厄災の象徴

 ——穿孔度スケール4の異界、『狂花騒樹の庭園』。


 視界全部を覆う閑散とした樹海。

 階層構造の自然型異界に分類されるここは、とても『異界らしい異界』である。

 真っ当に広く、真っ当に魔物が強く、真っ当に厄介。

 『偽証の魔神殿』のような世界と鏡合わせなわけでもなく、『空洞樹海』のように重力場が歪んでいるわけでもない。

 例えるなら、『赤土の砦』の正統進化——そんな感じだ。


 異界に入場した俺たちを待ち受けていたのは、むせかえるような暑さ。

 立っているだけで体内から水分が抜けていくような感覚に、イノリが「うえー」と唸った。


「これ対策必須だねー」


「対策っつうか、寝る時どうするよこれ」


「寝ないで行軍も視野に入れるべきでしょうか」


 ストラの発言に、俺は強めに否を突きつける。


「いや、寝ないのは論外だ。この暑さで間違いなく体力は削られる。そこに不安を抱えるわけにはいかない。イノリ」


「うん。最悪、大氾濫スタンピードの時の貯金切り崩してでも耐熱系の魔道具は買い揃えるべきだと思う。なるべくいいやつを」


 中途半端に安いもので妥協するより、痛い出費だとしても買うべき時にはきちんと良いものを買う。半年程度の短い冒険者生活だが、こういった基本はわかるようになってきた。


「冒険者、金使い荒くてなんぼなところあるよなあ」


 ラルフのしみじみとした呟きに三人揃って頷いた。


「まあ、なまじ命賭けてる以上、職業柄って言うのか? 刹那的な生き方になるのは仕方ねえよなあ」


「足下を見られて物価高めに設定されている気はしますが……」


「そこ含めて経済回してるところはあるからね。私たち冒険者としても、発展に使ってくれるなら文句はないし」


 なお、異界穿孔度スケールが大きい都市ほど物価高になる傾向にある。というのも、冒険者は基本よく食うしよく壊すしよく遊ぶ。つまり経済が回るのだ(偏見・諸説あり)。

 また異界資源により都市は著しく成長する傾向にあり、同じ世界内でも物価の差が生まれやすい——そんな実情もあって、冒険者というのは稼げる仕事であり、同時にどこまでいっても金が飛ぶ仕事なのだ。


「無駄話はこの辺にしましょう。対策は後——来ます。イノリ!」


 ストラの警告にイノリが探知魔法を展開——『魔剣世界』での学び、そして三ヶ月に及ぶノンストップ異界踏破により鍛えられた探知範囲、半径150M。


「今回は眼、温存でいくね! 二時の方向から敵さんじゅ……さんじゅう!?」


 桁違いの接敵にイノリの声が裏返り、ラルフ、ストラがギョッとしてイノリの指し示した方を見た。


「いきなり大歓迎だな!?」

「」


 探知魔法に偽りなく、危険度4のスレイブバードの群れを引きつれた危険度5のバーバリアンが強襲を仕掛ける。


 同時に、異界が動く。

 僅かに耳に残った草木が擦れる音に俺が鋭く警鐘を飛ばした。


も来るぞ、全周警戒! イノリは指示を!」


「——っ、ごめん慌てた! ラルフくんを前衛に、ストラちゃんは砲撃支援! エトくんと私で異界への対処!」


「「「了解!」」」


 ラルフが大地を踏み締め、闘気を纏いバーバリアンと正面から激闘した。


「ストラちゃん! 俺に構わず——」


「もう撃ちます! 『炎星』!」


「せめてもうちょっと躊躇って!?」


 ラルフを容赦なく巻き込む巨大な火球が後方で炸裂し、魔物たちの悲鳴が響き渡る。


「容赦ねえ……つか声がでけえなやっぱり。イノリ! 増援警戒優先で頼む! は俺が受け持つ!」


「わかった!」


 飛びかかるを剣の円環で切り飛ばす。異界の意思を反映した草木の攻撃。異界そのものが、魔物を介さずに俺たちを殺しに来る。


 ——そもそも、大前提として。

 異界が大氾濫スタンピードを起こすのは世界を喰らうためである。資源的価値が誇張されている異界だが、大前提として異界は世界の敵対存在なのだ。

 当然、世界側に族する俺たち人類は異界にとっては有害な生命体——人体にとってのウイルス・細菌のようなものだ。


 これは、その侵入者に対する防衛手段に他ならない。


「随分とねちっこい手段だな!」


 『植物による拘束と捕食』、それが『庭園』の防衛手段。


 高速で迫り来る鋼鉄のように硬い枝葉。銃撃さながらの威力と密度に自然、口角が上がった。

 間断なく襲い来る緑の殺意に対して、俺は年季の入った本を開く。


「エルレンシア!」


 名を呼ぶ。直後、心臓が一際強く跳ね、俺の内から極彩色の魔力が溢れた。


「『情熱の朝ぼらけ』!」


 剣身が業火を纏い、燈剣一閃。眼前を炎のカーテンが覆い尽くし、群がる植物を一掃。

 同じタイミングでラルフとストラが第一陣を片づけた。


「移動するよ! 今日は第三層までのルート開拓!」


「「「おう!」」」


 いまだ燃え盛る炎。しかし、その熱を退けるように瞬く間に植物が再生していく。同時に、退


 異界の奥へ奥へと誘い込む、異界からの関節攻撃。その周到ぶりに思わず走りながらでも舌打ちが出た。


「ここまで変えられると俺の方向感覚も役に立たねえ!」


「マッピングは必須な! イノリちゃん頼めるか!?」


「ごめん、左眼なしだとキツい!」


「ではわたしが。多少汚くなりますが——」


「大雑把な記述があれば俺がなんとかする!」


「わかった! なら、地図はストラちゃんお願い! 援護減るから、エトくんとラルフくんは気をつけてね!」


「任せろ!」


「合点!」


 言ったそばから包囲してくる危険度5バーバリアンの群れ。昨日ハルファたちとお試しで潜った時にも感じたが、やはり他の穿孔度スケール4とは段違いに危険だ。


「エトくん、いざとなったら——」


「わかってる! そこで躊躇ったりはしない!」


 いざとなったら《英雄叙事オラトリオ》を完全解放する。

 解放状態での戦闘は体力……というより気力、精神力を大きく消耗する。異界探索という長期戦では使い所を選ばなくてはいけないが、だからと言って出し惜しむ気はない。


「どっちになるかはエトくんの判断で!」


「できればどっちにもなりたくないなあ!?」


 魂の内側で微かに抗議の声が上がった気がした。




◆◆◆




 危険度4

・アント・ウォーリア

・スレイブバード

・デッドリー・ホーネット

・シュタルテン

・ツイン・ハウンド


 危険度5

・バーバリアン

・フロルトロル

・ルー・ガルー

・オーク

・スカル・クアッド

・ナーガ

・毒花猿




 探索後、夜。俺たちは宿で遭遇した魔物を列記した。

 特筆すべきはやはり、危険度4と5の割合だろう。第三層の入り口まで、という限定的空間でありながら、既に危険度5の方が割合として多い。


 メモと睨めっこをしたラルフが唸る。


「これで穿孔度スケール5じゃないのかよ……」


「今までで一番キツい下見だったねー」


「魔力も他の異界と比べて一段濃かったです」


「あとシンプルに数が多い。ずっと油断できねえ」


 断言する。

 危険度5は最早俺たちの敵ではない。それぞれが個々に危険度5を確実に葬れる手段を持っているのだから。


 だが、それと異界攻略の安定性は決してイコールではない。


 俺たちの致命的な弱点、それは「継戦能力」だ。

 イノリの魔眼と魔弾の射手フライクーゲル、ラルフの青炎、俺の《英雄叙事オラトリオ》。それぞれが時間制限付きの一発芸だ。


 使えば使うほど消耗し、回復に長時間有するこれらは異界探索において致命的に相性が悪い。

 もちろん無茶することはできるが、毎度死にかけていては治療費で家計は火の車だ。それに、くーちゃんのような凄腕でもない限りイノリの“魔眼”の副作用の治療には不安が残る。


「連携の見直しが必要だな……」


 ボソリと呟いた俺の言葉に、ラルフが同意を示すように深く頷いた。


「明日以降の課題だな。にしても、ナーガかぁ……」


「なにか問題があるのですか?」


「いやあ、問題があるっつうか……」


 ストラの疑問に、ラルフは苦い表情で言い淀んだ。


「ラルフくん、魔物でも女性体を斬るのは嫌とか?」


「いやそれはねえ。つか今日のやつはガチムチマッチョだったろ」


「あれは中々に視界の毒だったな」


 無駄にバルクを強調しながら蛇の下半身で迫ってきた異形を思い出し、俺たちは揃ってテンションを下げた。


「いやいや、あの劇物のことはいいよ。ラルフくん、結局何が引っ掛かってるの?」


「んー、端的に言って『縁起が悪い』」


「「「縁起が?」」」


「蛇ってさ、“りゅう”に似てるだろ?」


「……そういうことか」


 ラルフの言わんとすることがわかった俺はラルフと同様に渋い顔をした。ストラも当然のように理解したらしく少し表情が固くなった。


「竜って……どういうこと?」


 唯一わかっていないらしいイノリに、俺は端的にことばにした。


「厄災の象徴なんだよ」


 竜とは、全ての世界が恐る滅びの使徒、厄災の象徴……あまねく生命の敵である。


 ラルフが記憶を掘り起こすように語る。


「すげえ昔……もう二千年以上前だと思う。『幽峡世界』っつう、七強世界にも劣らない力を持つ世界があったんだ。で、結論から言うとだ。その世界は穿孔度スケール8の大氾濫スタンピードで滅び去った」



◆◆◆



 ——滅亡惨禍。

 第一大陸西部で覇を謳っていた『幽峡世界』が滅びてなお各世界で語り継がれる史上最悪の大氾濫スタンピード。合計で179の世界を飲み込んだ狂乱の宴。


 『悠久』、『海淵』、『覇天』、『極星』、『幻窮』、『四封』、『始原』……これら世界が『七強世界』と呼ばれるようになったきっかけの大厄災。

 100を超える世界が協力して対処にあたり、甚大な被害を出しながらも収束したこの宴の先頭に立っていたのが、“竜”である。




◆◆◆




「空と地を覆い尽くす竜。吐息ひとつで街が滅び、爪のひと掻きで千人が死に絶え、翼のひと薙ぎで城が落ちた」


 ラルフの言葉に、ごくりとイノリが唾を飲む。


 破壊の権化、滅亡の使徒、厄災の象徴……その冠に偽りなく。あらゆる時代、あらゆる世界において、竜とは忌み嫌われる存在なのだ。


「だから、竜に似てるってされてるトカゲや蛇、あとはそれに類似する魔物ってのは総じて縁起が悪いって嫌われてんだよ。下手すりゃゴキブリより嫌われてる」


 ラルフの茶化すような発言に、自然と場の空気が和んだ。


「俺はゴキブリの方が嫌だな。あいつら屍肉にも容赦なく群がるから、外で鹿の解体してると邪魔くさくて仕方ねえんだよ」


「エト様、なぜ鹿の解体を……?」


「小遣い稼ぎ」


「エトくんの学園生活、ちょっと野生すぎない?」


 家無き子(自業自得)だったからね、しょうがないね。


「話を戻しましょう。縁起が悪いと警戒しすぎるのは毒ですが、ナーガが危険度4と言えど、あの移動速度が侮れないのは事実。適度に気をつけましょう」


 ストラの総括に全員が頷き、イノリが続ける。


「とりあえず、明日は新しい連携でも試してみよう! ストラちゃんを完全に支援要員にして、エトくんと私を中心に近接で攻めてみるとか」


「それ、エトの負担がデカくねえか?」


「いや、ぶっちゃけ《英雄叙事オラトリオ》使わないなら体力有り余ってるぞ?」


「え、そうなん?」


 意外がるラルフに、俺は自信を持って頷いた。


「学園4年間、配達は荷物背負ってダッシュだったからな。あと親友との訓練で持久力だけはやたらとある」


「「「野生児すぎる」」」


 そこだけが取り柄だったからな。今も、《英雄叙事オラトリオ》がなければそこだけが俺の寄る辺だ。


「だから俺はイノリの案に賛成。丁度いい機会だから色々試してみよう。ほら全員アイデア出せ出せ!」


「それではわたしが。ラルフを盾にわたしが砲台になります」

「それ今日やったよな!?」

「それじゃ、ラルフくんを楔に魔物を集めて青炎で焼き尽くすとか?」

「俺の負担デカすぎねえ!?」

「俺がラルフをぶん投げて前と後ろから挟み撃ち」

「扱いが雑!!」


 最初はふざけながら、とりあえずなんでも言ってみろの精神。だが案外「おっ?」というアイデアが出るもので、議論は結構白熱し、真っ白なメモがあっという間に黒く染まっていく。


 そうして暫くアイデアを出し合っていた俺たちだが、ドタドタと慌ただしく廊下を走る音にふと意識が向いた。

 直後、ドンドンドン! と強く扉を叩く音。


「いきなり悪い! エトラヴァルト、いるか!?」


「……ハルファ?」


 切羽詰まった様子の声。早足で近づき扉を開けると、「うおっ!」と勢い余ったハルファがすっ転びながら部屋に入ってきた。


「こんな時間に悪りぃ! けど、すぐにお前たちに伝えるべきだと思ったんだ!」


「落ち着けハルファ、何があった?」


「何が……だめだ、俺上手く説明できねえ! とにかくギルドに来てくれ!!」


 ——ギルドに。この時点で、ハルファの仲間に何かがあった線は消えた。俺はイノリたちを振り返り、互いに頷く。


「わかった。装備はいるか?」


「いや、必要ねえ! 乱闘騒ぎとかそういうのじゃねえんだ!」



 慌てふためくハルファの後を追うように、俺たちはギルドへ向かった。

 そうして辿り着いたギルドは、入り口から人が溢れるほどの賑わいを見せていた。


「夜なのに、なんでこんないっぱいいるの?」


 イノリの疑問はもっともだ。

 酒場が併設されているとはいえ、ギルドがここまで人でごった返すことは珍しい。これほど人が押し寄せることがあるとすれば、昇級が発表される日くらいなもの。

 そして、今日の賑わいは、どうやら“困惑”が大きいらしい。


「……来たぞ!〈剣界ソードスフィア〉と〈黒百合〉だ!」

「お前ら道を開けろ!」


「俺たちを待ってたのか……?」


「わ、その異名初めて呼ばれたかも!」


 ちょっとだけ嬉しそうなイノリを連れ立って、俺はギルドの中へ。ラルフとストラは人の波を見て「俺たち外で待ってるわ」と屋外に残った。


「あ、エトラヴァルトくん! イノリ!」


 チカ、グロンゾ、クリスといった最近馴染みの面々が明確な困惑表情を浮かべながら俺たちの名を呼んだ。

 興奮気味なチカが純白の羽を揺らしながら俺に詰め寄る。


「ねえ、あなたたちって『湖畔世界』にいたわよね!?」


「ああ、確かにいたけど」

「何かあったの?」


「そりゃもちろん? あったんだけど……ね、これなんて言えばいいの!?」


 頭を抱えるチカをグロンゾが手で制する。


「落ち着けチカ。俺が説明する。あー、簡潔に言うぞ?『湖畔世界』フォーラルの異界の穿孔度スケールが、54


「「……………………はあ!!?」」


 グロンゾの言葉をたっぷり10秒ほど咀嚼して、俺とイノリは揃って仰天。


 穿孔度スケールの減少。前代未聞の事態に、ギルドに集った冒険者及びギルド職員たちは、ただひたすらに困惑していた。

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