暗澹の影

 『湖畔世界』フォーラルの、『偽証の魔神殿』の穿孔度スケールが低下した。


 前代未聞の知らせは、『花冠世界』のみならず、多くの世界のギルドで波紋を呼んだ。

 その波紋の中心と言っても過言ではないエトとイノリは、ギルド受付の目の前でただただ言葉を失っていた。




◆◆◆




「……いや、あり得ないだろ」


 グロンゾから穿孔度スケール低下の一報を受けた俺が絞り出した一言は、幼稚な否定だった。


「異界が縮むなんて聞いたことがない」


「だが、実際にギルドが……エヴァーグリーンの本部が正式に公表した。ガセじゃねえんだ、最悪なことによ」


 歴史上初の穿孔度スケール低下ダウン。それが意味することは一つ、異常事態である。


 混乱の最中にある俺たちを気遣うようにグロンゾが問う。


「エトラヴァルトよう。お前さんたちは穿孔度スケールが上昇したところに立ち会ったんだよな?」


「まあ、一応そうなるのか?」


 横のイノリに視線を送ると、イノリが眉を顰めた。


「あの時は必死だったから詳しくは覚えてないけど……確か、異界に入り込んだ直後に穿孔度スケール4の大軍に囲まれたんだよね」


「ああ。そんで、銀三級の人が『穿孔度スケール5だ』って言って……結局、大氾濫スタンピードの後にギルドから正式発表を受けて、『ああそうだったんだな』って実感が湧いて……そんな感じだったな」


 イノリ同様、俺もあの時は必死で細かいところまで覚えておらず、硬い説明口調のようになってしまう。

 兎にも角にも生き延びる——フォーラルを守るという意識が第一で、異界の穿孔度スケールなんては頭になかった、というのが正直なところだ。


 俺たちの曖昧な物言いにギルド内にいた冒険者たちの頭上に疑問符が浮かぶ。余計混乱させたようで申し訳ない。


「ああでも、私、ギルバートさんから中でのことちょっと聞いてた!」


 そんな中、イノリが「そういえば」と手をポンと叩いた。

 〈迅雷〉のギルバート。俺たちをあの調査隊に推薦してくれた美形のエルフ。銀二級の実力者でもある彼から、イノリは大氾濫スタンピード中の異界内部の様子を聞いていたと言う。


「いつのまに?」


「エトくんが治療で爆睡してた時。ギルバートさん、確か『中で危険度5の魔物共に十重二十重に壁を作られて邪魔された』って」


 俺は「うへえ」と苦い表情をした。おそらく100や200じゃ効かない魔物が居たんだろうな——と想像し、


「……………………………………あれ?」


 その、に気がついた。


「……危険度6以上の魔物は、居なかったのか?」


「エトくん顔怖いよ? うん。ギルバートさんは確かに危険度5の大軍って。それがどう、し……え、あれ?」


 イノリや、周囲の冒険者たちもその言葉が意味する致命的な矛盾に気づき、ざわつきが大きくなる。

 その矛盾を、人の波の中の誰かが指摘した。


穿孔度スケール5なのに、危険度6以上の魔物がいないって……おかしくねえか?」


 穿孔度スケール5の認定条件は、異界主以外の危険度6の安定観測である。

 あの世界にいた危険度6は、異界主であるグレーターデーモンただ一体。


 つまり、『湖畔世界』フォーラルの異界は最初から穿孔度スケール4のままだったのだ。


「ギルバートさんたちが強くて、気づかないうちに倒してた……とかは、ないか」


 イノリの自己完結に便乗する形で頷く。


 気づかないわけがない。銀二級にまで辿り着いた冒険者が、魔物の強さを、危険度を見誤るなんてことはあり得ない。そんな間抜けは昇級前に命を散らす——異界とはそういう場所だ。


「なんで今まで気づかなかった? なんで俺は、違和感を覚えなかった!?」


 その異常に、心臓が早鐘を打つ。

 周りに誰がいるとか、そういう理性を働かせる余裕なんてなかった。

 半年間当然だと思っていた記憶が、突然屋台骨を失って崩れ落ちる。

 全身を支配する不気味さ、得体の知れない悪寒に吐き気を催し、俺はえづく口に手を当てた。


穿孔度スケールが落ちたんじゃない。最初から穿孔度スケールの上昇なんてなかったんだ!」


 意味がわからなかった。

 こんな当然の事実に、なぜ誰も辿り着けていなかったのか。なぜ誰一人疑問を抱かず、『偽証の魔神殿』を……いや、『鏡の凍神殿』を穿孔度スケール5だと断定していたのか。


『………………………………』


 ギルド内外が静寂に包まれる。

 穿孔度スケール低下ダウン、そんなものよりもっとずっと恐ろしい『何か』の片鱗に触れてしまったような気がして。

 俺たちはただ、時間に身を委ねることしかできなかった。




◆◆◆




 冒険者たちがそれぞれ帰路についたのは、深酒し話題に乗り遅れたらしい男冒険者二人の愉快な笑い声を聞いてからだった。


 ハルファ、グロンゾ、チカの三人は衝撃冷めやらぬエトたちを置いて一足先に宿へと帰っていた(ヴィトウは元々留守番)。

 ハルファがチラチラと背後を振り返る。エトたちを気にしているのは明白だった。


「置いてきてよかったのかな……俺が無理言って連れ出したのによ」


「いいのよ今回は。むしろほっとく方が正解よ。ちょっとは落ち着きなさい。リーダーでしょ」


「そう言うオメェは逆に落ち着きすぎじゃねえか?」


 ドライすぎだろ、とグロンゾがぼやく。


「そうかしら?……そうかも。ちょっと整理が追いついてないわね」


 チカは特に意味もなく羽ばたき、低空飛行。


「おかしいことだらけで、どう整理すればいいのかわからないのよ」


「俺らですらこれなんだから……エトラヴァルトたちは大変だろうな」


 当事者であれば当事者であるほど、その衝撃は計り知れないだろう。

 今回の話の肝は、異界の穿孔度スケール云々ではない。無数の世界を、人を巻き込んだ認識の阻害だ。

 わからないなりにも、チカは確信していた。


「一個だけ確かなのは、誰かが意図的に今回の事態を引き起こしてるってことだけね」


 認識の齟齬、事実の誤認……これもまた異界の悪意の形なのだろうか。そんなことを考えながら、ハルファたちは宿に着いた。




◆◆◆




 落ち着こうにも落ち着けなかった。

 一度気付けば止まらない。無数に湧き出てくる記憶と意識の異常に頭がどうにかなりそうだった。


「エト様、大丈夫ですか?」


「……正直、大丈夫じゃない」


 身体は健康そのもの。だが、脳に激しい負荷がかかっている。

 おかしいのは、何も異界の穿孔度スケールの話だけではない。


 グルートやギルバート、その他銀二級・三級冒険者たちの実力も戦果と一致しなくなった。


 危険度5以下で構成された魔物の軍勢など、たとえ万を超えていようが銀一級の前には紙屑も同然、銀二級にとってもさしたる障害にはならない。


 穿孔度スケール5の異界では場所によっては危険度7、8の魔物と当然のようにする。

 穿孔度スケール6ともなれば、今の俺たちでは想像もできない——危険度10を超える魔物たちが跳梁跋扈している。


 そんな魔境で生き抜く銀級上位の冒険者にとって、危険度5の大軍ものの数に入らない。

 三十人もベテランがいながら、穿孔度スケール4程度に遅れをとるはずがないんだ。


 それが世間の常識であり、不変の冒険者の階級が裏付けている。


「俺の中の認識と、世間一般の常識が食い違ってるのか……?」


「いや、多分それは違えと思う」


 俺の言葉をラルフが否定した。


「情報……っつうか、前提、基礎知識を整理しよう」


 そう言ったラルフはギルド受付から紙とペンを借りてきて、冒険者階級と異界の穿孔度スケールの相関図を書き出す。



・銅級……穿孔度スケール3以下の異界に入場可能。


・銀五級、四級……穿孔度スケール4に入場可能


・銀三級、二級……穿孔度スケール5に入場可能


・銀一級、金五級……穿孔度スケール6に入場可能


・金四級、三級……穿孔度スケール7に入場可能


・金二級、一級……穿孔度スケール8に入場可能



「これが冒険者の大前提。そんで、昇級には実力が大前提だ。上の穿孔度スケールに潜っても、たとえ死にかけでもなんとか逃げ帰ってこれるだけの実力が最低でも必要だ。そうですよね?」


 ラルフに問われたギルド職員がしかと頷いた。


「はい。一定の探索成果も必要となりますが、大前提、必要なのは実力です。“どの異界を”、“どれくらいの早さで”、“何人で”、“如何に被害を少なく”、“どれほどの成果を挙げて”乗り切ってきたのか——我々ギルドは、それらを総合して『実力』と判断し、各人が昇級に足る人材であるかを選定します」


「だ、そうだ。つまり——」


 ひと呼吸置いたラルフがこう続けた。


「つまり銀二級や銀一級は、穿孔度スケール4なんて楽々攻略できなきゃおかしいんだよ。ついでに、ここに魔物の危険度を追加してみるぞ?」


 そう言って、ラルフは黙々と紙に新しい情報を付け足していく。



穿孔度スケール4……危険度〜5の魔物と、〜6の異界主


穿孔度スケール5……危険度〜7の魔物と、〜8の異界主


穿孔度スケール6……危険度〜9の魔物と、〜10の異界主


穿孔度スケール7〜……不明。情報秘匿。取得に制限あり



 書き終えて、浮き彫りになる矛盾、齟齬。

 ラルフはそれを躊躇いなく指摘した。


「グルートさんやギルバートさんが、大氾濫スタンピードでも、穿孔度スケール4に手間取るなんてことはあり得ねえんだ」


「それじゃあ、フォーラルのことはどう説明するの?」


 俺と同じように頭を押さえながら苦悶の表情を浮かべるイノリの問いに、ラルフは乱暴な結論を出した。


「何もわからん! フォーラルがなんかおかしかった!」


「「ええ……」」


「ラルフ、その結論の出し方は流石に雑です。丁寧に詰めてきたのが勿体無いですよ」


 ストラの指摘にラルフが「仕方ねえだろー?」とぶー垂れる。


「俺たちの認識がおかしかった。この時点で全部の前提が崩れちまうんだよ。真実なんて突き止めようがないんだ」


「…………空間断絶」


 ぽつりとイノリが呟いた。


「エトくん。確かあの時、紅蓮さんがそんなこと言ってなかった?」


 俺は即座に記憶を探り——


『様子見に行ってやるかー! ってやる気出したら、フォーラル全域に空間断絶が起きてやがったんだよ。俺の霧化は大体のもの無効化できっけど、空間断ち切られちゃ移動なんかできっこねえよ』


「……言ってたな、あのクソ吸血鬼」


 あの時はアイツの戯言、言い訳程度に思っていたが……


「救援が来なかったことと関係あるのか?」


「どうだろう……?」


「あの、わたしその件に関しては部外者も良いところなんですが……一つ良いでしょうか?」


 おずおずと手を挙げたストラに、俺たちは「当然」と頷いた。

 ストラは咳払いを一ついれて、端的に。


「その、『湖畔世界』。あまりにも厄介事が重なりすぎてませんか?」


「「「マジそれな」」」


 考えれば考えるほど沼に足を取られるような、真実から遠ざかるような感覚がある。

 ストラの正しすぎる指摘に俺たちのみならずギルド職員も頭を抱えて頷いた。


「しばらく家帰れねえ……」

「徹夜確定……」

「電話対応、本部からの応援要請……」

「最悪配置換え……?」


 等々、嘆く声が聞こえてきた。

 そんな中、一人の男性ギルド職員が四枚の紙を持ってきて来た。


「大変な中失礼します。先ほど、イノリ様とエトラヴァルト様、並びにラルフ様の戦功調査が完了しました」


 その発言に俺たちは自然に居住まいを正した。


 ——俺たちの冒険者階級は、本当に正当なものなのか。


 『湖畔世界』の戦功が信頼できないものになったことに不安を覚えた俺たちは、ギルドに調査を依頼したのだ。にしても……


「随分と早いな」


「緊急事態でしたので。調査の結果ですが、ここでお伝えしてもよろしいでしょうか?」


 三人頷く。


「畏まりました。端的に申しますと、なんの問題もありません。と言いますか、『湖畔世界』の一件を除いても銀三級への昇級資格があるくらいには十分な成果を挙げられています」


「「「マジで!?」」」


 予想外の“昇級”という単語に俺たちは揃って間抜けな声をあげた。


「マジです。ストラ様もついでにお調べしたのですが、銀級昇格は問題ないかと」


「前から疑問だったのですが、各人の戦功はどのようにして判断しているのですか?」


「登録証ですね。アレには探知魔法を応用した記録魔法が刻印されているんです。異界の魔力を吸うことで常時発動し、戦功を記録しているんです」


「成程。入場時と帰還時に毎回登録証を確認するのはそういう意図もあったんですね。……話の腰を折ってすみません。続けてください」


 ストラに一礼された職員が続ける。


「——ですので、階級が下がるなんてことはありません。更に申しますと、報奨金の取り上げもありませんのでご安心ください」


「「よかったぁ〜〜!」」


 この瞬間、俺とイノリが同時に、露骨に胸を撫で下ろした。一気に心が軽くなり血色が良くなった俺とイノリを見て男性職員がはにかんだ。


「あれらは武功とはまた別ですからね。それに、回収した魔石や遺留物ドロップアイテムの数から、『湖畔世界』で大氾濫スタンピードがあったことは紛れもない事実ですので」


「そっか。物的証拠があるからそこは疑われてなかったんだね」


「なんもよくないけど、俺たちも降格するなんてことがなくてよかったよ。……忙しい中、助かりました」


「これが仕事ですので。では、失礼します」


 職務に戻っていったギルド職員の背中を見送った後、俺は意識を切り替えるように手を叩いた。


「よし、帰るか!」


「そうだね、帰ろ!」


「さっさと寝て切り替えようぜ!」


「同意します。こういう時は寝るに限ります」


 一周回って「考えるのやーめた!」と開き直った俺たちはそのまま宿に帰り、吸い込まれるように布団に入って爆速で寝落ちした。




◆◆◆




「これは……どういうことだ?」


 エトラヴァルトたちが去った後、彼らの戦功調査をしていた男性職員は資料と睨めっこをしながら首を傾げた。

 浮かない様子の職員に、隣の席の同僚が元気付けるように肩を組んだ。


「どうしたんだ? そんなしみったれた顔して」


「ちょっと気になってな。これ見てくれよ」


「うん? どれどれ……」


 男が指差した場所を同僚の瞳が滑る。それは、各異界を踏破した日にちを記録する欄だった。


「怒涛の勢いじゃねえか。実力は本物ってわけか、で? これがどうしたんだ?」


「二週間前の昇級会議の時、既に三級昇格の要項を満たしてるんだ。なのに、会議では名前も上がってない」


「ホントだな。んー、でもよ、アレじゃねえか? 本部の方、最近立て込んでるって話だしよ。漏れがあったんじゃね?」


「お役所仕事でそれは致命的なんだけどな……まあ、そういうこともあるか」


 別に前例がないわけじゃない、よくないことではあるがしばしば発生するものだと男性職員は自分を納得させた。

 千を超える世界、その倍以上ある異界。全てを漏れなく資料で一括管理など、およそ人間にできるものではない。

 漏れが発生するのは仕方のないことだ——そういうものだと男は自分に言い聞かせた。

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