆったりと歩く。一人歩幅の小さいシーナが遅れないように歩調を落とすのも慣れたものだ。


 頭上をリニアが走り、脇を車や自転車が通る。道ゆく人々の顔は皆笑顔でここが「いい国」であることが容易にわかる。


「『七強世界』って本当に凄いね。どこを取っても発展してるというか……やってることが桁違いというか」


 イノリの呟きに激しく同意する。


 『悠久世界』エヴァーグリーン。有史以来、ただの一度も敗北を知らないことから“七強世界最強”と謳われているそうだ。

 カルラの話を鵜呑みにするなら、現状“悠久”と張り合えるのは〈皇帝〉率いる“始原”くらいのもの。


 『悠久世界』は軍事力は当然ながら、も目覚ましい発展を遂げている。

 国の下地を支える産業や福祉、文化など、二十を超える異界から産出される豊富な資源を土台に様々な分野が自由に、自在に、際限なく成長した世界。


 ——嗚呼、我らが母よ。限りなき悠久の大地よ。恵みの命よ。我らが歩みを支え給へ。


 公園で聞こえた讃歌を思い出す。

 この世界は、あまりにも磐石な大地の上に立っている。


「金級になって『悠久』に囲ってもらうのが正解な気がするけど……」


 果たして、俺一人囲う意味がこの世界にあるだろうか?


「エトくん? 急に黙ってど——」


 どうしたの? と言いたかったのだろうが。

 イノリは途中で口をつぐみ、黒晶の右目にキラリ、光を反射させた。


 ——急に、景色が晴れる。


 商店街の左側が途切れ、煌めく巨大な湖が姿を現した。


「おお……」


 思わず吐息と声が同時に漏れた。

 そこだけくり抜かれたように大樹の枝葉が途切れ、燦々と照りつける陽光を穏やかな湖面が反射し真白の光が目を焼く。

 横にいるシーナですら、思わずクレープを食べる手を止めて魅入るほど美しい景色。


 視線をズラすと、こっちをじっと見つめるイノリと目がかち合った。

 その視線が訴えるものはあまりにも明白。


「湖寄ってくか?」


 俺の提案に、イノリは満面の笑みで頷いた。


「行く!」




◆◆◆




 波打ち際、せっせと歩く小さな蟹をシーナが拾い上げた。


「お兄ちゃん、これ美味しいかな?」


「美味しいとは思うぞ? 売店に売ってたから、後でちゃんと店売りの食べような?」


「うん!」


 寄せては返す穏やかな波。光照りつける浜辺に腰を下ろして、いつの間に購入したのか、水着に着替えて水と戯れるイノリを眺める。


「あははっ! 冷たー! 気持ちー!」


 白く健康的な肌を惜しげもなく晒す。

 フリルのついた淡い黄色のビキニタイプの水着。……うん。悲しいほどに真っ平、虚無である。

 まあ個人的な感想を述べるなら、イノリの魅力はしなやかな脚や尻にあり、それがくっきりと目に焼きつく良い水着だと言える。うん、良い。


「水着の良さについてはラルフと話が合うんだよな……」


 ラルフやハルファ、グロンゾたちなど、様々な男から「お前枯れてるのか?」と最大級の罵倒を受けたことのある俺だが、まさか! と言いたい。

 俺にだって真っ当な青少年としての欲が当然ある。ただ、それ以上に為すべき事があってそう見えないだけだ。


 視線の先でシーナが器用に手で水鉄砲を作り、ピシュッ! とイノリのヘソに飛ばす。


「わっ!?」


「命中!」


「やったな〜? お返しだ!」


 売店で売っていたこれまたワンピースタイプの黒の水着を着た真顔のシーナと水を掛け合い子供のようにはしゃいで笑うイノリが俺を呼ぶ。


「エトくんもこっちこっち! 早くおいでよー!」


「俺水着持ってないんだが?」


「大丈夫! ラルフくんがなんか買ってたから!」


「いつの間にだよ」


 全く関知していない間に買われていたらしい。虚空ポケットを覗き込み、該当物らしい水着を引き抜いた——思いっきりブーメランパンツだった。漆黒の。


 俺は無言で表情を消した。


「…………」


 イノリが「あちゃあ」と目を覆い、シーナが指を挟まれながら蟹と睨めっこをしていた。


「フンッ!」


 思いっきり虚空にリリース。このパンツは今度野郎の顔面にリリース決定だ。……嫌がらせに後で濡らしておこう。


 腹立たしいことに、ラルフは自分のものと思しきマトモな(ここ重要)グレーのトランクスタイプの水着を用意して嫌がったので問答無用で強奪した。


 そんな感じで奪った水着に着替える。愛剣は虚空ポケットの中で留守番だ。

 水着一張羅……実に久しぶりだ。最後に履いたのはいつだったか……ああダメだ、悪友と密漁して騎士団にしょっぴかれた時だ。

 フラッシュバックする思い出が最近悉く最悪である。


 劣悪な思い出に苦い表情をする俺に構わず、外気に晒された肉体をイノリとシーナの二人がマジマジと見つめる。


「お兄ちゃん、ムキムキ」


「確かに。エトくんの体すんごい鍛えられてるよね」


「……あんま、綺麗なもんじゃないだろ」


 確かに、人より鍛えてきたという自負はある。

 アルスとレミリオの三人で研究した、筋肉と脂肪の理想のバランス。その実現。

 その過程とアルスとの訓練。そして戦争——傷を完全に消せるような優秀な治癒師がリステルに居るはずもなく、俺の全身にはもう消せない、夥しい傷跡が刻まれている。


「これ、初見のやつは大体ドン引きするんだけどな」


 俺の発言をイノリが悟った目で拾い上げる。


「ぐちゃぐちゃになってるエトくんを見てきた手前、そんなに気にならないというか」


「正論すぎる」


「それに……うん。良いと思うよ、私は」


 ふっと力を抜いてイノリが微笑んだ。


「『私が知らないエトくん』を見れる気がして」


「……重ぉ」


「なんでよ!?」


 思わず漏れた呟きにイノリが思いっきりショックを受けた。


「みんな言うけどさ! 私そんなに重いかな!?」


「まあ、世間一般よりかは……?」


 問答無用で“重いよ”と断言したら湖の藻屑にされそうだったのでちょっとマイルドに返答する。


「ぬぅ〜〜〜〜〜〜〜〜!」


 どうやら本人的には不満だったようで、イノリは頬をハムスターのように膨らませてバシャーン!と音を立てて湖に仰向けに倒れ込んだ。


「髪の毛とか集めない分私はマシだと思う!」


「比較対象が極まりすぎてる」


「髪の毛食べるの……?」


 多分食べないよ。だからシーナさん、そんなドン引きした声出さないであげようね。




◆◆◆




 その夜。

 水遊びで疲れたのだろう。早々に眠ってしまったイノリとシーナを部屋に残し、エトラヴァルトは併設されていた屋内訓練施設で剣を振っていた。


「…………」


 一心不乱に汗を流すその横顔は暗い。

 普通の人間であれば持ち上げるだけで悲鳴を上げるような重量の剣が空を切る度に唸りを上げる。


「……浮かない顔してるわね」


 背中からの声にエトが振り向くと、入り口にカルラが立っていた。


「用事ってやつはもう終わったのか?」


 予定より早いな、と言うエトにカルラは首を横に振る。


「とりあえず、目先の用事は終わったわ」


「そうか、お疲れ様」


 言葉を交わす時間も惜しいとばかりに、エトはすぐさま鍛錬に戻る。わかりやすく焦燥を感じさせる背中に、カルラが核心を突く言葉を投げた。


「あなた、成長できてないのね」


「……っ!」


 エトの、動きが止まった。カルラは躊躇いなく続ける。


「銀三級にしては、少しが足りないわ」


「……そうだな。は、まるで成長できてない」


 険しい表情をするエトに、カルラはふっと表情筋の力を抜いて笑いかける。


「お姉ちゃんに話してみなさい。抱え込むよりずっと楽になるわよ?」


「……荒唐無稽な、話になるぞ」


「どんときなさい!」


 胸を叩いて笑ったカルラに、エトは口を開いた。



◆◆◆




 《英雄叙事オラトリオ》のこと、《終末挽歌ラメント》のこと。そして俺自身のこと。

 粗方喋り終えた時には、カルラは頭から煙を上げていた。


「……つまり、どう言うことなの?」


「相談相手間違えたかな」


「あーまってまって! ちゃんと整理するから待って! 見捨てないで!!」


 なぜ相談を受ける側が見捨てられそうになっているのだろうか。不思議な逆転関係に困惑していると、キッと真剣な表情を浮かべ直したカルラが現状を整理する。


「つまりあなた自身には魔力も闘気もなくて、その《英雄叙事オラトリオ》って本に記されたエルレンシアたちの力を借りることで戦ってきた——これで良いかしら?」


「ああ。大体合ってる」


「そう。……難儀な身体ね」


 本心から、カルラはそう言っていた。

 そして突然、


「魂について、あなたはどれくらい知ってる?」


 と問うてきた。


「……その生命体の全て。俺たちの鍛錬は、才能を引き出すための出口作りだって聞いてる」


「良い師匠に巡り会えたのね、正解よ。それじゃあ、魔物を殺すことで魂が成長することも知っているわね?」


「ああ。だから——」


「そう。だからあなたは悩んでいる。


 俺は、重々しく頷いた。




◆◆◆




 エトの話を聞き終えた時、カルラははっきりとこう思った——意味がわからないと。


 《英雄叙事オラトリオ》。またの名を、“記録の概念保有体”。歴代保有者の人生を記録し、魂の残滓を有する一冊の本。


 カルラは断言する——馬鹿げていると。

 カルラが知る他の“概念”と比べても規格外の能力。

 そもそも、宿


 カルラの常識は、今まさに覆されていた。




◆◆◆




「はっきり言うわね。これ、私じゃ力になれないわ」


 目の前でカルラが勢いよく「ごめん!」と頭を下げた。


「ちょっとあまりにも稀有な事例すぎて……一人だけ頼れそうな奴を知ってるんだけど、そいつは自由人すぎて今どこにいるのかわからないし……」


 まあそうだろうなという納得と、金二級のカルラでも駄目か、という落胆が同時に去来する。


「俺、カルラ目線だとどんな感じなんだ?」


「お猪口に湖の水が乗ってるわ」


「どういうこっちゃ」


「本来じゃあり得ないことが起こってるってことよ」


 大変わかりにくく、そして大変わかりやすい説明だった。


「要するにあなたの魂に一切の余裕はないわ。なのに、器以上の何かが占有している。魔力も闘気も使えないのはそのせい。基礎能力が殆ど伸びていないのもそれが理由でしょうね」


 本当に困った肉体である。

 《英雄叙事オラトリオ》には何度も助けられてきたし、悪感情を抱くことはない。だがせめて、少しくらいは融通を利かせてくれと思うのは許して欲しい。


「……これは純粋な疑問よ。悪く思わないで欲しいのだけれど」


 そう前置きしたカルラは、問う。


「あなた自身が強くなる意味は何? 《英雄叙事オラトリオ》を極めるだけで、私は十分なように感じるわ」


 それは、至極当然の疑問だった。


「敢えて強い言葉を使うわ。こんな風に無意味に剣を振ってる暇があるなら、1秒でも長くあなたのその特異な力を使う修行をするべき——私はそう思う」


 真剣な表情。

 まるで抜き身の刃を鼻先に突きつけられるかのような鋭い気配の眼光が俺を射抜く。


「下手な寄り道をしてまで、あなた自身が強くなりたいと願うのは何故?」


 その問いに、俺は。


「……俺が、強くならなくちゃいけないからだ」


 答えになっていない答えを返した。


「グレイギゼリアに、俺は手も足も出せなかった。《終末挽歌ラメント》を使っていない状態のアイツにすら、俺の剣は届かなかった」


 辛うじて届いた最後の一撃は、イノリの魔眼と“竜殺し”を併せたもの。それすら、瞬く間に再生されたと聞く。

 このままではまた、俺は失ってしまう。


「アイツは必ず、何度でも俺の前にやってくる。このままじゃあダメなんだ。強く——今よりもっとずっと強くならなくちゃいけない。他でもない、俺自身が」


「……そう」


 その答えに、カルラは大きく踏み込んでは来なかった。


「なら、私が鍛えてあげるわ」


 そして、一対の小太刀を抜いてそう宣言した。


「技術、技能くらいは盗んでみなさいよ?」


「……いいのか?」


 俺の確認に、金二級冒険者カルラは当然だと頷いた。


「レゾナを。エルレンシアの理想を繋いでくれたお礼よ。ありがたくボコボコにされなさい」


「ありがたみを感じない口上だな……よろしく頼む」


 エストックを抜き放ち、正対する。

 カルラは凛とした笑みを浮かべた。


「死ぬ気で食らいついてきなさい」


 視界からかき消え、直後。俺の脇腹にカルラの右足がめり込んだ。


「ぐっ……!?」


「遠慮なく。殺す気で行くから」



 日が登るまで、俺はひたすらボコボコにされ続けた。

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