第四章 〈異界侵蝕〉
ペット探しに兄弟探し。ついでに逃走
瓦礫の隙間から見える曇天。
それが、イノリという少女が持つ最初の記憶である。
痛いとか、苦しいとか。そういうありきたりな感覚はなかった。麻痺したように動かない体。出ない声。
カラカラの喉がヒューヒューと乾いた呼吸音を奏でる。
呻き声とか、泣き声とかも、そのうち聞こえなくなった。
特に感慨はない。だって、これが初めての光景。
この時のイノリには、命に執着するだけの“記憶”の積み重ねがなかった。
——おーい、シンくーん!
声がした。
こんな場所には似合わない、弾んだ声が。
——生存者はっけーん!
——あんま騒ぐな。気取られるだろうが
元気な声に引きずられるように、呆れた声がひとつ。
——ほんとだ、生きてる。
曇天を、綺麗な夜が多い隠した。
——待ってろ、すぐに出してやるから
次の瞬間、瓦礫が粉微塵になってイノリの肉体は自由になった。
それが、兄との出会い。忘れられない夜空の記憶だった。
◆◆◆
「……んぁ」
『悠久世界』南東の
「よく眠れたか?」
座席からはみ出るように俺の肩にもたれかかっていたイノリが目を覚まし、寝ぼけ眼を擦った。
「……ん。おはよ、エトくん」
「随分と寝坊したな。また魔眼の起動訓練か?」
「んーん。今回は違うかな」
イノリは検問場の方を眺め、少しだけ不安げな表情をする。
「兄ぃと初めて会った日の夢を見てたの」
不安の正体は、恐らく手がかりの有無だろう。
この広い星でたった二人の家族を身一つで探すのはあまりにも困難を極める。
「改めて聞くけど……出身世界の名前とかはわからないのか?」
「そういうのは全然。……ただ、すごく荒廃してると思う」
「確か、災害に遭ったって言ってたっけ」
「だね。だから、世界関連の手がかりは見込めないと思う」
「そうなると基本は目撃証言頼りかあ……」
「あとは異界を隅々まで探す、とかかなあ」
「そっちはあまりやりたくねえなあ」
——前提として。
異界は、今回の目的地である『不知火鳴骨』のような
未踏破……つまり未探索の領域。異界の傾向から大まかな対策自体は可能だが、正規ルートと呼ばれる最下層まで開拓された道とは違い、未知の罠や魔物との遭遇危険性がある。
魔物の中には成人男性を0.5秒で昏倒させる激毒を持つものを筆頭に、「初見殺し」と呼ばれる特筆すべき力を持ったものがかなりの数存在する。
憂を帯びた視線で写真を眺めるイノリに聞く。
「その写真、どの辺りで拾ったのかは聞いたか?」
「えっとね……確か異界主の手前辺りだったって」
「……なら、その周辺を重点的に探索しつつついでに異界主も間引くか」
……というかそもそも。
「お前の兄さん、なんで冒険者じゃないのに異界に潜ったりしたんだろうな」
俺の純粋な疑問に、イノリは「う〜ん」と首を傾げて唸る。
「兄ぃ、結構思いつきで行動するところがあるからなあ……真夏に『初詣に行こう』って言い出したり」
初詣……たしか、一部の世界に根付く新年を祝う行事だったか。
と、ここまで考えて俺の中に一つの閃きが降りた。
「…….そう言うってことは、イノリの元いた世界の新年は夏じゃないのか」
「……あっ! うん!」
その視点はなかった、とイノリはハッとしたように頷いた。
「エトくんの言うとおり、私の元いた世界は真冬に新年を迎えてたよ」
意外なことに、これは大きな収穫だったりする。
世界広しと言えど、気候は千差万別。イノリの記憶からより詳細な気候区分を得ることができれば、イノリの元いた世界をかなり絞ることができる。
「お前の兄さんが異界にいた理由はわからんが……ともかく故郷の世界がわかればかなりの進展になるな」
「だね。……ねえエトくん。ストラちゃんとも話してたんだけど、剣闘大会のあと、一度エヴァーグリーン
「本国……大図書館か?」
「うん。元々ストラちゃんがすごく行きたがってて——あ、検問。私たちの番だ」
「んじゃ、落ち着いたらまた話すか」
検問は最低限の装備品のチェックと銀の登録証ですんなり通ることができた。やはり、ギルド本部があるエヴァーグリーン内での冒険者の信用度は高いらしい。
◆◆◆
『悠久世界』エヴァーグリーン。世界総面積約1000万㎢を超えてなお成長途上とされる、最も多くの異界を所有する“七強世界”に名を連ねる世界である。
エヴァーグリーンはそのあまりにも広大な土地を管理するために、未だに“国”という区分が残っている稀有な世界だ。
全ての国は、世界中央に位置するエヴァーグリーン本国の属国という扱いとなる。
「リステルじゃ精々が村だってってのに、ここは国単位とか……どんだけ広いんだよ」
「大きすぎて規模感が全く掴めませんね」
俺たちがたどり着いたリーエンは、珍しく——というか唯一の例外の“都市国家”としてエヴァーグリーンからは独立した国という扱いだ。
ちなみにこれは、このリーエン周辺が同じ七強世界である『海淵世界』アトランティスと隣接しているためである。
現在は互いに不干渉を貫いている両世界だが、戦争の危機が過ぎ去ったわけではない。この“都市国家”という特別な扱いは、戦争が勃発した際本国との通信による指令の
「商隊のおっちゃんやたら詳しかったよな」
「ああ。死ぬほど眠くなった」
ためになる話ではあったが、まあ3〜5時間ぶっ通しで歴史の授業はあまりにも子守唄だ。
「エト、お前本当に座学苦手だったんだな」
ラルフは意外そうに言った。
「なんだかんだ、色々そつなくこなす印象があったから、正直疑ってたぞ」
「勉強はな……どうしてもダメだったんだよ」
都市国家リーエンは……一言で言うとべらぼうに栄えていた。
リステル+フォーラル+レゾナ+ウィンブルーデで対抗しても絶対に勝てない——そう思わせる活気があった。
リステルはむしろデバフ? 正論はやめろ、心が痛い。
「俺たちってさ、手荷物少ないよな」
道ゆく冒険者たちを見たためか、ラルフがぼそりと呟いた。
俺たちはその言葉に自分の身を見返してみる。
まずイノリ。
黒を基調としたコートとズボンに極夜と白夜、ついでに
次いでストラ。
つばの広いとんがり帽子にローブ、そして魔法の発動を支援する杖。
ラルフは一般的な鎧に大戦斧と剣と、この中で一番の重装備。
最後に俺は、胸当てや肘当て等の最低限の鎧にエストック。
……なるほど確かに、背中に馬鹿でかい荷物を背負って重たそうに歩く一般的な冒険者たちと比べて俺たちは明らかに軽装だ。
「これ、偽装のためにも多少は荷物持っとくべきだと思うか?」
俺の質問に3人が「うーん?」と唸る。
俺たちには、紅蓮ことクソ吸血鬼から譲り受けた“虚空ポケット”という、重量・体積を無視して色々収納できる便利すぎる魔道具がある。
市場に出回れば億単位の金が動くこと請け合いなこの魔道具を俺たちは大変重宝しているわけだが……
「エト様、それはつまり“こんな軽装は怪しい”という考えの元の発言、と捉えても?」
「大体合ってる」
「確かに、多少はなんか持っとくべきかも知れねえな」
「そこまで考えてなかったけど……確かに不自然だもんね」
別に、隠すほどのことでもないのかもしれない。だが、俺とイノリが初めて共に異界探索に挑んだ時のカツアゲ……あれがより大規模に行われる危険性は冒険者の信用問題的に限りなく低いが決してないわけじゃない。
余計な火種を自ら撒く必要はないのではないか——とふと思ったのだ。
「うーん……でも、あまり気にする必要ないんじゃない?」
そう言ったのはイノリ。何故と問うと、彼女は自分の魔道具を指差した。
「火種ならもう溢れてると思うから」
「「「そうかも」」」
なんだかんだ、俺たちの装備は銀三級になりたてとは思えないほど充実している。
フォーラルで貰った俺の装備一式はカンヘルとの戦いで全損してしまい、今は有り合わせの防具だが、俺以外の3人の武装はかなり高水準で安定している。
おまけに、イノリは紅蓮がどこからか持ってきた魔道具三つで武装という豪華っぷり。
「今更気にする意味もないのか」
そんなことに意識を割く余裕があるなら、とっとと出世してそういう装備を持っていても不思議じゃない立場になればいい——と、割と簡単なお話だ。
力強く頷いたイノリは、拳を突き上げて宣言する。
「と言うわけで! まずは金欠脱出のためにギルドからの依頼をこなす方向で!!」
「「「おーー!」」」
◆◆◆
ギルドからの依頼——飼い猫を探して欲しい。
「まさか銀三級になって初の依頼がペット探しとはな……」
依頼者は地元商店街の役人の妻らしい。
1週間前、飼い猫が窓から脱走しそのまま行方知れずになったとのこと。
そんな依頼を何故俺たちが受けているのかというと……支払いがとても良いからである。
本来、この巨大すぎるリーエン全域が対象の飼い猫探しなんて誰もやりたがらない。よって支払いが良くても冒険者は基本こういった依頼はスルーするのが基本であるが、今の俺たちには金がない。
隠蔽結界付きのテントで貯金の殆どを飛ばした挙句、真っ当な装備品はカンヘルことクソトカゲとの戦闘で丸々全損した。
早急な立て直しが必要、ということでなりふり構わず高報酬の依頼に食いついたのだ。
今現在、俺たち4人はそれぞれ東西南北、扇状に区画を区切って猫の捜索に勤しんでいる。俺の担当は北方面だ。
「イノリとストラが探知魔法使えるとはいえ、この人混みでどこまでやれるのか……」
屋根の上を走るのは瓦の落下の可能性があるため御法度。結果、土地勘のないリーエンを走る羽目になっている。
「俺とラルフは九割九分根性論なんだよなあ……」
また、同時進行でイノリの家族に関する聞き込み調査も実施。
猫と男女ペアを同時に探す奇怪な冒険者が4人誕生することになった。
——四時間後。
「全然居ねえ……」
猫も、情報も、何もない。
朝方に到着したため、時刻は昼を跨いだ頃。今日は全員別行動のため、どこか都合のいいタイミングで昼食を……と考えていたのだが、進むうちに確実に飯処なんてものがないであろう裏通りらしき場所に辿り着いてしまった。
「……一旦戻るか?」
一応、直線的とはいえ頭に進んできた道の地図は入っている。帰ること自体は可能だが……成果なしというのは辛い。
道の脇に雑に捨てられた長椅子に腰掛け、俺はポケットからナッツをチョコでコーティングしたお気に入りの菓子の箱を取り出し、2、3粒ほど口の中に放り込んだ。
「俺も甘党になったな……」
以前、シャロンの肉体から戻れなくなった頃の味覚変化はその後の俺の好みに影響を与え続けている。
この変化が味覚だけで済んだと喜ぶべきか……難しいところである。
そんなことを考えつつ、俺は膝を叩いて気合を入れた。
「よし! もう少し進むか……うん?」
ふわふわと。
視界の端に、見覚えのある夢紫色の物体が映り込んだ。
「……なんか、すげえデジャヴなんだが」
半ば確信を持って視線をずらすと、そこにはオーロラ色の瞳をばっちりと菓子の箱に固定させた白いワンピースを着た少女がいた。
「久しぶり……で、いいのか? シーナ」
俺の確認に、『魔剣世界』レゾナで出会った少女、シーナはコクコクと短く首肯した。
「久しぶり、お兄ちゃん」
あの時はシャロンの姿だったが……どうやらシーナは他人を外見的特徴で判断しないらしく、あの日と変わらぬ物欲しげな視線をチョコ菓子に向けていた。
「やっぱり、俺って分かってたんだな……食うか?」
「……! 食べる!」
目を輝かせたシーナの手にチョコを一粒転がすと、パクリ。
俺の名前を覚えているのかは定かではないが、知ってる人判定は継続中らしく躊躇いなくチョコを食べて頬を綻ばせた。
「……お兄ちゃん、やっぱりいい人」
「やはり単純……」
「——だから、お願い」
急に。
真剣な声音で、シーナは言った。
「助けて。わたし今、逃げてるの」
「えーと……誰から?」
「悪い人たち?」
何故、疑問系?
「……タスク増えすぎでは?」
路地の奥から響く、明らかにこっちへ向かってくる足音に俺は頭を抱えた。
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